クルスニク・オーケストラ
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第十三楽章 聖なる祈り
13-1小節
エレンピオス側のマクスバードには、鮮やかな赤の《橋》が架かったままだった。
「ジゼルの遺体……ないな」
「さすがのビズリーも海に投げ入れるような男じゃない。居残りのエージェントにでも回収させたんだろう」
心がけたよりフラットな声が出せている。自分が淡白な人間だという自覚はあったが、ここまでだったのか。
“嘘です。本当に淡白な方でしたら、わたくしをこうも気に懸けてくださるわけがありません。室長は何だかんだで面倒見のいい方なんです”
ああ……そういえば言われたな、そんなこと。
「急いで渡ろうぜ。いつ消えるか分かんねえんだし」
『消えないよ』「ジゼルさんが支えてくれてるんですから」
“わたくしにも、分史対策エージェントの意地がございますのよ!”
意地、でここまで来る奴もきっとそうそういないぞ。
これが《レコード》と会話するという感覚か。自分じゃ考えてもいないのに、想わぬ所からボロボロと記憶が落ちては、俺の言葉にいちいち問答する。的確にジゼルの声だけをリフレインできる。俺がジゼルのほとんどを知っているからこそできる芸当。
「まずは、兄さんから」
俺?
「これは、ジゼルがお前のために架けた《橋》だ」
「ん。だから兄さんが最初に行くのがいい……と、思う」
まったく。弟にこんな気を回されるようじゃ、兄貴としてとんだ失態じゃないか。
分かっていたとも。あんな告白されて、おまけに道まで用意されたんじゃ、俺が行かないわけにはいかない。
俺が何より裏切れないのは、「ジゼルの中のユリウス」なんだから。
全てのクルスニクに最強のハッピーエンドを。それがジゼルの全てだった。今ならそれが分かる。
見せてやろうじゃないか。《カナンの地》の循環の中にいるお前と全ての《レコードホルダー》の魂に。ジゼルが望んだ本当の終わりを。
クロノス、前にお前は言ったな。この世には壊せないものがあると。
その通りだ。ジゼルの祈りは《俺たち》が継いだ。ジゼル一人死んだからといって終わりだと思うな。
仮に俺が死んでも、まだリドウとヴェルがいる。
内臓にハンデがあるリドウと、そもクルスニクでさえないヴェルだが、あいつらが残ってると思うだけでどんな無茶もできる。
ジゼルもきっとこんな気分だったんだろうな。注意しても聞かないはずだ。
“まあせいぜい、こいつが絶望するまでは付き合ってやるさ”
さんざ不幸属性らしい人生を歩んできたからこその自愛主義。それを、クルスニク一族の体現者ともいえるリドウに、翻させるほどの女だった。
“世界がもっとクルスニクの人たちにも優しければ……よかったのに”
俺たちクルスニクを憂えての本気の涙。それを、骸殻も持たない、社会人に成りたてのただの少女だったヴェルに流させるほどの女だった。
そんな女に恋われた。俺みたいなろくでなしが。それを人生最大の誇りにしよう。
今、行く。お前の最期の力、借りるぞ、ジゼル。
最初の難関はクロノスが用意した、時空が歪んだ迷宮だった。マクスウェルが自分の四大精霊を使えば4人は行けると言ったが、必要なさそうだ。
要するに瘴気を浴びる前に最短時間で迷宮を抜ければいいんだろう?
それなら簡単だった。ほら。迷宮のあちこちに《道案内》が――今日まで時歪の因子化で消えた俺の同僚たちが立っている。
“友達みたいで、でも友達じゃなかった私たちですけど、室長に憧れた気持ちは同じですから”
“だから、死んでも離れない、なんて、冗談みたいなことが叶いました。行ってらっしゃいませ、室長”
“しつちょー! こっちこっち! オレは補佐のおかげで死んでも音楽やってられましたから”
“室長。こちらです。――お戻りになったら、カールとシェリーによろしくお伝えください”
“室長。帰ったら……きっとヴェルさん、泣いてると思うので、よければ慰めてあげて、ほしい、です”
“へえ。あのボンボンがイイ顔するようになったじゃん。ほら、行きなさい。もうすぐだよ”
瘴気迷宮のあちこちに部下だったり元先輩だったりした人々がいたから、方角を見失うことはなかった。
“俺たちの願いを”
“私たちの祈りを”
“どうか”
“あの地まで”
ああ。分かってる。分かっていますよ、《先輩方》。あなたたちだってジゼルごと継いだんだから。
ここに辿り着き、ここで終わりを見る。どれだけの先祖がそれを願って抗ったか、それを見過ごせなかったジゼルの気持ちごと、よく分かる。
改めて誓う。全ての悲しいこと、辛かったこと、今日この日で、2000年分のそれらを終わりにする。
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