ソードアート・オンライン‐黒の幻影‐
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第1章 群像のフーガ 2022/11
3話 夕時の一幕
このゲーム《ソードアート・オンライン》の宿屋のシステムは少々凝ったつくりをしている。
当然のことながら一般的に宿を認識できる。というより、宿の看板を掲げる施設こそが正当な宿なのだが、それらで借りることのできる部屋は格安なのだが間取りが狭く、ベッドが固い。まさに木賃宿といった風情なのである。当然、狩りに出てコルが貯まって資金面に余裕が出れば、さらに良いグレードの宿で泊まりたいという高次の欲求が姿を現す。それこそが、この世界で自身が人を保っていられると確認できる点であると言えなくもないが、そんな俯瞰はこの際他所へ押しやる。
話を戻すと、その欲求を叶えることは可能である。
堂々と【INN】の看板を掲げる安宿よりも値段は張るもののそれなりに、いや、もしかすると、それ以上に宿泊者の欲求を満たす宿泊施設が確かに存在するのだ。それは時に農家の一室であったり、自警団の詰所の片隅であったり、中には空き家に無賃で………ということもある。そんな仕様が、かつての《遊びだった》SAOの頃にはまるで旅をしているように感じたものだ。
………それが俺たちの場合は、街の中心部から少し離れた民家の離れだった。
広い居間あり、風呂付き、ベッドルームもしっかり二部屋完備と、男女二名で行動する俺達にとっては夢のような物件が一日百二十コルで借りられる。利用人数で割れば一人当たりの利用料は六十コル。ベータテスト時に発見した時は敷居の高い物件だったが、今回は天恵にも思えた。街に入るや否やヒヨリの首根っこを掴んで引っ張った甲斐あって、つつがなく十日間の賃貸契約を締結することができた。
「じゃあ、燐ちゃん………始めるよ?」
――――そんな、運に恵まれて辿り付いた仮住まいで寛いでいる時だった。
いつになく神妙な面持ちのヒヨリはなぜがカーペットへ直に腰を下ろしている。膝に掛けるように《コート・オブ・アヴェンジャー》をオブジェクト化し、両手で包むように透明な液体で満たされた小瓶を握っていた。
「ちゃんとコートに使え。じゃないと無駄になるからな」
今朝露店で入手した装飾過多な鞘に収まった、装飾のない片刃の片手剣《レイジハウル》の様子を見ながら、注意だけ促す。
そもそもプレイヤー全員が剣やら斧やらを携行しているのだから、こんな装飾程度で小さくなる必要はなかったのだと思い至る。ゴテゴテした印象はどうしても強いが、性能の優秀さで目を瞑ることにした。
愛剣を脇へ置き、固くなりながら膝元のコートへ液体を垂らすヒヨリの姿を観察する。
瓶を傾けて恐る恐る一滴、続けて二滴三滴、少量の液体は七滴ほどで瓶から完全に出ていって、コートに吸われていった。
………そして、コートは淡い光を放ち、その色彩を漆黒から純白へと変化させる。ヒヨリが行おうとしていたのは、装備用色彩変更アイテムによるデザイン加工である。
コートが可愛くないという一言から、《セティスの祠》でドロップしたカラーリングアイテムを使うことになった次第だ。確かに、このデザインはヒヨリには似合わないし女性好みとは言い難い代物だっただろう。だが装備の性能上から頼らないわけにもいかず、妥協案として色彩変更と相成ったのである。
………だが、結果は予想を上回る出来だった。
黒い金属と黒革のロングコートは、白銀の意匠を持つ純白へと転身を遂げた。
何かの血痕を思わせる赤のグラデーションも白の色彩ステータスに飲み込まれて跡形もなく消え去り、追加で使用した《継ぎ足し布》――防具屋のクエストで入手可能。駄々をこねられ、休憩を潰されてまで入に手れた――によって端の擦り切れさえも消滅してしまい、もはや装備の名前以外は原型を留めていない。名称や性能こそ変化していないものの、レア防具のアレンジを第一層でやってのけてしまった事になる。この為に《裁縫》スキルを取るのだから、初心者の向こう見ずは空恐ろしい。
