Shangri-La...
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第一部 学園都市篇
第3章 禁書目録
27.Jury・Night:『Graaki-Apocalypse』
そしてまた、此処に堕ちてくる。嘲弄しながら羽撃く馬面の魔鳥どもが、戯れに拐った獲物を投げ込む狂気の戸口。
究極の宇宙の深遠にして、創造主にして想像手たる神々の游ぶ神苑。
胡乱なまま、意識が開始する。認識、現在地点……不明。現在時刻……不明。存在理由……鷹尾 蔵人による略取。行動目的────佐天涙子の奪還!
記憶の整合を取り戻し、意識は肉体に回帰するべく行動を開始する。しかし、この“封鎖宇宙”からの脱出方法は知らない。
「────可哀想、可哀想」
そんな、足掻く男の背後より響いた涙声は女の声。麗しきメイドドレスの、両の目を抑えて泣くかのような……愛らしい末女であった。
だが、まともな感性を持つ人間であれば、直ぐに理解できる。この存在の、余りの歪に。
「可哀想。可哀想ね、『特異点』。貴方は失敗した、そして『死体蘇生者』は迷わない。何故なら、あれは『盲目の生け贄』だから」
涙を堪えるかのような仕草で、くすり、くすりと娘が嘲笑う。『可哀想』等とは御題目、真実、あの存在は喜悦以外に感じてはいまい。
ビスクドールめいた美しさで、計算し尽くされた仕草で。まさにそれは、絡繰人形であった。
「可哀想、可哀想。黒髪のあの娘。今頃は死体の饗宴の最中、直ぐにあの娘も仲間入りね」
ただ、嘲笑う。目で見ないからこそ、他者の心情を忖度する事無く。ただ盲目的に、他人の傷を抉るだけ。
だから、人はコレを赦さない。存在を認める訳にはいかない。もし、それを赦せば────自らの弱さを、敗北を認める事となり。
(全くだな、完全にしてやられた。あんなに無様に負けるたァ、流石に参るぜ)
だからこそ、嚆矢は肯定する。ありのままに、あるがままを。何故ならば、彼は『機械』である。対峙する女と同じく、正反対に笑い掛けるように嘆く。
(だが、まだ生きてる。甘いとしか言いようがねェな。キチンと止めを刺さねェと、足元掬われるって事を教えてやらねェと)
「…………」
意気を新たにしながら、そんな事を宣う。『人間じみた機械』と『機械となった人間』、それが『正体非在の怪物』と呼ばれた『掃除機』である。
「……詰まらない。貴方、詰まらないわ。からかい甲斐が無いんだもの、あの御方は貴方の何が良いんだか」
(そいつは手厳しい。ところで、名前くらい聞くのはありかな?)
嘲りを消して今度こそ嘆いた女に次いで、嘆きを消した男の嘲りに。『詰まらない』、と。間違いなく、本心から────娘は、嗚咽するように肩を揺らして振り返り……歩き出す。
刹那、『時間』が進み出す。無限の現在が終わる。時間の回廊が崩壊する。
「さぁ───機械のように冷静に、チク・タク。チク・タク。機械のように冷厳に、チク・タク。チク・タク。機械のように冷酷に、チク・タク。チク・タク────」
(ッ────?!)
動き、軋み、崩壊する封鎖宇宙。最早、立っているかどうかも分からないのに、転んだ気がする程に。
「……マーテル三姉妹が末妹“テネブラルム”よ、白痴と暗愚の生け贄さん────にゃる・しゅたん、にゃる・がしゃんな! にゃる・しゅめっしゅ、にゃる・しゅめっしゅ!」
『テネブラルム』と名乗った女が、時間の波間に消える瞬間に口にした祝詞。或いは呪詛。それに、魂が震える。余りの神々しさに、余りの禍々しさに。若しくは、己だけではなく────どこか、違う次元から覗いていた『魔王』すらもが。
《《────“時間人間”め》》
同時に、畏怖と共に誰かの名前を────……
………………
…………
……
今度こそ、意識が現実に覚醒する。まず、最初に感じたのは饐えた空気。次いで、湿ったコンクリートと────コンクリートにこびり着いた、赤黒い染み。鉄臭い臭気の、酷く……芳しい香りが。
胸の傷に痛みはない、引き攣れたような感覚を残すのみ。すんでのところで命じた、ショゴスの毒素排出と傷跡の補填が間に合ったようだ。
「おや……目が覚めたかね、対馬嚆矢君?」
声が、頭上から。眇に見遣れば、映る雪駄。甚平、扇子──笑みの張り付いたスキンヘッドの男。
「……鷹尾、蔵人」
「おう、覚えていてくれたかい? 嬉しい事だ、血気に溢れた若武者の記憶に残るとはな? ハッハッハ……!」
ぱしん、と小気味良い音を立てて。己のスキンヘッドを叩きながら、蔵人は見下すようにほくそ笑む。
それを無感動に眺めながら。状況把握、現在地点……敵地。現在時刻……午後六時予想。存在理由……鷹尾 蔵人による略取。及び、駆動鎧ののしかかりによる拘束。
身体状態……痺れはあるも、行動制限となる程にあらず。だが、駆動鎧は動かせない。
しかして、行動目的に変更無し────佐天涙子の奪還!
