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青い春を生きる君たちへ

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第4話 卑怯者

「のぉ、お前らはのォ、最近たるんどるさけのぉ。これはそのお仕置きっちゅー奴や。教育の為や。俺ら2年がお前らの事が嫌いやからとか、そんなんでするんとちゃうで。そこんとこはよくわきまえとけよ」


室内練習場はカーテンもドアも締め切られ、ムッとする暑さに包まれていた。しかし、人工芝の上に整列させられた1年生達が顔一杯に浮かべているのは、それは単なる汗ではない。小倉が流しているのも、恐怖に震えながらかく冷や汗だ。小倉だけでなく、殆どの1年生達は自らを待ち受ける残酷な運命について察しはついていた。この時点でまだ先輩の気が変わる事を期待している奴は、それはまだまだ甘ちゃんで、訓練されていない。


「目ェつむれよォ〜」


先輩の一言で、1年生達は互いに距離をとった。


「……跳べ」


そして、"儀式"が始まった。



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ピンポーンと、呼び鈴が鳴る。布団の中から飛び起きた小倉は、自分がびっしょり寝汗をかいているのに気づいた。タオルでそれを拭いながら、小倉はさっきまで見ていた夢を思い起こす。目が覚めて印象がボヤけてしまったが、それでも、何の夢だったのかはまだ覚えている。


(つまんねえ夢を見たもんだ)


舌打ちしながら、小倉はドアへと向かった。


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「じゃ、謹慎3日目も3時までは外出禁止な」
「はい」
「ま、勝手に出歩くのを止められはせんけどな。絶対に見つかんなよ。お小言言われるの俺なんだから。もし見つかって、俺に面倒かけたら、帝国憲法丸写しのお代わりさせてやるからな。」


朝の7時から一人暮らしの小倉のアパートを訪れたのは、小倉の担任の社会教師、葉鳥司郎。謹慎中の小倉に、朝こうして釘を刺しにやってくる。そのついでに、朝飯を小倉の家で食べていき、更にはトイレまで使っていくという、無精髭が汚い三十路の教師だ。見るからにやる気が無く不潔で、まだ独身だというのも頷ける。


「んにしても、お前の部屋キレーだなあ。物が少ないのかもしれんのだけど、俺の部屋より遥かにキレーだよ」
「先生、言ってるそばからモノ散らかそうとするのやめて下さい」


葉鳥は小倉の部屋の棚などを漁り、そしてそのままに放置する。先生という、曲がりなりにも聖職だなんて(過大に)評されたりもする立場の人間だとは思えない、傍若無人な振る舞いに、小倉はため息をついた。

小倉の部屋を物色するのにも飽きたのか、葉鳥は部屋に一つポツンと置いてある座椅子に腰掛けた。テーブルの上の焼き鳥をつまみながら、ベッドの上に座っている呆れ顔の小倉を見た。


「……やっと事の顛末が飲み込めてきたんだが、掴みかかったのは大古の方だったんだって?で、昼休みに大古の彼女の瀬尾に説教食らわせたのが全ての始まりだったんだと?」
「僕は最初からそう言ってますよ」


一方的に小倉に蹂躙された大古直斗が、教師に語った顛末は事実とは随分違うものだった。何故か、小倉の方が呼び出して襲いかかった事になっていた。自分から「雅子をコケにする奴は許さない、コロしてやる」などと勇ましい事を言って殴りかかってきた癖に、拳で敵わないと見るや、途端に弱者を気取って大人に助けを求める。その節操のない変わり身の早さには、怒りを通り越して感心したものである。しかしまあ、やられっぱなしで終わるのではなく、最後の最後まで敵を貶めようとするその姿勢は、今流行りの「諦めない」姿勢と通ずるものがあり、これもある意味立派な態度かと、小倉は他人事のように思っていた。


「こういうのは被害者側の言う事の方が優先されるんだよ。被害者側の言う通りに、よしよし、そうですねって言っとくのが一番収拾が早いだろ。今回の場合、お前の方の保護者は無k……理解があるからな。大古のオカンはカンカンだったんだぜ?」
「……」
「でもま、田中から大体の話は聞いたよ。よくやったわ、お前」


