青い春を生きる君たちへ
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第2話 購買で
「えっ!?ちょっ、何あいつ!何勝手に俺と同じスマホに変えてんの!?うっわ、マジ最悪!パクりじゃねえかパクり!」
「えっマジ?」
「うわーないわーマジないわー」
チャラけた長髪を手でイジイジしながら、馬鹿みたいに大きな声をあげる奴が居た。教室の後ろ側で机の上や窓枠に腰掛けているその取り巻きも、そのバカみたいな声に賛意を示さんと、極端に乏しい語彙を何度も繰り返している。その言葉の的になっている生徒は、チャラさとはほぼ無縁の短髪だが、それは爽やかさというよりはむしろお洒落への無頓着さを感じさせるもので、はっきり言って垢抜けていない。あえて真面目っぽい格好をしているというよりかは、ただ弾け方すら分かっていないだけのその生徒は、自分と違って「だらしない格好」をする事に何の抵抗もない連中に対して何か負い目でもあるのだろうか、さっきまでイジっていたスマホを何故か申し訳なさそうにポケットに隠し、背を丸めて自分の席に戻っていった。そんな卑屈な振る舞いを見て、だらしない格好の連中は隠すつもりのないあからさまな嘲笑を上げる。
(……くだらねえな)
自分の席で1人、動きもせずにその様子を見ていた小倉は内心でそう呟いた。青葉松陽に転入してからというもの、小倉はこう思う事が多々ある。
まず、たかがスマホの機種が同じだったというだけで大声で騒げるそのコマさ。ケータイショップで売り出されているものなんて全て量産品なんだから、そんなに誰かと被るのが嫌なら、そもそもそんなもん買わなきゃいい。スマホを買う時には親にねだって「みんな持ってる」だの「なけりゃ俺だけ不便を強いられる」だの何だの弁明してきただろうに、そうやって「みんなと一緒」であらんとして買ったスマホで、機種がかぶっただの何だのと騒ぐのは小倉には自己矛盾にしか見えなかった。
そして、「あんな奴と持ち物が被るなんて最悪」と、人を見下せるその態度。その態度の根拠が一体どこにあるのか、実に聞いてみたい気持ちに駆られる。小倉の目からすれば、非難していた生徒と非難されていた生徒の違いなんぞ、髪型と服装と声の大きさくらいしか分からない。髪型の差異が目立つが、その下の顔立ちそのものを見てみると、両者ともに実に平凡なものだった。服装に関しては、非難していた側はカッターシャツのボタンをいくつも外して裾を出し、中に派手な色のシャツを着込んで、ズボンをずり下げているが、それでも着ているのは制服に違いないんだから、今すぐにでもあの程度の「個性」なんぞ、誰にでもそっくりそのまま模倣できる。最後の差異は声の大きさだが、それは小倉には「声がデカい奴がああいう格好をする」のではなく、「ああいう格好をしているうちに声が大きくなってくるのだ」という風に思われた。校則を平気で破る自分、というものに一度酔いしれると、ルールに従う人間が全て臆病者に見えてきて、まるで自分が偉くなったように思われて声がデカくなっていく。大体そんな所だろうか。とにかく、考えてみたところ、チャラ男と、それにディスられる隠キャの間には、実はそれほどの差異などない事が分かる。今すぐ両者の格好を逆転してやれば、さっきまで背中を丸めていた方の生徒が途端に偉そうになって、偉そうだった方の生徒がしおらしくなる事まで予想された。
そして、小倉にはここが疑問なのだが、何故そんな無根拠の横柄さに対して、あのディスられた側の生徒は何も異議申し立てずに、あんな卑屈な態度をとって見せるのか?顔は不愉快そうな表情を見せているのだから、そんな横柄な態度をとられる事に不満は抱いているのだろう。だったら、問うてやれば良いではないか。貴様の何が自分より上なのかと。それをせずに背中を丸めてブツブツ言ってるだけなのは、相手との間に上下関係を認めているようなものだ。俺はムカついている、でもそれを面と向かって表明することはできない、恐れ多いから!あの卑屈な態度は、そう高らかに宣言しているようなものだ。そんな無根拠の上下関係を進んで受け入れているんだったら不満げな顔なんてするなよと言いたい。本当のところ、見下されている今の立ち位置が分相応だと、自分でも思ってるのだろうに。
