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新説イジメラレっ子論 【短編作品】

作者:海戦型
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第3話 ウォッチング

 
 ――本名、風原(かざはら)真人(まなと)
 性別は男性で、中学1年生。奇しくも彼は私こと千代田(ちよだ)来瞳(くるみ)と同じクラスの人間だった。

 彼の登場以来、クラスの人となりは僅かに変化していた。
 まず、いじめっ子グループがすっかり行動を停滞させている。
 その原因は恐らく風原くんではなく、あの麗衣の方に在るのだと私は推測する。
 入学してからこの方、私を連れ出していじめる時はいつもあの麗衣が近くにいた。言葉には出さずとも、皆は麗衣の顔色を伺っていた節がある。
 理由は分からなかったが、彼女の気持ちひとつで急激にいじめっ子の行動が左右されていたのは確かだろう。

 その彼女は、今まで私をいじめるのに割いていた時間を普通に周囲と喋ることに使い始めた。時々思い出したように風原くんや私に声をかけるけど、本当に他愛のない挨拶止まり。言うならば、普通に過ごしているだけ。
 動きがない事は不気味そのものだけど、それでいじめを受けないのならば安いものだった。結局いじめっ子たちは誰かが切っ掛けを作らないと行動できない烏合の衆だったらしい。今では普通に香織と会話も出来る。
 まだ悪戯や小さな嫌がらせはあるが、我慢できる範囲内だ。

 上履きを隠されるくらい――
 教科書に落書きをされるくらい――
 すれ違いざまに足を引っかけられるくらい――
 トイレで冷水を浴びせられるくらい――

 それくらいなら、我慢できた。正面切って罵倒されずにひそひそと悪口を言われることは増えたけど、口を聞かなくていい分まだマシになった。身を守るためにダンゴ虫のように体をくるめる必要もなくなった。
 家の事を除きさえすれば……とても、マシになった。
 少なくとも、今だけは。

 そして、恐らくこのクラスの変化の中心であろう風原くんは、当然ながらクラスで孤立していた。
 それも、ただ孤立しているのではなく、当人がクラスの雰囲気に馴染む気がないらしい。

 何かを言われれば返事くらいは返すが、他人の誘いにはまず乗らない。
 相手が下手に出ても、譲渡しても、一向にそれに応えず自分の意見を曲げない。
 何かと余計なひと言で空気を崩し、その事を咎められても悪びれもしない。
 態度が悪く、教師相手でも平気で悪態をつく。
 挙句、授業をサボタージュして教室に姿を表さないこともあった。

 時折喧嘩をしたような怪我をしていることもあり、喧嘩をしたという噂もよく聞く。
 本人は喧嘩したことを否定も肯定もしないが、表沙汰になっていないだけで間違いなくやっていると周囲は確信していた。彼を中心に、悪い空気が教室内に渦巻く。
 いつか暴れるかもしれない風原くんという爆弾を抱えたことで、このクラスのわが身が可愛いいじめっ子たちはそちらばかりを警戒している。

 特に一触即発になりやすいのが関谷くんだ。
 彼はいつも独りよがりな使命感でクラスの和を保とうとしている。私が虐められていた事をどう思っているのかは知らないが、お行儀のいい彼にとって風原くんの傍若無人とも言える態度は我慢ならないらしい。
 今日も教師に押し付けられていた風紀委員としての役割を放棄したことで関谷君と口論になっていた。
 ただ、風原くんは苛立つことはあっても怒りはしない。
 だから、むしろいずれ関谷君の我慢の限界が来たときが危ないと周囲には目されている。

 こうして彼が場を荒らせば荒らすほどに――私の腰を下ろせる場所が増えていくんだ。

(これでいいのかな、私)

 不意に、自身にそんなことを問う。
 これじゃ本当にみんなが言うような嫌な女の子みたいだ。人の不幸を願い、人の不幸にほくそ笑む性悪でどうしようもない人間。

 いじめられなくなるからって、本当にこれでいいの?

 その日はそんな事ばかりを考えていたせいか家でお皿を割ってしまい、音を聞きつけた父に怒鳴られた。そのお皿は母さんのお気に入りのお皿で、それを見咎めた父によって私は家の外へと締め出された。
 父が寝た隙を見て、こっそり空けておいた窓から家に戻った。
 こうでもしないと、父は戸をあける事さえ忘れて眠ってしまうから、いつもこうしている。

「わたし、泥棒みたい」

 ここは私の家なのに――母さんがいればこんなことにはならなかったのに。
 なんで死んじゃったの、母さん。
 私を置いてくほど仕事が大切だったの。
 父さんも母さんも、私の事はどうでもよかったの?



