剣の丘に花は咲く
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第十四章 水都市の聖女
第五話 悪魔の門
前書き
。゚+.謹賀新年゚+.゚(○。_。)ペコッ
……高窓から差し込む月の明りが、小さな部屋の中を薄ぼんやりと照らし出す―――
……荒い男の呼吸―――風を切る鋭い音―――煉瓦が砕け大地が震える音―――
―――怒り―――羞恥―――恨み―――憎しみ―――
虎の唸り声の如き低く重い呼気と共に煉瓦が砕かれ、大気が穿ち捩じ切られる異音が響く
ソレは―――一人の魔人が生まれた日
憎悪を炎に―――怒りを鉄に―――意志を鎚に―――一振りの剣が鍛えられる
一踏み毎に重さが加わり―――一突き毎に鋭さが増し―――一呼吸の度に積み重なる力―――
未だその動きには無駄があり―――重さが足りず―――拙さが見える
しかし、確実に男は、一秒毎に人からかけ離れていく……
まだ荒く、未熟であり、何もかも足りない―――だが、恐ろしい速度でそれらは無くなり―――男は頂へと登っていく―――
選ばれた者の―――更に極く限られた者のみが到れる極地へと…………………………
「―――っぐ」
意識が覚醒すると共に、一気に肺に酸素が送り込まれ―――全身に刺すような痛みが走り苦悶の声が漏れた。背中に感じる独特の感触と匂いに、自分が藁の上で横になっている事を知る。うっすらと開かれた視界は周囲を照らす光に眩み歪んだ像を映し出すだけ。目の奥に走る鋭い痛みに顔が歪み、光を遮るように顔を片手で覆うと、指の隙間から周りを見渡した。
「ここ、は……?」
火でも電気的な明かりではない光に照らされる白い布の天井。
自然とかつてモンゴルの遊牧民と一時暮らしていた時の事を思い出しながら、士郎は鉛を飲んだかのように異様に重い身体を起き上がらせる。上半身だけ身体を起こした士郎は、改めて周りを見渡した。木の骨組みに布が張られただけのテントと思われるものの中には、自分がいる藁のベッドの他に、幾何学模様の絨毯の上に日曜大工で作ったかのような粗末なテーブルと机が一式あるだけ。
「俺は、確か―――」
最後に残る記憶は、胸に突き刺さる冷たさにも似た痛み。
凶相に顔を歪めた老人の姿。
「―――負けた、のか」
胸に、心臓に手を当てギリッ、と歯を鳴らす。
完敗であった。
手も足も出ない、まさに言葉の通り完全な敗北であった。
投影を、強化を、宝具もガンダールヴの力さえ使った。
しかし―――届かなかった。
近接戦ではなく遠距離から弓でなら、とは考えない。
結果が全て。
格上であることは始めから分かっていた。
勝率が限りなく低いことも、だが、それでも勝率はあったのだ。
そこに、手が届かなかった。
「―――く、そ」
どうすれば勝てたのか?
何をすれば勝てたのか?
『現実では敵わない相手ならば、想像の中で勝て―――自身が勝てないのなら、勝てるモノを幻想しろ』
―――馬鹿がッ!!
ならば一体何ならば奴に勝てるッ!?
想像ですら勝てない相手にどうすれば勝てるとっ!?
刺し穿つ死棘の槍?
射殺す百頭?
無限の剣製?
それで本当に奴に勝てると思っているのか?
……いや、例え奴に勝てる何かがあるとしても、最後にソレを使うのは俺だ。
結局の敗因は俺にある。
どれだけ慎重に精密に詰将棋のように追い詰めたとしても、最後の最後で届かない。
俺が俺である限り奴には勝てない。
俺という存在が―――奴には届かない。
ならば、諦めるのか?
……再び奴と相見えた時、ただ逃げ惑うだけなのか?
そんなこと出来るわけが無いっ!
―――……それこそ馬鹿な話だ。
諦める?
逃げる?
誰が?
俺が?
