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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二百六十五話  戦争への道 




帝国暦 489年 9月 15日  オーディン 新無憂宮  ヨッフェン・フォン・レムシャイド



オーディンに着くと自邸に戻る事なく直ぐに新無憂宮に向かった。地上車から見える風景は以前私が知っていた風景とは違った。街を歩く平民達の表情は明るい、以前有った何かに怯えるような暗さは何処にも無かった。街にも活気が溢れている。内乱、改革、帝国は変わったとは聞いていたが予想以上だ。

新無憂宮に着いてからもその思いは変わらなかった。新無憂宮の通路にはかつてなら噂話に興じていた貴族達が居ない。すれ違うのは速足で歩く廷臣と官史、女官だけだ。無駄に煩く無駄に人が多かった新無憂宮が閑散としている。その閑散とした新無憂宮を国務尚書の執務室に向かって歩いた。昔なら暇を持て余した貴族が何処へ行くのかと窺うところだ。

フェザーンで思った事だが貴族が力を失う時代、平民が力を振るう時代がやってきたのだと改めて思った。血統ではなく実力が尊ばれる時代が来た。将に、我々はその生まれに関係なく自らの足で立たなければならないのだ。しかしそれこそが本来ルドルフ大帝が望んだ事でもあった筈だ。帝国は正しい形になったのかもしれない。

国務尚書の執務室にはリヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥が居た。どうやら私が来るのを待っていたようだ。
「戻ったか、レムシャイド伯」
急いで部屋の中に入った。
「はっ、今フェザーンから戻りました。この度はお気遣い頂き、真に恐れ入ります」
リヒテンラーデ侯が楽しそうに笑い出した。

「礼なら私ではなくこの男に言うのじゃな。卿の命が危ない、オーディンに戻した方が良いと言ったのはヴァレンシュタイン元帥だ」
「そうでしたか。ヴァレンシュタイン元帥、こうして御会い出来た事を嬉しく思います。御好意、感謝します」

丁重に挨拶するとヴァレンシュタイン元帥は困ったような表情をして“当然の事をしたまでです、お気になさらないでください”と言った。物馴れていない少年めいたところが有る。冷徹非情な策謀家、無双の名将という評判の軍人には見えなかった。

「この男、悪知恵は働くのだが根は善良での。卿の死を利用して開戦のきっかけにしようとは考えぬようだ。私なら、さて、どうしたかの」
国務尚書が人の悪そうな笑みを浮かべた。元帥に視線を向けると元帥は苦笑していた。
「小官がレムシャイド伯の身が危ういと言うと何故もっと早く気付かぬと叱責されたのは国務尚書閣下です」
国務尚書に視線を向けたが惚けた様な顔をしている。

「そうだったかの、良く覚えておらぬが」
「そうだったのです、小官は良く覚えております」
国務尚書は惚けた様な顔、元帥は澄ました表情をしている。耐え切れなくなって吹き出してしまった。帝国屈指の実力者二人が子供のような言い合いをしている。リヒテンラーデ侯も笑い出し元帥も笑った。

国務尚書がソファーに座る事を勧めてくれた。リヒテンラーデ侯と元帥が並んで座り私がその対座に座った。用意してくれたのは紅茶だった。
「何はともあれ無事で良かった。フェザーンの状況は知っておるかの」
「私がフェザーンを発ってから動きが有った事は知っています。ペイワードに対するフェザーン人達の反発が大きくなっているとか」
リヒテンラーデ侯が頷いた。

「どうやら地球教が動き出したようだ。フェザーンを自由に動かすには自分達の意のままになる傀儡を自治領主にしたいのだろう。ペイワードは邪魔だという事だな」
「世論を動かして辞任させるか、或いは罷免するかを考えているという事でしょう。出来れば帝国も反乱軍もあまり刺激したくない、そんなところだと思います」
私の考えにリヒテンラーデ侯が頷いた。元帥は無言で紅茶を飲んでいる。

私がフェザーンを発った後、フェザーンではペイワードの手腕、自治領主就任の不透明さを誹謗する記事が幾つかの電子新聞に掲載されている。そして論調は徐々にだが厳しくなった。今では当初批判していた新聞以外にもペイワードを批判している新聞が有る。それに伴ってフェザーン人の間でもペイワードへの批判が高まっているようだが……。

