ソードアートオンライン 無邪気な暗殺者──Innocent Assassin──
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GGO
~銃声と硝煙の輪舞~
相談事
「GGO…………あぁ、あのプロがいるという」
ヴン、ヴヴン。
ゴアッッ!
「そうそう。そこに今度、コンバートしようかなって」
ヴォァッ!
「コンバート?新規登録ではダメなんですか?これまでも、たまに様子見と言ってアカウント作っていたでしょう」
「う~ん、ちょっとできない理由があって………」
ゴバッッ!!
庭師NPCによって綺麗に丈の揃えられた草が、迅雷のスピードで振り払われた《冬桜》によって生み出された烈風によって薙ぎ倒される。
ALO上空に浮遊している幾千もの岩塊の一つ。
その《浮遊島》の上にそびえ立つ巨城。
その広大なる庭のド真ん中で、レンとカグラは日課となりつつある組み手を行っていた。とはいっても、ただの組み手ではない。
レンは無手。カグラは大太刀《冬桜》を使用する超本気モード。
常識的に考えれば、これで戦闘行為が成立するはずもない。リーチの差が歴然としており、レンは徒手空拳を専門としているわけでもない。そもそも彼が使用する得物である鋼糸は中距離戦用斬撃特化武器である。
なのに――――
なぜ――――
「せ……りゃぁァァッッ!」
ヴ……ヴァァンン!!!
戦闘中であるにも拘らず、漆塗りの黒鞘に納刀してからの一撃。
《カタナ》の上位派生スキル、《居合い》を取っていたカグラが得意としていた神速の居合い斬り。柄に手をかけるまでしか見えないほどのその速さは、当時のレンですら為す術もなく敗北した苦々しい記憶があるが。
遅い、と。
納刀から抜刀。そしてその眩いばかりに輝く銀の刀身が大気を切り裂きながら、一切の遠慮もなく顔面に向かってくる間に、レンは冷静にそう評価する。
刀身が落とす影の濃さがある一定値を越えた時、少年の右手が、相対するカグラの目でも捉えきれないほどの速度で加速する。しかし、その手は拳を作らない。あえてリーチの短い拳底を小さな手は形作り、迫り狂う大太刀の鎬をしたたかに打ち付ける。
ヂッ!という小さく、しかし強い擦過音とともに振り下ろされる刀身の軌道が変わる。
事前に身体をカグラに対して半身にしていたため、ぐにゃりと歪んだ軌道は肩に当たる事なく地面に激突する。
腹に響く轟音が炸裂する。
足元の草地に深い轍を刻み込んだ刀身は、しかしそんなことでは止まらない。刀を返す暇すら惜しんだのか、そのまま峰部分を上にしたまま跳ね上げる。
だが今度も、逸らされる。
逸らされる。
曲げられる。
歪まされる。
大太刀に限らず、リーチのある日本刀や剣という武器。いや、それらに限らずリーチの長い武器全般は、その長所であるリーチの長さが同時に短所となることがある。射程距離とは、その武器が正しく機能する距離の事である。有効範囲、と言ってもいいかもしれない。これは逆説的に言えば、その範囲外での戦闘になった場合、その武具のポテンシャルは著しく減少する事になるのだ。
だがそれはカグラとて、否、一般常識だ。異様なのは、それを踏まえた上でなお、カグラという普通以上の強者が、徒手空拳が一番有効で大太刀が一番使いにくい距離にまで肉薄されているという事実だ。
―――ッ!よくここまで………!!
