SAO-銀ノ月-
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第六十九話
事態は切迫していた。罠にかかって太陽の届かぬ地、《ヨツンヘイム》に落ちた俺たちは、幸いにも同じく落ちていたキリトとリーファ、ユイたち三人と合流した。そこでリーファの頼みとキリトの一計によって、四本腕の邪神からやられている邪神を助けることになり、その助けた象海月型の邪神――トンキーに連れられ、理由は分からないが、凍りついた湖を渡っていた。
だが、そこで復活した四本腕の邪神の逆襲にあってしまう。トンキーの稲妻を受けて湖に沈んだはずの四本腕の邪神は、身体がところどころ崩壊していっており、そのHPも残り僅かだったものの、その不意打ちにより頼みのトンキーは動かなくなってしまう。
さらに追撃のように、大人数のパーティーが近づいている、という警告がユイから発せられた。恐らくは、遠くからの大火力の魔法により、邪神を狩ることを専門にしたパーティーだ。攻撃を受けて沈黙したトンキーと、復活した影響でボロボロの四本腕の邪神は格好の標的だろう。……もちろん、そこに残っている俺たちも含めて、だ。
四本腕の邪神にやられるか、邪神狩りのパーティーにやられるかはともかくとして――このままでは俺たちもトンキーの命もない。世界樹はもはや目前だというのに、こんなところでやり直しを喰らうわけにはいかない……!
「トンキー! ねぇトンキー!」
トンキーを一番可愛がっていたリーファが悲痛な声をあげるものの、トンキーは沈黙したままで応えない。四本腕の邪神の一撃がクリティカルでもしたのか、ただでさえ攻撃されて低下しているHPも、さらに減少して次の一撃には耐えられないだろう。水上を歩く四本腕の邪神はトンキーにトドメを刺さんと、その手に持った大剣をもう一度振り上げ――
「みんなしゃがんで!」
――という声が聞こえたその瞬間、トンキーの姿が消え去った。
『………………!?』
四本腕の邪神の驚愕の嘶きがヨツンヘイムに響き渡る。トンキーだけではなく、トンキーの上に乗っていた俺たちまでもが、四本腕の邪神の視界からは消えていた。……もちろん本当にその場から消えた訳ではなく、トンキーも俺たちもそこにいたままだった。辺りには風が吹きすさび、その視界は薄い緑色に染まってはいたが。
「レコン、何をやったんだ……?」
四本腕の邪神の攻撃の前の、『しゃがめ』という指示の声の主はレコンだった。その当人であるレコンは魔法の詠唱に集中していて、とてもこちらに説明をしている暇はなさそうであり、キリトの肩にくっついているユイが代わりに声を上げた。
「これはシルフの魔法の《風の膜》です、皆さん。パパとリーファさんはルグルー回廊で経験したと思いますが……風の膜によって相手から見えなくさせる魔法です」
レコンが得意とする隠蔽魔法とはまた違う、風によって姿を隠すことの出来る魔法の一つ。しかし、トンキーほどの大きさの物体を隠すには大量のMPが必要なようで、詠唱の合間にレコンはポーションを惜しみなく投入していた。四本腕の邪神は姿を消したトンキーを探しているようで、周りや空をキョロキョロと探索していた。
「このまま、あの邪神がいなくなれば……」
「いや、無理だろうな。出来たとしても、邪神狩りの連中が来るまでコレの維持は出来ないだろう」
キリトがリズの呟きを否定した通り、これは時間稼ぎにしかならない。今も詠唱を続けているレコンには酷なようだが、このままではいつか邪神に見つかるか、邪神狩りのパーティーに見つかるか、という運命は変わってはいない。
「あ……レコン、あたしも手伝う!」
それでも少しだけ安全な時間を得たことにより、落ち着きを取り戻したリーファが、レコンと同じように詠唱を開始する。シルフの風魔法ということで俺も手伝いたいものだが、開始まもない俺は風魔法をそこまで熟練させていない。
しかしリーファの加勢で随分楽になったのか、これまで不安定だった《風の膜》が安定していく。どうやら、わざわざ詠唱を続けなくても良いほどに安定したようで、疲れ果てたレコンが詠唱を止めてバタッとトンキーの背中に倒れ伏した。
「……もう無理……動けない……」
ゼエゼエと肩で息をするレコンに、もうこれ以上の行動は難しい。道中でも俺とリズをずっと魔法で支援してきたこともあり、もうそのMPも限界だろう。レコンに心中で礼を言うと、俺はどうすればこの局面を乗り切れるか……と思索をしていく。
「バカレコン、無茶して!」
「うー……でも、リーファちゃんがこの邪神を守る、って言うんなら、僕も頑張らないと……」
……ここで一番俺たちが助かる可能性が高い方法は、トンキーを見捨て、二体の邪神を手土産に邪神狩りのパーティーに合流し、《世界樹》へと連れて行ってもらうこと。……もちろん、これは論外だ。SAOとは関係ないレコンとリーファに、サラマンダーの件があったとはいえ、ここまで案内をしてもらった。今レコンが言った通り、その彼女らがトンキーを守ろうとしているのを、手伝わない訳にはいかない。
「……よし」
……いや、リーファを手伝うなどという理由ではなく、トンキーを助けるのだと覚悟を決める。顔を上げるとキリトも同じ気持ちだったようで、少し笑いあってトンキーの背中からすぐに跳べるように座り込む。
「ちょ、ちょっと二人とも……どうする気?」
「俺とショウキが、あいつをトンキーから引き離す」
「はぁ!?」
