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横浜事変-the mixing black&white-

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プロローグ2

私立山垣学園 体育館

 普段は陽射しが差し込み、体育の授業や朝礼などで使われるこの場所も、今は荘厳な雰囲気に包まれている。漆黒のカーテンで外の光を遮断し、入り口も全て閉じられ、閉鎖空間を見事に生み出していた。

 ステージは斎場のように供花が用意されており、中心には幼馴染の額入り写真が置かれている。校長は先程から悔やみの言葉を機械的に並べ立て、生徒や教師の前で悔恨の涙を流していた。それが本物の涙なのかは定かではない。

 一方、整然と並べられた椅子に座る生徒達の態度はとても告別式に対するそれとは思えない程に酷かった。小さい声で雑談する者を始め、こっそり携帯を弄っている者や漫画を読んでいる者、挙句の果てには寝ている者までいた。しかし今が式の最中であるため、教師もなかなか注意するために立ち上がる事が出来ず、注意の視線を向けるだけだった。無論、そんな威力の弱い注意が生徒に届く筈も無く、彼らに変化は訪れぬまま追悼式は進んでいく。

 そんな中、生徒全体で一際重苦しい雰囲気を醸し出している区画があった。彼女が所属するクラスだ。誰もが沈痛な顔を浮かべながら式を茫然と見ている。中には堪え切れずに泣いている女子までいた。

 だが、そんな集団の中で一番彼女の死を受け入れられずにいる生徒が一人。その人物はいつも彼女の横を歩いていて、迷惑そうな顔をしているにも関わらず楽しそうだった。中背中肉のしょうゆ顔という標準的なステータスの少年。

 彼――暁ケンジは虚ろな目をしながら、自身の膝を見ていた。紺色の制服で覆われた膝はどこをどう見ても紺色だった。それがケンジには少しだけ悲しく思えた。どこまでも同じ色が続いている世界に何の面白味があるというのか。普段はそんな哲学的な事を考えたりもしないのに、とケンジは魂の抜けた息を吐いた。

***

 学生が歩くには補導も近いような時間帯。『殺し屋の電話番号』を掛けた幼馴染は帰り道に殺された。最初、隣にいたケンジには彼女が転んだようにしか見えなかった。しかし彼女の手を取ろうとしたところで背中に二本のナイフが突き刺さっている事に気付き、狼狽えながらも救急車に連絡を取った。その時にはすでに出血多量で瀕死だったかもしれない。

 救急車に乗って病院に向かい、すぐに彼女の手術が始まった。彼女が首に巻いていたマフラーを胸に抱き、妙に寒々しい廊下で待ち続けて数時間――彼女の死亡が確認された。ナイフは予想以上に奥まで突き刺さっていたようで、内部の出血が尋常ではなかったらしい。

 医者にどれだけ言われても、ケンジにはそれが嘘にしか思えなかった。だって、さっきまで笑ってたじゃないか。さっきまであんなにニコニコしてたじゃないか。しかし現実はどこまでも悪辣だ。

 「起こってしまったものは、もう変えられない。私達は魔法使いなんかじゃないんだ」

 彼女を助けるために動いた医者は、いつまでも現実を見ようとしないケンジを見て最後にそう言った。

***

夜 ケンジの部屋

 幼馴染の追悼式は滞りなく終了した。とはいえ、大半の生徒達からしてみれば授業が潰れた事にしか意味を成さなかったようで、彼女に対する哀悼の意は全く感じられなかった。

 ケンジは式が終わってすぐに学校を早退した。これ以上この場所に居続けるのが億劫に感じたのだ。担任に伝えたところ、こちらの事情を察してか、優しい声で「ゆっくりしろよ」と声をかけた。

 家に着いてからは自室に入り、布団を被って目を瞑った。けれど意識は微睡みの中に落ちる事無く居座り続けていた。まるで彼女が生きている夢を想像させるのを阻止しているかのように。

 それから数時間。すでに陽は沈み、部屋は彼の心の中のようにどんよりとしている。窓から差し込む街灯の光で何とか支えられているような状態だ。

 扉の向こうから母親の声が聞こえてきた。夕飯の支度が出来たらしい。ケンジは重い身体を持ち上げてドアノブを回す。そして母親にコンビニに行ってくると伝え、外に出た。

 10月の中旬にもなると陽が落ちるのも早く、寒風が制服越しに感じ取れる。彼はおぼろげな足取りで駅の方へと向かって行った。

 無意識で動いているわけではないが、彼の行動はまるで一貫性がなかった。何かに引き寄せられているように足は慣性で動いていく。

 そうして彼が辿り着いたのは、一日前に彼女と一緒にいた場所。駅の大通りから一本抜けただけで人の通行が少なる道に隣接する公園。そこの入口に近いベンチに座り、ケンジは公園を眺めていた。