かつて、あの城で相対した時は、ここまでになるとは欠片ほども思っていなかった。しかし今、あの地べたに這っていた(そうしたのはカグラ自身なのだが)少年が、手出しもできなかった自分の一撃に悠々と対応するのは、少しばかりの寂寥感を伴った不可思議な満足感をカグラに与えた。
しかし、それをしかめっ面で押し潰し、無理やりにでも距離を取る。ずざざっ、と足元の草を刈り飛ばしながら退く緋色の巫女を、しかし紅衣の少年は追いかけない。
ダラリ、と。
力を抜いて、どこかのほほんとした表情で、身体を弛緩させている。しかしこれは、別に気を抜いているのではない。
自然体。
人間という、知性ある生物と敵対する際、その行動のおおよその予想はついても、その完全な予測はできない。単純なヘイト値の増減に基づく単純明快なアルゴリズムは話は違う。あれは攻略法や対処法が確立されるほどにまで予測がつけられる。
しかし、知性は違う。こちらがあちらの出方を予測しているというのであれば、あちらもまたこちらの出方を予想しているのである。
防御に見せかけての突進。
突進に見せかけてのカウンター。
その選択肢は広く、その裏をいちいち予測していたらキリがない。
では対人戦での明確な必勝法とまでは行かないまでも、勝率を上げる方法はあるのか、と問われれば、その答えは存在する。
だが、その理論は単純だ。
双方が予想しあうから、戦闘というものはここまで複雑化する。ならば、こちらから相手に渡る情報を限りなくゼロに近い形にすれば簡単になるのではなかろうか。
その、子供みたいな理論を推し進め、さらに実践に即したように特化したものが、レンが繰る構え《自然体》である。
回避も防御も、基本的には相手の攻撃の軌道予測が成り立って初めてできる事だ。それが限りなく薄く、そして読みにくいこの構えは、はっきり言ってやりにくい事山の如しだ。
太刀を正眼に構え、乱れた呼吸を強引に直し、カグラは口を開く。
「その、理由とは?」
会話中というのは、人間の本能というか性質的に、どうしても意識を裂きがちな分かりやすい隙である。だが、油断なく目を細める巫女は音高く舌打ちをするのをどうにか堪えた。眼前に佇む少年には、隙と呼ばれるものが全くといっていいほど存在していなかった。
レンは腹立たしいほどに落ち着き払い、鼻歌でも歌いだしそうなのんきさで空を仰いでいる。
「んー、ごめん。言えない」
「そう……ですか」
理由を言えない。
わざわざするコンバート。
何かあるのは確実だ。そして、そこに危険が伴う事もまた確定事項。
見上げていた顔を下ろし、こちらに向けた彼の顔は笑顔だった。笑顔が張り付いていた。
「さて、ウィルにーちゃんに教えてもらってる《多刀流》はどれくらい習得したのかな?」
レンの言っている事は、カグラがあの世界樹での一件直後あたりからしている修行の事だ。
あの世界樹で己の力のなさを、しばらくの間心意強度が弱まるほど魂に刻み込まれたカグラは、わざわざALO運営に顔が利くリョロウに頼み込んでフランスまでの抜け道ゲートを開通させ、フランス陸軍に所属する《夕闇の化神》ウィルヘイムことウィルヘイム=シュルツに【風魔忍軍】の最奥の技術《多刀流》を半ば脅して教授させ……………いや、あくまで合法的にご教授願っている。だが、それもレンとマイのどちらにも苦労して秘密にしていたのだが。
この野郎、なぜ知ってやがる。
だがそんな事を言えるはずもなく、カグラはせいぜい不敵に笑う。
「……………こうはいしますよ」
噛んでしまった。
「え?何?交配?」
「こ!後悔しますよ!!」
怪訝げな言葉を無理やり上書きする勢いで叫び、緋色の巫女は腰に据えられた漆塗りの鞘を手に取り、そのまま頭上にまで持ち上げる。ハテナマークを掲げる少年の目の前で、《冬桜》の刀身が静かに鞘に収まった。しゃりん、という涼やかな鍔鳴り音。
ピリピリ、と。
痛いまでの殺気が空間に漂い始める。
「上段抜刀」
ゴン!!という空気が切断される恐るべき音とともに大上段からの一撃が少年を襲う。
なんだかんだ言って同じ一撃か?と眉をひそめる少年は、それでも再度拳底で斬撃軌道を逸らす。だが、カグラの居合い斬りは先ほどとは違い、地面ギリギリを掠めて振り払われた。
だが、それだけだ。特に何も起こらない。
今度こそハテナマークで胸中を埋め尽くしたレンは、とりあえず反撃しようかと三度拳底の形に手のひらを整える前に、『ソレ』は起こる。
「…………な」
いや、聞こえる。
しゃりん、という刀身が鞘に納まる時に発生する音が。
思いっきり振り払った結果、大太刀の刀身はそっくりそのまま女性にしては長身なカグラの身体の後ろに隠れてしまっている。だが、そこで起こっているであろう現象を、少年はありありと想像できてしまった。
そもそも、先ほどカグラは『どこで抜刀した』?