「しかしペイワードを擁護する新聞も有るようです」
「うむ、反ペイワードの勢いは強くはなっているがどちらかと言えば支持する人間の方が多かろう。もっともフェザーン人の大部分は様子見、或いは無関心のようだが……」
「はい、フェザーン人は政治にはあまり関心を持ちません。連中が興味を持つのはまず第一に金儲けです」
私の言葉にリヒテンラーデ侯と元帥が苦笑を浮かべた。

「卿の帰国も利用されているようだ。反乱軍を重視し帝国を軽視したために卿は不満に思っている。今回の帰国はその不満の表れだと」
「身の危険を感じて逃げたとは思いますまい」
「まあ、そうだの」

一時帰国の挨拶をペイワードとシャノンにしたが二人ともこちらの意図には気付いていなかった。今は如何思っているか……、案外ペイワードを攻撃しているのは私だと思っているかもしれない。その事を二人に言うと二人とも苦笑を顔に浮かべた。有り得ると思ったようだ。

「まあ本命は地球教と思っているだろうが結構卿も連中を痛めつけたからの、その可能性を無視は出来まい」
「私は国務尚書閣下と元帥の指示に従っただけですが」
「遠慮はしなくても良いのだぞ、レムシャイド伯。結構楽しかったであろう?」
国務尚書が人の悪い笑顔でニヤニヤと笑っている。はて、こんな人だったか? もっと謹厳というか厳めしい人だと思ったが……。

「閣下、ペイワードを貶めるのが地球教、擁護するのが反乱軍でしょうがルビンスキーはどう動くと思われますか」
気を取り直して問い掛けると国務尚書はニヤニヤ笑いを納めヴァレンシュタイン元帥に視線を向けた。元帥が一つ頷く。

「両方を煽っているのではないかと思いますよ。彼が必要としているのは混乱と騒動です。出来るだけ対立を深め引っ掻き回したい、地球教、反乱軍が制御出来ない程の混乱を作り出す。そして帝国が出兵出来るだけの理由を作る、そう考えているのだと思います。現時点では取り敢えず対立を深める、それを目的にしているでしょう」
「なるほど」
私が頷くとヴァレンシュタイン元帥が笑みを漏らした。

「レムシャイド伯の暗殺を考えるとすればルビンスキーでしょうね。地球教、反乱軍を精神的に追い詰めるには最高のカードです。帝国も出兵するだけの名分を持つ事が出来ます。お分かりでしょう? レムシャイド伯自らが反乱軍と交渉したのですから」
その通りだ、分かっている。

帝国は反乱軍のフェザーン進駐を認めるに当たり八項目の条件を呑ませた。その中の第六条で反乱軍はフェザーンにおける帝国高等弁務官の権利、安全、そして行動の自由を保障する事を約束している。また第八条では帝国に対し反帝国的な活動を行なわない事。もし反帝国的な活動が有ったと帝国が認めた場合、反乱軍はフェザーンに進駐する正当な理由、権利の全てを失う事も認めさせている。

「ルビンスキーめ、当てが外れたかの」
含み笑いを漏らしながら国務尚書が元帥に視線を向けた。
「そうそう彼の思い通りにはさせません。多少は苦労をして貰います。彼は敵が多いですからね、生き残れるかどうか……。その力量がどの程度の物か、見せて貰いましょう」
声も冷たければ言葉も冷たい。ヴァレンシュタイン元帥が冷笑を浮かべると国務尚書が私を見て笑い声を上げた。

「怖い男であろう、レムシャイド伯。他人事のように言っておるがルビンスキーを邪魔だと思っているのは司令長官も同じよ」
「……」
言葉が出ない、先程までの元帥とはまるで違う。何時の間にか春の陽だまりから厳冬の寒風に変わっていた。そんな私を見て国務尚書がまた笑った。
「早ければ年内、遅くとも来年早々には出兵になる筈だ。軍はイゼルローン、フェザーンの二正面作戦を展開する。卿はフェザーン方面軍に同行する。良いな?」
「はっ」
私が答えると国務尚書が満足げに頷いた。