俺たちが導き出した結論は、とりあえずトンキーからあの四本腕の邪神を引き離すこと。いくら相手が邪神と言えども、復活したペナルティーかその動きは鈍く、鎧の役割を果たしている鱗もボロボロと零れ落ちて来ている。レコンが時間を稼いでくれた分、後は俺たちが元凶をどうにかする番だ。
問題であるもう一つの邪神狩りのパーティーの方だが、レコンとリーファの《風の膜》が効いている限り――つまりトンキーが彼らに見つからないのであれば、特に問題ではない。こちらを攻撃してくる可能性も無くはないが、このような危険なダンジョンにまで来るパーティーに、わざわざ邪神以外の厄介ごとに首を突っ込む理由はないからだ。むしろ、四本腕の邪神を邪神狩りのパーティーのところまで誘導出来れば、後は彼らに倒してもらうということも出来る。……マナー違反ではあるが。
「だ、だったらあたしも……」
「こら、リーファ。あんたがいなくなったら、この《風の膜》が切れそうになったらどうすんのよ」
満身創痍のレコンとレプラコーンのリズでは、この《風の膜》を修復することは不可能だ。《風の膜》でトンキーが見えないようになっていることが前提条件のため、残念ながらリーファはここを動くわけにはいかない。
「大丈夫だよ、リーファ。あんなんユージーン将軍に比べたら軽いって」
「うー……分かった。でも、この《風の膜》はあんまり保たないから、早く終わらせてきてよ!」
「ああ!」
「了解!」
リーファのありがたい激励の言葉を受け、俺とキリトはトンキーの背中から大きく跳んだ。背中の翼は太陽光がないため使えないが、それでも跳ぶことは出来る。何もない場所から突如として二体の妖精が現れたことを、四本腕の邪神は目ざとく発見し――何せ眼も三つあるのだから眼も良いのだろう――こちらに向けてギョロリとその三つの眼を向けてくる。俺とキリトは凍りついた湖の雪上に降り立つと、まずはトンキーから距離を離すべく、湖から邪神狩りパーティーがいる丘の方へと走りだした。
「……そう言えばキリト、お前とコンビ組むのって初めてだな」
アインクラッドで無謀にも右も左も分からぬまま、《はじまりの町》から出て行った俺を助けてくれたのはキリトだった。今でも彼のことは恩人だと思っているし、助けられたことを忘れた覚えもない。
「ん? 最初に会った時もそうだったろ?」
「あれは……俺がまだ何も分かってなかったからノーカウントだ」
「なんだよ、その変な理屈は?」
――というところまで言ったところで、俺たちの進行方向に爆音が鳴り響いた。もうもうと立ち込める煙の中、凍りついた湖の上からジャンプして俺たちの前に立ちはだかって来た、四本腕の邪神がゆっくりとその得物を持って立ち上がる。
「……話は後の方が良いらしいな」
「ああ。行くぞ!」
キリトの号令一下、俺たちは四本腕の邪神が態勢を立て直す前に攻撃を開始した。まずはキリトがその身の丈ほどもある大剣を、邪神の足ハンマーのように打ちつける……が、効果は期待できず、HPゲージはまるで減らない。
「くそっ、堅い!」
「だったら……出し惜しみはなしだ!」
キリトの一撃がまるで通用しないのならば、俺の攻撃も大差はないだろう。そんな邪神に攻撃を通用させるには、キリトより攻撃力が低い俺が出し惜しみをしている暇はない。俺は日本刀《銀ノ月》の柄に手を添えながら、四本腕の邪神の足に接近する。
「抜刀術《十六夜》!」
そのまま高速の抜刀術を邪神の足に炸裂させたが、鱗を切り裂くことには成功させたものの、やはり大したダメージには至らない。だが、俺は切り裂いた鱗の部分に日本刀《銀ノ月》を突き刺すと、柄にある《引き金》を引いた。
「食らえ!」
引き金を力強く引くと同時に刀身が発射され、邪神の足に日本刀の刀身の分だけ風穴を空ける。どうやらこれは少しはダメージになったようで、邪神が痛そうな叫び声を上げる。その隙に足から退避すると、日本刀《銀ノ月》の刀身がにょきっと生えてくる。……やはりそのメカニズムは分からない。
そんなことを考えている暇はなく、標的を俺にした邪神の四対の大剣が空中から迫る。確かに当たれば一撃で致命傷だが、あまりにも俺と邪神にサイズの差があるために、足下に入り込めばその大剣の攻撃は当たらない――と高をくくっていたところに、猛烈な蹴りが俺の目前に迫っていた。
「くっ……!」
反射的にしゃがむことで蹴りは回避出来たものの、その蹴りによって発生した風圧が暴風となって俺を襲う。回避不可能な質量兵器と化した風は、俺に直撃してその身体を強制的に宙に浮かす。とっさに使えない翼を展開したことにより、何とか暴風の中でバランスを取ることは出来たが、無防備のまま身動きの取れない中空――かつ、邪神の目の前に昇ってしまう。
しかし、邪神は見逃している。俺のことなんぞよりも標的にしなければいけない男が、まだ邪神の足下にへばりついていることを。
「せやぁぁぁぁ!」
気合い一閃。キリトの大剣の一撃は、彼がへばりついていた足に炸裂する。俺に蹴りをかましたことにより、片足立ちだった邪神の身体がぐらりと揺れると、邪神がそのままヨツンヘイムの大地に倒れ込んだ。キリトが足を攻撃することにより、邪神を転ばせたのだ……先の一撃は小手調べだったようで、恐ろしきは、邪神をも転倒させるキリトの筋力値とセンスか。
キリトはそのまま追撃を行おうとしたものの、その瞬間、邪神の全身が青白い光に包まれる。これは確か、トンキーがこの四本腕の邪神を倒す時に使っていた、邪神の身体自身をスパークさせる放電現象……!