―――…………舐めるな。
例え奴に勝てるモノがあったとしても、俺が原因で勝てないのならば―――俺は―――
「―――おおっ、目が覚めてたんだね」
「っ」
不意に呼びかけられた声により士郎の意識は現実に引き戻される。
声を掛けられる前に気付く事が出来なかった事に苛立ちを覚えながら、士郎は声の主へと顔を向けた。
「……あなたは?」
「やあやあ少し失礼するよ。とは言ってもここは元々ぼくの家だから何を遠慮するところはないんだけどね。はっはっはっ―――」
「……」
入り口と思われる場所から顔を出してこちらを見ているのは、二十歳には届いてはいないだろう小柄な男だった。癖のない金髪をゴシゴシと撫でながら入り口からテントの中へと入ってきた男は、ニコニコと上機嫌に笑いながら士郎の前まで歩いてくる。男は裾の長いローブを羽織っており、歩を進める度に、地面に着いたローブの裾がズルズルと引きずられていた。
「あ~その……すまないが―――」
「―――いや、しかし本当に驚いたよっ!」
士郎が顔を上げ目の前に立つ男に再度声を掛けようとするが、それを遮るように謎の男はぐっと士郎に顔を寄せると堰を切ったように話し始めた。
「サーシャに君の左手に同じ文字が刻まれていると聞いた時には俄かには信じられなかったけど、まさか本当だったなんてっ!! そりゃ、ぼく以外にもこの“変わった系統”の使い手
がいるとは思っていたけど、まさか本当に現れるなんてっ!? これは本当に凄い事なんだよっ!!」
そこまで言うと謎の男は、更に士郎に向かって顔をずずいっと顔を寄せてくる。『近い近い近い』と内心声を上げながらも、別段敵意もなくそれどころか好意を見せて顔を寄せてくる
男に士郎はどう対処しようか悩む。
「だから君の主人とぼくを会わせてくれないかい?」
『何が』、『だから』なのか士郎が若干イラッ、としながらも大人しく聞き役に徹していると、ハッと何かに気付いたように男は士郎から顔を離した。
「そうそう。そう言えば自己紹介がまだだったね」
上機嫌に笑いながら男はやっと士郎が知りたかった事を口にした。
しかし、その時男が口にした言葉により、更に士郎は困惑する事となる。
「ぼくの名前は、ニダベリールのブリミル」
胸に手を当てながら男は自分の名を名乗る。
「ブリミル・ル・ルミル・ニダベリールだよ。よろしく」
「―――……は?」
士郎の思考が一瞬空白に満ちた。
朗らかに笑いながら男が口にした名前。
それに士郎は聞き覚えがあった。
なにせほぼ毎日の如く耳にいていた名前であり、本などでも良く見かけていたものでもある。
“始祖ブリミル”
そのフルネームで間違いはなかった。
―――同名の別人か?
士郎は一瞬そう考えたが、直ぐにサーシャの左手に刻まれていたルーンと、この目の前のブリミルを名乗る男が口にした『ぼく以外にも』との言葉を思い出し、その考えを否定した。
―――まさか……本物?
しかし、それが真実であるならばここは過去であるということ。
五つの魔法―――その中の一つ。
信じがたいが、その可能性はないとは言い切れない。
否定するには自分の経験が余りにもアレであるからだ。
だが、未だ確証はないため、安易に判断することを士郎は止めた。
焦りが広がる胸中を押さえ込むと、極めて冷静にブリミルを見やる。
―――何処にでもいるような普通の男に見える。
付け加えるのならば、気の優しさと真面目さだけが取り柄の若い男。もしかするとあの人の話を聞かない様子からすると研究者タイプかもしれんな、と士郎は考えながらブリミルを観察する。
最初聞こうとした質問の前に、聞くべきことが出来たと士郎はブリミルに向き直った。
「―――えっと、あなたは?」
「ん? ああ、俺か、すまない。衛宮士郎だ。少し状況が分からないんだが、俺は―――」
「エミヤシロウ? あまり聞きなれない名前だね」
「……だろうな。で、こちらも少し訪ねたいことがあるんだが……そろそろいいか?」
「え? う~ん。ま、別に大丈夫だけど……何を聞きたいんだい?」
再度話しを遮られ“いらぁっ”、としながらもぐっと堪え再三尋ねると、やっと許可を貰えほっとしながら腕を組み首を捻ねるブリミルに対し、士郎は確認の為の質問をする。
何の確認か?
ここは何処だ?
俺はどうしてここに?
サーシャはどうなっている?
