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SS:狼、白、そして氷槌
雪は、その冷気ゆえに命の熱を奪い去る。
生きとし生ける者なら持っているであろう肉体、その半分以上を占める水分を凍結させる。
それこそは死と同意義であり、雪は風に乗ってそれを容易に生物に齎しうる。
だから生物は寒きを嫌い、雪風を嫌って穴倉に籠る。そうして森からは生の気配が消える。
ほんの一部の動物たちの息遣いと雪のばさりと落下する音だけが銀表の世界に響く美しき森――その森に、大きな振動が響く。
――巨人。
足の一歩を踏み出すたびに地ならしを起こしながら、巨人が歩く。
その足は山岳を悠々と走破し、巨岩をいともたやすく砕き、高い木々さえ藁のように押し倒す。
余りにも巨大なその身体は、ゆうに民家の10倍以上、城壁にも達しようという高さにも上っていた。
肌はまるで墨で構成されているかのように黒く、胸や腰など体の要所にはまるで鎧のように分厚い殻で覆われる。関節部分はその黒が剥がれて内側に秘めるマグマの様な灼熱が垣間見えていた。
そう、巨人は炎を内に宿していた。
巨人の周囲は一面が雪に覆われた氷雪と生死の世界。だが、巨人の灼熱を冷ますには到底足りるものではない。巨人が足を踏みしめたあとは、雪ごと大地が焼け爛れ、硝子の足跡が永久凍土に刻まれていく。
その足が、不意に止まる。
「何者だ、貴様」
鋭く、美しい音色。
白い衣を実に纏い、雪に融けて消えそうなほどに儚く可憐な姿に反し、声から感じられるのは絶対的な存在感。
横一文字に閉じられたままの巨人の真正面に、それは立ちはだかった。
「ここが妾の国であることを知ってここまで土足で入り込んだのか?我が『エドマ』の地に」
『……………』
巨人の目線の高さにまで高く形成された氷柱の頂点から見下ろす女性が、見下ろされるはずの巨人を不遜に見下ろしていた。
氷雪と見まごうほどに透明度の高い長い白髪を風に委ねるその女性は、少女というには大きく、しかし大人の女と呼ぶには少々幼い顔立ちをしている。だが、巨人をねめつけるその瞳からは、か弱さや儚さを感じ取れない強固な自我を宿していた。
ヒトの女性としては長身であるものの、巨人にとってはそんなもの背伸び程度の違いもない。
ただ、目の前に意思疎通が可能な「敵」が現れた。巨人が抱いた認識はただそれだけだった。
巨人は「母なるもの」に肉体を、魂を、知恵を与えられた者――魔物を総べる魔将のひとりだった。
そして魔物と魔将はその本能に、人間と闘争を行い続けることを刻印づけられている。
つまり、巨人がこのエドマと呼ばれる地に入り込んだのは決して偶然でもなんでもない。
「もう一度問うてやろう。妾の国に何の用だ」
『……潰シ…ニ、来タ……』
口からもうもうと火花と煙を吐き出しながら、巨人は挨拶でもするように緩慢とした声で返事を返した。
巨人はただ単に『母』の役に立つために、この先にあるであろうヒトの住処を蹂躙し、女子供を踏み潰し、戦士を殴殺し、災禍と悲劇を撒き散らしに来た。巨人にしてみれば、ただそれだけのことだった。
女はさして驚いた様子も見せず、ふんと鼻を鳴らす。
「愚鈍なだけのウドの大木かと思えば、貴様『魔将』か?呆れたでかさ、であるな。部下はいないのか?」
『……居ラヌ…ドウセ…気付、カヌウチ……ニ、縊リ、殺ス…ダケ、ダ……』
どうせ魔物を引き連れたところで誤って踏み潰す。ヒト里を襲わせた所で、後から来た巨人の拳に巻き込まれて人知れず死ぬ。そして仮に生き残ったところで、巨人の移動速度にはどうせついて来られない。
一人にして全ての将。それが灼熱の巨人だった。
果たして巨人の拳の一振りで、脚の振り下ろしで、一体どれほどのヒトの命を狩れるだろうか。
体より漏れる灼熱にどれほどの命が焼かれるだろうか。
一夜にして国を劫火の海に変えることさえも造作ないであろう、絶望的なまでの力。
故に、部下は必要がない。
だが――
「妾もだ。貴様のような愚鈍な輩と気が合うというのも気に食わんが、な」