そこまで考えて、小倉はため息をついた。転校してきて、やっと普通の学校生活に戻れると思ってみれば、普通の学校生活とやらも、その本質は前の学校と変わりはなかった。誰かが好きに振る舞えば、誰かがその割を食わされる、勝者と同じだけ敗者が出るゼロサムゲーム。ただ違う点は、前の学校の方が、その勝敗の基準がハッキリしていた。基準だけでなく、結果も今よりハッキリしていたように思う。今のは全てがモヤモヤだ。何で勝ってるのか、何で負けてるのかも、よそ者の自分にはぱっと見では判断がつかないし、勝ち負けの結果もどうもヌルい。
(ああ、そうか。さっき「負け」ていた奴が本気にならないのは、負けたって大したこと無いからか。平和って事だな。負けてる奴も、自分が負けてるとイマイチ気がつかないし、負けながらにして生きていくのもそう苦しいわけじゃないんだ。そりゃ、結構なことだ。)
小倉がまた内心でつぶやいているとチャイムが鳴り、教師が部屋に入ってくる。ダラダラと生徒が席に戻り始め、何故か授業の開始に悪態をつく、学校という場所が何の為の場所なのか理解していない馬鹿もちらほら居るが、教師もバカの相手には慣れてるのか、相手にはせず、それはつまり馬鹿につける薬はないということだろう。小倉も、机の中から教科書を出した。4限目が始まった。
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チャイムが鳴り、昼休憩になると、また学校中が騒がしくなっていく。よくもまあ、こんなに大声ではしゃぎ続けてられるのか。疲れはしないのだろうかとある意味感心しながら、小倉は購買へと向かう。
昼休みの購買は昼食のパンを買う生徒で混み合っている。4限終了のチャイムが鳴るやいなや教室を飛び出して全力ダッシュするような浅ましい連中も居るくらいで、そういうのも小倉からしてみれば「そんなに望み通りのパンが欲しけりゃ、朝の通学途中でコンビニにでも寄れば良いんではないか」と首を傾げずには居られない。小倉としては、そもそも学校の購買なぞで買う時点で、どのパンを食べることになるかには関心がない。安いからここで買うまでだ。だから小倉はゆっくりと歩いて購買まで辿り着き、長い列の最後尾に並んだ。
(……ん)
小倉は自分の前に立つ、華奢な背中に見覚えがあることに気づいた。艶やかで黒いショートカットの髪、うなじの白さがその髪の黒さと、良いコントラストになっている。
(高田紫穂だったっけ?昼もこいつ、ぼっちなんだな)
初めて松陽にやってきた日、教室の中へ入るのを躊躇っていた自分の横をするりと抜けていった小柄で華奢な少女。その印象は小倉の中に強く残っていた。その容姿も、目を引く一つの要因ではあるが、しかし見た目だけならここまでズバ抜けたインプレッションが残りはしなかった。その目つき。モノを見るような目つきと顔に張り付いたような無表情。それが小倉の中に強く刷り込まれていた。
転校してきてからこっち、小倉に声をかけてきた生徒は居たが、小倉はそのいずれとも仲を深める事が無かった。無下にあしらったつもりもないが、上滑りした下らない会話でお茶を濁し、問われるまで何も答えず、その答えもどこか曖昧だというのなら、既に高校生活の半分を過ぎて人間関係も出来上がっている時期なのだ、特段朗らかでもない転校生にわざわざ労力をかけて絡みついてくるような偏屈な奴も居らず、おかげで小倉はじっくり1人で周囲を観察する事ができた。自分は「見て」も、「見られ」ない。小倉を見返す奴など居ない。それは、情報を得るには実に都合が良かった。
