クルスニク・オーケストラ
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第四楽章 心の所有権
4-2小節
「見つけましてよ、ユリウス前室長」
「やれやれ。見つかってしまったか」
イラート海停に着くや、ユリウス室長はすぐに発見できました。
変装らしい変装もしていない。まるで待っていたみたいな……まさか、待ち伏せしたのは向こうのほうだったというの!?
エージェントが大勢来たおかげで、野次馬やらは散った。一般人に危害が加わるのを意識しながら動くよりは有難いのですが。
「クラン社がたかだが行方不明のエージェント一人見つけるのに、そう手間取るわけがございませんでしょう?」
これはちょっと言い過ぎね。実際、列車テロが起きてから、ユリウス室長の目撃情報はこれが初めて。
律儀に巧妙に逃げ回っていらっしゃる。社長の読み通りですね。
「今回は対策室から精鋭を連れて参りました。降参は今なら受け付けてさし上げましてよ」
ユリウス室長はわたくしに視線を固定なさったまま、銀の懐中時計を取り出した。
そんな動き、わたくしが見逃すと思いまして?
「ああ。分史世界に逃亡なさっても無駄でしてよ。ここにいるのは全員が、わたくしと室長が丹精込めて育てた骸殻能力者なのですから。追いかけますわ。どこまでも」
む。嬉しそうな顔なんてなさって、余裕ですのね。部下の成長が嬉しい気持ちは、わたくしも分かりますけど。
「念のため申し上げておきます。データをこちらに渡して捕縛されてはくださいません?」
「断る。そう何もかもあの男の思い通りにさせてたまるか」
「では取引はいかがでしょう。貴方はデータを渡す。我々は貴方を追跡しない。平等な取引かと存じますが?」
「俺は分史対策室の業務を停めておきたいんだよ。だから返すわけにはいかない。データがそっちに渡るということは、深々度分史の探索も進むということだからな」
「交渉決裂、ですわね」
「そうらしい」
ユリウス室長が笑顔のまま双刀を抜いた。わたくしも応じて腿のホルスターからナイフを抜く。
部下たちを左右に展開させ、半円を作り、ユリウス室長を囲い撃つフォーメーションを取らせる。全員がショートレンジ対応のエージェントなのでフレンドリィ・ファイアはありえない。
「元指導係として、どれだけ腕を上げたか見せてもらう。死んでも恨むなよ」
「室長こそ。うっかり死体を捕縛なんて失態は冒したくありませんので、少しはクラウンらしく振る舞ってくださいまし」
10分後。埠頭に沈められたのは、わたくしと部下たちのほうでした。
クラウンの肩書きに恥じぬ勇姿でしたわ。お一人で、骸殻を使いもせず、エージェント10人を無力化。しかも殺さない程度に手加減してらっしゃる。
「メンバーと指揮は悪くなかったが、一人にこの数は多すぎたな。一対多数のフォーメーションを勉強して出直せ」
もう指導係じゃございませんのに、的確なアドバイスをご親切にどうもっ。
はあっ……腹に貰った一撃がずくずく痛む。
お腹を抱えて座り込んでいると、不意にユリウス室長がわたくしの前でしゃがみ込んだ。そして、わたくしの手の中に何かを握らせた。……FD?
「敢闘賞だ。返してやるから死なない程度に働け」
がんばりを認めて返してくださるなんて……そんなこと……
「――そんなお芝居が通じるとでも思いました?」
ナイフを瞬息で室長の首に横から突きつけた。
がっかりですわ。仲間に嘘をつかない、というのが《わたくしたち》の大事な《ルール》の一つだったのに。
「――。何のことだか」
「これは偽のデータでございましょう? 室長がそれらしく数値を改ざんした偽造データ。本物はどこかに隠したか預けたか。分史世界の解析データは室長ご自身にも必要な品ですから、破棄したという線は薄いですわ。一度偽造データを渡して時間稼ぎをする内に、ご自身は《道標》を独占なさろうとした。違います?」
「……相変らず可愛げがない」
「小賢しいとおっしゃってくださいまし」
「80点。俺は今本物のデータを持ってない。どこに隠したか分かるか?」
「実は皆目見当がつきませんで困っております。自供してくださる気はございません?」
「ない」
「ですわよね」
ここでユリウス室長を抹殺するという荒業もあるにはあります。わたくしの槍は《精霊の呪い》によって刺し殺した者の《レコード》を吸収するのですから、骸殻状態でユリウス室長を刺せば、室長の記憶からデータの在り処も分かるでしょう。
ですが、わたくしには室長を殺せません。仮に殺したいと思って行動しても《レコード》に阻まれます。
生前にユリウス室長を慕っていた部下5人分の《レコード》が脳をジャックし、行動のコントロールを奪う。考えるだに恐ろしい。
何より、それはルール違反。ユリウスせんぱい自身が提案した、「仲間を殺さない」というルールを破ってしまいます。
ここはちょっぴり情に訴えてみますか。
「わたくしも、室長が意志を翻さないのと同じで、今も志は変わりません。わたくしの中の《彼ら》に、彼らが最期に見た絶望を上回るハッピーエンドを」
「他に選択肢はないのか」
「そんなもの。問答無用でグランドフィナーレ一択ですわ。あんなに必死になって戦った方々が幸せな結末を見ることさえできないなんて嘘ですもの」
彼らの犠牲の上にわたくしたちの今日がある。
ある人は《道標》の詳しい知識を。
ある人はかの地の《番人》との戦いの記録を。
ある人は《橋》についての正しい方法を。
全てがエージェントを生かす有益な情報となった。
感謝してるんです。
お礼に見せてあげたい。
わたくしたちが、最高に眩しい未来を築くから。
貴方たちの命と人生は、途方もなく尊いものだったんだよ、って、その時ようやく伝えられますよね?
ページ上へ戻る