横浜事変-the mixing black&white-
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逆転不能なときでも、一時の救世主くらいなら助けに来てくれる
同時刻 横浜某所
「お前らが滅びるのはもう必然的なんだ。大人しく消えろよ、殺し屋統括情報局」
数分前に射し出した街灯が煌々とその身を照らす路地。閑静な住宅街から人が出てくる事はなく、遠くからパトカーの独特なサイレンが聞こえてくる事もない。それを不思議に思いながら、ケンジはかなり混乱していた。
これまで攻防戦を繰り広げていたのは大河内達だったのか。いや違う。最初に自分達が追跡していたのは裂綿隊だ。大河内らチームCは同じ時間帯に横浜マリンタワーでヘヴンヴォイス暗殺任務を言い渡されていた筈であり、どうしてこんな絶望的な再会を果たさなくてはならないのか。彼は右手の方向にいるヘヴンヴォイス&裂綿隊と左手にる大河内を交互に見回す事しか出来なかった。
「おい、これは何の真似だ?」
赤島がニコニコ笑う大河内に言った。すると大河内は愉悦の色を滲ませた声で言葉を吐き出した。
「見ての通りですよ。これは俺による反乱だ。もうアンタ達が状況を覆すだけの力は残されていない」
いつもの丁寧な口調は残滓すら見せず、悪意の声色が夜風を吹き抜ける。彼らの関係を表しているかのような屈折した一本道に、彼は言葉の洪水をもたらした。
「赤島さん、アンタはどこまで気付けていた?定刻会議のときに作戦の説明をしていたのは誰だった?作戦を促したのは?今回の仕事に何の疑問も思い浮かべていなかったわけじゃないだろ?」
「ここにきてようやく本性を現したか。同士討ちもお前が仕組んだのか?」
「あの日――ヘヴンヴォイスを護衛する仕事したあの日から全ては始まっていた。横浜の殺し屋を集めたのは俺だし、ヘヴンヴォイスの情報も『ある人』から入手していた。お前らには勘付かれないよう、こっそりとな」
大河内はこれまでとは似つかぬ下卑た笑みを顔に貼り付けながらそう言った。人を嘲るために生まれてきたとでも言いたげな挑発的な表情。しかし誰も手を出そうとはしない。彼のバックには、今の自分達では手に負えない勢力の塊があるのだから。
ケンジは腹の奥底がグルグル鳴っているのを感じた。手は悴み、目が乾いている。いつの間にか大河内だけしか見ていなかった事に気付く。
今頃になって増幅する恐怖に耐えながらも、ケンジは大河内の言葉に気になる点を見つけた。
――ヘヴンヴォイスの情報は誰から聞いたんだろう?殺し屋統括情報局ですら掴んでいなかったのに……。
と、そこで大河内が苛立ち混じりの表情でケンジを睨んできた。何か言おうとするが口内も乾いていてマトモな音も出なかった。
しかし彼が次に吐き出した言葉に、ケンジの現実と思考は一瞬だけ切り離される事になる。
「そうそう。暁ケンジは本当に邪魔だったよ。突然入って来たと思ったらわりとイカれた野郎で、計画を延期しなくちゃならなくなっちまった。ホント、『あのとき隣にいた女』と一緒に殺しておけば良かったわ」
「……。……え?」
そのとき、ケンジの意識が途絶した。けれどそれも一瞬の事で、彼は焦点の定まらない視界に浮かぶ大河内を眺めた。この感覚を味わうのは何度目だろう、と心の中で呟きながら。
そんなケンジとは反対に、大河内は楽しくてしょうがないとばかりに口角を吊り上げ、再び丁寧な言葉遣いになって語り出した。
まるでケンジの奥底に取り付けられた復讐の器官を刺激していくように。
「いやぁ、あの日の夜は10月だってのに寒かったね。22時に横浜駅近くの公園で寄り添う男女。実に素晴らしい絵だ」
