或る皇国将校の回想録
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北領戦役
第十四話『猛獣使い』帰還せり
前書き
新城直衛 <皇国>陸軍大尉 独立捜索剣虎兵第十一大隊大隊長代行
旧友である馬堂豊久から指揮権を託され、内地へと帰還する。
浦辺大尉 笹嶋中佐が司令を務めた転進支援隊司令部の戦務参謀
坪田中佐 <皇国>水軍東海洋艦隊 巡洋艦大瀬の艦長
駒城保胤 駒州公爵家・駒城家の長男にして駒州鎮台司令長官である陸軍中将
蓮乃 新城の義姉 かつてともに戦地を彷徨った時からの縁であり。新城の愛する女性
保胤の愛妾にして事実上の正妻
馬堂豊長 馬堂家の当主であり、馬堂豊久の祖父
馬堂豊守 豊久の父、准将に昇進している。
皇紀五百六十八年 三月五日 午前第八刻 皇国水軍 巡洋艦 大瀬 上甲板
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長代行 新城直衛大尉
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長代行と肩書きを変えた新城直衛は海原を眺めながら思いを巡らせていた
――僕が残るべきだった。アイツが先に行けと言った時、僕は――俺は安堵した。
豊久はそれを見透かしていたのだ。奴は昔からそうだ。
内地の事を考え、内心で舌打ちをする。
――大隊長、か。最後の最後でまた大隊長が代わった、あの馬鹿め、最後の面倒だけ僕に押しつけて残りやがった。
新城は、豊久の生死次第では自分も厄介なことになりかねない事は理解している、身内の結束が強いのは将家の特徴であり、それは馬堂家も例外ではない。
確かに馬堂家は陪臣の中では数少ない自分に好意的な家だったが、嫡男を失って尚もそうであると思うほど新城は自分の人間的魅力を信じる人間ではないし、相手が理性的であるとも信じていなかった。
「新城大尉」
笹嶋中佐が残した転進支援本部の人間である浦辺大尉が新城に声をかけた。
「浦辺大尉、騒いでいる様ですが何でしょうか。」
「ええ、天龍が接近しておりまして――
一昔前までは戯れに転覆させられていましたから警戒しています。
龍は教条的な程に〈大協約〉を尊ぶと言いますがどうも若い龍のようですから念の為です」
心配は要りません、と言いながら指された方向を見る。
――確かに天龍だ、わざわざ此方に来るか、
「もしかしたら、『知己』なのかもしれません。」
「知己、ですか?」
「はい、北領で〈大協約〉絡みで。」
それを聞くと何かを悟ったのか浦辺大尉は暫く考えると
「ならば艦橋に行きましょう。坪田艦長は良くも悪くも叩き上げの船乗りですから、警戒して合戦準備も考えているでしょう」
と云った。
新城が坪田中佐へ近づくと、それを見つけたのか天龍が大瀬へと接近してきた。
坪田中佐が体を強ばらせるのとほぼ同時に導術の声が頭に響く。
『当方に敵意なし、当方に敵意なし 貴艦便乗中の友人に挨拶を送りたし。』
船員達のどよめきが新城の耳にも届いた、天龍程になると術師の素質のない者達にも導術の声を聞かせられる事は〈皇国〉人ならば誰でも知っている。だが、実際に天龍の“声”を聴く事ができる者はめったに居ない。
船に並走した天龍は、やはり新城が〈大協約〉に従い負傷したところを救助した坂東一之丞であった。
「お出迎え痛み入ります、坂東殿。」
『とある筋より貴官の生還を知りまして、ご迷惑かと思いましたが
兎にも角にも一言お祝いを申し述べたく参上致しました。
助けていただいた時に申した一斗樽は持ち合わせていませんがね。』
笑いのような導術の細波を感じた。
『皇都まではもう僅かですお乗せしましょうか?』
「お気持ちは有り難いのですが、部下と共に帰還する事も自分の任務ですので。」
