戦国†恋姫~黒衣の人間宿神~
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十六章 幕間劇
敗戦後の癒し
「・・・・そう。芳しくないわね」
「ああ。壊滅しなかったのが幸いとはいえ・・・・まさか、あそこまでやられるとはな。不覚であった」
「なら、部隊の再編も・・・・」
「まだまだですね。お市様や和奏ちゃん達も頑張ってくれているけれど・・・・。落ち着いたら、一度美濃まで戻るべきでしょうね」
「落ち着いたら・・・・か」
麦穂の言葉に、結菜の表情は険しいまま。何を以て落ち着いたらとするのか。今はそれすらも定かになってはいないのだ。
「・・・・・・」
だが、それを麦穂に問うような事はない。その言葉を口にした麦穂自身が、それは一番よく分かっているはずだったからだ。
「ひとまずは待つしかあるまい。まだ朽木谷を通って退いてくる連中もいるのだ。それに・・・・」
「ええ・・・・・」
壬月の言いたい事は、この場にいる誰もが分かっていた。名を出さずとも、誰を指すのかなど。
「まだ見つかっていないのよね・・・・」
「うむ。足利衆や雑賀の八咫烏衆もいまだ・・・・」
「森一家や松平衆は、東に向かったという報告もあるけど・・・・」
「東?南ではなくて?」
北の金ヶ崎から、西に退けば一色、南に退けば朽木谷に至る。だが東は朝倉のさらに深部・・・・そしてさらに向かえば、加賀や越中越後に向かう事になる。確かに朝倉から南に進めば美濃への近道だが、まさか鬼を引き連れたまま主力不在の美濃に向かうような真似はしないだろう。
「ええ。何か目的があったのか、あるいは・・・・」
「森はともかく、松平がむざむざ囮になるなど考えづらいが、いずれにしても・・・・」
「・・・・壬月」
「私としたが・・・・弱気でしたな。とにかく、捜索は全力で行っていますゆえ・・・」
「結菜様。殿はまだ・・・・」
「・・・ええ。もう少しかかりそう」
それも、彼女達が大方針を決められない・・・・いや、決めるわけにはいかない理由が一つ。
「仕方がありませんな。暫くは我々で立て直すしかないでしょう」
「そうね・・・・。二人も無理しないでね。麦穂、顔色悪いわよ」
「大丈夫です。皆も頑張っているのですから、休んでなどいられません」
「駄目よ。今あなた達にまで倒れられたら、本当に立ち行かなくなるもの。壬月、悪いけど」
「はい。・・・・麦穂、明日は一日休め」
「しかし」
「無理せず一日休むのと、無理して十日倒れるの、どちらが私たちの足を引っ張ると思う?」
「・・・・・はい」
「ですが、結菜様もあまり無理なさいませぬよう」
「私は・・・・」
「顔色が悪いのは、同じですよ」
「そう・・・・?(私も麦穂みたいな顔をしているのかしら・・・・。蝮の娘が、弱くなったものね)」
誰のせいか、などとは思いたくなかった。ただ、次に会えたら盛大に文句を言ってやろうと、心に誓うことにする。
「それにしても、こんなに静かだったのね・・・・」
あの決戦の日には、織田家だけではない。足利、浅井、松平・・・・そしてそれ以外の多くの家の将たちでひしめき合っていたはずなのに。今この場に居合わせているのは、織田家のたった三人だけ。
「そうですな。最近は何かとやかましかったですからな」
「・・・・一度屋敷に戻るわ。後の事は任せて良い?」
「はっ」
「久遠様のこと、お願いします。結菜様」
「ええ。そろそろ何とかなってるとは思うけど・・・・」
織田家の宿将達と別れ、結菜は小さくその名を紡ぐ。
「・・・・まったく。何をしているのよ、一真・・・・。約束が違うじゃない・・・・」
一方屋敷では、久遠と双葉がいた。
「あの・・・・久遠様」
「・・・・・・」
「(お食事・・・・また、食べていらっしゃらない)」
部屋の主は部屋の隅で、膳を持ってきた時と変わらぬ姿で座したまま。置かれた膳も、手を付けられた様子がない。
「久遠様。結菜様が、少しでもいいからお食事をなさるようにと・・・・」
「・・・・・・・」
「鮑の煮付けと焼いた鮎、お味噌汁もあるんですよ。結菜さんが、どれも久遠様の好物だと・・・・」
「・・・・・よい」
小さく呟いた久遠の手に握られているのは、蝶の飾りの付いた一枝の簪だ。かつて一葉と共に見せてもらったそれは、堺で一真に、結菜と揃いで買ってもらった品だと聞いていた。
「ですが、久遠様・・・・」
「・・・・・・」
もうどれだけまともに食事をしていないのだろう。厳しい戦いの最中であれば食事をする間もないと聞くが、それでも数日に及ぶ事はあるまい。
「・・・・失礼します」
そして、次に久遠のもとに訪れた双葉はその手に持っていたのは、ひと抱えられた手桶だった。穏やかに湯気が立つその中には、小さな手拭いが浸されている。
「せめて、お身体くらいは綺麗に・・・・」
「・・・・・」
その問いも、久遠からの返事はない。
「身なりをきちんとしておかないと・・・・旦那様が戻られた時、笑われますよ?」
