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ソードアート・オンライン 穹色の風

作者:Cor Leonis
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アインクラッド 後編
  それが、本当のわたしだから

「お待たせ! ごめんね? 待たせちゃって」

 ウォルニオンさんとタカミさんの二人と別れたその足でシリカちゃんの部屋のドアを開けると、雑談に興じていたらしい二人の視線が同時にこちらを向いた。わたしの顔を見たシリカちゃんが、きょとんと不思議そうな顔をする。

「エミさん、何かいいことでもあったんですか?」
「え?」
「だって、すごくすっきりした顔をしてたから」

 そう言われて、わたしは自分の顔を両手でペタペタと触ってみる。特に何かが違うとは感じなかったけれど、心当たりはあったから、

「……うん。ちょっとね」

 と答えて小さく笑った。

「さあ、ピナを生き返らせてあげよっか!」
「はいっ!」

 元気よくシリカちゃんが頷く。彼女はアイテムストレージからピナの尾羽を取り出すと、それまでの快活な動作からは打って変わって、慎重に水色の羽根をコーヒーテーブルの上に寝かせた。続いて、《プネウマの花》を取り出す。西日が部屋の中まで茜色に染め上げる中、空からの光をぎゅっと集めて結晶にしたような純白の花が、真珠色の光を放ちながら、シリカちゃんの両手に音もなく乗った。
 わたしとマサキ君も、コーヒーテーブルに近付く。思わず足音を消してしまうくらい、神秘的な光景だった。

「花の中に溜まってる雫を、羽根に振り掛けてあげて。そうしたら、ピナは生き返るから」
「解りました……」

 緊張した面持ちのシリカちゃんと目が合う。その小さな手がゆっくりと空間を滑り、やがて水色の羽根のちょうど上へ差し掛かる。

「行きます……!」

 そして、全員が息を呑んで見守る中、シリカちゃんはそっと花を傾けた。花びらの中央に溜まっていた僅かな水分が、つうっと一筋の軌跡を残して花びらの表面を流れ、そして落下した。雫は数センチほどの空間を一気に駆け下り、その真下で待ち構えていたピナの心に滴った。

 その瞬間――

「わぁ……!」

 尾羽の先に染みこんだ花の雫が瞬く間に羽根全体へ浸透したかと思うと、次の瞬間、それは小さな光の球を形作った。球はまばゆく発光を続けながら数センチほど浮かび上がり、ゆっくり、ゆっくり大きさを増していく。やがて人の拳ほどの大きさになったそれは、トク、トク、と小さく脈動を始め、それをエネルギーとして更に大きく膨らみ始める。それはまるで、まさにこの場所この瞬間に、新しい命が誕生してゆく瞬間を目の当たりにしているようだった。

 光の球は人の頭ほどの大きさで成長を止める。すると今度は、それまでただの球でしかなかった表面が、複雑な凹凸を描き始めた。
 両脇に小さな角を生やした三角形の頭。
 広げると全長以上になるであろう、大きな二枚の翼。
 そして、尻尾の先にピンと生えた、一枚の尾羽。

 それは小さい、けれど立派な、竜の形だった。
 光は全身に生えた羽の一枚一枚までを丁寧に描き終えると、自分の役割は終わったと言わんばかりに一瞬だけ閃光を放ち、その欠片を周囲に飛散させた。

「きゃっ!?」

 強烈なフラッシュに思わず目を閉じてしまったわたしたちが、再び瞼を持ち上げる。すると――

「きゅるっ!」

 ――――!!
 わたしたちは一様に目を見開いた。
 白い光の破片が羽毛のように部屋を満たした中心で、全身を水色の羽で包んだ一頭の竜が、力強く羽ばたいていた。細長い尻尾の先で、身体が上下するのにあわせ、主人との再会を喜ぶように心が揺れている。

「ピナ……なんだよね……?」
「きゅるっ!」

 呼びかけられた小さな竜は、シリカちゃんをじっと見つめると、嬉しそうに目を細めてその胸に飛び込んで行った。途端に、シリカちゃんの表情にぱぁっと光が差し込んだ。

「わぁ……ピナ、本当にピナだ……! ピナ、ごめんね、ピナ……!」

 シリカちゃんから溢れた感情の渦が、何度も何度も部屋中を震わせた。涙でぐしゃぐしゃになった顔をピナの胸に擦りつけ、ピナもまた、そんな主を慰めるように小さな顔でシリカちゃんの髪を()く。
 その姿は、ただのテイムモンスターだとは到底思えないものだった。主との別れを悲しみ、再会を喜ぶ、本物の心を持った、深い深い絆で結ばれた本物の友人としか。