確かにそれも大事だが、まず確認しておく必要があるのは……この男が真に“ブリミル教のブリミル”なのかという事だ。
「……君は“ブリミル教”と言うものを知っているか?」
「へ? “ブリミル教”だって? いや~初めて聞いたね。ここ数年色んな土地を回ってきたけど、そんなのは聞いた覚えもないよ。“ブリミル教”だなんて、一度でも耳にすれば絶対
に忘れないと思うしね。何せぼくの名前と同じなんだからっ」
口に手を当て『くふふ』と含み笑いをする姿を見て、士郎は更に確信を含めながら情報収集に努める。
「それなら―――“ハルケギニア”というものに聞き覚えは?」
「はる、ハルケギニア……? う~ん、いや、ちょっとそれも聞き覚えはないね」
その言葉に、ここが過去である可能性が更に高まる
普通は過去にいるなどとは考えもしないだろう。まだ何らかの幻術に掛かっていると考えるだろうが―――幸か不幸かこういった事には慣れている。
ならば、どれだけ非常識な事であっても、周囲の状況から導き出された結果がどれだけ有り得なくとも正しい事は多々あるのだ。
どれだけ理不尽だと叫んだとしても、そう……現実は色々と非常なのだ……。
士郎が逃避できない理不尽という名の現実を前に思わず崩れ落ちそうになるのを堪えていると、またしても好奇心旺盛な小学校低学年の男児のようにブリミルが顔をずいっと寄せてきた。
「で、で、何時になったら君の主人と合わせてくれるんだい? も、もうぼく興奮しすぎて鼻血を吹きそうだよっ!?」
元の世界で異性にやれば確実にセクハラと言うか痴漢で有罪判決を得られそうな勢いで、興奮で上気しながら士郎に迫るブリミル。思わず“グー”で迫ってくる顔面を殴り飛ばしたい誘惑を士郎は押し殺す。
“ガンダールヴ”のルーンを持つ使い魔。
“変わった系統”とやらの使い手であり、“ブリミル”を名乗るメイジ。
更に“ブリミル教”どころか“ハルケギニア”も知らないと言う。
これだけ揃えられれば、誰もがある考えに至るだろう。それは勿論士郎であっても。しかし、自分の仮説に確証を持ってはいるが、士郎はそれを口にすることはない。
当たり前だ。
何処の誰がいきなり『私は未来からやって来ました』等といったことを信じるというのか? 普通ならば病気を疑われるな、精神か脳の……。
思わず重いため息が出そうになるのを片手で額を抑え押しとどめると、期待に瞳を光らせているブリミルに向かって顔を振った。勿論、縦ではなく横に、である。
「……残念ながら期待に添える事は出来ない」
「っえ、ええっ!!? な、何でだいっ!?」
両手で顔を挟み、ブリミルはアッチョンブ―――悲鳴のような叫び声を上げた。
「少々込み入った事情があってな。それ以前に、俺はここが何処かも知らないんだが?」
「え? あ、ああ。そうだね。君をここに連れてきた時は死んだように気絶してたからね。まあ、移動にはぼくの魔法を使ったから、起きててもここが何処かなんて分からないだろうけど」
「……そう、か。で、すまないがどうして俺はこんなところにいるのか聞いても大丈夫か? 最後の記憶があやふやでな」
「ああっ! そういえばお礼を言い忘れてたよっ!? 全くぼくは何時も抜けていて困ったものだねっ! 君がヴァリヤーグと戦ってくれたおかげでサーシャが助かったんだっ! 本当に感謝するよっ」
勢いよく頭を下げたブリミルの頭頂部にある渦巻きを見下ろしながら、士郎は再度ぐるりと部屋の中を見渡した。
「いや、それは別に構わないが。そう言えばサーシャの姿が見えないが、彼女は?」
「ああ、彼女は今寝ていると思うよ。ま、それも仕方がない。サーシャはついさっきまでずっと君の傍で看病していたからね。三日も寝ずに看病していたんだ、全く無茶するよね。ぼくが魔法の使いすぎで倒れた時なんか『蛮人の看病なんてするわけないでしょ』なんてほったらかしにされたってのに、な~んでかな?」
「―――待て」
「ん?」
むぅっ、とむくれた顔を寄せるブリミルに向かって右手を突き出す。
「三日、だと?」
「そうだよ。君がここに来てからもう三日だね。いや~あの時は驚いたよ。やっとサーシャの居場所が分かって、怒られるんだろ~な~と戦々恐々しながら“ゲート”を潜ってみたら、君を抱えて泣いているサーシャがいるんだからっ! もうビックリしたのなんのっ! 彼女のあんな姿見たの初めてだったよっ! しかも、ぼくに気付くと直ぐに治療しろって物凄い形相で迫ってくるし。まるで恋人の身を案じる乙女だよ全く」
むぅっ、と顔を顰めてジロリと睨めつけてくるブリミルを士郎は無視して気になる点を問いただす。
「その時俺とサーシャ以外に他に誰かいたか?」
「え、誰か? ……ああ、多分ヴァリヤーグのことだね。まあ、幸いな事に姿は見なかったよ。あの場には君とサーシャの二人だけだったけど…………。でも……シロウはどうして助かったんだろうね?」
「それは、どう言う、事だ」
まじまじと士郎の左胸―――丁度心臓の辺りをジロジロと見ながらブリミルは不思議そうな声を上げた。
「君の鎧は丁度心臓の辺りに前後ろ共に穴が空いていた……なのに、穴から見える君の胸には傷らしい傷もない。鎧の破損状況を見れば、丁度心臓が貫かれていた筈なのに……何でかな? ぼくの知らない何かの魔法?」
「……さて、な。残念ながら俺にも理由は分からん、な」
士郎は肩をすくませながら左手の掌の甲に刻まれた令呪をチラリと見る。
「まあ、今はそれよりもまた別の事が気になるんだが」
「別の……? それは?」
ブリミルが視線だけで促してくる。士郎は軽く頷きながらそれに乗った。
「アレは、何だ?」
「アレ……あれって……何のこと?」
腕を組んで首をかしげて見せるブリミルに、士郎はスッと目を細めた。
「……李書―――“ヴァリヤーグ”とは一体何だ?」
「ヴァリヤーグ? え? ヴァリヤーグたちを知らないのっ!?」
―――待て……ヴァリヤーグたちだと?