頭の上、すなわち上方だ。
そして世界にはある一つの絶対法則がある。
すなわち、重力。
どこかのフワフワ頭の白髪のオッサンが言うまでもなく、リンゴは何もしなくても下に落ちる。これは宇宙空間に脱出しない限りついて回る、普遍的な現象だ。
それを、利用する。
「――――ッだからって………!!」
そう、口で言うのは簡単だ。
しかし、けん玉なんかとは違う。鞘の入り口というのはまさしく、刀を納めるためだけに存在する。滑らかに収まるために多少の余裕はあるが、基本的に異物が入らないようにするために刀身の大きさに沿って製造されているのだ。
それを、『上方で抜刀した鞘に振り払った後に刀身を再び納める』なんて。
眼を見開く少年を嘲笑うように、巫女は静かに、ポツリと呟くように宣言する。
「下段抜刀」
大口径の散弾銃でもブッ放したような轟音が鳴り響いた。音速を超えた居合い斬りが空気を分厚いゼリーのように引き裂いた結果に生じたソニックブームが巻き起こす際に発する音だ。
いくら遅いとはいっても、まだレンは拳底に使った右手を引き戻してもない。油断はしていなかったつもりではあった。だがさすがに、『これ』は予想の範囲外だった。
自分の口角が引き上がるのを止められなかった。
一瞬でまざまざと見せ付けられた可能性。それに対して、純粋に歓喜している自分自身に少年はまだこんなトコが残ってたのかと意外に思う。
頭上から左下。それは逸らせた。
次撃は、左下からの右。
「く………ぉッ!」
左手を加速させる。再度強い擦過音とともに跳ね上がってきた斬撃をどうにか逸らせたが、さすがに予測もまったくできなかった一撃を完璧に対処できるほどカグラの実力も甘くはない。逸らせたが、その軌道は決して平時とは違って綺麗なものとは言い難かったし、実際決闘状態であるレンのHPが決して低くない数値減少した。
手のひらから嫌な衝撃がビリビリと伝わり、眉が思わずひそめられる。
だが、しのげた。
そう、安堵とも言えない小さな吐息を少年が吐き出したところで、事態はさらにその上を行く。
しゃりん。
「う……そ、でしょ――――ッッ!?」
驚愕に再度眼を見開くレンに対し、やはり返ってきたのは冷徹なまでの呟きだった。
「中段抜刀」
右から、上へ。
脇腹から肩までが真っ二つになる軌道を逸らせる両手は二つとも使用済み。クロスした両腕を、ここから引き戻して逸らせるか。
いやいやいや、無理無理。
ここに来て、《終焉存在》と呼ばれる少年は《炎獄》と呼ばれる巫女に対し、決闘が始まって初めて《本気の回避行動》を取る。
無音高速移動術《地走り》
まったくの無音で、少年の気配だけがそっくりそのまま掻き消える。あとにはゾン!!という太刀が空しく大気を叩く音だけが響き渡った。
余裕がこそげ落ちた顔で、カグラの前方二十メートルの位置に再出現したレンは、そこで再び顔を強張らせる。
ゾン!!と。
自分が移動した事によって空振りした《冬桜》の刀身が、再度振るわれた轟音が聞こえた。
そこから理解できる事実。それは単純な事。自分が回避した後に、四度目の斬撃が施行されたということである。
つまり、先ほどの一撃を何とかして防いでも、次撃に引き裂かれていたという事。その事実に戦慄しながらも、少年はまっすぐカグラを見る。その一挙一動から、対抗策を練る。
「………ふぅん、なるほど。ただの連続技だと思ってたけど、違うんだね」
「えぇ、これは《ループ技》。…………私なりに《多刀流》の基礎を応用して編み出した《三段式抜刀術》です」
上方から左下への袈裟斬りを信条とする《上段抜刀》
左下から右への切り上げを信条とする《下段抜刀》
右から上方への薙ぎ払いを信条とする《中段抜刀》