 「……」

 ただただ無言に彼は見ていた。昨日、自分と彼女が座っていたベンチを。今はもう存在しない彼女の幻影を。

 「……うっ」

 気付けばケンジは視界を曖昧にしていた。頬に感じる涙の行方を手で拭って消していく。しかし目からは次々と涙が溢れ、どうにもならなくなっていた。

 「なんで、さあ……」

 まるでこれまで溜めていた分を吐き出すように、彼は自身の揺らいだ声を公園に浸透させていく。

 「元気、だったじゃん。僕を、困らせてたじゃん。それなのに、それなのにさぁ……おかしいよ、そんなの……」

 泣くのは反則だと思っていた。ここで泣けば彼女の死を認めてしまう事になると思っていた。けれど、そんなやせ我慢を張ったところで、最後にはあの時の言葉が記憶の中から飛び出すのだ。

 『起こってしまったものは、もう変えられない』

 全く持ってその通りだった。どれだけ現実逃避しても『今』という瞬間は留まる事を知らない。だからこそ彼女を最後まで生かそうと尽くしてくれた医者は、自分にあのような言葉を投げかけたのだ。

 ――こんなところで、止まっていられない。

 ケンジは心中でそう呟いた。いつの間にか涙は止まっていた。悲しみは残っているけれど、いつまでも寄り添っていられない。彼はキッと顔を上げて立ち上がった。ここにいてはいけない。また迷妄にとり憑かれるだけだ。
 公園を出て、道を挟んだ先にあるビルとビルの合間の裏路地に入る。ここは昨日彼女と近道に使った道だ。街灯も何も無いので不気味さがあちこちから湧き出ているが、月の光が薄気味悪さを緩和してくれている。
 彼は視界を前に固定し、そのまま歩き続けた。しかし突然、ガサリという音がして身体を強張らせながらそちらを向く。猫が生ごみを漁っているだけだった。その様子に心底安堵したそのときだった。

 「あっぐ、おあぁ!」

 「!?」

 今度は半歩後ろに飛び退いたケンジ。今のは幻聴ではない。確かならビルを挟んで右の方から聞こえてきた。少し先に十字路がある。そこを右に曲がったら真実が目の当たりになるかもしれない。ケンジは息を殺してその場で硬直した。

 ――これは……まずい。

 身体は今すぐ駆け出して逃げたい気持ちなのだが、思考がそれに追い着いていない。金縛りに遭ったように固まってしまった自分を無理矢理動かそうとしていたところで、同じ方向から形容しがたい音が転がってきた。

強いていうなら、刃物で柔らかい何かを斬ったような生々しい音。それを元に脳内で絵面を思い浮かべたケンジは背筋を震わせた。

 ――ヤバい、ヤバいヤバいヤバい。まさか本当に……。

 昨日幼馴染を殺した人物も、と無意識に考えてしまう。だとしたら自分も相当危ないのではないか。ケンジは身体を動かそうとする一方で、音が生じた方角から目を離せずにいた。

 しかしそこで予想外の進展が発生してしまった。今注視していた位置の方から誰かが歩いて来たのだ。つまりこのままだと十字路のところから自分の姿が見えてしまうわけで――

 ――待って!僕は自分から死に来たわけじゃないんだ!

 口内はすでに水分を失い、言葉を十分に紡ぎ出せない。身体は強張ってしまって動かない。トン、トンという一定のリズムは鳴り止まず、十字路に差し掛かっていく。自分の首を誰かに絞められているような重苦を覚え、生きた心地が全くしない。

 それはやがてタイムリミットを迎え、ケンジの視界に一つの特異点が追加された。

 「……」

 ビルの死角から現れたのは長身の人物だった。しかしここからでは相手の風貌が上手く覗けない。月の淡い光が反射してしまい、逆に相手のシルエットを隠してしまっているのだ。

 一方、相手もケンジの存在に気付いているようで、見ているかは分からないが身体はこちらを向いたまま硬直している。

 互いに何も発さず、ただ直立している。ケンジには永遠とも思えた状態だったが、突然相手が動き出した。自分の方に向かってゆっくりと歩み寄ってくる。

 顔も服装も識別出来ない謎の人物がこちらに迫っている。相手の靴が生み出すスタッカート調の打音は、まさに死へのカウントダウンそのものだった。

 だが、その人物はケンジとの距離を適当に取ったところで足を止めた。そこでケンジはやっと相手の顔を視認する事が出来た。

 顔の輪郭はシャープで目や鼻の位置が整っている。その時点で眉目秀麗な人だと分かった。また、眼鏡をかけているのでとても理知的に見える。長髪の黒髪は背骨辺りまで伸びているのか、とても女性らしい顔だった。

 服装は白と紺を基調とした洋風のジャケットと黒と紺のチェックパンツ。全体像を見ると、どこか中性的なイメージが湧いてくる。

 その人物は開口一番にケンジに尋ねてきた。

 「君は、関係者かな?」

 その声を聞いて、ケンジは『やっぱり男性か』と改めて心中で呟き、次に緊張が解けていくのを直に感じた。口内に水分が戻るのがよく分かる。先程からずっと出来ていなかった呼吸も復活した。

