FAIRY TAIL 星と影と……(凍結)
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EP.29 ジョゼの研究
前書き
いまさらですが、オリジナル設定てんこ盛りです
魔導士ギルド、幽鬼の支配者のギルドマスター、ジョゼ・ポーラは目的のためなら手段を択ばない狡猾さと残忍さ、そして『他のどんな存在よりも優れていたい』という強い向上心を持った魔導士である。その病的とさえ言える向上心という名の欲望が彼を聖十大魔道の座に着かせ、幽鬼の支配者をフィオーレ一の規模を誇る魔導士ギルドへと成長させたと言っていいだろう。
他者を蹴落としてでも自身の力を、そして心血注いで作り上げたギルドを発展させたい。そんな貪欲さを持った彼は魔法評議院が聖十大魔道に与える特権――例を一つ上げるとすれば、評議院が定めた秘匿レベルが高位の魔法書や古文書、文献の閲覧か――を使い、この世に存在するあらゆる魔法の知識を、あわよくばその力を得ようと、ギルドマスターとしての仕事をこなしながら調査をしていた。
『星族』の名を見つけたのはそんな調査の折だった。
人類史上最も多くの人命を奪った個人が『最悪の黒魔導士』であれば、
人類史上最も多くの人命を奪った集団は『星族』である。
自分の特権が許す範囲で最大レベルの秘匿情報を記した記録にそう書かれていたのだ。
人の口に戸を立てられないとはよく言った物で、最高クラスの秘匿レベルの存在である星族については何か恐ろしいものだと言う程度ではあったが、人々の間で噂はされていた。そのどれもがまゆつば物であったのだが……実態が不確かで不透明だったからこそ、余計に不安と恐怖を煽っていたのは余談である。
『いい子にしていないと、星族にさらわれてしまうよ』
アースランドの子供は母親にそう言われて育つ。ジョゼとてそのフレーズは頭の片隅にはあった。
子供を宥めて言いつけを守らせる文句に使われている存在が、実は魔法界きっての災厄・ゼレフと並んで危険視されているなど、誰が信じられるだろうか。ご多分に漏れず、知った時はジョゼもたいそう驚いた。
だが驚愕の熱が冷めた時、野心深くて強欲な彼の脳裏にある考えがよぎった。
『星族の力、ものにできないだろうか』
世界各地に呪いやら悪魔やらを振りまいたといってもゼレフは所詮『個人』。だが『集団』である星族なら、全体の一角の内の一節の内の一端の内の一部というレベルでも手掛かりは多岐に渡って広がっているに違いない。
そう考えたジョゼはさらに調査と研究に没頭していく。
『数だけは多い』と揶揄される原因である、魔導士としての質はお世辞にも高いとは言えない末端の構成員たちも使ってありとあらゆる情報を集めさせた。
当然、少しでも思うところがあれば実際に足を動かして各地に赴いた。苦労を惜しんだ事は無かったが、それでも空振りに終わる事が殆どだった。
集めたのは魔法に関する事だけではない。歴史、地理、自然、生物、天候、果ては哲学まで――――もうこの世のすべての知識を集める勢いで情報収集を行ったのだ。
膨大という言葉では表せないほどの量、その9割以上を無駄な情報が占める中、手掛かりといえる一割以下の情報を探し当てるなど、幾ら若くして聖十の座に登り詰めた天才魔導士といえども苦行以外の何物でもなかった。しかもその一割の情報は、例えるなら枠の無い――つまり果ての無いジグソーパズルの一片のピースの、さらにその欠片のようなものである。
それでもジョゼは諦めるようとはしなかった。途中で目的が知る事、知識を集める事にすり替わりそうになろうとも、手と足と目と頭を止める事は無かった。
全ては頂点に立つため。その執念は、まさに『強欲』という狂気のなせる業だった。
= = =
「ヤツボシの一族――『星族』に名を連ねる者は、その証として生後間もなく身体のどこかに星型の刺青を入れるという……」
ブツブツと、ジョゼは呟くように言うと、“黒羽の鎧”に身を包んだエルザの傍らで膝をついて荒い呼吸を整えようとしているワタルを――その左肩に刻まれている星を目に焼き付けるように凝視した。
「ついに見つけた! よもや妖精の尻尾にいたとはね……クックック……」
多大な時間と労量を費やし、焦がれるほどに探し求めてきた『星族』……目の前にその正真正銘、本物の末裔がいる。笑いも漏れるというものだ。