「………わあ、できたよー!」
「そういう効果だからな」
完成を確認し、飛び跳ねながら喜ぶヒヨリに簡素な事実だけを伝えるが、自分もゲームを始めた頃はこういった色鮮やかな感動の目白押しだったのだろうな、と振り返る。
「ねえ、ちょっとだけこれを着て外を歩いてみていい?」
「………外ね」
時計を確認すると午後三時を示していた。少し早いが、例のパン屋で買い食いしながらでも時間を潰せば良いだろう。
………で、要望である装備の着用だが、ドロップ品を継ぎ足し布で自分好みにアレンジしたとでも言えばどうにでもなるだろう。カラーリングアイテムも確率は極めて低いが通常ドロップで手に入る。革や布の防具の形状を変化させる継ぎ足し布の入手方法も広く知られている――――手に入れる余裕のあるプレイヤーがいるかは疑問だが――――ので、多少変わり者扱いされるかもしれないが、防具面の言い訳はいくらでもあるのだ。そして、この言い訳で俺は《自ら望んで厨二装備を纏う》痛い剣士となるわけだ。
同時に武器は既に擬装をやめているのだが、無我夢中で狩っていたらドロップ品がいつの間にかストレージに入っていたとでも言えばよい。
「よし、少し出てみるか」
ソファから腰を上げ、新たな鞘を腰に佩く形で身に付ける。
ヒヨリの前だけで済まそうとしていたものの、鞘の更新によって本来の鞘が消失してしまったので、まさに断腸の思いであったが表情に出さないように努める。こういうのは恥ずかしがったら負けなのだ。
「うん、行こう!」
こうして、純白のコートを纏ったヒヨリに先導される形で通りを目指した。
昼下がりということもあり、通りを歩くのはNPCもプレイヤーも数が多い。
ヒヨリは然程でもないから気にならないようだが、俺に向けられるプレイヤー達の視線が痛い。もし視線に干渉力が備わっていたならば、俺は今頃刺突ダメージの集中砲火でHPを根こそぎ削られていたことだろう。
とりあえず、よく利用するNPCベーカリーで手早く1コルの黒パンを三つ購入する。
もうすこし背伸びすれば、3コルのバゲットもどきや5コルのコッペパンもどきにありつけるのだが、ヒヨリが痛く気に入っていることもあり、その意思を尊重する形をとって倹約させてもらっている。俺は上手く食べるコツを知っていたのであまり気にはしない。
………さて、どうせ向かうなら噴水広場で時間を潰しておいた方が後に楽ができる。ベンチもあると思ったし、そこで休みがてら黒パンをいただく事としよう。
「………あ、燐ちゃん。あれってキリトくんだよね?」
ヒヨリが指差した先を見ると、ベンチに腰掛けるキリトと元・寝袋女が目に入る。
救助されていた方は既に意識を取り戻せたようで、間を隔てていながらも同じベンチに腰掛けているようだった。そしてどういうわけか、二人とも黒パンを手にしている。
これ、どう見ても声を掛けられないだろう………
「キリトくーん、こーんにーちはー!」
だが、そんな実質不可侵なエリアにもヒヨリは臆することなく、というより何も気付かぬが故に特攻をかけるのだった。
残された俺は、溜め息を吐きつつヒヨリの後を追い掛けるしかない。申し訳ないが、恨むならヒヨリを恨んでくれと、できればこの剣については触れないでくれと、祈るばかりだった。
「ヒヨリ? ………ということは………」
「………よ、よお………今朝ぶりだな………」
一応挨拶をするものの、大切な時間を侵害してしまったであろう罪悪感と、この剣の存在による羞恥心が強過ぎて平静を保てない。そもそも他人付き合いが苦手な俺にしてみれば、これ自体が立派な苦行である。一刻も早く借家に戻りたい。
「やっぱり、そっちもトールバーナに居たんだな」
しかし、流石はキリトといったところか。相手の事には詮索をしないスタンスは一切の揺らぎを見せない。世間話を切り出す口上も俺の中では最高点である。おかげで心に若干の余裕が現れるのを確かに実感できた。