「……」
「きっと周囲の人達から見れば妬ましかっただろう。羨ましかっただろう。自分にもあんな学生生活が欲しかったと心底嘆いた事だろう。君は本当に幸せ者だね」
「……ぁ」
「けれどもそんな日常はあっという間に崩れ去った。『殺し屋の電話番号』。一時期ネットでも流行ってたねえ。君の隣にいた彼女はそれに興味を示して実行した。そして……死んじゃった」
「……ぇ、くれ」
「喉笛をナイフで切り裂かれ、背中を串刺しにされた彼女の重みはどうだった?あれが死体だよ。よく覚えておくといい。あ、ごめん。君はもう僕らと同じ『殺人者』だね。そして彼女の死に対して何も出来なかったね!お疲れ様!」
「やめてくれぇぇぇぇええぇえぇえぇぇえぁああぁああああああああ!!」
ケンジの悲痛な叫びが夜の横浜の小さな世界で轟いた。普通の生活を送っていれば交わる事はない、血と硝煙と死体が支配する世界で。
彼はその場に膝を突き、拳を鎖骨辺りで力強く握りしめた。ここで泣いてはいけない。もう泣かないと決めた筈だ。もっと強くならなくちゃいけないんだ。彼は自分にそう言い聞かせるが、再び立ち上がるだけの気力は残っていなかった。やがて漏れ出すのは掠れて聞き取りにくい声。
「……僕はあのとき止めなくちゃいけなかった。彼女から嫌われても止めるべきだった。でも怖かったんだよ。僕は誰からも適度な間隔を取られて、実際はそれが悲しくて……だから彼女の存在は僕にとって必要不可欠で……!」
「お前が何を言ったって無駄だ。過去に戻ってやり直せるわけじゃない。今のお前にできるのは俺に復讐することだ。俺を殺せばいいだけの話なんだよ!」
大河内が両腕を左右に広げて笑っている。と、そのとき彼の隣でしゃがみ込んでいた法城が右手に持った銃を彼の頭部に振り上げた。そのままトリガーに手を掛けたのだが――
「っあ!」
法城の手から拳銃が弧を描いて横に飛んだ。ケンジは拳銃が手から外れていった反対側を見た。そこには白い特攻服を着た女性が拳銃を構えた姿勢で立っていた。銃口からは僅かに硝煙が上気している。
「法城、それはリーダーに対する反逆行為だっていうのは分かってる?」
大河内の方を見ると、すでに彼は法城の頭を鷲掴みにして静かに語りかけていた。それでも黄緑パーカーの青年はその腕を無理矢理押しのけ、バックステップの要領でチームBの方に下がってきた。その間に攻撃する猶予があったにも関わらず、大河内もヘヴンヴォイス達も動かない。完全に勝利を手にしたものだと考えているのだろう。
大河内一人とヘヴンヴォイス、裂綿隊に挟み込まれた殺し屋統括情報局殺し屋メンバー。このままだと死ぬ、とケンジは悟った。しかし彼の肩をポン、と叩く者がいた。顔を見上げると、宮条が真剣な、それでいて優しげのある笑みを作っていた。
「諦めるのはまだ早いわよ」
*****
左右の道を敵に塞がられた中、赤島は焦る様子もなく大河内に話しかけた。
「大河内ぃ、お前猫って好きか?」
「何の話ですか?まさかこの期に及んで時間稼ぎだなんて言いませんよね?そういうのはドラマだけにしてほしい」
赤島と話すときは敬語を使う大河内だが、その言葉に恭慶の念は感じられない。化けの皮を被っていたときの彼ならまだしも、すでに正体が発覚した今では、彼の敬語も見下しの一部として成り立っていた。
しかし赤島はそれを黙殺し、頭をぶっきらぼうに掻きながらさも面倒そうな口ぶりで言葉を吐き出していく。
「猫は気難しくて気品の高い生き物でよ。自分の思うがままに動くわけだ。ちゃんと飼い主がいないと、奴は歯止めのきかない暴走野郎になっちまう」
「……で?」
