剣の丘に花は咲く
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第十四章 水都市の聖女
第六話 俺の名は―――
前書き
さて、唐突に一つ疑問があるんですが、原作でサイトが見たブリミルとサーシャ。結局あれって何だったのでしょうか?
ジュリオは何やら知っているかのような雰囲気だったんですが……。
で、そんな疑問やら何やらから自分なりに考えて第六話を書きました。
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何処か、遠く―――
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―――鈴の音に似た虫の音が響いている……
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霞む先に浮かび上がるのは、星明かりの下、縁側に浮かぶ二つの影―――
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―――声変わり前の幼い子供の喜ぶ声と、低く落ち着いた男の声が響く
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『―――なあ、じいさん本当に教えてくれるのか―――』
『―――ああ、根負けだ―――』
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深い水底から浮かび上がる泡のように、ふわりふわりと歪み揺れる
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遠く―――近く―――声が聞こえる
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『―――生まれつき備わっているものではない―――』
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色あせ―――摩耗し―――記録の澱に埋もれた底から―――声が、泡沫のように浮かび上がる……
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『―――自分の身体を全て内臓から爪の一枚、髪の毛の一本にまで想像し、操作する―――』
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―――これは―――始まりの記憶―――
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『―――自分の身体を、魔術が使える装置として造り変えるんだ―――』
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強くなりたい、と―――願っていた
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強くならなければ、と―――恐れていた
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『―――今の自分を凌駕する姿を想像する―――』
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強くなければ―――生きられなかった
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強くなければ―――生きていられなかった
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『―――自分の身体を想像し、仮想した意識を先行させる―――』
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……俺は―――弱い
―――どうしようもない程に―――弱く
望む強さは遠く―――伸ばした指先さえかすりもしない
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『―――コレをトレースするように、隅々までモノの造りを見て回るんだ―――』
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―――才能
―――知識
―――魔力
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―――何もかもが足りない
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―――例え無敵の剣を手にしたとしても、それが使えなければ意味はない
……己の限界まで突き詰めたとしても、届かない頂きがある
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―――ならば、どうする
どうすればいい
俺では―――勝てない。
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……………………
それでも勝たなければならない時は――――――
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……………………………………………………
誰かが救えるのならば―――――一人でも――――誰がか救われるのならば―――
構わん―――俺の魂など―――好きにしろ―――
紅の悪魔―――李書文が現れたと理解した時には、既に身体はテントの外にあった。ヴァリヤーグと恐れられている怪物が現れたのだ、テントの外は混乱に陥っているのではとの士郎の思いは、しかし目の前に広がる光景に、もはやそういった事態ではないと理解させられた。
「―――――っ―――ぁ……」
「……ん? お主は―――……まさか生きておるとは……どうやら貴様は随分と死神に嫌われておるようだの」
背後に現れた気配に気付いた李書文が、右手に握った長大な槍を引きながら振り返る。その際、槍の先端に突き刺さっていたモノが外れ、支えを失ったソレは力なく地面に倒れ込み、ソレから流れ出したモノの中へと飛び込んでいった。
ドチャリ、と重い湿った音と共に赤黒い泥が辺りへと飛び散るが、ソレを気にする者はこの場にはいない。
正確に言えば―――いなくなっていた。
「呵々―――いや、丁度良い時に来たものよ。今しがた最後の一人を喰らい終えたばかりでの。遠間では厄介な奴らじゃが、近場で殺り合えば脆いものよ……余り楽しめないのは残念じゃが、まあ、逃げられるのはちと面倒なもの故な」
一歩、一歩と歩を進ませて近付いてくる。
槍を肩に当てながらゆっくりと歩み寄ってくる姿からは、敵意も殺意も全く感じ取れない。
まるで散歩中旧友に偶然出会って話しかけるかのように、自然と歩み寄る姿にも見える。
だからこそ―――異常が際立つ。
一歩―――一歩近付いてくる。
歩くたびに、泥濘んだ大地に己の足跡を刻みながら。
士郎と李書文との距離は三十メートル強。
互いの実力ならば、一秒も要らず接敵可能な距離。
李書文その距離を少しずつ削っていくが、士郎は全く動けないでいた。
何故?