知っていて当たり前の常識を訪ねてくる者に対して向けるような戸惑いを含んだ視線を向けてくるブリミルに、士郎は反射的に問い詰めようとするのを押さえ込むと、代わりに深く息を吐き出した。
「……ああ」
「へぇ~……今この時代に“ヴァリヤーグ”たちを知らない人がいるなんてね」
ブリミルは大げさに両手を広げると、ゆっくりと頷いて見せた。
「恐ろしく強い悪魔みたいな奴らだよ。で、サーシャの話からすると、その中でも君が戦ったのは“朱の悪魔”とか“見えない悪魔”と最近恐れられている有名な奴だね」
「……“見えない悪魔”?」
「どっちも君が戦ったヴァリヤーグの通り名だよ。幸か不幸かぼくは何度かあいつが戦っているのを見たことがあるんだけど……あれは凄いというよりも酷かったね。あのヴァリヤーグの一撃を受けて体中から血が吹き出して死んじゃった人を見たことがあるんだよ。でも、それに何より厄介なのは、誰もあの悪魔の接近に気付けないって点だね。そう、まるで透明になっているかのように……気付けば近くにいる」
「それは……厄介だな」
「厄介どころじゃないよ」
苦虫を百匹纏めて噛み潰したかのようにブリミルが苦々しく顔を顰める。
確かに、あの男に勝てる可能性があるとすれば、近付かせる前に魔法で遠距離からの攻撃以外他に手はない。なのに、知らない内に間合いに入られるとすれば厄介どころの話じゃない。
「それで、その“ヴァリヤーグ”について何か分かっている事はあるのか?」
「いや、それが全くと言っていいほどないんだよ」
深いため息と共に顔を横に振る。
「何時から、何処から現れたのか。何の目的を持っているのか。何をしているのか……何でもいい。何か知らないか?」
「そう、だね。何時からと言えば大体一年ぐらい前かな? 何処からと言っても奴らは世界中何処へでも現れているから……ちょっとそれは分からないね。目的も、国を滅ぼし……虐殺をしたかと思えば、小さな村を救ったり、小さな女の子を助けたり……話が通じない奴も、通じる奴らもいる……悪魔の数だけやることなすこと全部バラバラ……全く意味不明だよ。でも、そう、だね。一つ、もしかしたら、だけど、最近分かったことがあるよ」
「分かってきたこと? それは?」
何処か凡庸とした顔に一瞬鋭いモノを走らせたブリミルは、自身の仮説を確かめるように一つ一つ区切るように話し始めた。
「えっと、まだ確実とは言えないんだけど……やることなすこと全部バラバラな悪魔たちだけど……本当に一つだけ共通する事があるんだ」
「共通すること?」
「……これは、奴らから逃げるためあちこち転々としてきたからこそ分かったことなんだけど……どうも奴らは魔力の集中地を壊しているようなんだ」
「魔力の……集中地?」
「うん。えっと、あまり知られていない事なんだけど。世界には所々に魔力が集中する場所があるんだ。ぼくの一族は長い間世界中を転々としててね。そういう場所をよく見てきたから気付いたんだけど……どうも奴らはそこを破壊しているみたいなんだ」
一瞬―――ゾクリと、士郎の背中が泡立つ。
「…………」
魔力が集中する場所……士郎はそういう土地がどういったものなのか知っていた。
当たり前だ。いくら自分が三流の魔術師であっても、そのような土地がどういったものなのか分からないはずがない。故郷である土地もそういった場所であるし、何より自分の魔術の師匠がそのような土地の管理者でもあるのだ。
―――だからこそ、ブリミルが口にした言葉に予知にも似た不吉な感覚を覚えた。
“霊地”
“龍穴”
そこは、大地に流れる魔力が集中する地であり、そのため他にはない歪みが生まれる場所。
言ってしまえば、世界を巡る魔力という名の水を調整するためのダムのようなものだ。
だが、何故霊地を破壊する?
