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新説イジメラレっ子論 【短編作品】

作者:海戦型
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第2話 ムービング

 
「――ところで、まなちゃんは助けてあげないの?」

 不意に、鈴を転がすような麗衣の声が階段の上へと向いた。
 いつも何所を向いているのかが分からない彼女の声に、明るい色が浮かんだ気がした。
 まなちゃん――聞いたことがない。誰の事だろう。そんな微かな好奇心が、反射的に顔を上へ向かせた。

 階段の上から降りてくる影。小さな足音が、無言になった空間に響く。
 まなちゃんと呼ばれたその人は、窓から差し込む逆光のせいでよく見えなかった。
 恐らく背丈からして男子であろうその人物は、顔色一つ変えずに静かに階段を下りてくる。
 目線がちらりとこちらを向いた。だが、何の反応も示さず階段を下り続ける。普通の男子ならば、明らかにいじめが行われていると推測できる光景を見れば何かしら反応を示す。驚くとか珍しがるとか、その場を早く離れようとするとか。
 だが、彼からはそんなそぶりが一切見られなかった。

 それにしても、と思う。
 麗衣は普段、男子と親しくしている所はほとんど見かけない。クラス内では美人で有名な彼女は、話題に上がることはあっても男子たちにとっては高嶺の花なのだろう。
 そんな彼女が友人に接するような態度で話しかけるなんて、初めて見た。
 しかし当人は対照的に、眉間に皺を寄せて不快感を露わにした。

(友達、じゃない……?)

 他の女子達がその男子の登場に呆然とする中、麗衣はそんな彼の手をすれ違いざまに握ろうとして――叩き落とすように振りほどかれた。
 弾かれた手を眺めた麗衣は変わらずくすくすと笑い、そして彼は相変わらず不快感を隠さない。

「馴れ馴れしく触るな」
「テレ屋さんめー。本当は近づいて欲しいくせに……くすっ」
「黙れ。お前、俺が今日ここにいるのを知ってて態とそこの女へのちょっかいを長引かせたな?」

 ぞっとするほどに鋭い目つきだった。
 でも麗衣は、そんな目線にも何が楽しいのかくすくす笑っている。

「馬鹿な女共が馬鹿丸出しでちっぽけな自尊心を満たそうが、負け犬が悲劇のヒロイン気取りで倒れていようが俺の知ったことか。だが、五月蠅いのは嫌いだ。とっとと出て行け」
「なっ……!アタシたちがどこで何しようがアタシたちの勝手でしょ!出て行けとか言うんなら自分が出て行ったら!?」

 いじめっ子の一人が激昂して男子に詰め寄る。そんな彼女を、男子は心底下らないものを見るように睥睨した。場違いな場所に乱入する形になったことなど自分には関係ない、と態度で告げるように。

「俺が先にここにいて貴重な時間を謳歌していたんだ。それを馬鹿なお前らが下らない事をするためにやってきて騒いだ。俺はここで静かに過ごしたくて、それにはお前らが邪魔だ。だから出て行けと言っている。そんなことも分からないのか、お前のおつむは?」
「そんなに静かな所にいたかったら保健室でもトイレでもゴミ捨て場でもどこでも好きな所に行けばいいじゃない!だーれもそれを止めたりしないわよ?」
「――何で俺がお前らに場所を譲らなきゃならない?馬鹿がこそこそと俺の場所に踏み込んできたのに、なんで先にいた俺がおめおめ帰らなきゃならん?俺は嫌だぞ。お前らに場所を譲ってやるなんぞ死んでも御免だ」
「うっ――!?」

 女子生徒を威圧するように首を傾けて見下ろす男子。その目が抱く強烈な拒絶の意志に、いじめっ子たちは押され、気味の悪いものを見るように後ずさる。
 後ずさった分の距離を、男子は躊躇いもなく詰めた。
 それを繰り返し、二歩三歩と追い詰められた女子達は、そこで漸く折れた。