李書文の強さを知っているが故に、足が竦んでいるのか?
それとも隙を見せるのを恐れて動けないでいるのか?
―――否。
怯えも恐れもない。
ただ―――目の前に広がる惨状を前に、腹の底から吹き上がる感情に意識が支配されていたからだ。
赤―――ではない。
黒―――ではない。
赤黒い。
それが最も近い。
硬い濃い茶色の土に、大量の赤い液体をぶちまけ掻き混ぜ出来上がったその汚泥は、酷く不吉な色を見せていた。
闇の黒と―――血の赤。
どちらも死を想像させるものであり―――事実その通りであった。
ソコには―――死が広がっていた。
李書文を中心とした少なくとも半径三十メートル。
そこは沼であった。
土と―――血で出来た沼。
十や二十ではきかない死体から流れ落ちた血は、辺り一帯に染み込み即席の沼を作り上げていた。
老若男女―――老いも若いも、男も女も関係なく、心の臓を一突きにされ死んでいた。
その中に、まだ十にも満たないだろう小さな少女の姿を見つけた時―――士郎は投影した干将を振り下ろしていた。
「貴様ァッッ!!」
「ほう―――来るか」
まるで紙芝居の如く一瞬で李書文の頭上に飛んだ士郎が、渾身の力と殺意を持って振り下ろした剣は、しかしまるで事前にそう来ると知っていたかのように両手で持ち上げられた槍の腹により防がれる。だが、刃から身を守ることには成功したが、流石の李書文であっても衝撃からは逃れる事は出来なかった。口底を浸していた程度だったのが、士郎の一撃を防いだ瞬間足首まで沈み。李書文を中心に土と血で出来た沼に波紋が広がった。波紋は海底にて発生した地震により発生した津波のように外へと進むたびに大きくなり、物言わぬ骸を外へと押し流していく。
渾身の一撃を防がれた士郎は、しかし今が最大の好機であると理解する。
完全に虚を突いた一撃は防がれた。
そう防がれたのだ―――弾かれたのではない。
「―――ッ―――オオォォォォォォッ!!」
このまま決着を着ける勢いで力を込め雄叫びを上げる。
しかし―――
「―――馬鹿にしとるのか?」
「ぐっ?! ―――っが、ぁ、っは!?」
更に、と力を込めた瞬間に生まれた僅かな間隙を突き、李書文が剣に込められた力の流れを僅かにずらした。士郎は素人ではない。達人―――それも前に一流と付けても良いほどの腕前を持っている。だが、そんな士郎であっても子供のように軽くあしらわれるのは、相手が最早一流二流といった枠を超越した存在であるからだ。
力を流され李書文の後ろへと身体が飛んでいく。吹き飛ばされた身体は着陸を失敗した飛行機のように地面に叩き付けられ沼に一つの線を描きながら多量の泥を宙に舞い上がらせる。
「―――ッ、ガ!?」
「ほれ、休んでる暇などないぞ」
軽い口調で話しかけながら繰り出される槍先は、正確に士郎の身体の胸部中央―――心臓へと向かっていた。咄嗟に両手に握る剣を交差させソレの体内への侵入を防ぐ―――が、泥濘んだ沼の上ではまともに踏ん張ることは出来ず、まるで軽い布製の人形のように身体が空を飛んでいく。飛ばされた先の地面は既に死者の血と体液によって出来た沼はなく、夜露に濡れた草原が広がっていた。
「―――っお、くぅ!?」
「ふむ、まぁ、この辺りが良かろう―――さて、続きといこうかの」
地面を削り物凄い勢いで転がりながらも一気に立ち上がった士郎は、服に身体に泥をこべりつかせた姿のまま槍の穂先を向けてくる李書文を睨みつけた。
「―――ッくぅ」
「……先程からどうした? 勢いはあるが冷静さが欠けておるが? それにしても余りにも稚拙に過ぎる―――正直つまらんの」
「っ―――貴様を楽しませるつもりなどないッ!!」
落胆するかのように鼻を鳴らす音が聞こえた時には、既に士郎は手に持った凶器を振り下ろしていた。左手に刻まれたルーンは直視するのが躊躇われる程の光を放っている。今の士郎の疾さは、それこそ人知を越えた英雄の域に達していた。
だが―――それでも届かない領域に住む者は―――確実にいる。
「ち―――ぃ」
振り下ろした剣先には何の手応えもなし。
視界も―――気配も―――全く捉えられない。
刹那―――背筋に氷の刃を叩き込まれたかのような寒気が走り、意識するよりも先に振り切った双剣を引き―――
「―――もう良い―――死ね」
「―――ッ??!」
抑揚のない平坦な呟きが耳に声が届くと同時に、双剣が砕かれ衝撃が身体の中を揺らす。
投影とはいえ宝具である双剣を砕くそれは、これまでのモノとは次元が違った。双剣を重ねた盾に意味があったのかなかったのか―――少なくとも生きている事からなきしにもあらずだったのだろうが、それは死の訪れが遅いか早いかの違いでしかないと思われた。吹き飛ばされる中、士郎の視界に一瞬映ったものは、槍を片手に空いた拳を突き出す李書文の姿。
―――何、が?
