ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~
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第20話 胃痛
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
Jrの胃痛ショーをお送りします。あんまり台詞がありません。
おばちゃんとか参謀とか見覚えのない名前は、みんなオリキャラです。
宇宙暦七八五年一一月 ケリム星域イジェクオン星系
だいたい悪い予感というのは当たるというのが、世の中の常識というかなんというか。誰かの言い草ではないが、困ったものだ。
副官業務を始めて二週間。早くも第七一警備艦隊というより星域防衛司令部最大の弱点が、俺の目前に現れた。
同盟随一の主要航路に位置するだけあって、その航路の重要性が広く理解され、軍に限らず警察戦力も多数配備されている故に、中央航路の安全性はよく保たれているといっていい。ケリム星域における宇宙海賊の襲撃や遭難事故の数は、バーラト、ジャムシードに次いで航行数比被害率が少ない。
これは良いデータのように思われるが、それはあくまでケリム星域内の各星系における数値だ。ケリム星域を一歩出れば、そこは修羅の世界に近い。一次航路(つまりイジェクオン星系から次の星系まで)の安全性は完全に確保されているが、そこから先の二次・三次航路となると海賊の襲撃が加速度的に増えていく。ネプティス星系までは確保されてもその周辺は護衛なしでの航行は危険そのものだ。
アーサー=リンチは優れた軍事指揮官であることは、いちばん近くで見てきただけでよく分かる。少壮気鋭の噂は決して誇張ではない。原作におけるヤン=ウェンリーや金髪の孺子とまではさすがに言わないが、精力的な指揮、適切な艦艇運用能力、剛性のある精神力、能力に裏打ちされた自信のある態度。いずれをとっても警備艦隊の指揮官としては申し分ない。
だが、その自信がいささか過剰気味な処が見受けられる。そしてそれはケリム星域防衛司令部に悲劇をもたらしている。第七一警備艦隊の実力は、ひとえにリンチ一人の才覚に支えられていると言ってよく、補佐すべき幕僚スタッフは俺の見る限り自己の職責こそ全うしているが、あくまでも第七一警備艦隊の幕僚スタッフとして、である。彼らはリンチの能力に充分な信頼をよせているが、リンチのやもすれば職権範囲外への干渉に関しては非協力的だ……それ自体が間違っているわけではないが、スタッフとしてリンチを諫めないのはどうかと思う。
リンチは第七一警備艦隊だけでなくケリム星域防衛司令部への干渉を止めない。軍律上問題があるのは当然の事なのだが、俺としてはリンチ一人を責めることは難しいとも思えてしまう。つまり……ケリム星域防衛司令部全体にエネルギーを感じないのだ。リンチの干渉には『俺がやらなかったら、この星域はいったいどうなる!』といった彼の軍人としての義務感が見え隠れする。
そしてそういったリンチの行動に、防衛司令部隷下の巡視艦隊は不快感を隠せていない。リンチの自信のある態度も傲慢不遜にしか見えない。それは「お前らの不作為が原因だ」と会う度に言ってやりたくなるし、リンチも雰囲気を充分すぎるほど理解しており、巡視艦隊や防衛司令部の指揮官・幕僚スタッフを軽蔑すらしている。そしてリンチが第七一警備艦隊を率いて治安維持任務を着実に実行していけばいくほど、両者のすきま風は強くなっていく。
これはリンチと他の同僚の相互不理解と不信感、上層部とくに棺桶に足を半分突っ込んだような防衛司令官のベレモン少将の統率力のなさが、時間が経つにつれ増幅・拡大していった結果だ。リンチにもう少し他者を許容する寛容というか器量があれば、少し話は変わっていたかもしれないが、帝国との前線が遠い上に海賊には戦艦クラスの大型艦も優れた軍事指揮官もいない故の緊張感のなさが、彼を必要以上に強情にさせているのかもしれない。
このような状況は好ましくない。もし許されるのなら、グレゴリー叔父に超光速通信を入れて第一艦隊にお出ましを願い、ついでに査閲部長と憲兵司令部と人事部長にも通信を入れて、中央の介入をお願いするだろう。だがそれは越権行為というだけでなく、軍律・軍秩序を乱す行為である。そもそも自分の無能を宣伝するようなもので、俺としてもいささか不満がある。ならば副官として出来ることを順序よくやっていくしかない。帝国軍という不確定要素がない以上、時間には若干の余裕があるはずだ。もっとも俺の人生のほうには、それほど余裕があるわけではないんだが……