これが連続技ではない根拠は、そのスタートとなる地点である上方が同時に、ゴールでもあるという事だ。
つまり、上→下→中という順番でいくらでも、カグラお得意の神速居合い斬りが連続して放てるわけである。通常戦闘行為の中では、一旦剣を引き、鞘の中に納めるという危険を犯さないと手に入れられない技が、だ。
これは恐ろしい意味を秘めている。なにしろ、SAOでのソードスキルの速度がチャチに見えてきそうなほどの圧倒的速度を誇るカグラの居合いが、ノータイムで連射されるのだ。対応できるレンのほうがむしろバケモノというだけで、これに初見で対処しようとする者のほうが異常である。
それほどまでこの《三段式抜刀術》は対処するのが難しい。そもそもその一撃一撃すら対応する事が困難であり、一度あの大太刀の有効射程内に入ったら繰り出される斬撃の嵐の中から抜け出す事そのものも難しいものとなる。
だが、と。
カグラは思考する。
己の剣の主と見定めたあの少年が、これで済むはずがない、と。
その思いを裏づけするかのように、《終焉存在》は無邪気に、酷薄に笑う。
「ッよし!弱点みぃ~つっけたッ!!」
「…………え?」
「そのいち~」
ドンッ!と草地が蹴り上げられる。丈の低い雑草達がまとめて薙ぎ倒される。
一瞬で、懐に潜り込まれる。
「――――ッ!」
とっさに腰で納刀状態にあった《冬桜》の柄に手を添えようとする巫女に、少年は思いっきりドロップキックを叩き込む。体重の軽いレンではたいしたダメージすら通らないが、それでも予想していた通りの現象は発現してくれた。
ぐらり、と。
異常とも取れるほど明確にカグラの体勢が崩れる。
「その抜刀術は体勢が大きく関わっている。逸らされて、回避される前提で鞘の位置を調整してるんだからそりゃそうだよね」
だけど、と。
少年はあくまで不敵に言う。
「自分の体勢そのものをずらされる事を計算に入れてない」
だから、それだけでこの抜刀術の絶対的な連続性は失われる。
舌打ちとともに腰溜めから頭上にまで鞘を持ってくる巫女。
「そのに~」
ぎしり、と抜刀しようとするカグラの意思に反し、その刀身が空気中に晒される事がなかった。眼を見張るカグラがとっさに後ろを振り返ると、そこには背伸びして剣の鍔を止めている少年が出現していた。
「その抜刀術、《未完成》でしょ」
ぎくり、と身を強張らせる彼女の隙を、まったく気にすることなくレンは言葉を連ねる。
「最初に見せてくれた時と今。どっちも腰の位置にあって、納刀までしてあるのに、カグラはそれをわざわざ頭上まで持っていった」
ここから導き出される事実は。
「スタート地点は上…………《上段抜刀》じゃないといけないから。これは理論的にできないんじゃなくて、ただの練度不足かな?」
「――――くッ」
言い返せない。
それは、放たれた少年の言葉が余さず正解だという事を伝えてくる。
そのさん、と。
三つの指を立てながら、止めを刺すように、吐き捨てるように愉しげに、少年は言い放つ。
グオッ、と空気の悲鳴が迫るのにもかかわらず、振り向きざまの一撃が彼の首を刎ね飛ばそうと迫るにも関わらず、彼は笑顔を崩さない。
空間が震えるほどの音が腹に響くまで、数瞬あったであろうか。
ギラギラと剣呑で美しく冴え冴えとした光を放つ刀身は、確実にレンの首と胴体を間違いなくお別れさせるコースだった。だが、少年は数瞬前と変わらない、憎たらしいほどののんきな笑顔で眼前にいる。
いや、眼前過ぎた。
「な………………」
紅衣の少年が取った行動は単純だ。ただ、向かってきた刃に対して防御をしただけ。