狂喜のあまり、ジョゼの視界には直接こちらに敵意を放っている緋色さえも映っていなかった。
「神がいるというなら、キスでもしてやりたいくらいだ! 家出したハートフィリアの娘を連れ戻しに来て、まさかこんな……ククク、アーハッハッハッハッハ!!」
「……何がそんなにおかしい」
ジョゼは片手を顔に当てるとそう言い、堪えきれないように高笑いを上げる。
これまでの余裕に満ちた態度から急変して、狂ったように歓喜の笑い声を上げるジョゼに、エルザは警戒を解かないまま怪訝な目を向けた。
それに気付いたのか、ジョゼは高笑いを止めると口を開く。
「フム……気分が良いからな、冥土の土産にでも話してやろう。……魔力、人材、金――――そのどれをとっても、幽鬼の支配者はずっとこの国で一番だった」
「は?」
いきなり話が飛び、自分の頭がおかしいのかとエルザが思ったのも無理はないだろう。
そんな彼女に構わず、嬉しそうな、それでいて狂的な薄ら笑いを浮かべながらジョゼは話を続ける。
「実に気分の良い日々だったよ。皆が恐れおののき、並ぶものなどいない。立ち向かうなどもっての外……そんなギルドの頂点に私は立っていたのだからな」
だが――とジョゼは言葉を切り、表情を歓喜の笑みから一変させた。
「ここ数年で、急激に力をつけてきたギルドがある……そう、貴様等妖精の尻尾だ。元々弱小ギルドだったくせに、我が幽鬼の支配者と並んでこの国を代表するほどに貴様等は大きくなった!」
忌々しいことこの上ないと、狂喜から一変、黒く濁った憎悪の魔力を迸らせながらジョゼは語る。
「この戦争は、そのくだらん妬みが引き起こしたとでも……!?」
「妬み? 違うな。我々は優劣をハッキリさせたいのだよ。我々が頂点なのだと証明するためにね……!」
別に妖精の尻尾はフィオーレ一の座にこだわっている訳でも、目指している訳でもない。
他人の評価など気にせず自由気ままに歩んでいる彼らにとって、ジョゼの言い分は一方的な言いがかりに過ぎないのだ。
そんな怒りから、エルザは剣先を向けるが、ジョゼは鼻で笑うように受け流す。
「戦争の引き金は些細な事だった。家出した娘を連れ戻して欲しい――ハートフィリア財閥からそんな依頼が舞い込んできたのさ。調べて驚いたよ……その娘は妖精の尻尾に居たのだからな」
憎悪の色を強めるジョゼは醜悪な魔力を垂れ流す。その膨大さも相まり、触れるだけで気力が萎えるような瘴気すら感じたワタルは顔を歪めた。
苦しげに息を吐く彼を見て溜飲を下げたのか、ジョゼは嗜虐的な笑みを浮かべて続ける。
「話は変わりますが、私はある存在について調べていた……そう、貴様等『星族』だ。聖十大魔道の特権を使って閲覧した文献には、あのゼレフにと同列に記されていたよ」
「ゼレフだと……!?」
「……かの有名な、史上最悪の黒魔導士と並べられていたとは知らなかったな。『星族』も偉くなったもんだ」
ゼレフ――因縁深い名に驚愕の表情を浮かべるエルザ。彼女とは対照的に、ワタルは無感情にではあるが、どこか自嘲を含めて吐き捨てた。
そんな二人が目に入っていないかのようにジョゼは言葉を続ける。
「魔法評議院にそこまで恐れられる存在を私は独自に調査していた。が、直接的な情報が載せられたと思われる資料にはどれも検閲が入っていたため調査は難航を極めたよ。それでも、膨大な時間と労力を費やして……私は『星族』の片鱗を掴むことに成功したのだ!」
砂漠の中からダイヤモンドを見つけるが如き苦行だったが、解明されていく事は驚く事ばかりだったと、ジョゼは子供のように興奮を隠そうともしないで語る。
400年もの昔、このイシュガル大陸の最東端に位置する国でその名を轟かせ、栄華を極めていた事。
誰よりも魔法と魔力、そしてエーテルナノに精通しており、ひとたび魔法に触れば根本から滅し、魔導士の身体に触れば一瞬で再起不能になるまでにその肉体を壊す事ができた事。
当時の戦争では負けを知らず、敵対者は女子供であっても完膚なきまでに滅ぼす、苛烈で激烈な闘争心を持っていた事。
戦争で滅ぼされた部族が使っていた魔法は、現在失われた魔法と呼ばれている魔法である事。
敗者として落ち延びた生き残りたちは世界中に散らばり、盗賊紛いの事をして生計を立てており、『星族』たちは戦後彼らを狩り立てていった事。