一体何のため?
「調べてみたら“ヴァリヤーグ”たちが現れる場所が、全部その魔力の集中地の近くなんだよ。それに、さっき言った滅ぼされた村や国があった場所は、どうもその魔力の集中地の上にあってね。つまり、つまりぼくが思うに“ヴァリヤーグ”たちの目的は魔力の集中地の破壊であって、村や国が滅ぼされたのは魔力の集中地が破壊されたとばっちりだったり、その妨害をしたからなんだと思うんだ。実際、その証拠に魔力の集中地から離れた場所にある国は素通りされたりしてるからね」
「……その“魔力の集中地”が破壊された後、何か異変は起きていないか?」
霊地が破壊された事による悪影響は何かあるはずだ。
そこから“ヴァリヤーグ”の狙いが分かるかもしれない。士郎の質問に、ブリミルは“ヴァリヤーグ”が現れてからの事を思い出し……。
「う~ん? いや、別にこれと言った事は……あっ、でも、そうだね。敢えて言うなら……な~んか嫌な感じがするんだよね」
「嫌な感じ?」
士郎の質問に首を横に振ろうとしたブリミルだったが、ハタと何かを思い出したかのように軽く目を見開くと、直ぐに腹の底から出すような低い唸り声を上げ始めた。士郎が続きを促すと、ブリミルは宙に手を伸ばすとぐるぐると鍋をかき混ぜるように腕を回し始めた。
「まるで滅茶苦茶に材料を入れて煮込んだスープみたいに魔力が溢れんばかりに満ちているんだけど、何かこう、何ていうか―――そうっ!? 濁っているんだよ!」
「濁っている?」
「そうなんだ。まるであの時みたいに、色んなものがぐちゃぐちゃに混ざった底なしの魔力が満ちた……はぁ、でもこんなに魔力が溢れかえるんだったら、無理してあんな門を開けるんじゃなかったよ」
ため息と共に肩を大きく落としたブリミルは、過去を振り返るように頭上を見上げると否定するように顔を横に振った。その時、誰に言うでもなく自分に言い聞かせるようなブリミルの自嘲の言葉を耳にした時、士郎は反射的に問い掛けていた。
「―――門を開ける、だと? それは一体どう言う意味だ?」
先程から感じる寒気にも似た嫌な予感のせいか、ブリミルに掛ける声は苛立ちが混じった鋭いものとなっていた。それは、鈍感とも言えるブリミルも気付く程度のものであった。ブリミルは若干怯えながらも、小さく頭を上下させると説明を始めた。
「え? あ、ああ。そうだね。丁度今から一年ぐらい前になるかな? まだ“ヴァリヤーグ”が現れる前になるんだけど。ちょっと話は変わるんだけど、実はぼくたち一族は、サーシャたちエルフや他の種族に比べると随分と弱い種族でね。“マギ族”っていうんだけど、数も少なければ力も弱い。唯一他の種族に勝るだろう魔法は、個人の資質に頼ってしまうものだし。何よりいくら強力な魔法が使えても、個人の魔力の保有量には限界があるから、ちょっと強力な魔法なんて連発するなんて不可能で、もうどうにもならないよ」
お手上げとばかりに、ブリミルは掌を上に向けて肩を竦めて見せる。
「……連発、できない?」
別段おかしな事ではない。
ブリミルの言葉の何かが引っかかり、士郎は怪訝な顔を浮かべた。
キュルケたちが強力な魔法を連発する事は出来ない事は確かなので、何もおかしなことは言ってはいない―――その筈なのだが、何かが引っかかった。
士郎がその何かが何か考え込んでいる間も、ブリミルの話は続く。
「せめて世界に満ちる魔力がもったあれば、周囲にある魔力を操る精神力だけあればいいだけだから、他の種族の有利に立てるんだけどって、あの頃は良く考えていたなぁ~……まあ、だからこそぼくが族長になった時、あれを開いたんだけどね」
アレヲヒライタ―――何気なく、本当に何でもないことのようにブリミルが口にした言葉。だが、その言葉の軽さとは裏腹に、空恐ろしい響きとなって士郎の耳だけでなく背筋をも震わせた。
何故? どうして? 理由も分からない焦燥を感じながら、ジワリと粘ついた冷や汗を滲み出しながら士郎はひりつく喉を震わせた。
「―――開いたとは……一体、何を―――」
「門さっ!」
士郎の質問を待ってたばかりに喜色を浮かべたブリミルが誇らしげに両腕を勢いよく開いた。