 「その……関係者、って何ですか?」

 「……どうやらそういうわけではなさそうだな。君は一体ここで何をやっている?」

 質問に質問で返され、思わず動揺してしまうケンジ。だが眼前の男が会話の通じる相手だと分かった事で、幾分か落ち着いていた。自分にも言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を吐き出していく。

 帰り道に使っていたと正直に伝えると、男は「そうか」と言い、次に咎めを含ませた言葉を紡いだ。

 「時間的に余裕があるとはいえ、路地裏を近道として使わない方が良い」

 「あっ、はい。すみませんでした」

 「……」

 「……え、と。あの、何でしょうか?」

 「……君、今復讐しよう、とか考えていないかな?」

 「え……」

 「その顔、どうやら当たっていたみたいだね」

 フッと静かに笑い、男は自身の右手をケンジに差し出してきた。何かあるのかと自然にそちらに目をやり――彼はすぐに目を逸らした。
 男の手に握られていたのは、一本のナイフだった。しかも三分の一程度が誰かの血液で汚れている。まるで使ったばかりのような、と考えたところでケンジは数分前の『音』を思い出す。

 今まで聞いた事の無いような不快な音。そして誰かの呻き声。十字路を右に曲がった先。眼前の男。そこでケンジは男の左腕の服に赤い鮮血が迸っている事に今更になって気付いた。

 男は右手を元の位置に戻し、次に一つの単語を呟いた。

 「殺し屋。それが私の職業だ」

 「……」

 殺し屋。それはこの街にはいないとされていた、おとぎ話レベルの存在。それが今、自分の目の前にいる。

 とはいえ、その前から危険な匂いがしていたためか、ケンジは自分が考えていた以上に驚かなかった。それよりも男が口にした『復讐』の方が気になった。

 心の中に浮かび上がった一つの案。彼女の敵討ち。犯人は分かっていない。あまりにも利益の無い考えに自分の中ではボツにしたつもりだった。これからは彼女の分まで生きようと決意したつもりだった。それなのに。

 「……どうして貴方は、僕の考えが読めたんですか?」

 気付いた時には、殺し屋にそんな質問を投げかけていた。すると青年はナイフをペーパーに巻く作業をしながら、ごく自然な調子で答えた。

 「どうしてって、君の目は人を殺す目をしているからだよ」

 「えっ……?」

 「鏡を見てみればいい。今の君の目は、殺し屋さながらの冷酷さを持ち合わせている」

 「っ!」

 まさか、そんな筈がない。あいにく鏡を持ち合わせていなかったので、その場で確認する事は出来なかった。けれど確認するまでもない。自分が殺し屋と同じ目をしている?そんなわけがない。人を殺すだなんて言語道断だ。
 そんなケンジの考えを踏み潰すように、眼前の殺し屋はまだ言葉を紡ぎ出す。

 「君に何があったのかは知らない。だが、大事な人を失ったようだね」

 「そんな……事まで」

 「半分は勘。半分は経験だよ。でも、これだけは確実だ。君は、いつか犯人を殺す。例え私が君を裏の住人として迎え入れなくてもね」

 「……それはないです。僕なんかが一人で、どうやって犯人を見つけ出すっていうんですか」

 「確かに。でも、一つ考えてみてくれ」

 そこで一拍置くと、美青年は口角を僅かに上げ、ゆっくりと呟いた。

 「仲間がいる、としたら。犯人は早く捕まるんじゃないのかい?」

 「仲間?」

 「君の大事な人はもしかして『殺し屋の電話番号』を体験したね?」

 「……はい」

 「だろうと思った。なら話は早い」

 そう言うと殺し屋は胸ポケットから名刺を取り出した。それを受け取ったケンジは、思わず拍子抜けしてしまった。そこには、

職業 殺し屋  所属 殺し屋統括情報局
チームA 八幡玲汰

 と書かれていた。
どういう反応をすればよいのか分からず、殺し屋の方に目をやる。すると彼は執事のように恭しくお辞儀し、最後にこう言い放ってから路地裏から去って行った。

 「殺し屋統括情報局所属、八幡玲汰。我々は、犯人に復讐心を燃やす君を歓迎するよ」


*****

 街は常に悠然と回り続ける。その枠の中で暮らす人達を乗せて、毎日をのんびり過ごす。
 けれど、せっかく乗せている人の一部が暴れたりしたら、街はどういう反応を起こすのだろう。そのまま振り落して、暗転の地へと放り込んでしまうのか。それとも、あくまで蚊帳の外から眺めて、ほとぼりが覚めるのを待つのだろうか。
 どちらにせよ、答えはまだ藪の中。物語は始まったばかりなのだ。 
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