「い、いこっ!これ以上こんな奴に付き合う必要ないよ!」
「そう、よね。いこいこ!」
「何なのよもうっ……!」

 いじめられっこが去るのをくすくすと笑いながら見送った麗衣は、その笑顔を男子の方に向けた。

「あーあ、みんな意外と臆病なんだから。マナちゃんも、駄目だよそんなに女の子を睨んじゃ?優しいんだからもっと周りにやさしくすればモテモテなのにー」
「さっき『黙れ』と確かに言ったぞ。同じことを言わせるな」
「くすくす、くすくす。じゃあね、クルミちゃん?これからはまなちゃんに守って貰えばいいんじゃない?」

 その顔は、今までの得体の知れない笑顔とは違って感情のこもった物だった。
 初めてこちらに人間を見る目を向けた彼女は、軽い足取りで口笛を吹きながらその場を後にしていった。
 彼女は、彼がここにいるのを知っていて態と今日のいじめを長引かせていたの?
 一体何のためにそんなことを。
 こうなることも知っていて、態々わたしを助けるような状況を――私を虐めるようけしかけたのに?

 分からなかった。何も、分からなかった。

 ただ、呆然とする私の目の前に、気がつけば手が差し伸べられていた。
 伸びた手の主は、あの男子。威圧感を放つ空気に気圧されて、身体が縮こまる。それでも何か言わなければと、もどかしく喉を動かした。

「あ、の……?」
「とっとと立ってお前も帰れ」
「は、はい!」

 直ぐに差しのべられた手を握ると、力任せに引き起こされた。
 非難の声を出そうとしたが、体格に勝り眼光の鋭い彼の顔を見ると、出そうとした非難の言葉が喉に戻ってしまった。
 改めて、正面からその顔を見る。

 降りてきたときの恐ろしい目つきで気付かなかったが、落ち着いてその顔を見てみればそこにいるのはどこにでもいる普通の男子に見えた。
 ズボンの裾をだらしなくずるずると引きずっている訳でもなく、整髪料で髪形を調整している訳でもなく、ちゃらちゃらした金具を身に着けている訳でもない。
 だけど――

「言っておくが、俺はお前みたいな何も言わない負け犬は大嫌いだ」

 その言葉が、ぼろぼろになった私の心にまた一つ、傷をつけた。

「………ごめんなさい」
「取り敢えず謝ろうとする奴も嫌いだ。さっさと失せろ」

 それだけ言うと、彼はどこか不機嫌そうに階段の上に登って行った。

(この人には頼れない……この人は味方じゃない)

 彼は、私の味方にはなってくれない。
 少なくとも、去り際に麗衣が言っていたような優しい人間には見えなかった。



 = =



 太陽が沈み、暗闇が町を包みだす頃――私は、家の台所に立っていた。

 自分の分だけ作ればいいのに、と思いながら2人分の料理を作る。
 父はいつ怒って私を罵倒するかは分からない。でも、食事を用意していなければ口には出さずともその不満は蓄積され、次の怒りの引き金に重みとしてかかる。だから、夕食は用意しておくのが私なりの危機回避だ。
 前はよく指先を切ってしまい、涙を流して痛がったものだ。今では包丁を降ろす動きに淀みは無くなっている。

 通帳はいつもお父さんが握っているから材料を買うお金はないが、時々お父さんが酒に酔い潰れて完全に寝ている隙を見て、食事代を引き出している。家賃、光熱費、食事代。収入がないこの家には無駄なお金など一銭もない。だから朝食は省かざるを得ない。

 ――父が毎日煽る安物の酒は、ある意味での必要経費だ。きっと父は酒を無くせば死ぬか犯罪者になるかの二者択一だろう。今や私に罵倒と暴力と恐怖しか植えつけなくなった父だが、それでも家族。見捨てることなど出来ない。
 どんなに一緒にいるのが辛くても――それでも離れられない奇妙な繋がり。それを家族というのなら、きっとそうなのだろう。

 夕食の用意が出来れば、私は自分の分だけ急いでよそって食べ、直ぐに自分の部屋に籠らなければいけない。
 父は、私が台所に立つと機嫌が悪くなる。その食べ物は何所から買ってきたんだ、などと聞かれでもしたら、そこからなし崩し的にお金を持っていることが知られてまた怒られる。
 一緒に食事をしなければそうはならないから、父が台所に来る前に逃げなければいけない。