とにかくせっかく数がいても、有効に運用できなければ宝の持ち腐れ。二人の巡視艦隊司令官の副官と腹を割って話してみて……PXへ胃薬を買いに行く羽目になった。そりゃ、アンタ達専科学校出身で中尉になった方々から見れば、士官学校の首席卒業者など煙ったいことこの上ないでしょうよ。しかもリンチがことある毎に頼りになる士官学校首席卒の俊英とか宣伝してくれれば、いじめてやろうとか思うのも無理ないとは思いますがね。だからといって端から「各々の職責を全うすることが重要なのではないかね?」と大上段に袈裟斬りはないでしょうが。
「だからそんなことやっても無駄なのだ」
俺の動きを、嫌いな巡視艦隊司令官から嫌みたらしく指摘されたリンチは、不吉きわまりないチョコレートを口に放り込みつつ、鼻息荒く俺に言った。あの中のアーモンドを噛み砕く、身の毛もよだつ音が俺の意気をさらに消沈させる。
「奴らが馬鹿とは言わんよ。それなりに武勲を挙げているからこそ、その地位にいることぐらいは分かってる。だから俺や貴官のような士官学校卒に対してすぐ『軍のイロハも知らんクセに』とか僻みがはいる。俺の提案に対してとにかく反対したくなる。根本的に提案の善し悪しではなく、提案者の好き嫌いで判断するんだ。そんな奴らをまともに相手しようとか、まともにしようとか、考えるだけ時間と労力の無駄だ」
「しかし、第七一警備艦隊の戦力だけでは、現在のケリム星域外縁および三次航路の安全維持は不可能です」
「不可能じゃないさ。俺の艦隊だ。装備も練度も海賊共とは格が違うし、なにより海賊には俺に匹敵する指揮官はいない」
「それはそうですが、数は力です。このままではケリム星域外縁部の治安悪化が先か、第七一警備艦隊の過労死が先か、となってしまいます」
「この程度の作戦任務で過労死するような奴らなど、どうせものの役には立たない。貴官の前任者もそうだったが、数日徹夜したぐらいで、音を上げるような奴は大抵口先だけだ。それより中尉、D星区の海賊出没統計資料は出来たか?」
リンチの退庁後、睡眠時間を削って作成した資料を俺が差し出すと、片手でページをめくりながら、再びあのチョコレートを口に放り込み、バリボリと音を立てて噛み砕く。殆ど呼んでいるのかと思うような速読でリンチが資料を読み終えると満足そうに頷いた。
「やはり貴官は頼りになる。参謀を持つなら貴官のように努力を惜しまない人材が相応しい」
「エジリ大佐は、実績も経験も充分おありの方ですが……」
「エジリは頭が固い上に、自分の仕事を型にはめている。だから星域全体の視野というものがない。俺の艦隊における仕事はそつなくこなすから飼っているだけで、時期が来れば中央から誰か連れてくるつもりさ」
「……オブラック中佐とカーチェント中佐は?」
「後方参謀は艦隊の燃料と武器の補充に支障がなければいい。情報参謀はとりあえず統計処理が出来ればそれで充分だし、貴官もいるから業務に支障はない。あいつ等は士官学校の頃一緒だったからな。それなりにこちらも力量を心得て仕事している。もっとも俺の仕事を手伝える成績じゃなかったが」
俺の出した資料を基に、第七一警備艦隊を近々出動させるということになり、俺は珍しくリンチから定時での退社が許された。それをありがたく俺は受けると、リンチの言葉を胸くそ悪く思いながら、三日ぶりに帰る宿舎への途中にあるPXに寄っていつものように胃薬を買う。
「坊や、幾ら薬効成分が弱いといっても、こういう薬を常用するのは良くないよ」
年季の入った、薬剤師の資格を持つPXの販売員のおばちゃん……マルセル上等兵軍属が、いつものように胃薬を袋に入れながら言った。
「リンチ准将のところで鍛えられているんだろうけど、あの人は自分にも容赦ないけど、部下にも容赦ないからねぇ……奥さんも娘さんもいるというのに、ろくに家へ帰らないから」
「はぁ……」
「今は良いけど、いつか大きな失敗するんじゃないかって、あたしゃ心配でねぇ……優秀なひとだから余計心配なんだよ」
この人のいいおばちゃんに、エル・ファシルの悲劇を予測できるとは思えないが、リンチにそう予感させるものがあるのも確かだ。
