クルスニク・オーケストラ
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第十三楽章 聖なる祈り
13-4小節
“ジゼル・トワイ・リート。君は君の《祈り》のためにその身を差し出せるかい?”
“どうやら自ら最後の一人になって、残る骸殻能力者の因子化も解除する腹積もりらしい”
「やめて、やめて! ジゼル、また死んじゃうんだよ!?」
「ジゼル、骸殻を解け! 今すぐ!」
肩を掴んで揺さぶっても、彼女はまったく反応しない。
『無駄だよ。今の彼女には、外界を識別するだけの知能がない。一度死んだ彼女には言葉を理解する分別がない。クロノスの言うように、《本性》だけで動く肉体は生物ではない。ここまで稼働してきたのが奇跡なんだ』
だからって諦められるか。俺が、ユリウス・ウィル・クルスニクが、ジゼル・トワイ・リートを諦められるものかッ!!
「ジゼル! 答えろ、ジゼル!!」
『――ユリウス』
駄々っ子を宥めるように冴えた声。
『奇跡は、同じ人間には二度起こせないから、奇跡なんだ。ジゼルはもう君には答えない。この地のどこにもジゼルはいない』
そん、な……やっとここまで漕ぎ着けたのに。俺たち《4人》の誰も死なずに、《審判》を超えられると信じたのに。
こんな、こんな結末は、俺たちが望んだハッピーエンドなんかじゃない!
オリジンが4本の腕を掲げる。分史世界の消去を実行しようとしている。そうなってしまえば、もうほぼ時歪の因子化したジゼルも――
俺はフル骸殻のままのジゼルを両腕で抱き締めた。とにかく力の限り。――ジゼルが最期まで誰かの、いや、俺の温度を覚えていてくれるように。
直後、目を焼かんばかりの白光が炸裂した。
腕の中で、パリン、とガラス細工が壊れるような音がした。
腕から、背中から、触れている感覚が消えた。
視界が晴れた時、ジゼルはどこにもいなかった。
左の手袋を外す。久しぶりに見る、自分の地肌。肌を黒く侵していた痕は、どこにもなかった。
…
……
………
ドヴォールの片隅にある病院、その廊下を行きながら、考える。
結局、お前が目指した「ハッピーエンド」ってのは何だったんだ?
関わった全員が生き残ることなら、もうとっくに、対策室のエージェントは何人も死んでる。
《レコードホルダー》たちに最高の結末を見せるなんて言ったくせに、それを見るためのお前が死んだんじゃどうしようもない。
俺たちだけを生き残らせる? いいや、あいつはそんな殊勝な女じゃない。在るものは一つたりとも零すまいとして、死者まで背負い込んだ奴だ。
それとも俺に分からないだけで、お前にはこの結末が「ハッピーエンド」なのか?
お前が消えてから、俺はずっとやり場のない空しさを持て余しているのに。
目当ての病室に着いた。ドアをノックする。一拍置いてドアが開く。
応対に出たのはヴェルだった。
「ユリウスさん……」
「こっちにいたのか」
「早退届を出してきました」
社長が死んだ日に有能な秘書長が欠勤じゃ、今頃社内は上を下への大騒ぎだろう。でも今は考えない。ヴェルだって、俺たちとは違う形で戦ってきたんだ。《審判》が終わったなら休ませてやってもいいじゃないか。
ヴェルが道を譲ってくれたんで、病室に入る。目当ての人物は一番奥のベッド。
「まだ生きてるか?」
「ご覧の通り。そっちこそ幽霊じゃないだろうな」
「生憎手足もあるし心臓もちゃんと動いてる」
お前、ベッドの上にいても死にそうにないな、リドウ。
――Aチームの二人から聞いた。リドウをどこに逃がして匿ったか。だからこうしてわざわざドヴォールくんだりまで顔を出しにきてやったんだ。今までお前がルドガーにしたこと水に流して来てやったんだから、感謝しろよ。
「対策室の連中から聞いた。ジゼルが最後に出した『命令』」
お前を逃がせ、って言ったんだってな。自分が死ぬ間際だってのに何やってるんだあいつは。
俺の時も、だ。俺の自決を止めにルドガーが来るまで、しっかり監視が付いてたってのをさっき知った。道理で電話のタイミングが良すぎたわけだ。
しかもこの「命令」、分史対策室のエージェントが全員グルになって実行したっていうんだから、あいつの人望は侮れない。
「そんなことより。どうだったんだよ」
「何が」
「察し悪いな。ジゼルがどう死んだかだよ。お前、見てきたんだろ」
ジゼルの死に様――いや、生き様を伝えるなら、言葉選びなんて必要ない。
「変わらなかった。最期まで。俺たちの知るジゼルのまま、任務を全うした」
「……そうだろうと、思いました」
「…………チッ」
世界は救われた。長きに渡る《審判》は終わった。弟も生きて、大切な少女と共に生きていける。
でもここでは、一つの世界が終わった。「いつもの4人」という、とても小さく、されど誰もが笑っていられた、一つの楽園が。
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