 ――良かった。本当に、良かった。
 心からそう思う。そう思っているはずなのに……何故かわたしの心の一部が、未だに鋭い痛みを訴え続けていた。眼前の光に照らされて、わたしの心に一筋の影が差す。
 ……わたしには、あんな友人はいないから。わたしは、独りだから。
 そっと両手を胸の前で抱きしめて、抱き合っているシリカちゃんとピナを見つめた。せめて、この光景を思い出して、そこから漏れた温かさに当たれるように。
 そんな時だった。

「きゅるるっ!」
「え……?」

 目の前に、今の今までシリカちゃんと抱き合っていたはずのピナが、二枚の翼をゆったりと羽ばたかせて浮かんでいた。わたしが思わず両手を少し広げると、ピナはその上に着地して、長い首を伸ばしわたしの頬をちろちろと舐めてくる。

「わ、きゃ……」
「ピナも、エミさんにお礼がしたいみたいですよ」

 こそばゆくなってわたしが首をすくめると、シリカちゃんがそう補足した。

 ――そう、なの……?
 ――きゅるっ! きゅるるっ!

 すぐ近くにあったピナの両目を見つめて、視線で訊ねる。その答えは、当然ながら要領を得ないものだったけれど……二つの真っ赤な瞳が、頷くように小さく縦に揺れた。直後、ピナはわたしの腕から飛び立って、そのふわふわの身体をわたしの肩から首にかけて巻きつけた。

「きゃっ! ちょっ、ピナ、くすぐったいよ……!」

 わたしも、また、こうやって混ざりたい。もっと、近くにいたい。友達になりたい。
 今まで見て見ぬ振りをして、いつの間にか冷たくなっていた心の一部分が、今、再び流れ込んだ血液をエネルギーに、強く拍動を始めた。ずっと抑圧されていた思いが弾け飛んで、今にも口から飛び出しそうな勢いで全身を駆け巡った。しかしそれに待ったを掛けるように、どこからか生まれたネガティブな考えが、わたしの喉で堤防を作り感情の波を押し(とど)めた。
 どうせ断られる。そうなれば、わたしはまた、自分が孤独なんだって現実に直面させられる。
 胸の奥底を締め付け、指と足の先を硬直させて、感情(おもい)言葉(かたち)になるのを拒んだ。口を飛び出す直前で意思を抜かれた言葉たちが、意味を持たない空気の塊として吐き出され、徐々にその勢いさえも弱まっていく。
 口が閉じる。顔が俯く。オレンジ色の光が、涙で世界一杯に滲む。その瞬間、頭を一つの言葉が過ぎった。

 ――『自分の本心をちゃんと相手に伝えることが、何よりも大切なんだ』。ハープのように軽やかな響きのそれは、わたしのがんじがらめに縛り付けていた葛藤の間にするりと溶け込み、いとも容易くそれを解いた。
 顔を上げると、目に溜まっていた涙が二滴、同時に頬を伝った。幾分クリアになった視界の中央で、シリカちゃんとピナが立っていた。

「そう、だよね……。言わなきゃ、誰も分かんないもんね……」

 小さく自分に呟いて、涙をふき取る。まだ少し震える右足を、勇気を持って一歩踏み出して、わたしは言った。

「ねぇ、シリカちゃん。……わたし、またシリカちゃんとピナに、会いにきてもいいかな? わたしと……友達になって、くれる……?」

 すると、シリカちゃんは驚いたように目を丸くする。
 そして。

「はいっ!」

 次に彼女は、今までと同じように、元気な、満面の笑みを見せてくれたのだった。
 シリカちゃんが右手を振ってウインドウを呼び出す。直後、わたしの眼前に、一つのメッセージが表示される。
『《Silica》からフレンド申請を受けました。申請を受諾しますか?』
 ドクン、と、胸が脈打った。見慣れた無機質な紫色のフォントを何度も何度も読み返しながら、わたしは震える指で、文字の下の《YES》を押した。瞬時にウインドウが消え、すぐに別のウインドウが現れる。『《Silica》をフレンドリストに登録しました』――。

 その文を見た途端、わたしは弾かれたように自分のフレンドリストを確認した。わたしのフレンドリストの一番上で、その名前が燦然(さんぜん)と輝いていた。
 ――《Silica》。それが、わたしがこの世界で手にした、初めての、本当の友達の名前だった。