「フェザーン占領後は卿がフェザーンの占領行政の責任者となる。軍とは十分に意識を合わせておくことじゃ」
「承知しました」
「それと政府閣僚ともだ、頼むぞ」
「はっ」
責任重大だな。ヴァレンシュタイン元帥に視線を向けた。元帥は先程とは違う穏やかな笑みを浮かべていた。春の陽だまりだ。



帝国暦 489年 9月 30日  オーディン マリーンドルフ伯爵邸  コルネリアス・ルッツ



伯爵邸の応接室は落ち着いた感じのする部屋だった。むやみに高価な家具や調度、芸術品は無い。平民の俺が居ても疲れない部屋だ。内乱終結後、時折此処に来るようになった。マリーンドルフ伯も歓迎してくれる。今日も三人でコーヒーを飲んでいる。

伯が俺を歓迎してくれるのは俺をヒルダの親しい友人、いや恋人と認めてくれているのも有るが政治的な意味合いも有るようだ。例のキュンメル男爵のヴァレンシュタイン元帥暗殺未遂事件でマリーンドルフ伯爵家は極めて拙い立場になった。もう少しで帝国は国家の中心人物を失うところだったのだ。伯爵家に対する非難は大きかったと言って良い。

そんな伯爵家にとって俺とヒルダの関係は極めて都合の良い物だった。内乱で別働隊を率いた俺はヴァレンシュタイン元帥の信頼厚い部下と周囲から評価されている。そんな俺が頻繁に伯爵家を訪ねる、そして司令長官はその事に関して何も言わないし閣下から俺が避けられる事も無い。

司令長官はマリーンドルフ伯爵家に対して何ら含む所は無い、俺とヒルダの事も認め祝福している、周囲はそう認識している。つまりマリーンドルフ伯爵家は許されているという事だ。そうでなければ伯に対して内務尚書を辞任しろという圧力が周囲からかかっただろう。政府閣僚には司令長官に近い改革派が少なからずいるのだ。

「相変わらずお忙しいのですか」
「そうだね、内乱が終わって一年と半に満たない。今は新たな国家建設の時だ、とても暇とは言えないな」
内務尚書、マリーンドルフ伯が穏やかに笑い声を上げた。多くの貴族が持っていた傲慢さをまるで感じさせない笑い声だ。実際伯ほどの人格者はなかなか居ないだろう。その事も伯が内務尚書を辞任せずに済んだ理由の筈だ。

「それでも以前に比べればかなり楽な筈ですわ。そうでしょう、お父様」
「まあ、それはそうだが」
ヒルダの言葉に伯がちょっと照れたような表情をした。聡明な娘に痛いところを突かれた父親、そんなところだ。もしかすると伯はそんな父親役を楽しんでいるのかもしれない、コーヒーを飲んでいる伯を見てそう思った。

「やはり省を解体した事が大きいのでしょうか」
問い掛けると伯が笑みを浮かべながら頷いた。
「そうだね。以前に比べれば何分の一、そんなところだろう。もし元のままだったらこの時期に私一人で切り回すのはなかなか難しいと思う」
「内務省は省庁の中の省ですものね」
ヒルダの言葉に伯も俺も頷いた。

かつて内務省は省庁の中の省と呼ばれた。内務省が持っていた権限は財務、司法、軍事を除いた行政全てといって良かった。帝国内で内務尚書ほど大きな権限を持っていた人物は居ないだろう。だが内乱後は新たに保安、自治、運輸、工部、民生の五つの省が誕生し内務省が持っていた権限を委譲された。

内乱時に政府に敵対しローエングラム伯の反逆に与する動きを見せた事に対する罰だと言われているが元々内務省が持つ大きすぎる権限に反発する声、弊害を指摘する声は有ったのだ。俺には政府が報復というよりもそれらの声に配慮したのではないかと思える。今内務省に残るのは各行政機関の機構・定員・運営や各行政機関に対する監察、恩給、国勢調査だけだ。内乱により内務省はその権力を失った。