「ぼくは普通の“マギ族”とは違った“変わった系統”の使い手なんだけどね。普通の“マギ族”が使う火とか水とかは全然操れないんだけど、代わりに色々と出来だんだ。だから子供の頃のぼくは、この変わった系統で何が出来るのか調べてたんだよ。で、ある時偶然―――ふふ、多分信じてくれないだろうけど、別の世界へと繋げる魔法を見つけたんだっ!」
「―――ッ!?」
その時―――士郎が感じていた不吉な予感は頂点へと達した。
「それを知った時、ぼくは思ったんだっ!! ぼくたち“マギ族”が持つ他の種族には無い力である“魔法”だけど、世界に満ちる魔力は利用するのには少なくて、ぼくたち個人の魔力量もそう何度も使えるほど多くはない。でも、世界に満ちる魔力をもっと増やす事が出来れば、それを操る魔力さえあれば強力な魔法も連発する事が可能になる。じゃあ、どうやって世界に満ちる魔力を増やすのか? 世界に満ちる魔力も絶対量はキチンと決まっている。それこそ魔法のように増やしたり減らしたりするなんてことは出来ない。ならどうする? どうすればいい?」
眉根を寄せ腕を組み首を傾げ、見るからに『困っています』という姿を見せたブリミルだったが、直ぐにニヤリと口元を歪めるとビシッと士郎に指を突きつけ誇らしげに胸を張ってその言葉を口にした。
「ぼくはこう思ったねっ!! ―――他にあるところから持ってくればいいってッ!!」
「―――まさ、か。お前は―――ッ?!」
もう疑いようがない―――つまり、この男―――未来“始祖”と呼ばれるようになる男は、こともあろうに最悪の方法を取ったのだ。
自分たちの種族―――“マギ族”が自由に魔法が使うことが出来るようにするため、異世界から魔力を奪う。
それが一体どういった事態を引き起こすのか考えもせず―――最悪を招き寄せる結果になるとも知らず……。
「で、その魔法が成功したのは良いんだけど、残念ながら異世界の魔力がこの世界に馴染むまで時間が掛かるようで、ぼくたちが魔力を自由に扱えるにはまだまだ時間が掛かりそうなんだけどね」
凄いだろっ! と傍から見ても分かるぐらい得意げに胸を逸らすブリミルだったが、士郎はそれどころではなかった。
ルイズに召喚されてから今までに見たもの、聞いたもの、感じたものが次々と士郎の脳裏を目まぐるしい勢いで過ぎっていたのだから。これまでに時折感じていた違和感が、ブリミルの言葉を切っ掛けに次々と繋がり一つのパズルを完成させた。
―――召喚され、目覚めた時に感じた大気に満ちる魔力に対する違和感。
―――風石や火石等、魔力が結晶となったとでも言うような有り得ない物質―――そう、まるで許容量から溢れた余ったモノを押し固めたかのような……。
―――ある時代以降が記載されていない歴史書。
―――エルフが口にした“抑止力”という言葉。
―――古い昔話に語られる何処かで聞いたことのある怪物の物語。
まさか、と言う思いはあったが、それこそ『まさか』と考え否定してきた。
しかし、それももう出来ない。
もはや明白。
否定する事は出来ない。
だが、それでもやはり確かめずにはいられない。
何故ならば、もしこれが真実であるならば―――
「ま、て……待て、お前は、何を言っているんだ」
「え? あはは。やっぱり信じられない? 他の世界から魔力を持ってくるなんて。ま、普通ならそうだよね。その肝心の魔法も、あの場所じゃなければ成功していなかっただろうしね」
震えそうになる声を必死に押さえ込みながら、士郎はブリミルに再度問い掛ける。ブリミルは士郎の内心の動揺に欠片も気付かず、能天気なまでの様子でそれに答えた。
「あの、場所?」
「いや~、子供の頃に親から聞いた時は半信半疑だったんだけど。その“門”を開いた場所っていうのは、ぼくたち“マギ族”がやって来たっていう伝説が残る土地なんだ。そこは何ていうか色々と不安定な土地でね。ああ、さっき言った“ヴァリヤーグ”たちが壊して回っている魔力が集中する土地と同じだよ。でもやっぱり、結構色んなところを見て回ってきたけど、あそこが一番凄いね。しかしぼくの魔法を考えてみると、あの伝説もデタラメとは言えないかもしれないね。もしかしたら、元々ぼくたち“マギ族”は、他の世界からやってきたのかも」