そうやって見ている限り、この高田紫穂に関しては特定の人間関係を確認できなかった。何か用事がない限り、話しかける人間も居ない。モノを見るような目つきをしている割には、それほど人への対応が素っ気ない訳では無かったが、しかし会話を長く続けよう、相手と距離を縮めようという積極的な態度は微塵もなく、それが相手にも伝わっているのか、高田に話しかけた人間はすぐ逃げるように高田から離れていった。
一言で言うなら、孤高、だろうか。同じようにぼっちな奴は他にも居る。だが、高田の態度からは他のぼっちにありがちな卑屈さは感じられなかった。確かに独りだが、独りできちんと、背筋を伸ばして立っていた。少なくとも小倉にはそう見えた。そんな高田に、少しばかりの共感を覚えてはいたが、しかし、小倉はわざわざ話しかける気にもならなかった。
ぼっちが集まった所で仕方がない。ただ同じぼっちというだけで誰かと打ち解けられるような奴なら、そもそもぼっちにはならない。下手なコミュニケーションで、独りでいることの不安感を紛らわせ合うような、そんな無様を晒す事にしかならないだろう。ぼっちはしっかり一人立ち、いや独り立ちして、不安感や孤独感など全く気にしない強さを手に入れるべきなのだ。だから、例え高田紫穂にシンパシーを感じたとしても、自分と彼女の人生は触れ合わない。互いに離れた所で、しっかり立っていればそれでいい。
そんな事を考えているうちに、列は前に進んで、自分の前の高田の順番になった。
「何にする?」
「……メロンパン一つで」
小さい声、しかしその割にはっきりと聞こえる声で高田が注文した時、小倉は自分の背後から耳障りな甲高い声が響くのを聞いた。
「あーあ!メロンパン最後の1個だったのに!うっわマジサイアク!」
振り返ってみると、茶色く染まってクルクルとロールした髪をイジっている女を中心とした何人かのグループがこちら側を見ていた。どいつもこいつも、似たような制服の着崩し方をしていて、ぱっと見では見分けがつかないが、小倉は記憶を辿って、リーダー然としている女の名前は瀬尾という、同じクラスの女だったという事に思い至った。馬鹿みたいな声を出したのもこいつらしい。
「…………」
小倉と同じように、瀬尾達を振り返っていた高田は、表情をピクリとも変えなかった。どんな感情を抱いているのか、実に分かりにくい顔だったが、小倉は近くに立っていた分、その口から呆れたような息が漏れるのが聞こえた。
「……すみません」
高田が購買のオバサンの方に向き直り、注文の訂正を行おうとする。小倉は、自分の腹の中で何かが動いたのを感じた。自分の後ろの瀬尾が小さな声で「よし」と呟いていたのが聞こえると、腹の中で芽生えたその熱が一気に膨れ上がり、気がつくと、高田の華奢な肩に左手が伸びていた。
「……何?」
唐突に伸びてきた小倉の手が肩を掴む直前で高田は身を翻し、手をかわして小倉の方を振り返った。空を掴んだ左手をサッと引っ込めた小倉は、自分の方を振り返った高田と、初めて目を合わせた。モノを見るような目つきで見られると、やはりそれなりに違和感を感じる。しかし小倉には、以前に似たような目で見られた経験があり、おかげで怯む事はなかった。
「……メロンパン買えよ」
「え?」
高田の無表情が、僅かにピクリとする。小倉の後ろでは、「はァ?」と瀬尾が声を上げるのが聞こえたが、小倉は背後からの声は一切無視した。
「良いから、メロンパンを買え」
「……どうして?」
「どうしてもだ」
小倉はできるだけ、ドスの効いた低い声で、顎を引いて言った。前の学校で身についたモノの言い方だったが、この孤高の少女にはどこまで通じるか。高田は、自分を睨む小倉と、その後ろでキーキー騒ぐ瀬尾とを両方見て、もう一度、今度は大きく息をついて購買のオバさんに向き直った。
「すみません。やっぱりメロンパンで。」
「あいよ」
