イリス ~罪火に朽ちる花と虹~
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Interview10 イリス――共食いの名
「そんなにも我らが憎かったか」
『また招かざる客か……』
その老人は空飛ぶ椅子に座り、気だるげにルドガーたちを見下ろした。その姿は、戦に疲れ切った退役軍人を思わせた。
「あれがマクスウェル……精霊の主なのか」
ルドガーはレイアに囁いた。
「うん。1年前、断界殻を消すために消滅したんだけど。この分史世界は過去の世界みたいね」
レイアも囁きで返した。
――マクスウェル。原初の三霊の一角にして、「オリジンの審判」の難易度を断界殻によって跳ね上げた張本人。クルスニクの骸殻能力者として、思う所がないと言えば嘘になる。
だが、ルドガー以上に「思う所」がある者が、このメンバーの中にいたのだと、次の瞬間にルドガーは思い知る。
「久しいわね、マクスウェル」
一声かけるや、イリスは変異骸殻に変身し、足のアームで地面を弾いて銃弾のようにマクスウェルに迫った。
イリスは水晶のブレードを、ソニックウェーブが生じる威力で振り下ろした。余波がこちらまで飛んできて、ルドガーたちは腕で身を庇って踏み止まる。
刃は、マクスウェルの掌に生じた、視えない壁に阻まれた。
「イリスはお前を許さない! マクスウェル! 尊師と愛し合いながら裏切った老害!」
訝しんでいたマクスウェルだったが、イリスの名を聞いたとたんに顔色を変えた。
『そなた、イリス!? あの女の養い子のイリス・クルスニクか!』
「今さら気づいても――遅い!!」
不可視の防壁を自ら弾き、イリスは猫のように着地した。ぎり、と。聞こえるはずがないのに、イリスが奥歯を砕くほどに噛みしめた音が聴こえた。
『そなたであろうと我が使命の妨げになる者は許さん。いかにして我が天地に入り込んだか知らぬが、ここまでだ。疾く帰れ、アイリスの子よ』
マクスウェルから殺気が立ち上った。
ルドガーは急いで双剣を抜いて、マクスウェルとイリスの間に入った。
「ルドガー、下がって。貴方が戦えば時歪の因子化が急速に進む」
「下がらない。言っただろ。イリスが俺たちを守るなら、俺がイリスを守るって」
「ルドガー……」
「心配なら骸殻はなるべく――使わない!」
ルドガーは地面を蹴り、イリスが先ほどしたのと同じ要領で上からマクスウェルに斬りつけた。当然防がれる。だが、ルドガーはイリスと異なり、双剣使い。もう一本の剣でマクスウェルを下から薙ぎ払った。
しかし斬れたのは空飛ぶ椅子だけで、マクスウェル自身はさらに高く浮かび上がっていた。
(や、ば――)
しかし、ルドガーが追撃を受けることはなかった。尖端のあるケーブルやコードが無尽に湧いてマクスウェルを拘束したからだ。
着地してふり返れば、精霊態に変じたイリスが全身から触手を発射していた。
レイアたちが慄いて身を引いている。しくじった。ルドガー以外はイリスの精霊態を見るのが初めてなのだ。
クルスニクのルドガーはともかく、一般人の感性でアレを気持ち悪いと思わない人間はいない。
『その姿……まさか巷に言う「精霊殺し」とはそなたのことか』
「そうよ。コレがイリスが理想とする『精霊』の姿。素晴らしく醜いでしょう?」
ペルソナの顔に笑みが刻まれた。
ルドガーは1年前を思い出す。あの精霊軍団はどれもが整った容姿をしていた。イリスはあえてその逆の姿を選んだのかと、今さらながらに納得した。
『それほどの力、いかにして得た』
「お前が尊師に渡した元素水晶を覚えていて? この世のありとあらゆる元素と、命一つ分なら造り出せるほどの莫大なマナを込めた、水晶の卵。尊師はお使いならなかった。だからイリスが使ったわ。結果はこの体。お前ならイリスが『何』かは分かるでしょう?」
『あれを……まさかそなたが孵すとは。しかも新しい精霊を造り出すとは……そんなにも我らが憎かったか、イリス』
「憎まれてないと思ってたのなら、相当おめでたい頭ね」
『……ミラが知ればさぞ悲しもう。我が子同然に可愛がっていたそなたが、精霊とトモグイしたなど』
「気安くミラさまの名を呼ぶな! 裏切ったのはお前でしょう! 捨てたのはお前でしょう! ミラさまがどんな想いで死の床に就いていたか分かるか!?」
「ミラ!?」『さま!?』
エリーゼとティポが驚きの声を上げる間にも、イリスとマクスウェルの舌戦はヒートアップする。
『儂はあの娘を方舟に連れて来ようとした。儂の手を払ったのは他ならぬミラ自身だ!』
「ミラさまがお前の選民思想を許すわけないでしょう! 恋人のくせにミラさまの気質も分からなかったの? 賢者が聞いて呆れるわ!」
『黙れ!! 強欲な徒花よ。お前も覚えているはずだ。儂とミラを襲った者どもを。彼奴らの欲望にぎらついた眼を! 利己の刃と銃弾を! ミラはあのような者どもの手を取ったのだ!』
また思い出すのは、ヴェリウスとシャドウに見せられた、あの少女の夢。
――始祖ミラとマクスウェルを狙って現れた一派を、アイリスの子は一人圧倒的な強さでもって全員を殺した。全身に血しぶきを浴びながら。
――始祖はそれらを見てなお、マクスウェルの誘いを断り、エレンピオスに残ると宣言した。血しぶきに塗れた養い子を抱き寄せ、手を伸ばすマクスウェルにただ首を寂しげに振って。
「だからあんたは尊師が自分を裏切ったと思ったんだな」
『そうだ。私は悟ったのだ。人は自らの益を前に、己を保つことなどできぬと――』
「あんたはどうだったんだ?」
ルドガーの問いかけに、マクスウェルは眉をひそめる。
「マクスウェル。あんたの気持ちは。尊師への気持ちはどうだったんだ。裏切られたってショックを受けて、その後は? 尊師を愛する気持ちは、これっぽっちもなくなったのか? 尊師の歌声は、あんたの心に少しも響かなかったのか?」
ヴェリウスとシャドウが見せたミラ・クルスニクを思い出す。マクスウェルを呼んでいた。
『ごめんなさい、ごめんなさい、許して、お願い』
『私を許さなくていい、私を憎んでもいい。せめて仲間たちは許してあげて』
『「道標」を取りに行かせてあげて。彼らに罪はないの』
『お願い、おねがい、応えてください、我が背の君』
『ミラの、歌だと?』
マクスウェルは人への失望は呈したままに、ますます眉をひそめた。
「無駄だ、ルドガー」
「アルヴィン?」
「断界殻ってのは次元を隔てる破格の閉鎖術式だ。歌声どころか電波や光だって、当時のリーゼ・マクシアにゃ届かなかっただろうよ。俺らの親の代で、辛うじて無線が通じたぐらいだ」
反論できず拳を固めた。
マクスウェルはミラ・クルスニクの召喚に応じなかった。彼女は悲しみを抱いたまま歯車に成り果てた。
そして今も時空の海のどこかを、終わらぬ天地を夢見ながら漂っている。
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