拳を振り抜いた格好ではない。
握手でもしようかと手を伸ばしたような姿だ。何の力みもないのが傍から見てとれる。
だからこそ―――恐ろしい。
手を伸ばし軽く叩く―――人が死ぬ。
軽い所作で人を殺す事が可能な悪魔的な技術の持ち主―――魔拳士―――李書文。
「っぐぅ―――ゃぎ―――ッゴが、あ、アア、あアぁああっ―――ッオォォッ!!」
胃から逆流してくる赤く鉄の味のするソレを飲み下し―――吐き出しながら声を上げながら―――新たに投影した剣を敵に投げつける。残像を描き円盤の如く動きで挟み込むようにして双剣が李書文に迫る。一つであっても防ぐのが難しい速度と勢いで持って襲い来る剣。それが同時に全くの反対方向から迫ってくる。無造作に投げつけただけに見えて、実践で鍛え上げてきた真の実力を持った技。
「……流石にしぶとい―――だが、もういい加減貴様の相手は飽い―――」
挟み込むように迫る脅威を片手に握る槍を一振りし弾き飛ばす。弾かれた二振りの剣が李書文の脇を通り過ぎ―――
―――壊れた幻想
―――爆発した。
「ッぐ―――っ?!」
例え超絶の魔人であったとしても、大気を駆ける見えない衝撃を交わす事は不可能であった。弾かれた二振りの剣が爆発したことにより生まれた爆圧は、李書文の身体を地面へと縫い付ける事に成功した。
生まれた千載一遇の機会―――だが、
「ゴ、が―――っはぁ……ふ、はぁ―――」
攻撃を仕掛けるどころか、崩れ落ちそうな足に力を込め立っているだけで精一杯であった。気を抜けば気だけでなく命まで失いかねない苦しみと痛みが、体中を遅効性の毒のよう廻る。血煙混じりの喘鳴を鳴らしながらも、全く力を失っていない鋭い目で立ち上がる李書文を睨み付けた。
「何故―――殺した」
「……何故、とは?」
士郎の怒りを押し殺した声に、冷淡な返事が返される。
「殺す必要はなかった筈だっ!!」
「儂は何の理もない殺しはせん」
「っ―――理があるとでも言うつもりかっ! 何処にだッ!? 貴様の―――貴様たちが何故ここにいるかは大体は検討が着いているっ。だが、だからと言って殺す必要があったのかッ!!?」
震えていた足を蹴り飛ばす勢いで一歩足を踏み出し、李書文に指を突きつける。しかし、責められる相手はどこ吹く風か気にした様子は全く見えない。それどころか軽く肩を竦め詰まらなそうに鼻を鳴らす始末。
「はっ、何を言っておる? そんな事はお主も知っておる筈だろうに。この世界におる者は遅かれ早かれ皆死ぬ運命にある。ならば、ここで死ぬのも後で死ぬのも変わらん。それにこ奴らが死ねばそれだけ早く目的が達せられるだろうに」
「どういう、事だ?」
李書文の顔に刻まれた皺の一部がピクリと動く。猛禽類の如く鋭い視線が士郎を突き刺す。
「お主も“守護者”として喚ばれた身。ならば知っておる筈。儂らが受けた命はこの世界の終焉。それならば善も悪もなく受けた命に従い遍く全てを滅ぼすのが喚ばれた者の責務。故に迅速にその命を全うするだけ。力持つ者の命が大地に還ればそれだけこの世界の崩壊が早まるならば、それを成すのが最も合理的だろうが」
「―――っ」
ただ効率がいい。
その余りにも冷たく硬い理由に士郎は絶句する。
「―――喚ばれた者の中には竜などの異形の種を主に殺して回っておる輩もおるようだがの。儂も興味がなくはないが、あいにくとそういった輩とは会えなくての。まぁ、縁があればその内嫌でも会うだろうて、ならば探し回る暇があるのならば、目に付く力を持つ輩を殺したほうが合理よ」
「貴様は―――何を、何を言って―――」
何を―――?