「………まあな。キリトはこれから昼か?」
「そうなるかな」
現在の時刻は午後三時四十分。一般的には遅めなのだが、前述した通り日中はNPCが最も活発的に屋外に出て行動する――――NPC自体は日中に仕事や外出しているに過ぎないが――――時間帯であり、それは同時に《クエストを受けるのに都合の良い時間帯》とも言い換えられる。虐殺系クエストを朝の10時からこの時間までやるとするならば、五個から六個は無理なく片付く計算だろう。
………もっともこの二人に至っては、徹夜での救助活動や迷宮区籠りの疲労の蓄積などから、ねぐらで休んでいただけかも知れないが、それによる遅めの昼食というのなら納得のいく推論だ。
「ねえねえ、私たちもここでゆっくりしていっていい?」
「別に俺は構わないけど」
かなり図々しいヒヨリの申し出にもキリトは快く応じてくれた。だが、相席していた女性の方は完全に無言である。これは、状況から順当に察するなら拒絶であるが、ヒヨリがそんな空気に構う様子は一切なく、あろうことか二人の間に座るという暴挙をやらかしたのである。
「その黒パン、おいしいよね? 私も好きなんだ!」
「………これが?」
笑顔のヒヨリに、寝袋女は疑問の声で相対する。黒パンを口にしてはいるようだが、残念ながらそれは一手間掛けねばただの固くてボソボソしただけの劣悪な食品なのである。当然、そのままの黒パンを食べたことのないヒヨリと、そのままの黒パンしか食べたことのないであろう寝袋女とでは受容した味覚に極めて大きな溝が生じてしまうのである。
………しかし、このままイマドキ(?)の女子が質素な黒パンだけで胃――――というより、脳が訴える空腹感――――を満たすのは忍びない。男女水入らずの空気を粉砕してしまった罪悪感もあり、償いの意思表示として持物から、ヒヨリも大好きな例のブツを取り出そうとすると、既にキリトがそれを、封のされた小さな壺状のアイテムを懐から取り出していた。
「そのパンに使ってみろよ。ヒヨリは今朝も食べてたし、これの事を言ってたんだよな?」
「うん! それね、とってもおいしいんだよ!」
キリトから受け取り、ヒヨリの言葉を受けつつ、寝袋女は恐る恐る壺の蓋をタップする。浮かび上がったポップアップメニューを操作して指先に紫の光が灯った状態《対象指定モード》で黒パンに触れる。
すると、黒パンの表面に重量感のあるクリームが盛られたことに寝袋女は驚いたようで、僅かに肩を震わせて反応した。隣の相棒に至っては「指が光った………」と別の意味で困惑していた。ヒヨリは寝袋女の見せた《スマートなアイテムの使い方》ではなく、直に蓋をあけて塗ったり、物に垂らしたりといった《使用動作》を行っているのである。どっちにしても使う事には変わりないが、要は気分の問題だと思う。かくいう俺もメニューからの使用はあまり行わない。
「………クリーム? こんなもの、どこで………?」
「いっこ前の村で受けられる《逆襲の牝牛》ってクエストの報酬。クリアに時間かかるから、やる奴はあんまいないんだけどな」
何だか変わり者扱いされたようで不服だが、どうやらさしものキリトもそこまでで止まっているようだ。キリトは説明を終えると慣れた手つきでパンにクリームを使用する。キリトと女性に改めて謝罪の品を渡すチャンスが訪れたようである。
「ついでにこれ、使ってみろ」
「……これは?」
「俺も初めて見るな。使ってみるぞ?」
訝しむ寝袋女をよそに、キリトは積極的にクリームの乗った黒パンに手渡した陶器を使用する。ヒヨリもこともなげにパンに使う。初見である二人の予想される反応に期待せずにはいられない。
「これは………!?」
「………ジャム? こんなものまで………」
二人はそれぞれのパンの変化に呆気にとられていた。黒パンに乗るクリームの上には鮮やかな黄色のジャムが垂らされていて、これがまた甘酸っぱい香りを放つのだ。ヒヨリにせがまれるものの、面倒くさいのでたまにしか行ってやれない。それにはちょっとした理由がある。