 思わず、息を呑む。すっかりウインドウに見入っていたわたしの前に、いきなりピナが降って来た。

「きゃっ! ぴ、ピナ?」
「あはは、ピナも、友達になりたいって言ってるんですよ」

 声を上げて仰け反るわたしに、シリカちゃんが笑いながら言う。その言葉に頷くように、ピナが何度か頭を振る。

「そうなんだ……。じゃあ、ピナも、わたしと友達になってくれる?」
「きゅるるっ!!」

 聞く声は、まだちょっぴり怯えた風だったけれど、ピナは勢いよく一度鳴くと、小さな身体からは想像もつかないスピードでわたしの胸に飛び込んできた。

「……えへへ。ありがとう。ありがとう、ピナ……! シリカちゃんも、ありがとう」

 くるくると回りながらピナを抱きしめ、三回転したところで止まって二人にお礼を伝える。それだけで、また心の中にじんとした温もりが打ち寄せた。と、わたしはこの場にもう一人いたことを思い出して、彼にもお礼を言うために部屋の角へ向き直る。

「マサキ君も、ありが……あれ?」

 しかし。わたしは言葉に詰まった。つい先ほどまでそこにあったはずの姿が、いつの間にか忽然と消え失せていたのだ。

「あれ、えっと……マサキ君は?」
「え? だって、今までそこに……あれ?」

 二人して部屋を見回すものの、マサキ君は影も形も見えなかった。どうしたんだろうとわたしたちが首をかしげていると、まるで計ったかのように突然現れたアイコンが、メッセージの受信を告げた。
 受け取ったのは、案の定、マサキ君からのインスタントメールだった。『先に帰る。後は好きにするといい』。その文面からは、『もう二人で行動するのはおしまいだ』ということが簡単に察せた。

「マサキさんからですか? 何て書いてあったんです?」

 ――嫌だ。
 何故かは分からないけれど、わたしははっきりそう感じた。まだ、彼と別れたくはないと。それは、わたしが久しぶりに発したわがままでもあった。

「……エミさん?」
「……わたし、行って来る」
「え? あ、ちょっ!」
「ごめんなさい! 後でまたメールするから!」

 気がつくと、わたしは宿を飛び出していた。街の南にある転移門までの道のりを一息に駆け抜け、溢れかえった人波を掻き分けてマサキ君を探した。しかし、五分が経っても、十分が経っても、あの空色のシャツが視界に映ることはなかった。

「もう、転移しちゃったのかな……」

 大きな落胆に包まれ、わたしは門柱の傍に背中から倒れるようにして座り込んだ。オレンジに藍色が混ざり始めた空を眺め、いつまでマサキ君と出会えないのかを考える。多分、この層のボス戦には彼も顔を出すはずだから……。

「一週間くらい、かな……」

 ――一週間。マサキ君と過ごした濃密な二日間の、実に三倍以上もの長大な時間が、わたしの前に立ち塞がった。運が良ければ最前線辺りで出会えるかも知れないが、マップの広さを考えれば、それは大海原で一粒の真珠を見つけ出すことに等しい。

「……仕方ないよね。ずっと会えない、ってわけじゃないんだし……」

 自分にそう言い聞かせ、帰ろうと立ち上がる。そのまま俯き加減で歩き始めると、

「おっト」

 逆方向に歩いていた人とぶつかってしまった。わたしは慌てて頭を下げる。

「すみません。ちょっと、よそ見してて……」
「いやいヤ、オイラも考え事をしてたかラ。……ン? アンタ、ひょっとして《モノクロームの天使》じゃないカ?」
「へ? え、あ、まあ、そうですけど……」

 頭の上から降って来たのは、語尾が特徴的な甲高い声だった。どこかで、ふとこんな声の人の話を聞いたような気がして、その人の特徴を探しながら頭を上げる。
 防具は全身革装備。武器は、小さなクローと投げ針を腰から下げている。
 短い金褐色の巻き毛と、両頬に入った三本線のペイント。

「ホー、そりゃまた珍しい人とぶつかったナ。――オイラは《アルゴ》。情報屋サ。前人未到のクエスト情報かラ、街の武器屋のセール情報まデ、コルさえ払えば知りたいことは何だって教えてあげるヨ! 早速どうだイ? 初回サービスで安くしとくヨ!!」