そんなコトハ―――
―――ワカッテイル
ワカリキッテイル
イワレズトモ―――ワカッテイル
この男は何もおかしな事は言ってはいない。
自分たちの世界を守るため、それを脅かす危機を排除するために必要な事をしているだけ。
何も―――おかしな事はいってはいない。
―――オレモ―――ソレニナットクシテイタハズダ。
「まだ分からんのか? 存外と頭が回らぬ奴よな。お主、先程検討が着いていると言っておったが、それが何なのか言うてみい」
「……貴様たちの狙いはこの世界を終わらせること。その方法は―――この星の霊的な柱である霊地を破壊することだ」
ソウダ―――セカイヲスクウタメニ―――コノセカイヲホロボス―――
―――コレマデトナニモカワラナイ
「然り。儂らがいた世界から流れ込む魔力によって、この世界の霊脈に流れる魔力は増大する一方。今や増水し氾濫する寸前の大河の如く。その上に存在するのがこの世界よ。ならば世界を支える柱である霊地を破壊すれば、濁流に飲み込まれこの世界は終焉を迎える」
「なら―――」
「人は死ねば世界に還元される。ならば力あるものが死ねばそれだけ世界の“魔力”は増え。結果、世界の滅びが近づくという理由よ。今この時も儂らの世界は衰弱する一方。ならば、一秒でも早くこの世界を終わらせなければならん」
―――ソンナコトハイワレズトモシッテイル―――
「だからと言って―――それが子供を殺す理由になるかッ!!」
「先にも言ったであろうが―――この世界を終わらせるのだ。遅かれ早かれ死ぬ運命にある。今更童の十や二十の命に騒ぐ程のものか」
「―――ッ」
―――十を生かすため一を殺し―――百を救うため十を見捨てる―――
イママデジブンガシテキタコトトイッタイナニガチガウ?
ナニモチガワナイ
ワカッテイナガラ―――ナゼオレハアラガッテイル
「それを止めたいと言うのであれば言葉でなく力をみせよ。貴様の背にある者悉く鏖殺されたくなければ―――儂を殺してみよッ!!」
「チッ、ぃ―――っ!?」
李書文が話は終わりだとばかりに槍を構え穂先を向ける。低く構えた姿は、まるで今にも飛びかからんとする虎の如く。未だダメージが回復していない士郎に、これ以上の戦闘は不可能であり、次の攻撃は確実に避けられない。
だが、それが分かっていながら―――士郎には欠片も逃げようという考えは浮かばない。
内蔵が煮込み過ぎたスープになっているのではと、そんな馬鹿な考えが浮かんでしまうほどの痛みと熱が腹を巡るのを感じながら、士郎は震える拳を構えた。
李書文の槍を握る手に力が込もり―――気配に鬼気が混じった、その時―――
「―――ええ、なら、喜んで殺させてもらうわ」
鉄血に霞む中を―――涼やかな清廉な声が切り裂いた。
「―――っ!!?」
「―――ぬっ―――オ?!」
李書文を囲むようにして大地がランスの如く鋭く尖り飛び出した。四方八方大地から一斉に突き出される岩石からなるランスは獲物を貫かんと進み―――長槍が円を描くように振るわれ全てが捌かれる。一つたりとて、かすりもしない。
長大な槍という近距離では逆に不利となる武器で、間近に迫った四方からのほぼ同時攻撃を捌くという神技を見せた李書文は、それを誇るでもなく新たに現れた敵に興味深そうな視線を向けた。
「っ、さ、サーシャ」
「……あいつはわたしが殺すわ。あなたは下がってて」
士郎は自分を守るように前に立つサーシャに向かって手を伸ばすが、
「ま、待て。君じゃ奴には―――」
「―――いえ。そうじゃないわね」