『……………』
見栄を張る風でもなく、女も平然とそう言い放った。
それが当然であるとでも言うように。
お前の出来ることなど自分も出来ると鼻で笑うように。
はったりの粋を超えた圧倒的な現実味と、その言葉を疑いたくなる理性的な不合理を同時に内包した言葉。しかし巨人の心の天秤はそのどちらにも傾かず、それ以上女に構う暇はないとでも言うように再び足を運びだした。
女が戦うなら、殺せばいい。
はったりであったのならば、殺せばいい。
どちらにしろ、巨人はこの先にある町を潰す。それだけだ。
足元は既に高熱で周囲の氷と永久凍土が融けたせいでぬかるみになりつつあり、蒸発する水分に水を足すように周囲の雪解け水が流れ込んで大量の蒸気が吹き上げていた。巨人はそのまま足を進め――
「待たぬか、不遜者めが」
不意に、巨人は自分の身体の全てを覆うほどの影が周囲に出来ていることに気付いた。
影の正体を見定めるようにその顔を上げた巨人の眼前に広がっていたもの。
それは――
「エドマの領地を踏み鳴らした挙句に第四皇女たる妾を無視とは――図が高いぞ」
『……………!!!』
巨人は、一瞬目の前の光景を疑った。
言葉にして説明するのならば、「氷山」と呼ぶにふさわしい、巨人の身体と同程度の質量はあろうかという――余りにも巨大な氷塊だった。いや、既に山を抉り取って掲げているかのような大きすぎる規模。
――『Ⅴ』の神秘術。
クィンクェとはこの世界に置いて水の流動属性を表す理。
巨人が身に宿す『Ⅰ』――炎の理の正反対に位置する属性数。
あれは、間違いなくその神秘術によって形成されたものだ。
大気中に溢れる神秘に属性を付与し、大気中の水分と掛け合わせて莫大な質量の氷塊を虚空に形成していたのだ。巨人と会話しながら、平然と、小さな町なら下敷きに出来るほどのものを。
これを、目の前のちっぽけな女がたった一人で形成した――?
あれを維持するのにどれほど膨大な神秘をコントロールする必要があるというのか。
神秘を内部に循環させる巨人と違い、あれは放出した神秘によって形成された大質量だ。
最早、ただのヒトの女が形成できる神秘の量を大幅に越え――魔将と同位にまで達しているとしか考えられない。例え目の前の女がクィンクェの属性数を得意としているとしても、巨人の身体にも並ぶほどの大規模神秘術など、あり得なかった。
「返答もせぬとは度し難し。跪け、愚昧が」
女のガラス細工のように繊細な指先がすっと氷塊を指し、そのまま振り下ろすように巨人に向ける。
瞬間、大気を押しのけてごうごうと風切り音を立てる氷塊が、その膨大な質量を持って巨人の頭に直撃した。みしみし、と巨木が軋むような音が響き渡る。
『……ゴ…ア、ァ……ッ!?』
重力加速と純粋な重量の重ねがけが齎した運動エネルギーに、巨人の口から苦悶の声が漏れる。
巨人の身体さえも震える程の衝撃と重量が巨人の頭部の表皮をかち割り、中から血液のようにマグマ染みた炎が噴出した。
同時に首、腰、膝と全身の負担がかかった場所に次々亀裂が入り、同じように紅蓮の炎が噴出。巨人の身体はゆっくりと、だが確実に氷塊の一撃によって傾いた。
が。
「暑苦しい輩め……まだ倒れず抵抗するか?」
『ア……ハ、ハ……融、ケロ!燃エロ……!!』
噴出した炎が、氷塊を融かしていく。
骨どころか魂までもを融解させそうな灼熱が、氷塊だけでなく周囲の森や山そのものを焼くほどにそれは熱く猛り、女性もその熱に顔をしかめた。
巨人はぐらつく体を踏み止めながら、ゆっくりと顔を氷塊から押し上げ、両手で氷塊を抱きかかえた。耳を劈くほどの蒸発音を立てて、小山ほどもあろうかという氷塊が音を立てて縮む。
『俺ハ、魔将…!…魔将……スルト、ル……雪遊ビ、デ、ハ……我ガ、勇猛ナル…焔、ヲ、止メラレヌ……ゥゥ!!』
口から火山の火口のような灼熱を吐きだした巨人は、その氷の塊を砕いた。
神の鉄槌にすら見えた大質量さえも焼く、地獄の業火の化身。
鬼か、悪魔か、将又それは最早神と恐れるべきなのか。
ヒト一人が覆せる力を凌駕した最強にして最悪の魔物。