「さてさて、疑問に思っているだろう? 何故、私が生きているのか───」
「どうでもいい。涙子ちゃんは何処だ」
「ふぅむ、第一声がそれかい? いやはや、矢張面白いなぁ、貴様は」
クツクツと、喉奥で蛙のように笑いながら。顎でしゃくってみせた、その先に────居た。五・六十もの衆人環視、否、衆死人環視の中、手術台に……否、解剖台に乗せられた涙子が。
失神か薬物か、はたまた魔術かは分からないが、気を失している様子で。
そんな彼女のすぐ近くに、長身の姿がある。黒く変色した返り血に染まった白衣に袖を通し……
「さて……観客も揃った。では、今宵の宴を開くとしような、親愛なる信徒諸君?」
以前の爽やかさの欠片もない、狂気に満ちた嘲笑を浮かべた────西之 湊医師の姿がある。不浄その物が凝り固まったような、黒い棘……グラーキの棘であるメスを手にした医者が。亡者共の阿鼻叫喚の中、神を崇める司祭のように鷹揚に振る舞う。
「記念すべき、十二体目────我が教団の審判の使徒が揃うのだ! 崇めよ、奉れ! グラーキを!」
その、空いた左手が虚空より一冊の書物を掴み取る。バサバサと、閉ざされた空間である筈の此処で、何処からか吹き込んできた風に乗る紙片が集う。『ⅩⅠ』と銘打たれた表紙の……“グラーキ黙示録”へと。
周囲の亡者、その中でも異様な雰囲気の九体も其々に書を手にする。右から『Ⅲ』、『Ⅳ』と……『Ⅹ』まで。生きたままの男女、下卑た雰囲気の背徳と悪徳の……言わば邪教の宣教師か。
そして、気付く。否、恐らくは、わざと意識していなかったのだ。あんなものに気付いては、正気が保てないと本能の方が先に気付いて。
「見よ、対馬君。神々しいとは思わんかね? あれが、我らの神だ。死を踏み越える奇跡をもたらすモノだ。末期癌だった私、死に逝くだけの私に、永らえる術を与えてくれた……神だ!」
「ッ────、ッ────?!!」
そんな『モノ』を恍惚と見詰めて、『Ⅱ』の黙示録を携えた槍使いは嘆息する。まるで、日曜礼拝の讃美歌に耳を傾けるように。亡者共の唸り、呻き、悲鳴を聞きながら。
まさに衝撃そのものだ、涙が知らず流れた。感動と言えば感動だろう、恐怖や絶望、自殺衝動であれども感情が動かされたのであれば。
「武錬など、何の意味もなかった。私は私の身体に殺されようとしていた。信じて鍛えた自分自身に負けようとしていた、私を救ってくださったのだ!」
「あ────、あ……!」
見た事を後悔する。一生、夢に見るだろう。死の安寧に微睡むその日まで、ずっと。
蛞蝓。見た目は、正に。しかし、林立する黒い棘がまるで、雲丹のような。額に当たる部分らしき場所から三本の蝸牛じみた目を伸ばし、八目鰻のような円形の口吻を備えた……数フィートもの怪物が。
その眼差しと、心底からの悪意と見詰め合ったが故に。落涙に吐き気と……失禁だけは辛うじて堪えて、その全てを。
無理だ、膝を折るしかない。自らの強さなど、あんなものの前には無意味だ。無理だ、屈するしかない。自らの存在理由など、あんなものの前には消散する以外に無い。
「あれこそが、我らが神────“屍毒神”だ!」
同じく、滂沱の涙を流しながら。蔵人は叫ぶ。その名を、誇るように。本人すら、本心からそうだとは思ってはいまい。しかし、そうでなくてはいけないのだ。
「ッ──あ、れが……」
目を逸らす事無く、それを睨み付ける。あれか、あれがそうか。
あれが、敵か。
意志を、新たに。戦意を立て直す。そうだ、倒さないと。対馬嚆矢は、佐天涙子を救うのが存在理由なのだから。
──ならば、戦える。立ち向かえる。それが、例え人の認識を越える存在『旧支配者』でも。俺は、『女の子に酷い事はしない』し、『させない』のが、第一目的。
だが、膝は立たない。何故なら、重量一トン近い駆動鎧に押さえ付けられているから。それが、それだけが、悔しい。
「無駄だよ、対馬君。駆動鎧は現代における最強兵器。如何に君が能力者でも……無理なものは、無理だ」
『無理だ』と、蔵人が笑う。黙示録から、黒い十文字槍を抜き出しながら。
刹那、背後に揺らめく混沌がある。囁くように、嘲笑うように。
《呵呵……さて、そろそろ儂の出番かのう?》
(巫山戯ろ、クソッタレが……テメェ、今まで何してやがった!)