戦争で、もっと詳しく言えば膨大な魔力のぶつかり合いによって『天変地異』とも呼べる異常気象や災害が引き起こされた事。
それによって環境が激変して生態系が破壊されてしまい、当時世界一と称えられていた国土の美しさは見る影も無い程に汚され荒廃。国どころか世界中が甚大な被害を被った事。
そのために、『星族』は世界中で疫病神としておそれられ、蛇蝎の如く忌み嫌われている事を語った。
= = =
「何も知らないくせに……!」
ジョゼの言葉を切るように、エルザは憤怒を浮かべて一歩前に出る。
ワタルの一族・星族の事を聞き、彼女の脳裏に浮かんだのは……嘗て彼の口から語られた言葉だった。
『俺たちは生まれてはいけなかった、生きる価値も無い存在なのかもしれない――そう思わない日はなかった……』
それは、久しく感じていなかった無力感を味わった時の苦い記憶。
ある仕事の際に自分を庇って重傷を負い、慣れない手で四苦八苦しながら応急処置を終えて何とか一命を取り留めた彼が『こんな機会でもなければ話せそうにない』と言って、自分たちの先祖の事を話してくれた事があったのだ。
目標として憧れていた姿とは程遠く、弱弱しく先祖の行いに苦悩して語るワタルの悲痛に満ちた顔が思い出され、エルザは好き勝手に詰るジョゼに対して義憤に駆られた。
頭では観点の違いからくる見解の相違だと納得していても、愛する男をここまでいいように言われて黙っていられるほど、冷徹でもドライでもなかったからだ。
「エルザ」
「ワタル……しかし……!」
「……」
「く……」
だが、当のワタルに肩を掴まれエルザは足を止める。抗議しようと振り返ってみたが……まるで、事実だからと言わんばかりに、彼が無言で首を振ったため、奥歯を噛み締めて悔しさをにじませながらも彼女は振り下ろすタイミングを失った剣を下ろした。
「一国さえも揺るがし、破壊できるだけの財力と武力――この二つがあれば、我が幽鬼の支配者は王国一に留まらず、大陸一……いや、世界一の魔導士ギルドになる事だって夢ではない!」
二人のやり取りが見えていないのか、再び歓喜から憎悪の表情にシフトするジョゼ。
あまりの興奮に、口角泡を飛ばしているのにも気付いていない。
「そのためには……妖精の尻尾はこの上なく目障りなのだよ! 小うるさい羽音を立てて、幽鬼の縄張りに踏み入った事を後悔しながら地獄に行くがいい!!」
熱に浮かされたかのように、ジョゼ不気味な笑みをこぼしながら己の野望を語る。
歓喜、憎悪、嫉妬――ころころと変わる感情を制御できていないジョゼのその様は正気を激しく逸脱していると判別するのに十分であり、ワタルには彼が狂気に侵されているのがはっきりと分かった。
「だが安心しなさい。ハートフィリアの娘はもちろん、『星族』も殺しはしない。娘は財閥から金が搾り取れなくなるまで飼い殺しに、その小僧には貴重なサンプルとして私の糧になってもらうのだからな! 『星族』の末裔が消えて喜ぶ者など、この世に腐るほどいる! 生きる価値も無い疫病神にはもったいない程だ!!」
= = =
「(まるで正気ではない……しかしマズイな)」
並外れた魔力を振り撒いて何かに取りつかれたかのように語り続けるジョゼの様子を、ワタルは息を整えながら観察すると共に分析し、その結果に眉を顰めた。
普段の理知的な姿をかなぐり捨てて、感情をむき出しにした彼の様子は明らかに常軌を逸している。
だが、ジョゼの怖いところは、そんな精神に理性を共生させているところだ。
それはもちろん、落ち着いた様子を見せている、という訳では無い。
どんなに激しく感情を表に出そうとも、『頂点に立つ』という目的を見失っていない、という事だ。
これから行われるのは、もはや先程までの退屈凌ぎと抵抗を続ける者たちへの見せしめとして、自分の力を誇示するためのお遊戯などではなく、食うか食われるかの闘争だろう。
そのお遊戯ですら、自分たちはジョゼに歯が立っていない――その事実に、ワタルが危機感を覚えるのも当然と言える。
「(手が無い訳じゃない。でも――――)」
『もう二度と、あんな真っ黒な感情で塗りつぶされたお前は見たくない』
ワタルの脳裏によみがえるのはエルザの泣きそうな顔と震えた言葉。
しかし、原因は不明だが『退魔の光』の使用時の消耗が尋常ではない今、ジョゼを打倒するにはどうしたって『もう一つの力』を解放しなくてはならない。