 早口でまくし立て、攻略組なら誰もが知っていると言っても過言ではない一流の情報屋――《鼠のアルゴ》は、にひひと笑い声を上げた。



 第二十四層圏外村、《ウィダーヘーレン》。アルゴさんから教えてもらったマサキ君の住所は、針葉樹林に囲まれた一本の細い道の両脇に十軒ほどの家や店が並ぶだけの、寒素な集落だった。
 村の中心から雪の積もった道を数分も歩くと、西のはずれにポツンと一軒だけ建っている家が目に付いた。
 ダークグレーの外観と、雪に耐えるためなのか勾配が急なグリーンの屋根。林の中に静かに溶け込んでいる北欧風の外観を模したその家が、アルゴさんから教わったマサキ君のプレイヤーホームだった。
 村のメインストリート――といってもレンガや石畳すら敷かれていない、細いものだが――を左に折れて、わたしの背丈よりも高く積もった雪に挟まれた、くねくねとカーブばかりの続く道を抜けると、ようやく家の玄関が目に入る。

「あっ……」

 今まさにマサキ君がドアノブに手を掛けようとしていたのが見えて、わたしは思わず声を漏らした。反射的に雪を蹴って大声で呼ぶ。

「マサキ君!!」
「……エミ? どうしてここに……」
「良かった……もう、いきなりいなくなっちゃって、びっくりしたんだから」

 残りの道を一気に駆け抜け、わたしは膝に手を当てて白い息を何度も吐き出しながら笑った。マサキ君は珍しく切れ長の目を丸くしたが、すぐにいつもの無表情に戻ってしまう。ちょっぴり残念だな、と思っていると、再びマサキ君が口を開く。

「……何故、ここが分かった」
「教えてもらったの。アルゴさんって人に」
「……あの鼠め」

 マサキ君は苦々しげに舌打ちすると、木でできた家のドアを開ける。

「入ってもいい?」
「勝手にしろ」

 冷たい声だったけれど、何となく拒絶されている風には感じなかったから、わたしはマサキ君に続いて家に上がった。
 家の中は、外から想像していたよりもずっと暖かく、そして明るかった。白を基調としたシンプルなデザインと、陽の光を取り入れる大きな窓がそうさせているのだろう。部屋には暖炉もあったが、使われている風には見えなかった。確かにこれだけ暖かければ、使う必要も滅多にないのかも知れない。暖炉とは反対側の壁際には、アイテム収納用の棚があり、その上に一枚の写真立てらしきものが伏せられていた。

「まあ、座れ」

 勧められた、リビング兼ダイニングらしき部屋の中央に置かれた白木造りのダイニングテーブルセットに腰掛ける。入り口側のカウンターを越え、その先のキッチンへマサキ君が向かうのを見送ると、わたしは一度部屋をぐるりと見渡した。
 玄関から見て正面に、今わたしのいるリビングダイニング。恐らくその間の廊下右側がカウンター越しに見えるキッチンで、後はその逆側に小さな部屋が一つと中くらいのが二つ。この世界ではトイレと言うものが存在しないことを考えると、小さいのがお風呂、中くらいのが寝室ではないかとわたしは推測した。

「ほら」

 事務的な声と共に、目の前に一つのカップが置かれた。白い湯気をほかほかと吐き出しているコーヒーが、カップの中でさざ波を立てた。

「あ、ありがと」
「ふん」

 マサキ君は鼻を鳴らすと、自分の分のカップを持って対面に座る。そしてまずコーヒーに一度口を付けると、椅子の背もたれに身体を預けて口を開いた。

「……それで。用件は?」
「えっと、お礼がまだだったから」
「お礼?」
「うん。お礼」

 わたしの答えが予想外だったのか、マサキ君はまた驚いたような声で言う。マサキ君の表情が、珍しく様々な感情に移ろっていくのが面白くて、わたしはクスリと笑いながら頷く。ゆっくりと木の匂いがする空気を吸い込む。両手で包んで持ち上げたコーヒーカップに視線を落として、今までのこの世界での一年間を思い浮かべながら、今、心に残っていた温かい思いを空気と一緒に素直に吐き出した。

「……わたしね、ずっと友達が、絆が欲しかったんだ」

 ――孤独だった。

「でも、断られるのが怖くって、中々それを言い出せなくって……それで、あんなことしてた」

 ――寂しかった。

「分かるわけないよね、そんなこと。……でも、それが一番なんだって、わたしはずっと自分自身に言い聞かせてきて……結局、ずっと孤独なのは変わらなかった。マサキ君に助けられた時に、それが分かったの」