「何で、お父さんから逃げてるんだろ」

 母が生きていた頃は、ご飯は全て母が作っていて、家族全員で食べるのが日常だった。
 母さんが死んでからは家に料理をできる人がいなくなった。
 だから私は父を支えてあげたい一心で慣れない家事をたくさんやった。
 料理も練習して、今ではかなり母の味に近づいた自負がある。

 でも、頑張っても頑張っても父は母の死から立ち直ることはなく――そしてある日、爆発するように私を怒鳴り散らした。
 私が悪いわけではなかったのに。
 何に怒られているのかも分からずに。
 今まで積み上げてきた物が音を立てて崩れるように。

 軋んだ歯車は生活を崩し、崩れた生活は学校に響き、響いた揺れは私の学校での立ち位置を歪めていった。
 元々体が強くなかった私はからかわれる対象だったが、母が死んだという事実を中心に友達やクラスメートが私に抱く感情は少しずつ歪んでいった。思春期という精神的な均衡を崩した状態が、通常では起こりえないような精神構造の変化を産んだのかもしれない。

 いや、もう理由なんてどうでもいいのだ。
 現実に結果が表れている。いじめという形で。
 今更理由なんか考えたって、どうしようもないのだ。

 これからいつものように一人で隠れるように食事を取って、隠れるようにシャワーを浴びて部屋に籠る。そして明日には空腹を無視して学校へ行って、逃げ場のない教室で精一杯自分の存在を隠そうとする。
 それが私の日常で、生活サイクル。今、最も正しい筈の行動。

 でも、思う。

 ――いつまでこんな生活を続けなければいけないのだろうか。
 握った箸に力が籠って、挟んでいたほうれん草おひたしが皿からテーブルへと落ちた。
 お皿の上から爪弾きにされたようなそのおひたしを箸で拾い上げて、食べる。
 食べ進めれば食べ進めるほどに、段々と自分の料理の味が分からなくなっていく。
 美味しいかと父に聞くことも出来ない食卓を孤独に過ごしていると、胸に穴が開いたような痛みが微かに響いた。

「………っ、ぐすっ、……ぅぅぐ……」

 自分で作った夕飯は、いつになくしょっぱくて水っぽかった。

 なんとなく、こんな自分が惨めになった。いつになったら抜け出せるのかと、誰かに問い詰めたいほどに。
 しゃくりあげる悲しみと涙は、父をまた苛立たせる。それ以上は泣くまいと必死にこらえて、結局堪えきれずにその日は布団の中で密かに泣いた。



 = =



 ――翌日。

 その日の教室は、明らかに空気が違っていた。
 いつもならば教室の出入り口にもたれかかった女子達が道を塞ぐようにおしゃべりをして、椅子を傾けて遊んでいる男子たちが道を塞ぎ、最後に自分の机の中に何も変化がない事を確認してから座る。そんな通りづらい道なのに――やけにみんな静かだ。

 静かな時というのは大体相場が決まっている。
 同級生の内でいじめる側に近い生徒が大怪我をしたとか、先生に派手に叱られたとか、あるいはこれから憂鬱になるであろう連絡を先んじて入手している時とか。そういう全体の気が沈んでいる時は、私が視界に入っても嫌がらせをする気は起きないらしい。
 その方がこちらも楽でいい。

 でも、教室を進んでいくと、段々と視線が私に集まってくる。
 まるで、大きな失態を冒したことに私だけが気付いていないような疎外感。
 除け者にされているという被害妄想的な感覚が、背中に圧し掛かる。
 考え過ぎだ、と自分に言い聞かせてそのまま自分の席まで移動した私は――そこで漸く皆が私に視線を集中させている理由を知った。

「あっ……昨日の」
「………………」

 昨日、あのいじめ現場に現れた男子。
 学校では一度も見たことが無かったその男が――ずっと空席のままだった自分の隣の席に足を上げてどっかりと座っていた。
 いかにも態度が悪いですと言いたげなほどの姿勢は周囲から注目を集めているが、誰も声をかけようとしなかった。確かに近寄りづらいが、みんな妙に腰が引けている気がする。
 奇妙に思いながらも自分の席に一先ず座る。
 彼はちらりとそれを一瞥し、結局それだけに終わった。