しかし、《冬桜》の切れ味は装備の如何によって左右されたり、防御行動によって落ちるようなことは断じてない。ナマクラ刀なら刈り飛ばし、腕だろうと足だろうと延直線状にあるもの肉体全てを総動員しても刃を止めることなどできはしない。
だから、レンは受け止めた。
カグラの手首を、交差した腕で。
緋色の巫女は、絶句すると同じ勢いで舌を巻く。こんな受け止め方があるとは思いも付かなかった。たしかに、上段からの一撃を受け止めるにはこれ以上の安定した防御行動はないだろう。白羽取りなどは、あくまでも大道芸の一つだ。
そこで驚愕する巫女は、ある一つの事実に行き当たる。
己と少年の間にある絶対的な差。すなわち、肉体的数値の違いを。
あの世界の神たる存在の手によって直接、筋力値も敏捷値も最高レベルに達しているカグラに対し、眼前の少年の能力値構成はバリバリの敏捷値一極型だ。つまり、彼のアバターには圧倒的な速さを持ち合わせていても、鍔迫り合いで押し勝つほどの力強さは存在しないのである。
よって。
グン、とカグラが少し力を込めただけで、体勢が大きく動く。ギシギシ、と少年の肘や膝から異音が聞こえてくるような気さえする。
―――押し
「勝てると思った?」
至近距離で放たれた言葉の意味に背筋を震わせる暇も与えずに、今度はレンのほうから体勢を動かす。
交差した腕を、思いっきり右方向にねじるように。
「――――ッ!!!」
マズい、と。
巫女は歯を食いしばりながら己の体勢を戻そうとするが、もう遅い。
押し潰そうと下向きに力を込めていたことも災いし、カグラの長身は前につんのめったような形となり、レンの隣に倒れこもうとする。
だが、ダメ押しとばかりに少年の、交差の解かれた両腕がカグラの白衣の胸元をがっしりと掴み取る。
世界が回った。
綺麗な背負い投げで草地の上に転がされたと気付くまでに、五秒ほどの時間がかかった。そこから負けたという事実に至るまでに、さらに十秒の時間を有する。
首元に突きつけられた手刀を知覚しなくとも、敗北した事実に変わりはない。
魂まで一緒に抜け落ちそうなため息とともに、カグラは草地の上に脱力する。
「んっふっふ~、『受け止められない事を前提に計算されたこの抜刀術は、受け止められたときに対する対処がまるでない』。まだまだだねぇー」
「精進します…………」
どこから取り出したのか、古めかしい煙管をスパスパ吸って紫煙を曇らせながら、少年はからからと明るく笑う。その声にいかめしい覚悟などは一切なく、カグラは先ほどとは意味合いの違う吐息を吐き出すことになった。
そのままカグラは、ALOの空を見上げる。
現実と流れる時間の違うALOでは、今はお昼の三時ごろといった具合か。現在《浮遊島》は猫妖精領の近く、大陸と切り離された島国のケットシー領と大陸とを繋げる唯一の橋《ログ・ブリッジ》上空に差し掛かっているところだ。
基本的に《浮遊島》はラジコンではないため、行く先はコントローラで操作できるものではない。あくまでシステムがランダムで、そのくせ数千はあると言われているそれぞれの岩塊を衝突させないように緻密な計算の上で成り立たせている。
ケットシー領を始めとする、大陸の西側は気候が比較的温暖で、アタリのひと時でもある。これで南は灼熱地獄の火妖精領や、北は極寒の土妖精領に行った時などは、城の中で縮こまっているか、避難するかのどちらかである。他プレイヤー(主にどこかの黒尽くめ)からは絶賛の声が上げられる浮遊城ではあるが、意外と面倒なところもあるのだ。
「…………レン」
「………………なに?」
空を仰ぐカグラにつられたように、レンも空を仰ぎ見る。
「私は、何も言いません。しかし、マイに何も言わずにコンバートするつもりですか?」