不思議と久々な肯定的な気分を弄びながら新城は云った。
『これは出過ぎた真似をしました。このままでは艦の邪魔になりますな、今日のところはこれまでにします。ご迷惑でなければ、いずれ皇都にご挨拶に向かわせていただきます』
「ご迷惑などとんでもありません。皇都での再会を楽しみにしております
――それではいずれ、また」
導術ではなく咆哮で新城に答え、若き天龍・坂東一之丞殿は再び高みへと舞い上がった。
彼の言った通り、艦長が新城とその部下達を甲板へ呼び出すのに時間は掛からなかった。
――全く意外だな、自分にこんな里心があるとは、気に入らない所だらけ、僕の全てを奪い全てを与えた国へ一番親しい友人と後輩を残して尚かんじるこの気持ち。
「故国、ですね」
――そうだ。《故国》だ。
浦辺はおそらく新城とは全く違った味わいでこの言葉を噛み締めているのだろう。
「えぇ、故国です」
「おーい!」
港が微かに見えるようになると皆が次々と手を振り、声を上げはじめた。
戦場では古兵として戦っていた者達も下士官の演技をかなぐり捨てている。
全員が指揮官の視線に気がつき慌てて顔を引き締め、気ヲ付ケの姿勢になる。
――少なくとも彼らは、とっては贅沢な結末を得られたわけだ。
束の間も楽観的思考に浸り、新城は素直な気持ちで彼らに告げる。
「諸君、故国だ。御苦労様でした。」
三月五日 午後第三刻 皇都水軍埠頭
駒城家 御育預 新城直衛少佐
帰還の式典は簡素な物だった、軍監本部から来た代表が1ヶ月の休暇と路銀の支給を伝え、そして、新城直衛は陸・水軍、両方で少佐の階級を得た事を伝えたのみであった。
兵達が解散し軍監本部の人間との話を終わらせ、肩書きが幾つか増えた新城直衛に初老の男性が歩み寄る、――新城家の家令(正確を期すなら直衛一人の新城家の)である瀬川である。
「直衛様、荷物を」
「ありがとう」
そして新城は彼を待つ陸軍中将の元へと歩く
「駒城閣下。新城直衛少佐、只今戻りました」
「御苦労様でした。少佐。」
敬礼を交わし、中将と少佐の間に沈黙が降りる。それを破ったのは乳母の抱く幼子の声だった。
「麗子様、初姫様ですか。一年ぶりですか。大きくなられましたね」
新城の義兄である駒城保胤が顔を緩ませた。
「あぁ驚く程にな。何はともあれよく帰ってきた。直衛」
「直ちゃん」
――この声は
「ただいま戻りました、義姉上」
直衛と共に東州の戦野を彷徨い、蓮乃のおまけで保胤の庇護を受け、直衛は育預になり、新城直衛と成った。
蓮乃、新城直衛最愛の女性は、大恩ある義兄の妾にして事実上の正室として彼がもっとも慕う駒城保胤と共に在った。
「また無茶をして、怪我は無い?」
「無事です。義姉上」
新城もいい歳なのだが、どうしてもはにかんでしまう。
「小さな頃から何時もそう。見栄を張って無茶をして、本当は何もかも恐くて仕方ないのに」
蓮乃は泣き出しそうな声で云い。
「直ちゃん・・・」
そして、堪えきれずに泣き出した。
――僕の
――僕の胸で、ねえさんが
蓮乃の存在、その全てが直衛の内面で押し殺され続けているおぞましい衝動を煽る。
だが新城直衛はそれらを全て微笑に収束させる術を完全に修得しており、千早の鳴き声が聞こえると意識してそちらへ注意を向けた。
「おいで!千早!」
巡洋艦から運びだされた檻から飛び出した美猫は主人に甘えるように鳴いた。
過酷な戦場を生き抜いた勇壮な剣牙虎のそれに、一同は笑いに包まれた。
変わらぬ――故国だった。
三月七日 午後第五刻 皇都 馬堂家上屋敷応接室
「――死んだ、と決まったわけではない、まだ希望はある、と考えてよいのだね?」
五十前の紳士然とした男が尋ねた。
「俘虜の確認がとれたら、生存の確認がとれます」