背後に現れた“悪心影”に、悪態を吐く。今まで何をしていたのか、と吐き捨てて。
手元に召喚した『圧し斬り長谷部』、その重みに、心地好さすら感じて。
《呵、儂を頼るでないわ。己すらも頼りとせぬなど、こちらからも頼りに出来ぬと言うものよ》
悪態に、悪態が返る。当たり前だ、嚆矢と市媛の関係などはそんなもの。長谷部を押さえ付けられたままに引き抜き、その嫌味を聞きながら。
『均衡崩壊』なる能力の影を、背後に抱えて。
『ギッ……アギャアァァァァ?!』
瞬間、押さえ付けていた駆動鎧が────炎上する。同時に凍てつく。温度の均衡の崩壊により。暴れ、拘束を解いた。嚆矢を逃がした。そんな、駆動鎧に。
『く、ハッ────あ、た、隊長……?』
「哀れ……せめて、我らが神の身許に」
貫徹した十文字槍が引き抜かれて、蔵人は刺殺した駆動鎧から一歩離れて。対峙したまま、次の局面を迎えた。
グラーキの棘に沁みる屍毒に、死体が甦る。その駆動鎧に、銀の筒を携えたミ=ゴが潜り込む。嘗てのように、また能力持ちの駆動鎧に。
「────させるかよ」
「フハッ、種の割れた手品などは通用せぬか。しかし、お若いの。まさか裏も表もとは恐れ入るのぉ、新陰流!」
なるよりも、早く。正座の状態から跳び上がった嚆矢の長谷部により、駆動鎧はミ=ゴごと抜き打ちに両断された。蔵人はしかし、残念がる様子もなく。寧ろ、にたりと笑う。
そして────
「ハッハッハ、聞かれなかったので自ら言おうか。何故、私が生きていたのか……それがこれだ」
槍使いは、祈りを捧ぐ。それはまるで、聖者のように。“グラーキ黙示録”を、掲げて。
「飢える、飢える、飢える─────迷宮蜘蛛!」
足下から、カサカサと。影から涌き出るような、青白い……球形の蜘蛛のような形の異形。掌くらいのサイズで、群を成して。
《成る程のう、迷宮蜘蛛を取り込んで……贄に雛を植えて、同一の存在としたか。中々に出来るのう、グラーキの信徒め》
「ハッハッハ、先に言われてしまったなぁ……簡単に言ってくれたが、大変だったのだぞ? まあ……」
“悪心影”の得心の呟き。それに、答えた蔵人が笑う。嘲笑を浮かべる。
「お陰で、思いがけないおまけも手に入ったがな?」
そして、槍を頭上で回す蔵人。その動きに呼応するように、アイホートの雛の群が渦を巻く。
「────迷宮に出口は無し、迷宮に道標の糸は無し」
槍使いは渦の中で、厳かに聖句を唱える。雛達は応えて蔵人を包み、形を変え─────
「アイホートの迷宮に、死の他無し!」
「……マジかよ」
その身を、鈍い輝きを放つ青白い甲冑に身を包む────禍々しき奇形の蜘蛛を思わせる、中世ヨーロッパの槍騎士と換えた。
《マジも大マジ、糞真面目よ。クトゥルフ神話とは、本人の解釈次第なのだからな。さて、此方の準備は万端だ……そちらも良いかな?》
身の丈二メートル半は有りそうな巨体。その圧倒的な存在感、禍々しさ。同じサイズの筈の駆動鎧が、縮んで見える程に。もしも先にグラーキを見て、心を凍らせていなければ……今頃、この怪物により狂っていたかもしれない。
だが、だからなんだ。対馬嚆矢の行動目的は、ただ一つ。それは既に、再認識した。
「悪ィけど、眼中ねェよ」
解剖台の上に寝かされた、今にも邪神の饗宴に焚べられんとしている娘を見遣って。
《ク、クク……アイホートの苗床の末路は、成長した雛に肉体を食い破られての死。愉しみだ、ああ、愉しみだ!》
「…………」
虚空より感じる、もう一体の『魔王』の気配。蔑み、彼女と嚆矢の死を待ち望む悪辣な虎口を。
「征くぞ、ショゴス……“悪心影”────!」
『てけり・り! てけり・り!』
《呵呵────心得たり!》
被服にショゴスを融かし、漆黒の帷子を纏うように。鈍く煌めく長谷部を構え直す。
武者正調の上段、“合撃”の構えに。
《ハッハ────では、改めて。宝蔵院流免許、鷹尾 蔵人!》
悍ましき槍騎士が構える。右足を前に出した宝蔵院流の基本、“四股”の構えに。伴われた名乗り、それに。
「……柳生新“影”流兵法、対馬 嚆矢」
《ほゥ、そこにアクセントを置くと言う事は……成る程、西国柳生……福岡派かい? 成る程、それ故に“圧し斬り長谷部”か。忠義な事よ!》
応えたのは、事実。五年間、義父から血反吐を吐かされながら鍛えられた剣派を。
得心したらしく、槍騎士は十文字の溝穴から紫の八つの複眼が覗く兜に包まれた表情を、恐らくは歓喜に歪ませたのだろう。
互いに、武芸者。得物を突き合わせたのならば、先に勝利した方が真の『武』に他ならない。
「《────参る!」》
その誇りに掛けて、二人の武芸者は……全く同時に血斗の幕を斬って捨てた────!
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