「前の村の裏手に森があっただろう。日中に広場のベンチにいる老婆に十回話しかけるとフラグが立って《少女と木の実》っていうクエストが受けられるようになる。これはその報酬だ」
「ふつう、そんな条件だと誰も気付かないだろ………あのお婆さん、話しかけてもたまに眠ってるし………」
「隠しクエストだからな。………しかも、クエストを受けられる時間帯は朝の四時から五時の間だ。まともな奴なら知っててもやらないだろうな」
それでも回数こなしてストックを持ってしまうのは俺の悲しい性である。牛クエストをこなす輩が変わり者ならば、こんな隠しクエストをこなす俺はさながら変態だろうか。厨二剣士で変態とはこれいかに。自分で言うのもなんだが《関わりたくない類の人種》だと思ってしまったところが妙に悔しくてならない。
………と、そんなことを言っているうちに、寝袋女はフードファイターもかくやという食べっぷりで完食してしまった。思わず二度見してしまうくらいに見事なものだったが、当の本人は何かに耐えるようにケープを握っては深呼吸を繰り返す。顔が見えない上に挙動も掴みづらい。女性とは難しいものだ。
「………ご馳走様」
「どういたしまして」
「どうだった? おいしかったでしょ?」
素っ気ないお礼にキリトが返し、ヒヨリが食いつく。
しかし、ヒヨリの問いかけにはフードの下で小さく頷く程度とはいえ、ちゃんとリアクションを返してくれている。存外、性格は良い奴なのかもしれない。味を気に入ってくれたというなら報われたものである。
………だが、これ以上の長居は互いに得などないだろう。むしろこちらが一方的に邪魔しているようにしか思えない。
「ヒヨリ、そろそろ行くぞ」
「あ、燐ちゃん待ってて………今更になっちゃったけど、私はヒヨリ。こっちは燐ちゃんって言うの。あなたは?」
俺の名前は、きっと誰彼構わず公開されてゆく運命なのだろう。
口に戸は建たないとはいうが、せめてチャックくらいは取り付けてもらいたいものである。
「………ス、ナ………」
それは、確かに名前を口にしたのだろう。だが、いまいち声量が小さくて聞き取れなかった。
その結果、ヒヨリは首を傾げながら一体何スナなのだろうかと思案しているようだが、もう十分時間は与えたつもりだ。それに名前を聞くくらいなら、まだいくらでも時間があるだろう。
とりあえず、今なお粘り続けるヒヨリの首根っこを掴み、適当に挨拶だけ残してこの場をお開きとした。
後書き
Hさん(14)「あの女の子………いったい何スナなんだろう………」
はい。全く話の進まない回でしたね。
次は間違いなく自称ナイト様が登場します。
そして、ボス攻略を前に燐ちゃんは何を思うのか。頑張って参りたいと思います。
………さて、今回は防具の外見変更をやってみました。
SAOのステータスは筋力と敏捷だけしかなく、パラメータを振り分けることでキャラクター自身のステータスを作り、装備の持つ防御力や、使用する武器やソードスキルの選択によって個性や役割を構築するものだと思います。
当然、その世界では自分自身がその身に装備するものですから、やはり愛着を持って身につけられることに越したことはないですよね。外見もまた個性なのです。だから、決して燐ちゃんたちの装備を普通におおっぴらにできるようにするための口実とかじゃないですからね!?
………実を言うと、既にアニメでキリトさんのコートが染色されていたことに由来した設定ですので、オリジナルではありません。色が変わるなら形も変わっていいじゃない。という考えでやってみましたが如何でしょう?
一応、誰でもできたら面白くないんで《裁縫》スキルというものが必要ということにしました。ストーリー共々、今回はパッとしませんね………
とりあえず、次回で頑張ります。
ではまたノシ
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