 = =



 この天田中学校は、珍しい事でもないが給食制だ。
 休み時間になれば2列ずつ向かい合う形で机をくっつけて一緒に食事をとる。
 どうせならば一人で食べたいところだが、さすがに食事時間になるといじめっ子たちも自分の周囲とのおしゃべりに花を咲かせる。
 朝ごはんを抜かざるを得ない私にとっては、たとえお世辞にもおいしいとは言えなくとも貴重な食事時間だ。

 だが、そんな給食時間にも小さな諍いは存在する。
 例えば人気の給食のときにおかわりの量で争いになったり、余ったデザートや牛乳を巡って争奪戦が起きたり……そんな事が頻繁に起きる。いじめに比べれば実に些細で平和的な争い事だ。
 私はそんな争奪戦に参加することはない。
 やるのは食欲旺盛な男子ばかりだし、幾ら給食でも目立てば後でからかわれる切っ掛けになる。
 だから黙って見ているだけだ。

 そう――例えば目を離した隙にデザートの冷凍みかんが盗まれていても、犯人探しは決してしない。

(きっと今回も手島くんの仕業だ……)

 デザート泥棒の常習犯、手島くん。友達は勿論、わたしがデザート類を盗まれても何も言わないのをいいことにひょいひょいと持って行っては隠れて食べている。もう何度も先生に注意されているが、本人は大したことはしていないと反省の色を見せない。
 一度だけ関谷くんに頼んで取り返してもらおうとしたが、生真面目な関谷君に頼んだ私が馬鹿だったのか、彼は私の名前を振りかざして返してやれと大騒ぎ。言うまでもなく、その後に私はチクリ魔だの他人を利用してるだのと散々にいじめられることになった。

 関谷くんは悪い人ではない。でも、よかれよかれと思って事態を悪くしたことに自分では気づかない。性質の悪いいらんことしい……それが関谷くんだ。
 だから、出来るだけ私に関わらないで欲しかったのに――些細な願いはいつだって叶わない。

「あれ……千代田さんの分のみかんは?」

 気付くな、気付くなと必死で祈ったが、祈りは所詮自分が考えただけのこと。現実に影響を及ぼすものではない。通りかかっただけの関谷くんがどうして目ざとく私の所だけを見ていたのかは分からないが、とにかく今日は運が私を向いていないようだ。

「おかしいな。今日は休みの人もいないし、余りもないみたいだ……まさかもう食べた訳じゃないよね?」
「……そんな事しないよ」

 言って、しまったと後悔した。ここで「空腹に耐えられなかった」と言ってしまえば小言を貰って終わったのに。関谷君はじゃあ、と声をあげる。

「無くなっちゃったの?みかん……もしかしてまた手島に取られた!?」
「ち、ちが……」
「あいつ、性懲りもなくまた……!」

 関谷くんの顔は真面目そのものだ。義憤に駆られ、手島くんに猛抗議しようと息巻いているに違いない。私の為に動いてくれているが、全く嬉しくなかった。
 それをやると私の立場が悪くなっていくことに気付いてほしいのに、それを説明したらきっとさらに怒り出して手が付けられなくなる。下手をすればずっと君を守る、などとファンタジーな事を言い出すかもしれない。
 その事を想像してゾッとする。
 割と容易に言いかねない気がしたからだ。しかも彼自身が途中で飽きて止めても発言は周囲に残る。極端な話、彼が別の学校に行ったり転校しても私だけはからかわれ続ける。
 彼に注目されるだけでも肩身が狭くなるのにそんなことになってしまったら、私は学校で生きて行けるのだろうか。なんとしてもそれだけは避けたい。
 一直線に手島くんの所へ行こうとした関谷くんの手を止めて、必死で言い訳を考える。

「ど、どうしたの千代田さん?ぼ、ぼ、僕になにか……?」
「そうじゃなくて……その……」

 彼が納得してくれそうで、それでいて通じそうな嘘。
 とにかく時間がない――もう何でもいいから言うしかない。

「あ、あげたの」
「え?」
「みかん、あげたの」
「あげたって……誰に?」

 問われて、誰なら通じるか考える。
 こんな時に機転を利かせてくれそうな香織は給食当番でまだ席にはいない、となるともう頼れそうな人間がいない。かといって手島くんにあげたと言えば、無理やり持って行かれたのではと騒ぎ立てられる。
 どうする、どうする――

「か、風原くん……そ、そう。風原くんにあげたの。冷たいものはちょっと苦手だから……」

 咄嗟に出てきた名前がよりにもよって……と後悔したが、今を乗り切れればもうそれでいい。

「風原、に?……でも風原はそこにはいないみたいだけど」
「と、トイレに行ってるんじゃないかなぁ、なんて」
「冷たいものが苦手って言うのも初めて聞いたよ?」
「と、時々冷たいものが染みて……はは、は。虫歯かなぁ?」
「それに風原とは別に仲がいいわけでもないでしょ?何でまた今日になって――」