馬堂豊守は、駒城家が手を回して彼を准将へと昇進した意味を無視して生存を断言した。
「うむ、素直に無事を祈らせてもらうよ。
彼が生きていないと我々の政略が狂う、というだけでなくね」
「娘さんの事ですかな?」
豊長が口元を緩めて尋ねる。
「む……そうでもありますがね、そもそも、そうなったのは私自身もあの若者を買っているからなのですよ」
故州伯爵・弓月家の当主である弓月由房は、決まり悪そうに咳払いして云った。
彼の次女は馬堂豊久と婚約を交わしている。
「えぇ、それは承知しておりますとも。
で、あるからこそ此方の馬鹿息子の我儘に付き合ってくださってるのですから」
「あれも彼のことを気に入っているようだからな。だからこそ、無事でないと困るのだ
――まぁ今更だな、この件に関しては私にできることなどもうない」
そう言って真剣な表情に戻るとこの屋敷でなければ口にできない内容を言い放った。
「この戦争、私には兵馬の事は分からぬが、それでもこれだけは銃後のものとして理解できる。
御国の現状は非常に危ういものだ。――何しろ頭がまるで機能していないのだからな」
「――それは、また大胆な物言いですね。
官庁の中の官庁を牛耳る御方の言葉と考えるとお互い耳が痛い、と言うべきでしょうか?」
一拍おいて馬堂豊守准将は苦笑しながら云った。
弓月伯爵家は、皇主が古都である故府に御座した時代から仕えていた家であり、彼自身も五将家の閥に属さず州政局次長・天領知事・警保局長と内務省の顕職を渡り歩き、内務省第三位の席である内務勅任参事官の地位へ至った内務省の実力者であった。
「今までならそれで済んだだろうがね。今の私は限りなく無責任に言えるからな。
何しろ、北領帰りの大将閣下達が予算・動員を言いたい放題だ、五将家と云えどもやりすぎたな、護州陪臣の官僚がこちらに情報を漏らしている」
「再反攻の件――ですな?」
黙って聞き役に回っていた豊長が云う。
「その通りだ、私は内務官僚であって軍人ではないから兵馬のことには口が出せん。
だが、軍人の言う――その、なんだ、兵站とやらを支えているものはよく理解しているつもりだ。
北領鎮台の動員数から比較するだけでもあの守原の言うことが実現したらどうなるかは分かりきっている」
上品な鼈甲眼鏡越しにぎらり、と眼力を強め、弓月伯爵は静かな口調で云った。
「――破滅だよ。北領にどれほど軍を展開し続けるつもりだ?
それを養う穀物はどこから産み出す?兵達の賃金は?工廠を稼働させる金は?消耗した人員は?
御国は何時まで戦時体制を続けられるのか、怪しいものだよ。」
そこまで言うと首を振る。
「何をするにせよ、戦争というものは金と人が馬鹿馬鹿しくなるほどに必要だ。だいたいだな、守原は短期間で決着をつけるつもりだそうだが、奴はさっさと片付けられたばかりじゃないか、
身代を潰した阿呆に投資をしろ、なんてそこらの両替商なら尻を蹴っとばされて追い出されるような話だよ」
諧謔を混ぜた物言いに馬堂の主である二人はくつくつと笑った。
「えぇ、其方の対応は軍部――保胤様や兵部省・軍監本部の反対派も動いています。
取り敢えずは我々がどうにか食い止める為に全力を注ぎます、必要であれば手を貸していただきますが」
「遠回しであれ、自殺する趣味は私にはないよ」
豊守の言葉に伯爵は笑みを浮かべてのらり、と応える。
「大殿様、若殿様、失礼いたします」
話が漸く切れたところを見計らい、老練の家令頭である辺里が来客を告げる。
馬堂家の二人が眉をひそめるのを尻目に弓月伯は愉快そうに体を揺らす
「ふむ、北領の英雄殿か」
豊守が張り詰めた表情でそれに応える。
「えぇ、彼は遅滞戦闘隊を直率した豊久と別れています、生死不明です。
まぁ主家の末弟殿ですからお目にかからなければならんでしょうが、あまり期待しない方が良いでしょうね」