「今忙しいと仰られるのは?」
「国勢調査だよ」
「国勢調査? そういえば私の所にも国勢調査の資料が来ていました。……妙だな、あれは十年毎、下一桁が五の年に行われると思っていましたが……」
俺が疑問を口にすると伯が“その通り”と言って頷いた。

「内乱で随分と人が死んだからね。貴族に与していて没落した人間もいる。今までの国勢資料は当てにならないだろうと政府は考えている」
「なるほど」
国内は劇的に変わった。確かに過去の資料は当てにならない。

「それにもう一つ問題が有った」
「もう一つ?」
問い返すと伯が頷いた。
「没落した貴族達だがまともな国勢資料を作っていなかったようだ。連中から政府に提出された資料は全く役に立たない」
「それは……」
やれやれだ、呆れもしたが貴族達が遣りそうな事だとも思った。俺が苦笑するとマリーンドルフ伯は声を上げて笑った。ヒルダが“お父様”と伯をまた窘めた。

「失礼、そんなわけでね、二重の意味で過去の資料は役に立たないという事だ。それで急遽国勢調査をという事になった」
「なんと言うか、まあ言葉が見つかりません」
伯がまた笑った。今度はヒルダも咎めなかった。彼女も苦笑している。

「今回の国勢調査で内乱終結後の帝国の人口、世帯の実状がはっきりする。次は五年後に行うが改革によって帝国がどう変わったか、はっきり見えてくるはずだ」
「五年後? 十年後ではないのですか?」
俺が問い掛けると伯が頷いた。
「今後は五年毎に国勢調査を行う。改革には常に正しい情報が必要だからね。十年毎ではいささか間が開き過ぎる、不備が有っても気付くのが遅くては損失が大きくなりかねない」
「……」

なるほど、確かに十年毎ではいささか間が開き過ぎるな。改革によって帝国は急激に変化している、五年毎の国勢調査は妥当だろう。そして政府はこれからも本気で改革を進めようとしている証拠でもある。喜ばしい事だ、俺だけじゃない、多くの平民達が喜ぶだろう。

「ところで軍の方はどうなのかな。最近フェザーンが騒がしいが」
「密かにですが戦争の準備は始まっています」
俺が答えると伯はウンウンと頷いた。
「おそらくフェザーン、イゼルローン両回廊へ帝国軍全軍を挙げての大規模出兵になる筈です」
伯が大きく頷いた。

「最後の戦いか。いよいよだな、政府でも戦争が間近だろうと話が出るよ」
「……」
「帝国軍が圧倒的に有利だと皆が言っている。あっという間に戦争は終わってしまうのではないかと。いささか物足りないのではないかね?」
伯が覗き込むように俺を見てきた。思わず苦笑が漏れた。

「戦力的に有利であっても楽に勝てる戦いなどは有りません。特に反乱軍は負ければ国が亡びかねません。おそらく、死にもの狂いで向かってくるでしょう。そういう敵がどれ程恐ろしいかは昨年の内乱で嫌というほど思い知りました。油断は出来ません」

伯は興味深げに聞いていたがヒルダは表情を消して頷いていた。彼女は分かっている、キフォイザー星域の会戦で勝てたのはヒルデスハイム伯が勝利に逸った所為だった。あれが無ければ勝てたかどうか……。敗ければ辺境星域は貴族連合の手に落ちていただろう。

そしてリッテンハイム侯の抵抗、今でもうなされる程の悪夢を見る勝利、あれを勝利というのなら勝利とは苦痛以外の何物でも無い。それ以上の苦痛が有るのだろうか? 有るとすればそれは敗北する事だろう。楽に勝てる戦争などというものは無いのだ。その事はヴァレンシュタイン司令長官も理解している。ガイエスブルクの決戦では自らを囮にするほどの危険を冒さなければ勝利を得られなかったのだから。

寄せ集めと言われ圧勝するだろうと思った貴族連合軍でさえそれほどの苦戦を強いられた。そして反乱軍は貴族連合軍とは違う、彼らは軍人、プロの戦闘集団なのだ。ビュコック、ウランフ、ヤン・ウェンリーなど一筋縄ではいかない男達が揃っている。油断など出来る事ではない。



 
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