突然褒められて、小倉は首を傾げずには居られなかった。大古直斗をボコって、瀬尾雅子をなじって、どうして葉鳥に褒められるのだろうか。


「瀬尾が調子乗ってメロンパン横取りしようとしたのを阻止して、逆ギレした大古をけちょんけちょんにしたってことだろ?やりすぎたかもしれんが、間違った事してるとは、俺は思わない。だいたい、あのバカ同士のカップルは授業中うるせえしすぐ教師に楯突くし、俺もあんなのは嫌いなんだよ。だからお前のおかげで少しは憂さが晴れた。」
「……結構、滅茶苦茶ですね。そんなにあの二人が駄目なら、指導するのが先生の仕事じゃないんですか?」
「ていう風に、どいつもこいつも言うけどな。人の言うことに聞く耳持たない、自分が世界の王様だと勘違いしてる猿みたいな奴に、何か言うだけ無駄なんだよ。下手したらすぐ泣かれて、俺の方が悪者になる。ああいう手合いは、傷つきましたーって言えば、大人の方が必ず折れるって事だけは一人前に知ってるんだ。どうせあんな感じじゃ、この先の人生はつまらんのだから、今だけでも楽しませておいてやるんだよ。そしてたまにお前のような正義漢が鉄槌を下すのを見て、『暴力はいかんぞい』とか何とか思ってもない事を表では言いながら、裏でケタケタと笑うのさ。」


ニタっと笑う葉鳥には、さすがの小倉もドン引きした。葉鳥は見た目は不潔だが、松陽の生徒の間では、それなりに「話が分かる先生」としての支持はあるようだった。その「話が分かる」という事の中身が、そもそも生徒を導く気がない無気力、諦めに根ざしているという事が今明らかになったのである。外見と中身が一致しないというのは、大古や瀬尾などもそうなのだが、しかし生徒も先生も揃いも揃って「虚構の人」だったとは。


「あ、今言った事は他言無用だぞ。ま、今後お前に友達が出来るというのも、こんな騒ぎを起こした手前難しいだろうし、リークする相手がお前には居ないだろうって計算のもと、さっきの話をしたんだけどな。ああ、毒を吐くのは気持ちがいい!」
「ちょっとすいません。先生、最低です。」
「最低?よく言われるよ、もう慣れてる」


葉鳥は上機嫌に焼き鳥を頬張った。小倉は何度目か分からないため息をついた。


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「……終わらねえな」


謹慎中に葉鳥から課されたのは、大日本帝国憲法の写経だった。これがまた、めちゃくちゃに長い。書いてるうちに手首がどうにかなりそうだ。なぜ葉鳥は「外出するなら勝手にしろ」というニュアンスの事を言ったのかよく分かった。こんな課題を抱えて、呑気に遊びに行ってなどおれない。それを分かってたから、あんな挑発するような事を言ったのだ。やはり、最低である。

二度寝して以降、ずっと写経にかかりきりで、外出禁止の15時も過ぎてしまった。小倉の部屋の中には、カリカリ、カリカリというペン先の音だけが響く。


ピンポーン!


突然鳴った呼び鈴に、小倉はビクっと反応した。この時間に、誰だろうか。葉鳥が様子を見に来たのだろうか。面倒臭がりに見えて、最終日に限ってマメになりやがったのか。色々思っていると、インターホンからは、葉鳥よりもよほど若々しい声が聞こえてきた。


《おーい!開けてくれよ!田中だ!田中智樹!》


小倉は部屋の中で1人ズッコケた。なんで田中が俺の家を知っているんだ、あいつ俺のこと好きすぎだろ……友達になると宣言していたような気がするが、謹慎になったような奴の家までわざわざ乗り込んでくるなんて、案外田中も偏屈な人間なのかもしれない。億劫そうに座椅子から腰を上げ、小倉は玄関へと向かった。


「おっす!元気してる?」
「謹慎中の奴に"元気してる?"って、アホかお前」


ドアを開けると、学校帰りなのだろう、制服姿で、何故か非常にご機嫌な顔をした田中が立っていた。どうしてこいつは、こういつも良い笑顔で現れるのだろうか。それより、小倉が驚いたのは、田中の隣に高田が居た事だった。あの高田が、誰かと一緒にいる。それもなぜか、自分の家の前で。


「おい」
「ん?何?」
「なんで高田が居るんだ」
「俺が連れてきた」


満面の笑みの田中と、そっぽを向いて無表情をしている高田との間にはかなりの温度差があるように見受けられたが、田中はそんな事は少しも気にしていないようだ。高田の事をどう説得して連れてきたのだろうか、いや、そもそも説得などせず強引に引っ張ってきた場合もあり得る。


「て事で、お邪魔しまーす!」
「おい、こら!勝手に上がりこむんじゃない!」
「……」


小倉の制止も聞かず、高田の手を引いて田中は小倉の部屋の中に上がりこんでくる。こんな強引な態度を、嫌味なく演じきって見せるのが田中という少年であり、擦れて嫌味な小倉は、自分とは正反対な田中の前に既にタジタジであった。