「・・・・・一真が」
「はい。上を、解いてくださいませ」
その言葉に、のろのろと上衣を脱ぎ始めた久遠に・・・・双葉は、ようやくほぅと小さな吐息を吐いてみせる。白い肌はを滑るのは、固く絞られた手拭いだ。
「久遠様・・・・」
二条館で初めて会った時、久遠はあっさりと将軍に扮した双葉の正体を見抜いていた。次に会った時は、鬼に攻められた御所を救う護り手としてだったか。そしてその直後、双葉たち姉妹を鬼と戦う一真の恋人として迎えると宣言した時。さらにその後、越前に巣くう鬼達を討伐せんと旅立った時。そのいずれも久遠も、大きく、自信に溢れ・・・・それこそ剣聖将軍たる姉や、彼女の恋人と肩を並べるに相応しい強さを備えていたはずなのに。
「(久遠様の背中・・・・こんなに小さかったんだ・・・・)」
双葉の手でそっと拭かれる背中は、あの時と比べるものにならないほど、小さいもの。
「・・・・双葉」
「痛かったですか?」
双葉もこのような世話はそれほど経験がない。力の加減を間違えてしまったのだろうか・・・・と一瞬思うが、彼女の問いに久遠は答えを返す事はない。
「・・・・どうして、我が生き残ったのだ」
代わりに紡いだのは、悔恨の言葉。
「・・・・・・」
「金ヶ崎と手筒山を落とし、我が追撃を命じた時、一真は何かを警戒しているようだった。いや・・・・その前からだ。森を一真の脇に置いたのは我だが、森や足利とも足並みを揃え、後ろからの奇襲を殊に案じていた。結菜を我の側に置いたのも・・・・鬼どもの奇襲を抑え、我らが逃げる隙を作れたのも・・・・あれの奮戦あってこそだったのに・・・」
「久遠様・・・・」
「一真の今の立場を考えれば、何を差し置いても逃げるべきだったのは、彼奴だったのだ。我などではなく、彼奴と・・・・一葉だったのだ・・・・」
あの免状が下された時点で、一真の立場は根本から変わったのだ。それこそ、いち大名でしかない久遠よりもはるかに重要な存在なのだ。
「久遠様は、旦那様が・・・・」
「そんな事はない。・・・・あって、たまるものか・・・・」
だが、あの戦場の状況や周囲の環境、地形、逃げる向き。そして・・・・鬼達の数。久遠の知るありとあらゆる要素が、絶望的な結果しか導き出してこない。
『自分が出来ないから、人にだって出来るはずはない。・・・・そう思いたいのは人の常だ。そして、我は神の化身だ。人が出来ないことならば我が切り開いて見せる』
以前、あの男はそう言っていた事がある。その言いぐさを逆に考えれば、絶望的なこの状況でも、彼が生き残っている可能性を信じたくはあったが・・・・。
「(所詮我も、人の子か・・・・)」
信じる事と、夢見、願う事は違う。
「双葉・・・・。あいつは初め、こう言ったのだ」
「・・・・・・」
「とある任務できた。俺は神で見届けるために来たとな。だから、我の夫となれと言ったが断られてしまった。なので、我は愛妾で恋人になり自分の側に置くことにした。我の目指すやり方も色々と理解してくれたからな。そして将として使い、鬼を退治するための道具として使い・・・・挙句の果てに、このざまよ。我があれの恋人になれと言わなければ・・・・」
今頃は、どうしたのだろう。空から見守っていたであろうか、それとも側に置いたであろうか。
「久遠様・・・・」
「あれを・・・・一真を殺したのは、我だ」
「ですが、久遠様。久遠様がそう仰って下さったからこそ、旦那様は私の恋人になってくださったのですよ」
一真が久遠の恋人になっていなかったら、一真は空から見守っていたか、旅をしながら用心棒で働いてたのかもしれないから、双葉は彼と会う事はなかっただろう。そうなれば、彼を中心にした同盟も起こらず・・・・鬼との戦いは、力を失った幕府の声に従うわずかな者達のみで、一筋の打開策もないまま始まっていたに違いない。
「・・・・・・」
「・・・旦那様は、生きておいでです。旦那様には、良い部下もおりますし、旦那様は神様ですよ。それにお姉様が守っていると信じています」
「だが・・・・」
一葉が鹿島新当流の皆伝である事も一真がどんな神なのかも知っている。けれど、どんな達人級な者であったとしても、それに神の攻撃だったとしても、あの圧倒的な鬼の軍勢を前にして・・・・。
「そして幽が、足利の名を慕う三千世界の無数の刃と神の加護によって、必ず・・・・お守りします」
「双葉はあの鬼の軍勢を見ておらぬから・・・・・ッ!」
「見ておりませぬ。ですが・・・・それでも・・・・!」
久遠の背中を触れるのは、固く絞られた小さな手拭い。それを掴む小さな手は・・・・その手拭いよりも固く握られ、震えていて。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
久遠もそれ以上の言葉もなく。双葉もその視線を受け止め、瞳をそらす事はない。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