購買のオバさんからメロンパンを受け取った高田は、代わりに小銭を渡して踵を返した。その場から離れていく高田の背中と、その手の中のメロンパンを「ああ〜」と間抜けな声を出しながら見送った瀬尾は、勢いよく小倉の方を振り返った。
「ちょっとアンタ……勝手に何してくれたのさ」
くるくるとロールした髪先をイジり、斜め下に顔を向けながら瀬尾は小倉を睨む。ああ、こういう目線の使い方する奴、居たなあ。小倉は不意に前の学校の事が思い出されて、懐かしくなった。
(こういう、いかにもな格好、いかにもな仕草をする奴ほど、大した事ねえんだよなあ。元気かな、あいつ。ちょっと可愛がりすぎちまったかもしれねえけど)
「ちょっと、アンタ、聞いてんの?何笑ってんのよ気持ち悪い」
ずいっと小倉の方に一歩踏み出して、瀬尾は目を細めて小倉を睨んだ。さっきより近くで見た瀬尾の顔は、やたらと化粧が濃かった。小倉はもうどうにも笑いをこらえ切れなかった。4限の前に騒いでいた連中と、こいつも一緒だ。男と女が違うだけだ。髪型と服装と、後は化粧をどうにかしてやりゃあ、こいつらが普段見下してる「隠キャ」共と何も変わらない人間の出来上がりだ。何も特筆すべきところのない自分を必死に飾って、虚勢を張ってるだけの話だ。
「何とか言えよコラァ!」
目の前で瀬尾が怒鳴った。周囲の目がチラチラとこちらに向けられ、所謂「修羅場」というものが出来上がりつつある事が小倉には実感できたが、勝手に高田に手が伸びたさっきに比べれば、実に気持ちは落ち着いていた。
「……へーえ、そういう顔をしたら、今までみんなお前の言う事を聞いてくれたのか?」
「あん?」
「ああ、説明不足だったか?そうやって厚化粧した汚い顔の汚い目を見開くだけで、今までお前の周りの人間はお前の言う事を聞いてくれていたんですかって、質問してる訳よ」
「……ッ」
汚い顔呼ばわりされたのがちょっとこたえたのか、瀬尾は顔を紅潮させて言葉に詰まった。小倉は拍子抜けした。自分から迫ってきたというのに、ちょっと反撃されただけで勢いが萎えやがった。情けない。胸ぐらくらい掴まれるかと思ったのに。張り合いがないものだ。しかし、小倉は続く言葉を止める気も無かった。
「あのねえ、世の中の誰もがお前の言うことになんて従う訳がねえだろ?お前、昼休み小テストの再試受けにいってたよな?だからお前が来るまでにメロンパン売り切れちまったんだろ。そもそもお前が再試になんてなってなきゃ、お前はいつも通りメロンパン買えたわけ。自業自得だろうが。それを?たまたま最後の一個が目の前で売り切れたからって?俺に責任転嫁か。人のせいにすんなって幼稚園で教わらなかったのか?わがまま言うなって親に教わらなかったのかよ?ちょっと偉そうな面すれば何でも言う事を聞いてくれるなんて、思い上がりやがってよ。何でも自分の思う通りになると思うなよ、世の中はなァ、お前のお母さんじゃn……」
「はーい、ストップストップ。そこまでー。」
不意に、小倉と瀬尾の間に1人の男子生徒が割り込んでくる。この修羅場に似つかわしくない爽やかな笑顔、顔立ちは正統派のイケメンで、背も高く、体格も良い。その顔にも小倉は見覚えがあった。確か、田中智樹といったか。同じクラスの優等生で、成績優秀、スポーツ万能、少し見ただけでは欠点を見つけようがない、そんな奴だったような気がする。その田中の手には、売り切れたはずのメロンパンが握られていた。
「ほら、雅子、メロンパンは俺が買っといてやったから。だから機嫌直せよ。それに小倉くんも、ちょっと言い過ぎだぞ。」
小倉にケチョンケチョンにこきおろされていた瀬尾は、最初の勢いはすっかり萎えて、今はしゅんとしおらしくなりながら、田中からメロンパンを受け取る。田中は涙目の瀬尾をあやすようにして、機嫌をとっていた。
(……ああ、この学校で、先生以外に名前呼ばれたの初めてだったな)
小倉は田中と瀬尾の様子から目を逸らし、1人奇妙な感慨に浸っていた。
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