「だから俺は思うんだ。この場合、アイツは命令でここに来たのか、それとも猫のように気分で現れたのか」
その言葉が途切れた直後、裂綿隊とヘヴンヴォイスの群れから無数の叫び声が生まれた。だが、それはこの世に芽生えた新しい命の産声などではなく、死に近付いた者だけが放つ絶叫だった。
そして、それらに隠れるような形で連続的に繰り返される銃声。サプレッサーで軽減されたそれは赤島や大河内にとって馴染み深いものだった。
彼らはその場から散開し、襲撃を食らった方向に武装を掲げた。そこは彼らの一つ斜め後ろに立つ二階住宅だった。赤島は吐息を漏らし、それから安堵に近い苦笑いを顔に作り出した。
「ったく、おせえよ」
その集団は屋根から何の気兼ねもなく飛び降り、軽い足取りで地面に着地した。そして一人が不機嫌そうな顔をしてカスタム化された黒銀の銃を敵に向けた。
「あたし眠いんだけど。それでもここまで来てやったんだから、タダで済ませる気はないよ?」
そこにいたのは暁ケンジの先輩であり、赤島達と同じ組織に属する殺し屋の玉木鈴奈だった。普段はほとんど関わりのないチームなので、赤島も『こいつらの姿見るの久しぶりだなあ』と感慨深げに感じてしまった。
「ハハッ、ここで来たかチームD!一体誰がスクランブル出動のお前らを出したんだ?」
大河内は楽しそうな声色とは裏腹に若干苛立ったように言葉を放った。それに対して、チームDのリーダーも嬉々とした表情を浮かべ、嘲りの言葉を吐き出した。
「局長のクソジジイに決まってんじゃん。ていうかアンタ何で敵役に回ってるわけ?そんなに目立ちたいなら政治家になって汚職で捕まれバァァァカ!」
それまで緊迫していた筈の空気が、彼女の発言によってさらに混沌と化していく。だが、その中で大河内は少しだけ当惑したような顔を浮かべていた。
――ん?なんだあいつ。
赤島はすぐに彼の微動を察知するが、その真意は読み取れなかった。何故なら大河内の顔はすぐに元の悪意丸出しの笑顔に戻ったからだ。
「もう話は終わりにしよう。俺は計画を壊されるのが嫌いなんでね、とっとと終わらせることにするよ」
そう言って左腕をユラリと虚空に向かって上げる大河内。それに反応したのはヘヴンヴォイスと裂綿隊で、赤島は瞬時に糸が張り詰めたような感覚を覚えた。
そのとき彼らの先にいるチームDの鈴奈が赤島に呼び掛けてきた。
「赤島さんとオバサンは後ろ下がってなよ。怪我してんでしょ?その分はホージョーとか後輩がやってくれるからさ」
その言葉に何かしら返そうとした赤島だが、それより前に大河内が言葉を吐き出した。
「お喋りはそこまでだ。ここからは徹底的な殺し合いの始まりなんだからさあ」
*****
組織の裏切り者が左腕を真下に下ろした瞬間、街の闇を作り上げる分子たちの潰し合いが始まった。
一方が殺意を持って襲えば、もう一方もそれに応答する。そうして命のキャッチボールはどちらかが尽きるまで果てしなく続く。
ただ一つ、彼らには共通点があった。それはどちらの勢力も『誰か』の掌の上で転がされているという事実だ。
その『誰か』は、今も思惑通りに進む現実を顔色一つ変えずにモニターで監視しているだろう。全てを自分色に染め上げ、過度な丸め方で何もかもを終わらせる。その先に待つのは殺し屋達と同じ未来だ。
横浜の裏住人達が住む世界は、何者かによる道連れ行為によって崩れようとしていた。
助けは来ない。何故なら、彼らはこの世の習わしに反した種族の人間達であり、存在を許してはいけない奴らだからだ。
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