それは、何も言えない服従者から主へ言える、精一杯の反対の言葉。レンを見上げる目線もいつになく厳しい。
その視線から逃れるように、レンは顔をめぐらせる。
その眼が見据えるのは、白亜の塔の中ほどから張り出している大きなバルコニーだ。
最近読書にハマっているマイは、いい天気であればこの時間帯に勝手に本を引っ張り出してバルコニーのティーテーブルで適当な菓子をお供に何時間でも読んでいる。今この瞬間も、おそらくあそこでのんべんだらりと読書にふけっている事だろう。
バルコニーを数秒見つめた少年は、ポツリと、沈黙に耐えかねたかのように言葉を発した。
「マイには………カグラから言っておいて」
「自分で、言わないのですか」
「うん、頼んだ」
言いたい事は山のように山積していた。
ここで眼前に佇む少年を、主従関係など遥か彼方に置き去りにして叱り飛ばせたらどんなに良いだろう。現に、この少年はそのことを望んでさえいるかもしれない。
しかし――――
「………………………………………………承知しました」
長い葛藤の末にカグラが言ったその言葉に、レンは一つだけ吐息を搾り出した。
ここはどこだ。
とろりとした微睡みの中から半覚醒の体で起き上がった"それ"が、最初に頭に思い浮かべたのはそんな疑問だった。
辺りは、さわさわと揺らぐ草の穂で埋め尽くされた草原。微風が吹くたびに揺れ動く緑のカーペットは耳に心地いい軽やかな効果音を奏でている。軽く頭を巡らすと、うららかな春のような日差しが梢の間をすり抜けて降り注いできているのが分かる。
アインクラッド第二十層の南東部に広がる雄大な《ひだまりの森》
どうしてこんなところで寝ていたのだろうか、と自問する"ソレ"は、やがて薄いベールを裂くようにして現れた記憶の欠片を繋ぎ止めていく。
一瞬の静寂。だがそれは、優しげな景色とは無縁のものだった。
そう、と。
唇が形作る。
終わったのか。あの世界は。あの城は。
自分達のことなんか放って置いて、なあなあで、誤魔化して、目を背けて、最期を迎えたのか。
じわりと。"ソレ"の近くにあった草の穂の色がゆっくりと変わっていく。
柔らかな草色。そこから、命の潰えた漆黒へと。
そしてそれは、その草の穂だけに留まらない。まるで獲物を貪る寄生虫のような勢いで、圧倒的な黒が一面をまたたく間に染め上げていく。
侵略し、蹂躙する。
許さない。
赦さない。
ゆルサなイ。
"ソレ"は懐に手を入れ、返って来た硬質でひんやりとした感触に口角を引き裂き、焼け爛れたような嗤いを浮かべる。
だけど、この怒りは――――この恨みは後回し。
念のためにと思って取って置いた予備部品、まずはあれを探さなければ。
くすくす、くす、と。
爛れた嗤いに、焼け爛れた野原は何の応えも返さない。
「必ず見つけるよ。……《彼》のために」
見るも無残な黒い台地の上で、毒々しい黄色いケープを揺らしながら"ソレ"は高らかに嗤いを上げ、宣言するように産声を響かせた。
後書き
なべさん「はい、始まりました!そーどあーとがき☆おんらいん!!」
レン「僕もずいぶんと成長してるなあ」
なべさん「停滞してる主人公も味はあるけど、やっぱり少年ジャ○プ的なここだとやっぱり成長したほうがいいよね」
レン「限度があるだろ限度が。……というかこの小説はジャン○的なものだったのか」
なべさん「うん、少年が飛び回ってるからね。物理的に」
レン「…………あー、んなことだと思ったー」
なべさん「はい、自作キャラ、感想を送ってきてくださーい」
――To be continued――
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