 彼は何者なのだろう。
 そんな漠然とした疑問が浮かぶ。
 ……隣にいるのだから質問なりなんなりすればいいかと思い、思い切って声をかけてみた。

「あの」
「……なんだ」

 顔をこちらに向けもせずに生返事を返す彼の横顔には退屈も緊張も見て取れない。
 ただ、人を寄せ付け難い空気のようなものは纏っていた。
 それが、これほどにクラスメートを遠ざけているのかもしれない。
 でも、私は平気だった。その時はどうして平気だったのか理由は分からなかったが、不思議と緊張はあっても忌避はなかった。

「わたし、千代田(ちよだ)来瞳(くるみ)です」
「ふーん。それで?」

 こちらから名乗ったのだから自分も名乗ってくれればいいのに、これでは名前も分からない。
 少しむっとしたが、それよりも言いたいことがあった。

「……負け犬じゃありません」

 前に出会った時は最悪な事に、初対面から負け犬呼ばわりされた。
 私だって反抗心がないわけじゃない。今は多勢に無勢だからあんな風に惨めな思いをしたけど、向こうも人数的に不利になれば何も出来ない筈だ。彼女たちも私も同じ状況に立たされたら当然ああなる。
 初対面の印象だけ見て「負け犬」呼ばわりしてくるのは不本意だった。
 でも、その勇気を振り絞った発言は即座に切り捨てられた。

「……違うんなら言葉でなく行動で示すんだな」
「………ッ!」

 私の気持ちも立場も知らないくせに勝手なことを、と頭に血が上った。
 でも、そんな私を真正面から観察する彼に、私は何も言い返せなかった。何かを言えば、また目立って皆にからかわれる。それに、この人を完全に敵にしてしまうかもしれない――そんな私の臆病勘定を見透かしたように、ふん、と鼻を鳴らした彼はそのまま押し黙ってしまった。

 さっきまでの気勢を削がれてしまい戸惑う私の腕が、誰かに捕まれた。それなりに強い力だが、こちらを痛めつけようという害意は感じない。顔を上げてそちらを見ると、そこには香織がいた。顔は緊張と不安で彩られ、焦っているように見える。

「来瞳、ちょっとこっち来て」
「え?あ、ちょっと……?」

 机の椅子から立たされ、クラスの端の方まで強引に引っ張られる。
 ここまで彼女が強い態度に出るのは珍しい、と目を丸くした。暫くされるがままに引っ張られて彼と遠ざかった後、息を整えた香織が私の肩を掴む。

「あ、アンタねぇ……前からちょっとマイペースだとは思ってたけど、風原に話しかけるなんてどういう神経してんの!アイツの事知らない訳じゃないでしょ!」
「か、香織?ちょっ、痛い……」

 普段のどっちつかずで笑っている姿からは想像できない荒々しさで肩を揺さぶる香織。きつく掴まれた肩と揺さぶられる体の痛みから思わず抵抗するが、力が足りずに顔を顰める。
 そこに至って香織は漸く私が本当に事情を理解していない事に気付き、苛立たしげに頭をがりがりと掻いた。

「……って、そういえば来瞳はそういえば入学式から何日かはインフルエンザだか何だかで学校来れなかったんだっけ。もう……いいこと、来瞳!?」
「は、はい!……何?」
「あの男は風原(かざはら)って言ってね……入学初日に暴力事件を起こして今日まで謹慎を受けてた危ない奴なのよ!」
「え……?あ、あの人が……?」

 未だにふてぶてしい態度で机に座る男子――風原くんを見やる。
 確かに親切には見えなかったが、そんなに喧嘩早いようにも見えない。しかし、確かに言われてみれば周囲は彼に注目しつつもあまり関わり合いになりたくなさそうに中途半端な距離を取っている。

 ――香織の話によると、風原真人という男子は入学前から素行に問題のある生徒として教師には注目されていたらしい。
 周囲の生徒達がそれを知らなかったのは、彼が小学校の卒業と前後して遠くから引っ越してきたために情報が無かったからだという。
 だが前の学校では教師に楯つき、協調性がなく、暴力を振るっては謝りもせずに帰ってしまうという不良のような存在だったらしい。