それを打倒しうる存在がいるとすれば、それはやはり、神か悪魔に相違ない。
「ほう。ほうほう……ほほう!?アレを喰らって倒れぬだけでなく正面から破るか!良きかな良きかな、いいぞでくのぼう!その気骨はよい、実によい余興である!」
女の顔が、喜色で弾ける。
まるで新しい玩具を試したくてしょうがない子供のように目を煌めかせた女性の身体が、氷を蹴って更に高く舞い上がる。
「なればこそ妾も本気の出し甲斐もあるというものよ!」
その頭髪の隙間から出ずる、狼の耳。
腰から延びる、美しい純白の尾。
そして骨の髄まで噛み砕かんとする牙が、めきめきと反り出す。
そして、その双眸からは――黄金の光が漏れる。
その国に住まうものならば、その意味を理解できたろう。
黄金の瞳とは、この国で「白狼の一族」と呼ばれる王族の証であるのだから。
そして「白狼の一族」は先祖代々から、ある仇名で呼ばれている。
「――今まで妾には遊び相手がおらなんだ!なにせ本気でこの手を振るえば『国ごと砕けてしまう』が故にな!!」
王となれるのは、一人でエドマという国を相手に出来る実力を持った者のみ。
故に仇名は――「国潰し」。
「さあ、貴様は国潰しの怪物を喰らいきれるか!?喰らいきれぬならば――この白銀の大地へ沈むが良い」
= =
「――ま。――オさま。――ネスキオさま?お客さんですよ?」
「む……なんだフラッペか。女王陛下と呼べ」
「えー。私とネスキオ様の仲じゃないですかぁ~!」
うたた寝から現世へ女性――ネスキオの意識を引き戻したのは、侍女のフラッペだった。
気だるげに体を起こしつつ、見ていた夢の内容を思い出してニヤニヤと笑う。
――アレとの喧嘩は、実に楽しかった。人生でもう2度とあれほどの喧嘩は出来まい。
もしも旧友たちが本気で自分と敵対したならば可能性は無でもないが、可能性がありそうなのは行方不明中のシグルとルードヴィヒくらいのものだろう。
「……して、誰が来たと?」
「はぁ……鬼儺と名乗っておりますが……」
「お?その客は黒ずくめのわっぱであったか?」
「ええ……」
「なんと!」
エドマ氷国連合の盟主であるネスキオに謁見の申し込みもなく現れ、鬼儺を名乗る黒ずくめの子供などネスキオはたった一人しか知らない。
最近はすっかり宮殿に姿を見せなかったが、過去の夢は旧友来訪の兆しであったようだ。寝ぼけ眼もすっかり冷めたネスキオはまるで子供のようにウキウキしながら体を起こす。
「先の夢は吉兆の知らせであったか!!ささ、急いで坊を連れてまいれ!!他の侍女に茶と菓子を持って参るよう急いで伝えよ!!」
「あのーネスキオさま。私、その『坊』さまの事を知らぬのですが……」
「おお、そういえばおんしはあの頃まだ乳飲み子であったのう?ほれ、あれの事は知っておろう?」
ネスキオが指さした窓の外を見たフラッペは、町の向こうに見える巨大な氷の塊を見て頷く。
「確か30年前、ネスキオさまが連合盟主に即位される切っ掛けになった戦いの残りですよね?国潰しの炎の巨人を打ち払ったという――」
「うむ。あの戦いを見て当時の退魔連合が協力要請を送ってきたときに、使者としてきたのが坊なのだ。懐かしいのう……あの氷槌、30年経ってもまだ融けんのは不思議じゃ」
「ああ、それは女王の親衛隊が住み込みで融けぬよう維持しているからだそうですが。おまけに定期的に張り付いた雪を削って原型を維持しているとか……」
「初耳なのだが!?我が国の親衛隊は暇が過ぎるのう……」
山を越えても尚目につく、永久凍土に突き刺さった戦いの残滓。
世界最南端に連なる永久凍土の山脈――その全てを支配するエドマ氷国連合盟主。
化物より化物らしき、『白狼』の王族に生まれし女帝。
彼女の住む城よりも巨大なその「氷槌」の下に、最悪の魔将スルトルの亡骸がいまだに眠っている。
後書き
つぶやきより写しました。
んー、4000文字越えてたとは思わなんだですね。
世界設定とかは求められていないと思うので、特に説明はなしです。
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