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銀河英雄伝説3巻本(落日編)

作者:田中一郎
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序論:「銀英伝」と「水滸伝」

さて、読者諸氏は「水滸伝」なる物語をご存知であろうか?
「水滸伝」とは、中国の近世期(明〜清代)に成立した古典小説で、物語の時代は北宋(960-1127)の末期、108の星々(天罡星三十六星(てんこうせいさんじゅうろくせい)地煞星七十二星(ちさつせいしちじゅうにせい)が人間と化して地上に生まれる。この星々の生まれ変わりたちは、汚職官吏や不正がはびこる中、様々な事情で世間からはじき出された好漢(英雄)たちとなり、大小の戦いを経て、宋江を頭目にあおいで梁山泊に集結。彼らはやがて悪徳官吏を打倒し、国を救うことを目指すようになる……というお話。
 
わが国では江戸時代に伝来し、庶民から知識人まで、大変な人気を博した。
歌舞伎や浮世絵の題材となり、建部綾足、滝沢馬琴らが「傾城水滸伝」「南総里見八犬伝」などの本案小説を執筆したりした。

中国語の「原著」には、70回本、100回本、120回本などさまざまなバージョンがあるが、中国本国では70回版だけが残り、他のバージョンは廃れてしまった。明治期に入り、明治日本と清国が国交を樹立、日本を訪れた清国の読書人が、日本人から「水滸伝には100回本とか120回本があるんですよ。えぇ!?お国には、70回本しか残ってないんですか?ワラププw」なんて言われて、大変くやしい思いをしたという。

「原著」各バージョンの成立過程だが、16世紀中にまず100回本として完成、さらに10回から成るエピソード2組を付け加えた120回本が17世紀に成立。1641年、金聖嘆が後半部のエピソードをバッサリ切り捨て、好漢たちが梁山泊に集結するところで完結する70回本が最後に成立したとされる。

以上の各バージョンの成立過程は、江戸時代・明治時代以来の漢学者や作家、大学の中国文科の先生たちなど、えらーい先生方(ヒマなもの好きたち)が、なエピソードの内容・構成を長年にわたって比較・対照して分析・研究してきた結果、解明されたことである。

 ****************

さて、読者は、そんな「水滸伝」と、わが「銀河英雄伝説」に、いったい何の関係があるのか?と疑問に思うかもしれない。
関係は、ないといえばないのであるが、あるといえばある。
すなわち、従来知られていなかった未公開・新発見の別バージョンが出現したことにより、われわれは、「水滸伝」の研究で用いられた手法を応用し、「銀英伝」の複数のバージョンを比較対照して、前後関係や成立年代を分析・研究することが可能となったのである。

そんなわれらの眼前には、いま2種類の「銀英伝」がある。
すなわち一般に広く普及している15巻本(本編10巻・外伝5巻)と、これからここ「暁」に連載を開始する、3巻本である。この2つのバージョンは第1巻・第2巻は共通であるので比較・対照の対象となるのは、15巻本の第3巻〜10巻・外伝1巻〜4巻と、3巻本の第3巻ということになる。

両者を比較・対象した場合にもっとも特徴的な点は、15巻本の本編3~10巻・外伝1~5巻で2回繰り返されるエピソードが、「第3巻・落日編」では1回に統合されている、という点である。

え?「2回繰り返されるエピソードなんてあるのか?」だって?
読者諸氏は、15巻本を読んでいて、思わなかったか?
この物語、地名や配役は変えても、同じ(またはきわめてよく似た)状況を、2回発生させることがよくあるなぁって。
私が気がついただけでも、そんな「くり返し」は簡単に、いくらでも挙げることができるぞ。たとえば。
(1)ビュコック率いる、自由惑星同盟艦隊 最後の戦い
  15巻本でいうランテマリオ星域会戦とマル・アデッタ星域会戦が一つの戦いに統合されている。
(2)ヤン・ファミリーとの決戦中にラインハルトが昏倒
  15巻本でいう「回廊の戦い」と「シヴァ星域の戦い」が一つの戦いに統合されている。
(3)神々の黄昏(ラグナロック)作戦
  15巻本では、第1次と、バーラトの和約をはさんで第2次と、2回あるが、これが一回に統合されている
(4)自由惑星同盟政府の瓦解
  15巻本ではヒルダ・ミッターマイヤー・ロイエンタールに対するトリューニヒトの降伏と、マル・アデッタ会戦後の自壊と2回あるが、1回に統合されている。