「(狂気を走らせ解き放つ……いや、奴と同じことをするだけでは届かない。なら制御……否、支配する事によって奴の先を行く――――俺にできるのか、そんな事……?)」
一度身をやつして、制御できずに飲み込まれた狂気という『力』に身を投じる。
遊びを捨てて攻めてくるであろうジョゼに打ち勝ち、ギルドと仲間を守るにはそれ以外に選択肢などないのだが……皮肉にも、共に在りたいと願った彼女の言葉がワタルを躊躇わせていた。
「(くそ……じゃあ……)……ッ!」
崩れた壁から差し込む陽光が作る自分の影が、光が雲に遮られた事によって揺らめくように明暗をつける。
ワタルには、それが自分の精神に住まう大鹿を象った怨念、中務が自分を嘲笑ったかのように思えてならなかった。
一切の迷いとしがらみを捨てる覚悟で臨まなければ、『力』の制御などできるものではない。御する事ができずに飲みこまれてしまえば、敵味方の見境なしに力尽きるまで暴れ続ける戦闘マシーンへと身を落とす事になる。
「(一体、どうすれば……)」
だが……事態は決して、彼の逡巡を待ってはくれない。
「黙れェェェェェェッ!!」
「!? よせ、エルザ! 今の奴に迂闊に飛び込むな!」
「おっと……何をお怒りで、妖精女王?」
ジョゼの言葉に堪忍袋の緒が切れたのか、エルザは吶喊を敢行。狂人の戯言にいちいち耳を傾けていては身が持たないと、半分聞き流しながら分析・逡巡に没頭していたワタルは反応が遅れ、それを許してしまう。
『情に厚い、どちらかといえば頑固で直情的な彼女が、一度の制止で止まる筈がなかった』
そう己の迂闊さを呪っている彼をよそに、ジョゼは彼女が激情と共に振り下ろした剣を指に込めた魔力で難なく受け止める。
別に躱しても良かったと言わんばかりに、小馬鹿にしたように尋ねるジョゼははっきりと侮蔑を表に出しており、彼女は憤怒の色をさらに濃くした。
「貴様が……」
「あぁ?」
まるで大樹に切り付けているかのように微動だにしないジョゼに怯まず、エルザは怒りの言葉を吐き出す。
「私の前でルーシィを、アイツを…………私の大事な仲間を語るな!! 戦争の引き金、ハートフィリアの娘だと? 花が咲く場所を選べないように、子供だって親を選べない。貴様に涙を流すルーシィの何が分かる!」
怒りで赤く染まった思考で、エルザはこれ以上無い程に強く歯を食いしばりながら、非力を蔑むようにニタリと嗤っているジョゼに対して憤怒を強めるとともに、これまでの戦いで消費して残り僅かとなってしまったなけなしの魔力を惜しまずに剣へと行き渡らせる。
家出したルーシィが大企業である実家の財産を使える訳も無いと、幽鬼の支配者の、ひいてはジョゼの情報収集能力を指摘して嗤ってやる余裕は、怒りに塗りつぶされたエルザの心には存在しなかった。
それは目の前で嗤うこの男が、自分の前で一面だけを見て彼を侮辱したからだ。
狂気という深い闇に堕ちた仲間を元に戻せなかった無力感と結果的に大勢の仲間を置いて行ってしまった罪悪感に苛まれていた自分は当時、頼んでいないにもかかわらず助けてくれた彼を信じきれず、猜疑心を向けていた。意外と繊細で心の機微に聡い彼の事だ、その事に気付いていただろうに、彼は何も言う事無く自分の傍に居てくれた。
魔法を、知識を、自分や仲間を守る方法を、心構えを、他にも色んなことを教えてくれた。最近まで意識する事は無かったが、勝手に遠いと思い込んでいただけで、いつだって隣を歩いてくれていた。
今では想像もできないが、もし彼に拾われず一人のままだったとしたら、正気で歩き続ける事が出来た自信は無い。よしんば正気を保てたとしても、自分は誰ひとり寄せ付けず、仲間に囲まれて助けられてきた事にも気付けず、きっと一人のままだっただろう。
今の自分があるのは、彼が居てくれたからだ。自信を持ってそう言い切る事が出来る。
その彼を、謂れの無い罪にずっと苦しんできた彼を、コイツは何と言った。
「疫病神、サンプルだと……? 消えて喜ぶ者しかいないだと?」
半身、パートナーを侮辱され、今までに無い程に怒りを露わにしたエルザは憎しみすら込めて言葉に乗せ、吠えた。
「貴様に、生まれる遥か前に課せられた重い十字架を背負わされて、ずっと苦しんできたアイツの、何が分かる!!」
そんなエルザの激昂にもジョゼは全く堪えた様子を見せず、やれやれと首を振る。