 ――でも。それを変えてくれた。
 わたしは顔を上げ、マサキ君の両目を真っ直ぐに見つめる。

「その後、マサキ君に色々なところに連れて行ってもらって。多分それがなかったら、わたし、今頃もまだ、あのアパートでうずくまってた」

 ――本物の絆と引き合わせてくれた。

「シリカちゃんや、ピナと出会えたおかげで、わたしは知ることができた。本物の友達も、わたしがしてきたことが、無駄じゃなかったってことも。それに、ちゃんと伝えなきゃ、自分の心は相手には伝わってくれないってことも。……それを知れたから、わたしは立ち直れたんだ」

 ――目の前の、あなたが。

「マサキ君。わたしのことを助けてくれて――」

 ――だから……。

「――“ありがとう”」

 それは、わたしの人生で一番心のこもった言葉だっただろう。自分でも驚いてしまうくらいにすんなりと形にできたわたしの心が、染み渡るような響をもってわたしとマサキ君の間の空気を温かく揺らした。するとマサキ君の表情に、ほんの少しだけ驚きの色が浮かび上がって――

「……そう、か」

 返って来たのは、おおよそマサキ君のものとは思えないほどに穏やかで、温かみのある声だった。細められた切れ長の瞳と羽毛のように軽く持ち上げられた口の端の自然さは、それが彼本来の表情なのだと言うことを表すのに十分だった。昨日、意識を手放す寸前に垣間見たのは、この微笑だったのだ。

「あ……」

 その瞬間、わたしは直感的に理解した。「素直になれない刀使い」が誰なのか、そして、わたしの心臓を高鳴らせている、この感情が何なのかを。
 そっか……そうなんだ……。
 最早わたしの左胸は、これまで気付かなかったことが信じられないくらいに早鐘を打ち鳴らしていた。わたしはそれから数秒間、胸の奥底から全身へ向けてほっとするような温かさが流れて行くのを、その甘くて穏やかな流れに浸りながら感じ入っていた。この空間にわたしとマサキ君がいて、その間を時がゆったりと流れていくことそれ自体が、わたしの胸に収まりきらないほど幸せで、愛おしかった。ウォルニオンさんにプロポーズした時のタカミさんの心境も、ひょっとしたらこんな感じだったのかもな、と思った。

 ――よしっ!
 わたしはその上に手を重ね、受け取ったマサキ君の不器用な優しさをそっと抱き締めてから、両手をテーブルの上について立ち上がる。

「決めた! わたし、お礼に晩御飯作ったげる!」
「……は?」
「だから、晩御飯! あ、心配しなくても大丈夫だよ? わたし、これでも料理スキルにはちょっぴり自身があるんだから!」

 そして勢いよく宣言すると、話についていけないらしいマサキ君が顔をフリーズさせて声を上げた。

「いや、そういう話では……」
「あ、ひょっとして食材がなかったりする? んー、じゃあ……いっそ、買出しに行こっか。その方が、好きなもの作ってあげられるし。そういえば、マサキ君は何か好物とかあるの?」
「だから人の話を……!」
「いいから早く。ね?」

 抗議の声を右から左へ聞き流し、マサキ君の手を取って家を飛び出す。マサキ君の手は少し冷たくて、握った瞬間に一度小さく震えたけれど、すぐにじんわりとした温度を返してくれる。顔に当たる冷たい空気も、梢の影で鳴いている小鳥の声も、何もかもが心地良かった。
 村のメインストリートに差し掛かったところで、わたしは一度振り向く。未だに何が起こっているのか理解できないというような表情で、引き摺られるように走るマサキ君。わたしは空の色を反射してオレンジ色に輝いている雪道を蹴って、一つ心に誓った。

 わたしはもう、一人じゃない。友達と一杯話して、マサキ君にも沢山会いに来よう。そして、いつの日か。胸一杯に満ちたこの思いを、マサキ君に伝えるんだ。
 そうしなければ、何も起こりはしないから。
 それが、本当のわたしだから。 
 

 
後書き
「Each and All」――livetune adding Rin Oikawa

 「この話を書くときはこの曲を添えよう」という考えは、僕にしては珍しくずっと変わりませんでした。メロディも歌詞も、今のエミさんにピッタリではないかなと思っていたり(ステマ)。

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