イリス ~罪火に朽ちる花と虹~
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Interview10 イリス――共食いの名
「どうか、お気をつけて」
ついにルドガーに、分史世界破壊の初任務の招集がかけられた。
ルドガーは約束通りエリーゼを通してエルに連絡し、レイアがジュードとアルヴィンに初任務の話を伝えたことで、あの日の全員がこの任務に集まる運びとなった。
「ルドガー、カッコイイ!」
「ナァ~っ」
ルドガーはつい照れる。エルからの忌憚ない賛辞は稀なのだ。
今日のルドガーは分史対策室で支給された戦闘エージェントの制服を着ている。ヴェルからは私服でいいと言われたが、初仕事くらいは職場の制服を着ておきたい。
「おかしくないか? 急いで着替えたからチェックしてなくて」
「ネクタイ緩めてるのはわざと?」
「いや、癖で。堅苦しいの苦手なんだよ」
「だめでしょー、ちゃんとしなきゃ。エージェントってクラン社の顔っていわれるくらいだし」
レイアがルドガーのすぐ正面まで来て、ネクタイを直し始める。
「あ、悪い」
「いいっていいって。聞いたよ? エレンピオスって給料査定に『服装』って項目があるくらい、服装に厳しいって。初仕事だから、窮屈だろうけど我慢して? ――よし、できたっ」
「ん。ありがとな、レイア」
「――微笑ましい光景ですねえ」
しわがれた声に驚いてふり返る。
後ろにいたのは燕尾服にビシッと身を包み、ヒゲをきっちり揃えた好々爺だった。
「ローエンっ。ひっさしぶりー」
「ご無沙汰しております、レイアさん。お会いしない間にずいぶんと大人の顔になりましたね」
「ほんとっ!?」
きゃー、とレイアは両手を頬に当てて満面の笑み。――可愛いぞ、ちくしょう。
「あ、ルドガー、エル、紹介するね。この人はローエン。リーゼ・マクシアの宰相なんだよっ」
「宰…!」
つまり隣国のトップ2。エレンピオスで考えると副首相。
「驚いたかっ」
「驚いた……レイアの人脈がべらぼうに広いのは知ってたけど、ここまでとは」
かくしゃくと笑う老人は、ルドガーに白い手袋をした手を差し出した。
「改めまして、ローエン・J・イルベルトです。よろしくお願いします、ルドガーさん」
「よ、よろしく。ローエン、宰相」
「ローエンで構いませんよ」
仮にも一国のナンバー2を呼び捨て。ルドガーにはハードルが高いが、ここで足並みは乱せない。
「じゃあ、ローエン。よろしく」
「はい。ルドガーさん」
GHSが鳴った。ルドガーにとっては天の助け。急いで通話に出た。
『分史対策室です。これより向かっていただく分史世界の概要を説明します』
ヴェルの声だった。社長秘書以外に、分史対策室までまとめているのかと、ルドガーは軽く驚いた。
『存在自体は確認されていたのですが、座標位置が確定できなかった分史世界なのです』
「……新米に初っ端からリスキーな仕事回してくれるじゃないか」
『ルドガー様は分史対策エージェントの中で唯一100%骸殻をお持ちです。ルドガー様が進入されるのが一番リスクが低いと、分史対策室は判断しました。送信した座標は不安定ですので、どこに出るかは分かりません。――どうか、お気をつけて』
「ありがとう。辛いこと言わせて悪かった」
『これが仕事ですので。失礼します』
通話が終わる。ルドガーはそのままGHSの画面を操作し、送信された座標を表示した。
(深度212。ノーマルエージェントが請け負う分史の深度は100前後だっけ。この分史は、本当ならユリウスとかリドウとかのトップエージェントが行くべきなんだろうな。フル骸殻じゃなきゃ俺には回されなかったかもしれない。ほんっと、新人に対しても容赦ねーな、クランスピア)
「それじゃあ行くぞ。みんな、準備はいいか?」
誰も否は唱えない――かと思いきや。
「あ、待って」
レイアがストップをかけた。
「イリス。いる?」
レイアが見上げた中空に、紫紺の立体球形陣が結ばれた。中に顕現するのは当然、レイアと直接契約したイリスだ。イリスは銀髪を揺らめかせて着地した。
「いてよ。分史世界へ入るのね。ルドガー、誘導は必要?」
「自分でやるよ。このくらいは一人でできるようになりたい」
「そう。えらい子ね」
エルがよく「コドモ扱いしないで」と言う気持ちが痛いほど分かったルドガーだった。
GHSのディスプレイに映る「YES/NO」の内、「YES」にボタンを合わせて打った。
とたん、蟻地獄に吸い込まれていくように、周囲の景色が歪み、一点に集約して、ブラックアウトした。
視界が晴れて立っていた場所は、ルドガーからすればおとぎ話の中にいるかのような光景だった。
連なって螺旋を描きながら上へ向かう無数の岩。上下四方の暗闇に煌く星々。
「ここって……世精ノ途?」
「うるすかーらって?」
事情を知らないエルは無邪気に尋ねる。
「人間界、ていうか、リーゼ・マクシアと精霊界を繋ぐ道のこと。断界殻の解放で消滅したはずなんだけど」
「これがあるってことは、断界殻は健在ってことでしょうか?」
「やっぱりこのまま進むとマクスウェルのじーさんに会っちまうのかね」
ざわり。横にいたイリスから殺気が立ち昇った。
「マクスウェル――」
「イリス?」
「この先にあの老人がいるのね。――いけないわね。気が昂ぶってしまう」
爪が食い込むのではないかと心配になるほど、イリスは強く拳を握っている。
ルドガーはとっさに、イリスの拳に手を添えた。
「ルドガー?」
「あんま気負うなよ。何かあったら俺が何とかするから」
「……不思議ね。貴方が言うと、本当に何とでもなりそうな気がする。あの方の時みたい。ありがとう」
イリスは拳をほどいて、ルドガーの手を握り返した。
ゴム越しにでも、その感触はやわらかかった。
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