アネモネ
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第一章
第一章
アネモネ
アフロディーテは美を司る女神だ。
従って非常に美しくまた恋多き女神だ。彼女は今も恋をしていた。
「ええと、今度のお相手は」
「シリアの王子なのですね」
「ええ、そうよ」
オリンポスの自身の宮殿の中で周りの従神達の言葉に微笑みながら応えている。豊かな波うつ見事な金髪に透き通った白い肌、青い切れ長で垂れた瞳は何処までも澄んでいて唇は紅に染まっている。その薄い赤い服に包んだ身体からはかぐわしい香りがして胸も腰もはっきりと浮かび出ている。妖艶な美をそこに見せている。
「アドニスというのよ」
「アドニスですか」
「人ですね」
「そうよ、人よ」
人であろうとも神の恋の相手になる、それがギリシアである。
だからアフロディーテにとってもそれは当然のことだった。彼女自身これまでその人との間に何人かの子をもうけてもいるのである。
それで普通に受け止めてだ。そのうえで従神達に話しているのだ。
優雅に横たわるように座りだ。そうして言う言葉は。
「それではだけれど」
「はい、それでは」
「どうされますか?」
「湯浴みをするわ」
こう言うのであった。
「貴女達も一緒にね」
「はい、それでは」
「今すぐに用意をします」
「御願いするわ。お湯の中には花を入れて」
言いながら立ち上がる。その彼女の周りに従神達が来て服を脱がせる。するとそこから見事なまでの裸体が姿を現わしたのであった。
それを誇示するわけでもなく露わにさせたまま。彼女はまた告げた。
「そして香水も」
「わかりました」
「ではそれもまた」
「湯浴みの後で行くわ」
そしてこう言った。
「アドニスのところにね」
「ではその様に」
こんな話をして従神達を連れて湯浴みをする。それで身体を清めてそのうえで人間の世界に下りてそうしてシリアの彼の場所に向かった。そこには。
まるで少女の様に整った顔の少年がいた。黒い髪は巻いていて前後に短くしている。あどけなささえ見えるその顔には黒いきらきらと輝く目がある。肌はアフロディーテのものにも勝るとも劣らないまでに白く透き通るようだ。そしてその身体は華奢で比較的小柄だ。その身体を白く丈の短い服で覆っている。その彼のところに来てそのうえで声をかけたのだ。
「アドニス」
「アフロディーテ様ですか」
「そうよ、私よ」
彼のところに歩み寄っての言葉である。
「御免なさい、ずっと来れなくて」
「ずっとと仰いましても」
アドニスはそのアフロディーテの手を取ってそのうえで言った。
「二日前に御会いしたではないですか」
「そうだったかしら」
「はい、昨日御会いできなかっただけで」
それだけだというのだ。
「その前は一週間ずっと二人きりでしたね」
「楽しい時間はすぐに終わるものなのよ」
アフロディーテはアドニスにこう返した。
「だからそれはね」
「それは?」
「短く感じるのよ。そして離れている時間は辛いから」
「長く感じるのですか」
「そうよ。そういうものなのよ」
こう話すのだった。
「それは貴方も同じではなくて?」
「はい」
アドニスはアフロディーテのその言葉にこくりと頷いた。そのうえでの言葉だった。
「確かに。昨日はとても長く感じました」
「そうね。本当に長く感じたわね」
「そういうことですね」
「そうよ。昨日はどれだけ待ち遠しかったか」
「そうです」
そうしてだ。また話すのだった。
「では今日は」
「これから暫くまた一緒にいられるわ」
こう話してである。アフロディーテはアドニスをそっと抱き寄せてである。そうしてそのうえでその耳元でそっと囁くのであった。
「それでは今から」
「はい、今から」
「二人きりで」
妖艶な微笑みを浮かべそのうえでの言葉だった。
そしてだ。二人はアドニスの部屋に入った。それから三日三晩共にいた。
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