 席が近い事を除いて接点のない風原くんの名前が出てきたことで、関谷くんが訝しげにこちらを見てくる。既に手島君の方に向かってはいないから手は放したが、今度は私の隠し事を疑い始めたらしい。
こっちとしては大きなお世話なので早くどこかに行ってほしいのだが。
 どうしよう、もうこれ以上は誤魔化す方法が思いつかない――と諦めかけた刹那。

 かたん、と椅子が鳴って一人の男子が向かい側の机に座った。
 向かい側――風原くんの席に、風原くんが戻ってきた。
 気が付いたら風原くんの給食盆には冷凍みかんが2つ乗っており、図らずとも私の嘘と辻褄はあっている。

「……お前か、風原」
「何か用か?」

 それでも関谷くんは風原くんの事を快く思っていないためか、まだ納得していない顔だ。

「お前、千代田さんを脅したりしてないだろうな……!」
「……何で俺がそんな七面倒くさい事をしなきゃならん?」
「しらばっくれるなら別にいいがな。もしもお前が千代田さんに手を出すようなことがあったら、僕は許さないぞ……!」
「そうかい」
「……っ、ふん!」

 興味なさ気な風原くんの返答に一瞬だけ悔しそうな顔をした関谷くんは、踵を返して自分の席へ戻っていった。
 なんとか乗り切った、と大きなため息を吐く。冷凍みかんにここまで踊らされるとは思わなかった。唯の凍った柑橘類の癖に人間並みに手ごわい。

 それにしても――風原くんはどこからもう一つの冷凍みかんを持ってきたのだろう。
 そう疑問に思っていると、風原くんはおもむろにそのうちの一つを摘まんで、私の方に投げてよこした。

「わわわっ!あ、危ない……」

 少し前まで冷凍庫に保存されていたのであろうひやりとした冷気が指に振れる。

「これ……くれるってこと?」

 何も言わない風原くんに聞くと、彼は眉一つ動かさずに二言。

「さっき床に落ちてたのを拾った。汚ぇからお前にやる」
「き、汚いと思ってる物を普通人にあげる……?」
「皮の内側には関係ない」

 発言の内容は最悪に近かったが、ともあれ彼の気まぐれでどうにかデザートにあり付けそうだ。
 素直にお礼を言う気が全く起きないのだが、タイミングよく現れてくれたのでこちらも助かった。
 これからはみかんを盗まれない方法を考えようと誓った。



 = =



 西済麗衣は見ていた。
 千代田来瞳に渡されたその冷凍みかんがどこから渡ってきた物なのかを。
 あれは床に落ちていたものなどではない。手島が持っていた盗難みかんだ。

 風原真人は手洗いから教室に戻り、ひとつだけ冷凍みかんが複数キープしてある机を発見し、その直後に千代田と関谷が何やら話しているのを見つけ、彼女の盆にみかんがない事に気付いた。だから普通に歩きながら、さりげなくその山よりみかんを一つ盗み取って何食わぬ顔で席に座り、盗んだみかんを手渡したのだ。


 千代田さんはそれに気付いているのかしら、と含みのある笑顔で麗衣は笑う。

 きっと気付いてはいないだろう。
 気付かないままにあのみかんを食べ終えるだろう。
 風原真人という男が、影ながら彼女の厄介を感知したうえで動いていたとはまだ思っていないだろう。
 でもいずれ知ることになる。
 気付かないなら麗衣がそのことを知らせるから。
 出来るだけ面白いタイミングで、彼女の意志がゆらぐような機を見計らって教えよう。
 そうしたほうが面白そうだし。

 面白いと言うのは重要な事だ。
 私はいつも面白さ本位で行動しているし、快楽を追求する事は人が生きるうえで最重要だと思っている。
 例えば千代田さんが虐められてるのも、周辺の女の子にふっと声をかけてみただけだし。
 ただ、嫉妬心を少しだけ煽った上で、その醜い感情を肯定するようなことを言っただけだ。

 手島くんにも声をかけたことがあった。
 彼のいたずら心を肯定してあげただけで、彼は随分とふてぶてしくイタズラするようになった。
 本人なりにムードメーカーのつもりでいるらしいが、周囲の心が段々と自分から離れている事には気付いていないだろう。教えては上げないけれど。

 関谷くんに千代田さんを気に掛けるよう仕向けたのは、予想以上の効果だった。
 元々彼は千代田さんに気があったらしく、彼女の事となると空回りしている事にも気づかず全力だ。
 いじめの実情は一切知らないという事を考えるととても滑稽で面白かった。

 他にも何人も、ふと心の一カ所を肯定してあげるだけで面白いぐらいに人は変わっていく。
 それをくすくす笑いながら見ているのが、一番楽しい。

 だけれども――彼は特別。

「くすくす、くすくす」

 楽しみ方はいろいろとある。
 今は、私はそれを遠くから見ているだけ。
  
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