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雲は遠くて

作者:いっぺい
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68章 奈緒美、竜太郎の家に招かれる

68章 奈緒美、竜太郎の家に招かれる

 2月1日の日曜日。青空がひろがっているが、北風が冷たい。

 新井竜太郎の家は、世田谷区の成城二丁目にある。
小田急線の成城学園前駅南口から歩いて3分であった。

 東証1部上場の、外食産業を中心に躍進している会社、
エターナル(eternal)の社長の家にふさわしい、南欧風の2階建ての豪邸である。

 リビングのソファには、家族4人の、竜太郎と弟の幸平、父の俊平と母の麻美がそろっている。
そして、竜太郎の目下の恋人であるらしい、野中奈緒美もいた。

 つい先ほど、竜太郎は、彼女をクルマで迎えに行って、家に連れてきたのであった。

「奈緒美さんは、いよいよ今年は、1月から、NHKiの連続ドラマのヒロインとして出演されているのに、
そのいそがしい中を、よく、わがままな竜太郎の言うことを聞いて、うちに来てくれました」

 見るからに人のよさそうな眼差しで、しかも、眼光は鋭く、
計り知れない奥深さを宿しているような瞳の持ち主で、
いかにも大会社の社長にふさわしい風格の、新井俊平は、
人なつっこそうな笑みを表情にたたえながら、奈緒美にゆっくりとそういった。

「新井社長、きょうは、ご自宅に、わたしなんかを、お招きいただけることが、夢のようで、
もう、さっきから、感動しっぱなしで、心臓の鼓動は、高鳴りっぱなしなんです!
ほんとうに、きょうは、ありがとうございます!
それに、わたしのことを、さんづけでお呼びになるのなんて、もったないといいますか、
光栄しすぎて、わたし、困ってしまいます。どうか、お願いですから、わたしのことは、
呼び捨てで、奈緒美とかぁ、奈緒美ちゃんとか、奈緒ちゃんとかぁ、
それかぁ、奈緒!って読んでいただけないでしょうか?!お願します、社長!」

 そういって、奈緒美は、肩にかかる美しい長い黒髪を揺らして、深々と頭を下げた。

 そんな奈緒美に、みんなからは、思わず、わらい声ももれた。

「それじゃぁ、ぼくは、奈緒ちゃんと呼ばせてもらいましょう。そのかわり、ぼくのことは、
社長ではなくて、(しゅん)ちゃんって、呼んでください。あっはっはは」

「社長のことを、俊ちゃんですか?いくらなんでも、それはちょっと・・・」

「いいんですよ。ぼくがそうしてくださいって、言っているのですから。俊ちゃんと呼んでください」

「わかりました、社長。あっ、俊ちゃん」

 そういって、少女のように澄んだ瞳をきらめかせて、奈緒美は微笑んだ。

「奈緒美ちゃん、うちのオヤジは、ちょっと変わっているんですよ。自分の気に入った人には、
俊ちゃんとか、ちゃんづけでよばせているんですから。
まあ、おれもオヤジのマネしてますけど。あっはっはは」

 竜太郎がそういってわらった。

「おれもそうなんだよね。仲のいい奴には、幸ちゃんって呼んでくれって言っているんだよ。
これって、よく考えれば、オヤジの影響だったんだよね。あっはっは」

 竜太郎の隣で、熱いコーヒーをおいしそうに飲みながら、弟の幸平がそういってわらった。

「奈緒ちゃんなら、すぐにわかってもらえると思うんだけど、企業が成長できるか、
業績を順調に伸ばしてゆけるか、どうかの、もっとも重要なキー ポイントって、
いかに人を育てるのかってことなんですよね。いわゆる人材育成です。
経営学の父といわれる、アメリカのドラッカーも、会社にとって、人は最大の資産といっています。
そのせいかどうかは、わかりませんけど、ぼくの見てきたアメリカ人たちは、
おたがいに年齢の差や社会的な地位とかは気にしないし、そんなの関係なしで、
おたがいに、トムとかミッシェルとか、敬称などなしで、
呼び合ってますからね。でも、そんな社会の慣習の根本には、
アメリカって、多くの民族による移民で生まれた国ということもあって、
みんな、おたがいに、友だちじゃないかという、フレンドリーな意識が働いているんだと思うんですよ。
そんな友好的な意識が共有されているんでしょうね。
まあ、ぼくも、たまたま、そんな善良な人たちとしか、出会ってないし、見てこなかったとも、
言えるんですけどね。あっはは。まあ、そんなことも考えたりして、ぼくも会社の社長であっても、
社長とか呼ばれたくないし、会社でも、課長や係長とかの役職名では呼び合わないようにって、
言っているんです。人を育てるということを第一に考えた場合、
そういった垣根は全く不要ですからね。権威や肩書にふんぞりかえっているなんていうのは、
ほとんど会社員失格、人間失格なんですよ。奈緒ちゃんなら、わかってもらえますよね。
奈緒ちゃんをみていると、自分の才能を伸ばすことに一生懸命なのがよくわかるんです。あっははは」

「そんな、お褒めの言葉をいただけるなんて。ありがとうございます!俊ちゃんのおっしゃることって、
そのとおりだと、わたしも思います。」

 ソファーにもたれながら、時々笑みを浮かべながら語りかける、エタナールの社長の俊平に、
奈緒美は、きらりと輝く澄んだ瞳で微笑んで、軽く頭をさげる。

「個性を育てたり、才能などの人の強みを最大限に生かしたりすることっていうは、
確かに、簡単にできることではないでしょうけどね。しかし、その人の、ほんとうの強みというものは、
その人らしさ、自分らしさの中にあるものなんですよ。あっははは」

「そうですよね、わたしも、そのとおりだと思います」といって、奈緒美は、うなずく。

「ありがとう、奈緒美ちゃん、でも、ぼくの言ってることは、実は、ドラッカーの言葉なんですよ。
どうも、競争ばかりに明け暮れる、今の資本主義の社会には、
人間らしさを失わせるものがあって、いけませんよね。その点、ドラッカーの言葉には、
現代社会に対する警鐘もあったりするようで、ぼくの愛読書なんです。あっはっはは。
・・・それにしても、竜ちゃんが、女性を、我が家に、招待するのも、
めったにないことなんですけど・・・」

「あなた、そんなことは、聞かなくっても、わかっていることだわ。野暮ってものよ。うふふ」

 俊平の隣に座っている、俊平よりも3つ年下の麻美は、母親らしい優しい笑顔でそういった。 

「竜さんは、わたしにとっては、白馬の騎士のようで、ほんとうに、すてきな人なんです!
わたし、小学生のころから、芸能界に興味を持っていまして、タレントさんになるのが夢だったんです。
夢見る少女なんでしょうけど。でも、自分なりに、ダンス・スクールに通ったりして、
チャンスを待っていたんです。
そしたら、エタナールさんの芸能プロダクションのクリエーションが、
新人オーディションのことを知りまして。それで、勇気を出して、応募してみたんです。
そうしたら、オーディションに合格させていただいたり、お仕事は来るようになったりで、
ほんと、竜さんや、事務所のみなさんも、わたしには、ほんと、よくしてくれていまして・・・」

「いやいや、そうやって、いつも夢を追いかける奈緒美ちゃんの才能が、
その毎日の努力が(みの)って、きれいな花を咲かせて、
それを世の中も認めてくれているってことですよ!あっはっはは」

 声をつまらせて、目に涙を浮かべそうになる奈緒美に、竜太郎はそういって、微笑んだ。

≪つづく≫ --- 68章 おわり ---
 
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