Meet again my…
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アウトサイド ―ソアー
それからも麻衣は何の追及もせず、くるくる表情を動かして働いた。
起きた時に見つけた寝室に置いたダンボールの山を片付けよう、と麻衣に言われた時はどう切り返すべきか真剣に悩んだ。僕がこの部屋に戻る保証はどこにもないのに。
「こういうのは先延ばしにするとずーっと放りっぱなしになっちゃうんだからね。経験者は語るよ。それに帰って来た時、きちっとした部屋のほうが気持ちいいでしょ?」
にっこり。その笑顔、やめてくれ。言い返す気力が根こそぎ削がれるんだよ。
結局麻衣に根負けする形で、僕らは引越し荷物の片付けを始めた。
これが案外、普段使わない神経を使わされた。麻衣に触られて困る物を選別するのは僕にしかできない。必然、僕の労働量は多い。
……疲労を許すのはトレーニングと決戦だけと決めていたのに。麻衣、人のささやかな宣誓、破った自覚あるか?
ざっと荷物の片付けが終わっても、麻衣はまだ止まらなかった。布団を乾していいか尋ねてきた。いいと答えると麻衣は勇んで寝室に入っていき、かけ布団を持ってベランダに出た。本当によく働く。
ハタキで布団を叩く麻衣の後ろ姿を何となしに見ていると、ポケットの中で携帯電話が振動した。麻衣に悟られないように、そっと部屋から出た。
「もしもし」
『こちらシャーロット・エージェンシー社長の……って名乗らなくても君は分かるか』
「そうですね」
ここ数日、日高の拠点探しの件で世話になりっぱなしだった、調査会社の社長だ。
『電話で話すのは久しぶりだね。元気でやってたかい』
「おかげさまで。今のところ五体満足です」
電話の向こうの微妙な沈黙。黙っていらえを待つ。
『――安部日高の本拠地を掴んだ』
激しく心臓が跳ねた。
ついに。ついに来た。あの女にかつての屈辱を叩き返せる日が。
『詳細はメールに送るよ』
「ありがとうございます」
儀礼的な謝辞のあと、ふと、その人の名を呼んで。
「今日まで10年間、お世話になりました。あなたが情報集めを担当してくれたおかげで、心置きなく対策に打ち込めました」
『遺言みたいな言い方はよしてくれよ』
遺言になると思いますよ。麻衣の予知夢によれば、どんな形であれ『僕』の死は避けられないみたいだから。
そう考えると、他の人にも一報入れておくべきか。
『いつ決行するんだい?』
「場所が分かったんです。明日にでも向かいます。止めても聞きませんよ」
『止められるなら、君が仇討ちを決意したその時に止めてるよ。もっとも、君は全く聞く耳持たずだったけどね。あの人まで頑固に修業し直して備えてるくらいなんだから、君はもっと、この土壇場に降りるなんて無理だろう』
「よくお分かりで」
電話の向こうが沈黙した。ここから見える東京の景色をぼんやりと眺めた。小春びよりの都市。はじまりもおわりも、ここ。
『……妻のことなんだけど』
意識を戻す。回想する。この人の奥さん――ああ、あの。大和撫子を体現した女性。
『妻が日高さんと友達だったことは知っているね』
「はい」
『彼女は迷ってる。日高さんに会いに行くべきか、静観すべきか』
「迷いがあるなら来させないでください。いくら日高がグリフィスの男児以外は殺さないと誓願を立てているにしても、リスクが高すぎます。望んで死地に飛び込む人間を止められはしませんが、死ぬと分かっていて見殺しにするわけにもいかない。その分だけ僕が敗北に近づくんです。足手まといは御免だ」
『歯に衣着せないところはお父さん譲りだね。声もそっくりだ。……彼と話してるようだよ』
だろうな。僕は父さん似だから。
「――一つお聞きしたいことがあります」
『何だい?』
「母は、どんな人でしたか」
電話口の向こうが水を打ったように静まり返った。
父の話題が出たんだ、次に母の話題になっても流れとしてはおかしくない。頭のいいこの人がその辺を読めずにいたなんて。本当に僕の両親は彼らの中で存在が大きいんだな。
『明るい人、だったよ。表情がよく変わってて、見てて飽きなかった。あと人懐こかかったね。まっすぐで元気なとこには、妻も若い頃ずいぶん救われてた。そうだな、きっと彼女は太陽みたいな存在だったんだ。みんな何だかんだで彼女が好きで、彼女が中心に回っていたんだろうね』
太陽。言い得て妙だ。なら彼女を中心に回ってたこの人や他の人たちは衛星か。
『だからこそ、目の前で彼女が殺された時は、僕も含めてみんなが呆然自失だった。いい大人が4人もいて、子供たちが後ろで見てたっていうのに動けなくて……思い返すたびに情けなくなる』
きっと電話の向こうで、この人はとても悲しそうに笑っているんだろう。
そう思って、どうしてか、昨日会った優子さんを思い出した。僕が一人で戦うと宣言して、哀しく笑ったあの人。
口が勝手に、動いた。
「明日、時間は10年前に戻ります。あの日の全てを取り戻して、正して来ます。だから」
待っていてください、とでも言う気か。帰れやしない僕が。死の未来が確定しているこの僕が。
『――ああ、安心した。それなら大丈夫だね』
信じさせてしまった。来るはずのない、僕が生きて帰る未来を。
『じゃあ、長話も何だから。健闘を祈るよ。妻と一緒に』
電話が切れる。どうしようもなくて、液晶画面のoffアイコンを押した。携帯電話を額に押しつける。
僕の中で、ゴメンナサイ、と意味のないオトが響いた気がした。
後書き
そろそろ主人公の正体と両親が誰か分かってきた方もいらっしゃるでしょう。でももう少しだけこのシナリオにお付き合いください。
自分でも自覚しない内に「死なない。帰れる」という心境の変化を彼は見せ始めています。命の全てを仇討ちに費やす覚悟だった彼が、「その先」を前提に話す。大事なターニングポイントです。
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