15巻本をよくよく読めば、このような事例はいくらでもでてくる。
これらの事例は、出版社から、1巻分のストーリーを11倍(本編7巻、外伝4巻分)にまで膨らませることを迫られた田中芳樹先生の苦心の跡として、理解することができる(ただしこれらは、元来の銀英伝が3巻で完結予定だったことを示しはしても、我々の手元にある紙束が「田中先生の未発表の手書き原稿」であることを、必ずしも立証するものではないことも、同時に指摘しておかねばならない)。

以上のように2回あるエピソードが1回に統合されると、それにともない配役や地名に大幅な変更が生じる。
とくに印象的な変更としては、以下のようなものがある。
 ・イゼルローンの再奪還はおこなわれない!
 ・ユリアンもカリンもでてこない!
 ・アッテンボローは第2巻でミサイル砲艦隊を率いているだけのモブ!
 ・ゴールデンバウム王朝最後の皇帝はエルウィン・ヨーゼフ(→皇帝誘拐事件はない。シューマッハとランズベルクの出番もない)
 ・ルビンスキーはフェザーン回廊が制圧された時点でオシマイ
 ・ビュコックの名ゼリフ「民主主義に乾杯」で、乾杯をおこなう相棒は、副官のファイフェル。
 ・ロックウェルに殺害される自由惑星同盟の最後の元首はトリューニヒト。
もっと面白いものもあるのだが、ネタバレになるので、これ以上は控えたいと思う。

さて、今回、考察の対象とする「第3巻・落日編」の成立プロセスについて、我々(すなわち「第3巻・落日編」の原稿所有者である伊勢トモノリと、私、尾張三郎)は、まったく異なる見解を有している。
 すなわち伊勢トモノリが、『「第3巻・落日編」が田中芳樹先生自身の手によって大幅に加筆・増補され、15巻本の本編3~10巻・外伝1~5巻に成長した』と考えるのに対し、私、尾張三郎は「姓名不詳の銀英伝ファンが、15巻本の本編3~10巻および外伝の内容を切り貼り・修正して1冊に圧縮した」と考えているのである。我々のいずれが正しいのかについては、私が入力し、投稿していく作品そのものによって判定していただきたいと思う。

ところで、15巻本と3巻本を対比してみて、私が特に気になるのは、「第3巻・落日編」だけに登場する人物や、「第3巻・落日編」独自のエピソードが全くみられないという点である。友人の伊勢トモノリは、それこそ「第3巻・落日編」が15巻本の母体・原形である証拠だ!と主張するのであるが、私は逆に、15巻本から切り貼りされて作られた証拠に思えるのである。

ただし、例外もある。私はかねてより、15巻本の第10巻、シヴァ聖域の会戦において発せられたラインハルトの全艦隊通信について、大変な違和感を感じていた。問題の通信内用を引用してみる。

 「戦うにあたり、卿らにあらためて言っておこう。ゴールデンバウム王朝の過去はいざ知らず、ローエングラム王朝あるかぎり、銀河帝国の軍隊は、皇帝がかならず陣頭にたつ」
 「予の息子もだ。ローエングラム王朝の皇帝は、兵士たちの背中にかくれて、安全な宮廷から戦争を指揮することはせぬ。卿らに誓約しよう、卑怯者がローエングラム王朝において至尊の座を占めることは、けっしてない、と……」

ラインハルトがこのセリフを発したのは、ユリアン艦隊との決戦前のことである。
「辺境のちっぽけな反乱勢力」相手に発するしては、立派すぎ・大げさすぎではなかろうか?
こんな内容の決めゼリフを述べるんだったら、もっと相応しい場面があったろう!と。

いっぽう3巻本では、このセリフは、自由惑星同盟最後の機動戦力であるビュコック艦隊との決戦前を前に発せられている。
自由惑星同盟を滅亡させ、150年戦争を集結させるという歴史の転換点に相応しい内容である。
3巻本におけるこのセリフの位置は、まことに納得できるものである。

読者のみなさんはどのように思われるだろうか。
次回以降、「第3巻・落日編」の投稿を、さっそくはじめたいと思う。 
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