やがて。
「・・・・・・すまん」
荒ぶり、昂ぶった声は、その時の一度きり。続く久遠の言葉は、力を失った元の弱々しい声だった。
「お前も・・・・一真の恋人なのだな」
「はい」
そして、一真と共にあるであろう、一葉の妹でもあり。
「そうだな・・・・」
久遠はあの時の戦いで、多くの部下を喪った。けれど喪ったのは、久遠一人ではない。
「結奈も、壬月や麦穂も・・・・もう動いておるのだな」
「はい。そして、久遠様を心配していらっしゃいます」
「そうか。ならば我も・・・・強くあらねばな」
身体を拭き終わった久遠は、服を着直した。
「温め直して来ましょうか?」
「良い」
湯浴みを終えた久遠の前に並んでいるのは、さきほど双葉が勧めていた食事の膳である。箸を取り、茶碗を掴む手は、いつもの力強さには及ばぬものの・・・・確かな意思に支えられたもの。
「・・・うむ。美味いな」
一口で、結菜が腕を振るったものだと分かる。京の薄味ではない、久遠好みの尾張の濃い味付けだ。
「結奈にも苦労を掛ける」
「たくさん、文句を言っておいででしたよ」
くすりと微笑む傍らの双葉に、久遠が浮かべるのは苦笑い。
「・・・・目に浮かぶな」
茶碗を置き、次に取り上げたのは汁椀だ。
「お豆腐ですね」
「うむ。豆腐の味噌汁はな・・・・一真の大好物だったのだ」
「ここにいた時は、その豆腐の味噌汁を教えてもらいました」
「そうか。普通は生の方が美味しいと聞いたが、一真がな、豆腐は味噌汁に入れた方が最高だと言っていた」
「私も最初はそう思いました。田楽やそのままの方をよく頂きましたが、旦那様の仰った通り食べてみると、とても美味しかったです」
「彼奴は仲良くなった寺か、船から調達してくると言っていたが・・・・ぐすっ」
そんな椀の中に滴り落ちるのは、久遠の瞳からこぼれた一粒の涙だ。
「それに・・・・鮑も、出陣式の事も知らんで・・・・」
「(結菜さん、この料理なら久遠様は絶対に元気になるからって言ってらしたけど・・・逆効果なんじゃ・・・・)」
「あいつめ・・・・それでよく・・・・我の恋人になるなどと・・・・。それに・・・鍋とて、あれからまだ一度も食べておらんではないか・・・・次もお前が作ると言っただろう・・・」
「久遠様・・・・」
「うぅ・・・・一真・・・・一真・・・・っ」
二人きりの食事の席に響くのは、か細い久遠のすすり泣き。
「ぐす・・・・ひっく・・・・・」
「・・・・・・」
椀を置き、涙を拭う久遠の姿に、双葉は掛ける言葉を見つけられずにいる。
「(これが姉様なら・・・・どうするのだろうか・・・・)」
恐らくは力任せに久遠を蹴りつけるか、膳をひっくり返して叱咤でもするか。その光景は容易く思い浮かびはするがそのいずれも双葉には到底、真似出来そうにないものだ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
やがて。
「・・・・・・くっ」
「・・・・・・え?」
「ふふ・・・・・くくく・・・・・」
「久遠・・・・様?」
「・・・・ははははは!」
「久遠様・・・・あの・・・・?」
「わははははははははははっ!ははははっ。案ずるな、双葉。別に我の気が触れたわけではないぞ?」
「そ、そう・・・・ですか?」
「くそっ。落ち込むだけ落ち込んだら、もう落ちる所などないではないか」
絶望の底のさらに底は、確かにある。けれど底は底。それよりも底は、今はまだ無い。ならば、後は這い上がるだけだ。
「結菜め、我がこうなると分かっていてこの献立を誂えおったな・・・・。相変わらず底意地の悪い、蝮の娘め」
「久遠様・・・・」
「双葉も苦労。・・・・色々と心配を掛けたな」
「私よりも、結菜さんや皆の方が」
「うむ。苦労ついでに、もう一杯飯を頼めるか?この程度の飯では、なまった体は起きそうにない」
「はいっ!」
空になった茶碗を胸元に抱くようにして部屋を後にする双葉を見送り、久遠は自らに言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「・・・・これだけ我が想っている彼奴が、あの程度の騒ぎで死ぬものか。一真。この織田三郎久遠信長、お主のおかげで生かされた。この通り、我が身には傷一つないぞ」
言葉は、果たして待ち人の元に届くのか。いや、彼の元へは届かずとも、自身の心の内には届く。
「お主もまだ生きておるなら、早う我の耳に届く騒ぎの一つも起こしてみせんか。・・・・・なあ!」
と言ったあとに、双葉が来てからご飯を食べていた。実は神が見ていたんだよね。簪には、神の力を籠めてある。なので、その言葉は一真の耳には届いていなくとも、他の神がそれを聞いていた。神は実体化できないが、長尾景虎のお家流か一真の神の力での召喚はできる。簪に籠っているのは守護神だということも、久遠は知らずに食べていた。
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