向けられた横顔から覗く瞳は―――拒絶を示していた。
「―――邪魔よ。死にたくなかったらさっさと逃げなさいっ!!」
「―――っ!?」
「っおお!!?」
拒絶の声と共にサーシャの手が李書文へと向けられ。それに導かれるように大地が隆起する。轟音と共に捲れた地表は長大な大蛇となり、地を滑るように身をくねらせながら李書文に襲いかかった。それだけでなく、近くに生えていた木々の枝が伸び、李書文の動きを妨害する。
大地が、木々が襲いかかってくる光景に、李書文は悲鳴でも驚愕でもなく喜色を帯びた歓声を上げた。
「精霊の力を血なまぐさい事に使いたくなかったんだけど―――あんたを殺せるのなら、そんなのもうどうでもいいわっ!!」
「呵ッ―――クカカッ!! これは驚いたッ!! まさか周囲一帯全て操っておるのかっ!! 貴様天仙の類か?! は、はは―――良いっ―――良いぞッ!! まさかここでこのような使い手と合間見えようとは思わなんだっ!!」
もはや列車が襲ってくるかのような巨大な土蛇。常人ならば足が竦んで動けないそんな脅威を前に、しかし李書文は楽しげに笑いながらそれを槍の穂先でその突撃を逸らす。手足を封じようと伸びる木々の枝は、顔も向けていないにも関わらず、まるで見ているかのような動きで危うげなく躱していく。
「なに、笑ってるのよっ―――いい加減死になさいッ!!」
「―――その粋や良し。ならば簡単に死ぬでない―――ぞッ!!」
全く捉えられないことに苛立ったサーシャは、歯を食いしばり何かを持ち上がるかのように一斉に両手を持ち上げた。それに追随して李書文を囲むように大地から壁が出現した。周囲を取り囲まれるが、ただ一方全面だけは壁はなかった。だが、そこからの脱出は不可能であった。何故なら正面からは、勢いを増した土蛇が迫ってきているからだ。
必殺の思いに、サーシャの口角が勝利を確信し僅かに持ち上がり―――
―――猛虎硬爬山―――
―――文字通り大地が揺らす震脚と共に爆薬でも使ったかのような轟音が辺りに轟く。
「な―――嘘っ!?」
素早く槍を頭上に投げた李書文が間近に迫った土蛇へと震脚と共に繰り出した一撃は、岩をも超える強度を持っていた筈の土蛇を一撃で打ち砕いた。ただの土くれとなり爆発四散し周囲へと土煙が舞い上がる。
「この程度で驚くとは―――まだまだこれからよ」
「っ―――舐めるなぁッ!!」
土煙の中から悠々と姿を現した李書文に、サーシャは声を張り上げ両手を突き出した。大地が捲り上がり、先程と同じく土で出来た蛇が現れる。その数二匹。サーシャが腕を振るい、二匹の土蛇が身をくねらせながら李書文へと迫る。
李書文との戦闘を続行するサーシャを止めようと士郎は声を上げるが、全く聞き耳を持たない。
「っ、ま、待てサーシャ。早く逃げ―――」
「何してるんだっ!?」
必死に身体を動かしサーシャに近づこうとした時肩が掴まれた。咄嗟に顔を向けた先には、顔を汗で濡らしたブリミルがいた。
「な、ブリミル?」
「サーシャが時間を稼いでいる内に早く避難するんだっ! 他は全て避難を終えた。もう残っているのはぼくたちだけだから。だから早くあなたも逃げ―――」
「っ、いや、駄目だ」
腕を取り必死に引っ張ろうとするブリミルだが、しかし士郎はソレを拒んだ。
拒否されるとは思っていなかったのか、驚きで見開いた瞳が士郎に向けられる。
「何を―――」
「今俺がここで逃げれば、サーシャが逃げられない」
本当の理由ではあるが―――真実ではない答えを向ける。それを耳にしたブリミルは、一瞬躊躇するように李書文と戦うサーシャに顔を向けるが、小さく首を振ると改めて士郎を見直した。