「……一つ、聞きたい」
笑いながら御高説をのたまうブリミルを冷え切った目で見ながら、士郎は機械のような冷徹な声を上げた。
「ん、何だい?」
「その開いた“門”は、今、どうなっている?」
「門かい? そうだね。今も開いていると思うよ。何せこの世界に魔力が満ち満ちるようにするために開いたものだからね。ちょっとやそっとじゃ壊れないように門をぼくの魔力じゃなくて世界に流れる魔力で構成したし、それに……」
「それは、どう言う意味だ?」
ガンガンと警鐘が鳴り響く。
落ち着こうとするが呼吸は荒くなる一方。
嫌な予感が留まることを知らず今も高まり続ける。
最悪を予想した。
だが、どうやらその最悪はまだ甘かったようである。
「え? そのままの意味だよ。門を構成する魔力を大地に流れる魔力で使ったんだよ。ま、おかげで異世界から流れ込んでくる魔力と合わさって―――」
ブリミルが、何気なく―――本当に何とも思っていない口調で言葉にしたそれこそ―――
「―――出来上がった“門”は破壊不能になってしまったけど」
―――まさに“最悪”であったから。
「―――なん、だと」
「ど、どうしたんだい、そんなに怖い顔して? ああ、安心していいよ。異世界から流れ込んでくる魔力が例えこの世界の許容量を超えてしまっても、溢れた魔力はそれぞれの属性に応じて石みたいに固まるだけみたいだから」
「―――ッ!! 馬鹿がッ!! そうじゃないっ!!」
床を殴りつけ勢い良く立ち上がり、そのままの勢いでブリミルににじり寄る。
「っえ?! ちょ、ちょっと、ど、どうしたのさ!?」
「ッッ、貴様―――ブリミルッ!! 異世界から魔力を持ってくると言ったなっ!? ならばっ、魔力を奪われた世界はどうなるっ!!? この世界に奪われた分の魔力はどうなるっ!?」
「そ、それは……どうもならないよ。なくなった分減るだけだと……」
殺気に満ちた激昂に、ブリミルの言葉はもごもごと尻すぼみに消えていく。
「―――ッ!!」
「わ、わ、な、何? ど、どうしたのさ一体っ!?」
士郎の手が襟首を掴み上げ、ブリミルの身体を軽々と持ち上げる。わたわたと両手をばたつかせて暴れるブリミルに額をぶつけ、士郎は激情のまま声を発した。
「『どうした?』だとッ!! 馬鹿か貴様ッ! 一体自分が何をしたのか分かっているのかッ!!」
「え?」
「貴様は一つの世界を滅ぼそうとしているのだぞッ!!」
「え? それ、は、どう言う―――」
「魔力を失った世界がどうなるか貴様は知っているのかっ!?」
「そ、それは……魔法が使えなく、なる?」
「―――ッッ!! その程度の認識で―――馬鹿がッ!! いいかっ、魔力とは生命だッ! 大小あれ全ての生き物は魔力を持ち生きているっ!! それが無くなればどうなる!? 水が無くなればどうなる!? 同じことだッ!! 皆死んでしまうっ!!」
「―――ッ!!? そん、な……何を、言って……そんな嘘……」
ブリミルは笑っているかのような奇妙に引きつった顔を横に振ろうするが、ガクガクと身体が揺れていたため頷いているようにしか見えなかった。揺れているのは士郎が身体を揺らしているのではなく、ブリミルの身体自体が震えているからだ。別にブリミルは士郎の口にしたことが全て真実である等とは思ってはいなかった。何せこれでも一つの部族の長をやっているのだ、今日話したばかりの男の言葉をまるごと信じてしまうほど、ブリミルは愚かでも善人でもなかった。
しかし―――自身が類まれな魔法使いであるためか、本能的に士郎の言葉が真実であるとブリミルは理解していた。
虚ろな目で『ありえない、うそだ』とぶつぶつと呟き始めたブリミルから手を離すと、士郎はギリリと歯を鳴らしながら吐き捨てるように言葉を発した。
「何故“抑止力”がいるのかその理由が分かった」
「抑止力?」
「お前たちが“ヴァリヤーグ”と呼ぶものたちの事だ」
「え?」
反射的に士郎の言葉に反応したブリミルに、律儀にも士郎は答えてやった。
「あれらは世界の危機を前に現れ、その原因を排除するために呼び出されるものだ」
「……世界の、危機」