 そんな彼も入学式の時までは少々無愛想で口数が少ないだけの男子に見えた。
 そして、その日の午後に旧校舎で事件を起こした。

 彼は放課後に校舎をうろついている時に、上の階にいる上級生にスリッパを投げつけられた。
 高い場所からやたらと物を落としたがる上級生が、ベランダから下級生の反応を見て楽しむ遊びだ。
 スリッパを届けに来る律儀な人間なら舎弟のように扱い、スリッパを捨てたり投げ返してくる人間は暇つぶしがてらにいじめ、教師に言いつけるようなら一目散に撤退して教師の反応を楽しみつつ、密かに相手にいじめの口実が出来たとほくそ笑む。そんな馬鹿みたいな事を実際にやっていたらしい。

 そしてスリッパを投げつけられた風原くんはそれを拾い上げ――そのまま校舎内の排水路に放り込んだ。
 そうなれば同級生はこれ幸いと生意気な下級生をいじめようと動き出す。ベランダを出て一直線に階段を降りて――そこで、彼に待ち伏せされていたそうだ。
 彼は、やられた分をやり返すために上の階へと向かっていたのだ。

 教師が駆け付けた頃には、彼を虐めようとした上級生達は凄惨たる状態だったという。
 ある者は血塗れの手を押さえて泣き叫び、ある者は真黒く腫れあがった脚を抱えて悲鳴を上げ、またある者は完全に気絶して階段に横たわる。そしてそんな恐ろしい光景を見た教師の目の前で、風原くんは上級生に馬乗りになって暴力を振るっていたそうだ。

 上級生はその半分以上が病院送り。風原くんは退学こそ免れたものの、つい最近までずっと自宅謹慎の状態だったそうだ。

 全てを勢いよく話し終えた香織は、私にびしっ指を突き立てる。

「………つまり、アンタは!たかが中学生の喧嘩で相手を病院送りにするようなイカれた奴相手にいきなり訳の分からない事を……ああもう!とにかくいつプッツンするか分からない危険人物に自分から近付くようなことはよしなさい!」

 普段は私が虐められても助けてくれないし、場合によっては加担することもある癖して、今の彼女はいやに真剣な表情だった。普段は全く押しが強い子ではなく、付和雷同という言葉の似合う芯の通らない人間だと思っていたのに。

「アンタだって暴力は嫌でしょ!?あいつ、男も女も関係なく病院送りにしたのよ!女だからって手を抜いてくれるわけじゃないんだから!」
「………心配してくれたの?」
「当たり前でしょ!少なくともアタシはアンタの友達なんだからね?」

 その言葉は、正直に言えば嬉しかった。
味方でも敵でもないような曖昧な立場の彼女と一緒にいると、時々彼女のことを信頼しきれなくなる。彼女の言動の全てに裏があるんじゃないか。彼女が私に近づいていること自体が見せかけで、本当は後で私を落とすためなんじゃないか。
 あるいは――私と話をしようがすまいが、本当はどうでもいいのではないか。

 だから、彼女の真剣が見れたことが嬉しくて、とても久しぶりに気持ちが軽くなった。

「香織」
「な、なによ急に人の名前を……」
「ありがと」
「わっ……分かればよろしい!」

 無理に明るく締めた香織は、少しだけ照れているように見えた。
 だけど、私は軽くなった気持ちの裏側に後ろ暗い微かな真実を垣間見た気がした。

(あの人――風原くんを危険なものとして忌避することで、いじめっ子もいじめられっ子も関係なく共通の認識を持った。それが今の香織に繋がっているのなら……)

 人が私にやさしくしてくれるには、共通の障害か、もしくは共通の敵が常に必要なのかもしれない。
 だとしたら、私がこのクラスで平穏に過ごすには――

(風原くんがもっとクラスの和を乱せばいい。そうして彼が嫌われれば、皆の嗜虐的な感情は行き場が逸れる)

 酷く単純で稚拙な帰結。でも、それは蜜のように甘美な誘惑。
 彼がクラスを荒らし、和を乱し、皆から嫌われれば、それだけ私が一方的に暴力を振るわれる機会は減っていく筈だ。香織のことだって、素直に友達だと思える。彼がどこで暴れようと私には関係ないから、私と関係のない所で暴れていればそれでいい。

 それだけで、私の幸せが増える。

 そう考えてしまう事は、果たして悪いことだろうか。
  
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