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「てことで、謹慎完了を祝して、カンパーイ!」
「……めでたいかそれ……?そもそもまだ明けてないし」
「外出禁止は今日の3時までだろ?じゃ、いいじゃん」
「……」


部屋に上がりこんだ田中と高田に小倉がお茶を出すと、何故か田中が乾杯の音頭を取り始める。小倉はいちいち律儀に突っ込むのだが、高田の方はと言えば、まだ一言も話さず、テーブルの前にちょこんと足を崩して座っていた。ただの冷えたウーロン茶を、まるで酒か何かのようにごくごくと喉を鳴らしながら飲み干した田中は、プハーッと息を吐き出しながらグラスを置いた。


「いやー、それにしても驚いたなー!謙之介がまさか、直斗をボコボコにしちゃうなんてさ!見た目は全然イケイケな感じしないのに、謙之介結構強いんだね!」
「バカ。あんなゴミをボコったくらいで強いなんて言うなよ、マジで」


先日の一件を褒めてきた田中に、小倉は苦い顔をした。口先だけで謙遜した訳じゃない、本気の否定だった。今朝の葉鳥といい、どうしてこんな事を褒めてくるんだろうか。立派な事をした訳じゃないというのは、自分でもわかってるのに。


「松陽は別にヤンキー校じゃない。平均辺りの偏差値はあるはずだ。廊下で殴り合いが頻発したりするような事もないし、小競り合いがあってもちょっと揉み合うだけで、後はお互いグチグチと悪態ついて終わり。そんな平和な学校だ。あの、大古っていうの?あいつも全然、殴り合いなんて慣れちゃいなかった。すぐに向かってくるのを止めたしな。そんな奴を多少ボコっても強い事にゃならねえよ。俺はただ、奴を虐めただけだ。」


小倉は、自分がどうやっても敵わない相手、それが明らかにこの世にいる事を知っている。それを理解しなければ、到底あの世界では生きていけなかった。殺される訳ではないが、そう頻繁にけちょんけちょんに叩き潰されていては、とてもじゃないが身がもたない。痛みを知り、その恐ろしさを知る事で、自らの身の程を実感として学んでいった。大古は、それを知らなかった。それは、身の程なんて学びようがない、平和な世界に住んでいたからだ。そんなもん知る必要もなく、大声を出せば周りが従ってくれる、優しい世界に住んでいたからだ。


「……そうね。あなたは、彼をいじめただけだわ。」


小さな、しかしやけにはっきり聞き取れる澄んだ声が漏れた。田中のような活気のある声ではない。小倉はぎょっとして、そちらを向いた。高田がこちらを見ていた。モノを見るようなその目と、視線が触れ合う。何故だか、頭の中を見透かされたような、そんな気がした。


「……彼が普段の態度の大きさほどには喧嘩が強くないという事を見越して、それを分かった上で、彼の挑発に乗ったんでしょう?勝てる相手だと思ったから、売られた喧嘩を買ったんでしょう?彼とのやり取りの中で、あなたに戦いを避けようという意思は感じられなかったわ。相手から仕掛けてきて、戦う口実ができてラッキー、そんな事を考えはしなかった?非力な彼を嬲る事に、楽しさを感じたりしなかった?」
「…………」
「……卑怯、に思えるわね」


図星だった。小倉は少し、返す言葉に詰まった。確かに、小倉は積極的に大古を煽っていた。田中が仲裁に入った時、大古が安心する様子を見せたのを知っていて、あえて話を有耶無耶にさせる事なく、戦いの方向へ事態を進めた。いざ喧嘩になれば、こういう結果になる事は分かっていた。嗜虐心は確実にあった。調子に乗って、喧嘩なぞ仕掛けてきた大古の、鼻っ柱をへし折ってやろうという……


「……だったら、負ける相手にも見境なく吹っかける事がすなわち正々堂々だっていうのか?」


小倉の切り返しは、イマイチ歯切れが悪かった。高田は手元のグラスに手を伸ばし、茶を啜ってから答えた。


「……それもそれで、違うわね。でも、自分の強さに、本当に自信があるのなら……表面上でなじられようとも、グッと堪えて……負けておいてあげる……それができるはずよ。無闇やたらに、力を見せつけたりせずにね。……傷つける事が楽しくなってしまうと、世界は閉じていくわ」


窓の外に目をやりながら、最後は独り言のように、高田は言った。小倉は今度こそ返す言葉が無かった。やや高度を下げてきた太陽の陽射しに照らされた高田の横顔は、シャープで、洗練され、気安く触れるのを拒むような、そんな美しさを放っていた。

 
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