「っ―――それは、でも」
「俺が―――残る。奴を足止めする。だからお前はサーシャを連れて逃げろ」
何か言おうとするブリミルを、士郎はただ小さく首を振る返事を返す。
「何を、そんな身体でまともに戦えるわけがないよっ!」
「時間稼ぎ程度は出来る」
「な、んで、あなたはそこまで……いや、いけない。やっぱりそんなこと出来ないよ。これは元々あなたには関係のない戦いだ」
誰がどう見ても重症であり、もはや戦うどころか動くことすらままならないのは明白である。それでも戦おうとするその姿は、最早理解が及ぶところにはなく、自殺志願者かただ自暴自棄に陥っているとしか見えない。
しかし、ブリミルを見る士郎の瞳には、欠片も狂気は見えず強い意志の輝きに満ちていた。
「……気にするな。戦うと決めたのは俺だ」
「そんな話じゃないんだけど……はぁ、どう言っても聞かないようだね」
どれだけ言葉を尽くそうとも説得は不可能だと理解したブリミルは、小さく溜め息を吐くと頭を振った。
「ああ。済まない」
「謝るぐらいなら断らないでくれ……どうあっても避難しないんだよね」
謝る士郎に手を横に振って見せると、文句を言うように顔を顰めながら再度確認を取る。士郎はそれにふっ、と笑みを作るとこくりと頷いて見せた。
「君たちが逃げ出せる時間ぐらいは稼いでみせよう」
「……一つ、提案がある」
ブリミルの説得が終わり。少しずつ、しかし確実に追い詰められていくサーシャの下へと向かおうとする士郎の背に、ブリミルの小さな囁くような声が当たる。
「提案?」
無視しても構わない筈の言葉に、だが何故か足を止めた士郎は背に顔を向ける。
「―――あなたに“力”を授ける」
「“力”?」
士郎に近づくと、ブリミルはチラリと二匹の土蛇を使って李書文を絞め殺そうとするサーシャの姿を確認する。
「サーシャの左手に刻まれた“ルーン”と同じ、だけど全く違う“ルーン”―――“リーヴスラシル”」
「―――“リーヴスラシル”?」
何処かで聞き覚えがある響きと、士郎が自身の記憶を探ろうとするも構わずブリミルの話は続いていたためその思考は途絶えてしまう。
「それをあなたに刻む」
「……それを刻めばどうなる?」
内心戸惑っている士郎に気付かず話しを続けるブリミル。ブリミルの顔色は悪い。何処か飄然とした雰囲気を漂わせていたのが鳴りを潜め、顔色は青白く緊張に粘ついた汗を額に浮かべている。尋常でないその様子に、思わず士郎は声を掛けようとした。しかし、それを押し止めようとするかのように、李書文の一撃を受け腹の中を暴れまわる熱い奔流が、突如湧き上がった気味の悪い寒気に一瞬だけピタリと止まる。
一秒にも満たない空白の時の後―――ブリミルは口を開く。
「……強大な力を得ることが出来る、けど」
「何かあるのか?」
問いに、士郎の視線から逃げるように顔を下に向け言い淀む。
「そ、その―――」
「時間がない。何だ」
顔を俯かせ何かに耐えるように必死に歯を食いしばっていたブリミルが士郎に告げたのは―――常人にとっては余りにも受け入れがたいものであった。
「っ―――魂が、代償なんだ」
“力”の代わりに“命”
まるで悪魔の取引のようだと、シロウは思わず浮かびかけた苦笑いを咬み殺す。
悪魔は自分だ。
そう―――例えジブンたちの世界をマモルためとはいえ、一つのセカイを滅ぼすために自分たちはココニイル。
だが、ならば何故―――自分は奴と戦っている……?