そして…………
「……残念ながら、貴女にもう用は無い」
「ッ!? うあっ!!」
歴戦のエルザですら死を幻視させるほどに冷たい声を聞いたその瞬間……経験した事の無い寒気が背筋を駆け抜け、マグマのように煮えたぎっていた怒りは一瞬で氷のように冷え切ってしまう。
息を飲んで衝撃に備える暇もなく悍ましさを覚える黒い光が煌めき、彼女はまるで砲弾のような速度で吹き飛ばされた。今までとは桁違いの魔力に耐えきれず、彼女の身を守り、力になってきた鎧も砕かれてしまう。
悪寒、危険、離脱――――ジョゼの仄暗く、そして濃い狂気を宿した光に満ちた目を見た彼女にできたのは、これまでとは全く違う魔力の質に肌を粟立たせてそう思考することだけであった。
「(あれは……!)」
だが、離れていたワタルには長身のジョゼの背後に黒と紫色を基調とした人形が出現したのが見えていた。
長身のジョゼより頭一つ分高い所から頭部を覗かせているソレは人の形をしているが、放つ雰囲気は異質そのもの。
明らかに人ではないそれに、ワタルは見覚えがあった……いや、知識として知っていた、という方が正確か。
ソレは今ここに存在するはずがない、して良い物でも無いのだが……驚いている暇もない。
エルザは現在進行形でワタル目掛けて吹き飛ばされているのだから。
「(どうしてアレがあんな所に……? いや、それより……)エルザ!」
驚愕と戦慄を無理矢理押さえ込み、両手に持った鎖鎌を手放して彼女を後ろから抱きしめる形で受け止めようとしたが……
「(思ったより勢いがっ……)くっ!」
想像していたものよりも勢いよく飛んできたエルザをその場で完全に受け止める事はできず、衝撃を殺すためにとっさに後ろに跳んだ事も加えて、彼女に巻き込まれる形でワタルも弾き飛ばされてしまう。
「ぐえっ……!」
そのまま彼らの勢いを止めるものは無く、彼らは石壁に激突した事によってようやく止まった。
図らずもエルザのクッションになり、衝撃に呻いていたワタルだったが……嫌に湿った音の咳にハッとした。
「ゲホッ、ゴホッ――――くそ、たった一撃で……しかも、何をされたのかも、分からなかった……ゲホッ!」
「ッ、血が……! おい、大丈夫か!?」
鎧を砕かれた事も知覚できないままに呻き、肺が吐き出された空気を求めて咳き込むエルザ。内臓を痛めたのか、その咳には血が混じっていた。
下手をすれば命に関わる事態になりかねないと、慌てたワタルは彼女の耳元で叫ぶように呼びかける。
「聞こ、えてる……耳元で、叫ぶな」
「(意識はあるが、かろうじてか……戦闘は無理だな。それに……)」
身を呈して岩壁との間の緩衝材となったのが功を奏したのか、苦しげに呼吸しながらの細い声ではあるが応答したエルザにワタルは一応安堵する。
だが、彼女のダメージが深刻な事には変わりはない。戦闘続行が困難であるという判断をワタルが下すのに、そう時間は掛からなかった。
だが黒い人形の出現は状況を逼迫させており、ワタルはすぐにジョゼの方へ、その背後へと視線を向ける。
「(色も細部も違うが、あれはやはり……!)」
「……あの、黒いのは……一体……」
意識も朦朧としてはっきりしていないエルザだったが、ジョゼの背後に現れた黒いナニカ――視界は霞んでいたため、人型と判別できなかった――から、形容し難い、強いて言えば異質としか言えないものは感じていた。
正体はまったく分からないし、見当もつかない。しかし、まるで虫が花の香に誘われるかのような、本能的に惹きつけられる物を感じたのだ。
だが、密着している程にすぐ後ろからの、まるで戦慄したかのようなワタルの声で我に返る。
「なんであんな物がこんな所に……!」
「知ってるのか、ワタル?」
「ッ……」
膝をついて後ろからエルザを抱きかかえているワタルも彼女と同じように黒い人形を食い入るように見ていたが……緊張でひりつく喉に唾を送り込むと、彼女の質問に首肯し、口を開く。
「知ってる奴とは違うが、間違いない。昔の戦争で生まれた負の遺産の一つ……道化師だ」
戦慄、驚愕、怒り、そして恐怖……黒い人形・道化師とその主ジョゼは、ワタルのそんな感情をないまぜにした言葉に、同調したかのように口元に笑みを浮かべるのだった。
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