息子の言葉に豊長もは頷くが、一層興味深そうに弓月伯が云った。
「豊長殿、私もここに居て宜しいですかな?」
午後第五刻半 皇都 馬堂家上屋敷
駒城家育預 新城家当主 新城直衛
狩猟犬として有名な龍州犬を伴った屈強な男達が一間(1m)程の警杖を携え、油断なく来訪者――新城直衛をじろじろと眺めている。
――この屋敷もいつも通りか。
憲兵上がりが大半を占めている警備班は事実上、馬堂家の私兵である。政界・財界へと根を伸ばしている馬堂家の躍進の背中を護り続けている彼らは人数こそ十数名に過ぎないが、馬堂豊長を当主とする馬堂家に忠誠を誓っており、時には積極的な自衛活動に携わることも珍しくない。
そこらの邏卒よりもよほど荒事に慣れている。
「御育預殿よくいらっしゃいました」
家令頭の辺里が新城を迎える。
「此方へどうぞ」
新城直衛が応接室に入ると見知った馬堂家の当主とその次代を継ぐ男、そして見知らぬ貴族らしき男の三人が彼を出迎えた。
「よくいらっしゃった、御育預殿」
「いえ、僕が急に押し掛けたのです。豊守殿」
旧友である豊久の父として新城が慣れ親しんだ相手であるが、今は厳しい表情で新城を眺めている。
輜重兵として東州内乱に従軍し、負傷した後に後方勤務に配置されてから頭角を現した軍官僚である。
「それで――失礼ながら其方の方は――」
新城がそう云いながら見知らぬ貴族らしき男を観る。
「――君とは初めてになるかな?新城少佐。君の話は豊久君からよく聞いているよ。
内務勅任参事官の弓月由房、故州伯爵だ」
――弓月、あぁ豊久が逃げ回っていた婚約者の家か
過去を思い出し、新城は僅かに口を歪めた。
婚約者云々は、新城が豊久を揶揄うネタの一つであった。
「失礼致しました、閣下。馬堂少佐殿から閣下の事はお聞きしておりました」
「それで何の用でしょうか?御育預殿。」
馬堂豊長は新城に向き直り丁重な口調で云った。
五将家支配への過渡期に騎兵から憲兵へ転向し、陸軍の国軍化に一方ならぬ貢献をなした人間である、今では退役し駒州公篤胤の右腕として政財界に転進しているが往年の眼力は衰えていなかった。
――豊久が帰還しなかった意味は戦死か捕虜かのどちらかしか無い、そして僕にはそのどちらかなのか、それすらも答えることは出来ない――とんだ土産をおしつけられたな。
残った旧友達の事を思い、苦いものがこみ上げてくる。
「はい、最初に、馬堂豊久少佐より文を預かっております、御改め下さい。」
文を豊守が受け取り、目を通すと面白そうに微笑し、豊長少将に渡した。
「成程――父上、これは面白いと思いませんか?」
「ん。これは・・・ふむ・・・」
老齢の当主も声は困った風であるが口元が緩んでいる顎を撫でる。
その様子を偕謔味に満ちた目で見ながら豊守が口を開く。
「まず少佐に知らせるべき事として
第一に新城少佐の事を自身の意志で大隊長として任命している事
第二に以降の軍務においても君を大隊長として正当に扱って欲しいそうです。」
「はい、閣下」
公私半々だからかどちらも丁寧な口調で応答する
「後は・・・まぁ此方の話ですな。」
豊守准将が困った顔で三人目の男を観る。
「おや?それには私も含まれているのかな?」
機嫌良く黒茶を口にしながら三人の様子を眺めていた弓月伯爵が口を開いた。
「そうあってくださるのならば誠に助かるのですが」
「前向きに検討させてもらうよ」
涼しい顔で受け流す貴族官僚に豊守は苦笑を浮かべた。
・
・
・
「育預殿。今度は、豊久が此処に居る時にまた話をしたいものですな」
実直な顔で豊長が別れの挨拶をする。
「はい、全くもって同感です、豊長様」
新城はそれに心の底から同意した。
後書き
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