「……」
「命を削る代わりに使い手に莫大な力を与える“ルーン”。それが“リーヴスラシル”」
悲壮な顔でブリミルは、罪を懺悔するかのようにシロウに“リーヴスラシル”のルーンについて説明する。
魂を代償に力を得るというのは有り触れた話であり、シロウ自身、似たような事を何度となくしてきた。だから、ブリミルの話に対する嫌悪感はない。
そんなシロウの心の内を伺い知ることのできないブリミルは更に顔色を悪くしながら話を続けていた。
「元々これは“悪魔”たちに有効な、ぼくの魔法の最後の手段として考えていたんだけど…………命を削って得た力は、使い魔自身にではなく主であるぼくに力が流れ込むようになっていたんだ。だけど、今はそれをぼくにではなく“ルーン”を刻まれた本人に流れ込むよう変えてる」
「……分かった」
これ以上話しをしている時間はないと感じたシロウは、ポツリと声を上げ説明会を終了させようとするが、声が聞こえなかったのかブリミルの説明は続いていた。
「い、いや。やっぱり無理だよね。だから早く逃げて。あなただって命が―――え?」
シロウの返事に気付いたブリミルが、聞こえてきた答えが余りにも予想外だったためか、目を見開きながらも聞き返す。
そんな様子に頓着することなく、シロウは話しを進めさせる。
「早くやってくれ」
「―――えっと、何を?」
未だ我を取り戻していない様子に、シロウが激昂しかけたが、直ぐに頭を振って精神を僅かに落ち着かせた。
「自分が言ったんだろうが。早くしろ。サーシャももう限界が近い」
「……ほ、本当にいいのかい?」
「諄いぞ」
「っ、どうして、そこまで…………―――わかった」
逡巡するブリミルだったが、迷っている時間が惜しいと気を切り替えたのか、数度深く呼吸を繰り返すとシロウの目を見るとゆっくり大きく頷いて見せた。
「頼む―――すまない」
「っ―――じゃあ、やるよ」
―――何か、おかしい
『―――我が名は“ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリ”』
何故、俺はこんな事をしている
―――違和感を感じる
『―――五つの力を司るペンタゴン』
この世界に喚ばれたのは、こんな事をするためではない
―――これは、誰だ?
あの男が言った言葉は決して間違いではない
この世界が滅びなければ、あちらの世界が滅びる
『―――この者に祝福を与え、我の使い魔となせ』
ならば―――
―――何故、抗おうとする
―――何故、従わない
何故、邪魔をする
何故―――どうして
これは―――誰だ?
……そんな事は分かりきっている、か――――――
―――俺は―――誰だ?
―――答えは得た
―――大丈夫だよ遠坂
―――俺も、これから頑張っていくから
……全く、厄介な“約束”をしてしまったものだ―――
まさか―――俺は―――
そして“契約”は結ばれ―――世界に光が満ちた―――
サーシャが李書文と戦い始めて未だ十分も経っていないにも関わらず、サーシャは防戦一方だった。李書文の攻めを、サーシャは必死に大地から隆起させ盾とした岩壁で防ぎ、間に合わないものは形振り構わない姿で地面の上を転がり血と土が混ざり合った姿で凌いでいたのだが、それでも限界であった。
油断はなかった。
失敗もなかった。
単純に実力の差であった。
そして追い詰められたサーシャは、李書文を倒すため自身の限界を越えた力を振るった。
合計八匹―――李書文を中心に、八頭の大蛇が取り囲むように円を描きながら空へと昇る。樹齢千年を超える大木のような土と岩で出来た大蛇が空を昇る姿は、まるで伝説の八岐大蛇が現れたかのようであった。李書文を完全に取り囲んだ八匹の大蛇は、上空数十メートルから一気に己の腹の中にいる李書文に襲いかかる。四方を完全に隙間なく囲まれ、上空からはビルのような八匹の蛇が落ちてくる。
誰もが必勝を確信する光景。
不可避の死。
―――だが、それを打ち破るからこその英雄である。