「つまり魔力が枯渇し世界が滅びるのを防ぐために、奴らはその原因を排除するためこの世界に来たという理由だ」
「え、つまり、それって―――」
「―――貴様の話を聞けば自ずと答えは出る。魔力が失われる原因―――“抑止力”はこの世界を滅ぼすつもりだ」
「ま、まさかっ!! そ、そうだ、ど、どうやってだいっ!! 世界を滅ぼすってっ!! 一体どうやってっ!?」
人や国ならばともかく“世界”だ。
モノを壊すというだけの話ではない。
だが、その答えも既にブリミル自身が口にしていた。
「……奴らは魔力が集中する地を破壊していると言ったな」
「そ、そうだけど」
「魔力が集中する土地を霊地と言うが、端的に言えば霊地と言うのは言ってしまえば世界に流れる魔力を調整するためのダムのようなものだ」
「だ、だむ?」
聞き覚えのない言葉に戸惑いを見せるブリミルに、士郎は一つ溜め息をつく。
「―――っ……いいか、世界にある魔力は川のようなものだ。常に流れているものであり、一箇所に溜まり氾濫することもあれば、流れが滞り乾いてしまう事もある。それを防ぐために、世界にはそれを調整するための場所がある。それが霊地―――貴様が言う『魔力の集中地』だ。そしてそこが壊されればどうなる? 一つや二つならばどうにかなるだろう。それこそそういったものは世界中にある。だが、その全てが無くなればどうだ? しかも今この世界には元々あった魔力に加え、別の世界からの魔力も流れ込んできている。調整する事が出来ない状態で許容量を遥かに越えた魔力が世界を巡れば? 今この時も魔力は流れ込んでくる―――過ぎた力は身を滅ぼす―――それは“世界”であってもだ」
「で、でも、そんな事が―――」
「―――ないと、言い切れるのか」
「―――っ、ぼ、ぼくは一体どうしたら」
士郎に向かって土下座でもするかのように、崩れ落ちがくりと床に手をつくブリミル。士郎は顔を向けることなく唯一の方法を提示する。
だがそれは―――
「“門”をどうにかするしかない。魔力の流出さえ防げたなら、この世界が滅ぼされる理由は無くなるはずだ」
「む、無理だよっ! さっき言っただろっ! “門”はこの世界の魔力と異世界の魔力で出来てるって。だから単純に考えて、“門”を壊すには一つの世界を壊す程の力が必要なんだよっ!!」
「…………」
そう―――何よりも最悪なのが、その“門”の頑強さだ。
こちらと向こうの世界の魔力により構成された“門”は、言ってしまえば一つの世界そのものと言っても良いだろう。
そんなモノを破壊する事など不可能。
ならば“門”であると言うのだからその扉を締めれば良い。
だが、それも―――。
士郎の思考は、追い詰められ血が頭に上った者特有の苛立ち混じりの怒声により途切れることとなった。
「そ、それに何で君がそんな事を知ってるんだよ! そ、そうだ、やっぱり今のは嘘なんだろっ!」
「……簡単だ―――俺がこの世界の人間ではなく、奴らが来た世界の人間だからだ」
「え?」
「つまり、俺は―――お前が滅ぼそうとしている世界の人間だ」
「―――ッ?!」
士郎の刃の如く鋭い視線に睨めつけられ、ブリミルが息を飲んだ瞬間―――
「―――族長っ!!」
「「―――ッ!?」」
テントの中に一人の男が飛び込んできた。
勢い余って床に転がった男は、立ち上がりながらブリミルに向かって汗だくの顔を向けた。随分と急いで来たのだろう、顔は汗に濡れ息は荒い。だが、その様子に反し顔色は病的にまで青かった。
その理由は直ぐに分かる事になる。
「ど、どうしたんだい?」
ブリミルの質問によって。
男はブリミルの言葉に、一つ息を吸い込むと、口に出すのも恐ろしいとばかりの姿でその名を口にした。
「や、奴が―――“ヴァリヤーグ”が現れましたッ!!?」
「奴? ―――ッ!? まさ、か」
「あの見えない―――“朱の悪魔”が村にッ!!」
「「―――ッ!!?」」
“世界”を救うために“抑止力”として召喚されたであろう“守護者”にして。
長き中国の歴史にあってその頂きに立つ魔拳士と呼ばれた―――悪魔を。
後書き
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