「准将閣下はマルセルさんの目から見ても優秀な方ですか? その、副官としてこういう質問をするのは大変恥ずかしいのですが」
「そりゃあ、そうだよ。准将が来てからというものイジェクオン近辺で海賊が出たって話は聞かなくなったし」
「前の司令官はそれほどひどかったんですか?」
「なにしろ星間輸送会社から賄賂を貰っていたって事で、ハイネセンから憲兵が飛んできて連れて行かれちゃったくらいだからねぇ……老後が心配だったんだろうけど」
つまり前任者の不始末を放置していたような星域司令部に対し、中央から派遣されてきたエリートのリンチは、最初から不信感を持っていたのだろう。前任者が捕縛されて意気消沈していた星域管区の人間も、そんなリンチの態度を苦々しく思っていたに違いない。実績が上げられない無能ならまだ彼らも救われただろうが、リンチは運が悪いことに優秀だった……
「リンチさんはケリムに来てもう二年。先月の人事異動でも動かなかったから、来年には昇進して別の処にいるのかもしれないねぇ……」
坊やも身体に気をつけて頑張るんだよ、と結局最後は激励になってしまったが、おばちゃんの好意をありがたく受けて、俺は宿舎の自分の部屋に戻った。
ワンルームに備え付けの端末机。ユニットバス、折りたたみ式のベッドを一応備え、制服と私服一着以外何もない部屋で、俺はインスタントラーメンを啜りながら、ぼんやりと端末画面に映るリンチ准将の公開されている履歴を見つめながら考えた。
リンチは現在三八歳。グレゴリー叔父の一つ年上になる。士官学校戦略研究科を卒業。席次は一八八番/三七六六名中。戦略研究科では七五番/三六九名中。戦略研究科の卒業生よろしく、統合作戦本部や宇宙艦隊司令部でデスクワーク、前線では参謀とそれなりに戦績を重ねている。二九歳で中佐となり、駆逐艦小戦隊の指揮を執ってから、部隊指揮を主にし、幾つかのナンバーフリートを渡り歩きつつ昇進し、ケリム星域へとたどり着いた。まず軍人としては順調というかスムーズに出世しているといっていいだろう。
だが部隊指揮官として最高位である宇宙艦隊司令長官にたどり着けるような人材かというと無理がある。グレゴリー叔父なら、ケリム星域に配属された場合、既設部隊の指揮官達と衝突などせず交流を深め、実働部隊の相互連携を構築してしまうだろう。グレゴリー叔父はそれが出来るから第一艦隊副司令官で少将、リンチは地方の警備艦隊司令官で准将。二年もこういう環境にあれば、とっとと功績を挙げてナンバーフリートに復帰したいと思っているに違いない。それが彼を必要以上に焦らせている。
エル・ファシルの悲劇は、彼のそういった焦りと驕りが重なった結果だろう。少将に昇進して星区防衛司令官になっても、エル・ファシルという辺境では出世の本流から取り残される。そこに海賊とは戦意も装備も桁違いの帝国艦隊が侵攻してくる。近年の実戦経験が海賊討伐で、戦闘指揮もそちらに慣れっこになっていたから……帝国艦隊の再反転追撃など、思いつきもしなかったに違いない。
リンチに足りないのは心の余裕。一五年後の同盟崩壊という原作の歴史を知っている分、俺もリンチを笑えない。このままリンチの副官を続けたとして、数年後リンチはエル・ファシルの防衛司令官になっている。俺がリンチの副官として同行することになるとしたら……エル・ファシルの奇跡はおきず、ヤン=ウェンリーという奇才は世に出ることはない。若干席次の上がったヤンがエル・ファシルに配属されるかは未知数だが、仮に俺がヤンの代わりに脱出の指揮を執り、イゼルローンを攻略して『ミラクル・ヴィック』『魔術師・ヴィック』など呼ばれたとしても、正直金髪の孺子に勝てる自信は全くない。その時、ヤンが艦隊の指揮官となっている可能性はほぼゼロだ。自称革命家も部隊指揮出来ているとは思えない。
そう考えるとまた胃が痛みを訴え始める。俺はインスタントラーメンをかき込むと、PXで買った胃薬を飲み、早々に横になった。
今は遠くの未来よりも一夜の睡眠がほしい心境だ……っていったのは誰だったか。思い出すのがおっくうになるほど疲れるというのは本当にありえるんだなと俺は思い、目を閉じた。
後書き
2014.10.15 更新
2014.10.15 誤字修正
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