李書文を囲む八匹の大蛇が破裂した。空気を入れすぎ破裂した風船のように粉々に砕け周囲に石や砂が飛び散っていく。爆風のような衝撃が周囲に広がり、サーシャが吹き飛ばされ地面に倒れ込む。不可視の衝撃が強かに全身を打ち付け、意識は失わなかったが身体は指一本たりとも動かす事は出来ないでいた。精霊の力など以ての外。気を抜けば意識が無くなる状態であった。
「予想外に楽しめた―――礼をいう」
「―――っ、ぅ」
唯一動かせる目で、眼光で射殺せればと言わんばかりの殺意に満ちた視線を向けられた李書文は、最後まで諦めないサーシャの姿に敬意を表すよう小さく頭を下げ、せめてもの慈悲と苦痛を与えないよう槍を心の臓目掛け突き出し―――光が視界を染め上げ。
それでも止まる事なく突き進む槍だったが、甲高い金属音と共にその進行を妨げられることになった。
「―――ば、ぁか」
擦れ、今にも消え入りそうな弱々しい罵倒が背にかけられる。ここでこれかと知らず口元に苦笑が浮かんでいた。切り刻まれるかのような痛みを発していた胸に視線を落とす。
痛みは既にない。
代わりに今は燃えるように熱い。
チラリと一瞬だけ後ろに視線を向ける。倒れピクリとも身体は動いてはいないが、気の強そうな眼差しは健在だ。文句を言うように睨みつけてくる。しかし、微かにその瞳が濡れている事に気付き―――そしてその奥に様々な感情が見て取れた。
不安。
恐怖。
恐れ。
歓喜。
哀しみ。
様々な感情が入り乱れる中、一際強く感じるのは―――。
……何処か懐かしさを感じ不思議に思う。
そんな感情が湧き上がるのはおかしい。
自分が今このような現状に陥った要因であるだろうものは、今の自分にとって過去でも記憶でもない―――ただの記録であり知識でしかない。
そこから何らかの感情や想いが浮かぶことも、そして感じることも無い筈である。にも関わらず、どうしてか懐かしさを感じる。
強敵を前にして油断し過ぎだと自分でも思いながら、シロウは湧き上がる感情の源泉について思考し、不意にその理由について思い至り『ああ』と内心納得の声を上げた。
―――これは、あの記録が原因ではない。
そう、これはもっと根本的で単純な話であったのだ。
懐かしさを感じるのも当たり前だ。
――――――守るべき者を背に戦うのは、一体何時ぶりだろうか……
英霊となってから―――否、それよりも前、最早記憶すら定かではない……。
―――十を救うため一を殺し、百を助けるため十を見殺し、千を救い出すため、百を無視した―――
そこに、守るべき者を背に戦う姿は―――ない
守るべき者を背に、敵と戦う等―――これではまるで―――“正義の味方”―――ではないか……。
「―――し、ろぅ」
不意に吹く柔らかな風でも消えてしまいそうなか細い声で、名前を呼ばれる。
そう―――それが自分の名前だ。
エミヤシロウ。
だが―――何故か今はその名を名乗るのに抵抗がある。
これは、多分あれが原因だろう。
頑張ると、そう誓ったのだ。
そして、今、自分は頑張っている。
ならば、そうではない。
口元笑みが浮かぶ。
珍しいことに苦笑ではない。
我ながらどうかと思うが、実に子供っぽい笑みだ。
意地っ張りで、強情で、それでいて悪戯めいた笑み。
「違う―――エミヤシロウ、ではない―――」
一歩足を前に出す。
振り返らず、真っ直ぐ敵を視界に収めたまま、背後のサーシャと離れた位置に立つブリミルに改めて名乗る。
約束した―――あの時の名を。
「―――アーチャーと呼べ」
後書き
感想ご指摘お願いします。
自分なりの考察の結果―――原作でサイトが見たブリミルやらサーシャは、タイムスリップして直接会ったわけでなく、ヴィットーリオが何かに記録を掛けたんじゃないかと思うんですが。
だってほら、原作でもただの記録の筈なのに、ジョゼフが弟のシャルルと会話とかしていたし……。
……色々と穴だらけの考察なんだけどね。
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