「ショウキ!」
キリトは攻撃を止めて、中空に浮かんだままの俺の方へと走って来る。このままだと俺は邪神に着地し、その放電現象に巻き込まれることが確定しているが……キリトが助けてくれるのならば、代わりに俺は攻撃するのみ、と、ポケットの中からリズお手製のクナイを取り出した。
これまではただ投げるだけだったが、俺は投げる前に出来るだけ早く風魔法の詠唱を開始する。レコンやリーファと違って対したことは出来ないが、クナイが通る道を作り出すことぐらいは出来る……!
「そこ!」
俺の手からクナイが発射されるとともに、風魔法によって追い風がクナイを追従するように発生し、高速で倒れた邪神へと向かっていく。その間にも放電現象が開始されるまで秒読みだったが、キリトが跳んで俺の手を引っ張っていったことで、ダメージは着地ダメージだけで済む。
そして予備動作の通りに邪神が放電現象を起こすが、キリトのおかげで、何とかその範囲外まで逃れられていたようだ。ビリビリと放電現象を起こしながら、邪神はゆっくりとその身を起こそうとするが、その前に俺が放った風魔法を付与したクナイが炸裂していく。……もちろん、その自慢の三つの眼に、だ。
ぼるぼるぼるぼる――とエンジン音のような悲鳴が、次第に邪神から漏れだしてくる。どうやら狙い通りに食らったらしく、俺は作戦成功を喜ぶとともに、さらに邪神から離れていく。……目が見えなくなった邪神が、その場で狂ったように暴れ出したのだ。
「相変わらずナイス囮、ショウキ」
「……それは褒めてるのか……?」
そのままキリトと軽口を叩きながら、暴れまわっている邪神を迂回して近くにあった丘へと、他の邪神に見つからないように登っていく。丘は少しだけ四本腕の邪神より高い位置にあり、長居をしては他の邪神に見つかる危険がある。早々と用事を済ませることにしよう……と、キリトの投剣と俺のクナイがまたもや邪神に襲いかかる。
所詮は投擲武器で急所に当たった訳でもなく、邪神にその程度ではダメージは通らない。だが、視覚を潰された邪神はそのクナイが飛んできた方向から、俺たちがいる場所を推測したらしく、ズシンズシンと俺たちがいる丘に向かってくる。そして、そのままの勢いで自慢の大剣で丘を攻撃すると、雪に埋もれた丘は邪神の一撃に耐えられず、いとも容易く崩壊した。
……狙い通りに。
「うおおおおっ!」
邪神によって崩壊する丘の瓦礫を足場にして邪神に接近すると、まずはキリトが彼の得意技だった《ヴォーパル・ストライク》を邪神の胸部に向けて放つ。キリトが攻撃している間に、俺は日本刀《銀ノ月》のスイッチを入れると、キィィィィンという弦楽器のような音とともに、日本刀《銀ノ月》が小さく、しかし高速で振動していく。
「斬撃術《弓張月》!」
振動によって切れ味を最大限まであげた日本刀《銀ノ月》の、空中からの勢いを利用した斬撃術《弓張月》が邪神の顔面を一閃に切り裂き、キリトの《ヴォーパル・ストライク》とともに邪神へとダメージを与える。そのダメージは邪神をよろめかせる程だったが、俺もキリトも追撃はせず、再び邪神を蹴りつけてその場から離れていく。
「……キリト、翼開け!」
邪神を蹴りつけた勢いで崩れ落ちる丘から脱出し、俺の風魔法によって発生させた風により、翼はグライダーの役割を果たして俺とキリトを地上に送り届ける。二人が風に導かれて着地するのと同時に、邪神は崩れ落ちる丘の瓦礫に埋もれていき、その身を再びポリゴン片と化していた。
「ふぃー……」
「ふぅ……」
もう四本腕の邪神が復活しないのを確認すると、精魂尽き果てたとばかりに雪上へと横になる。暴れまわって火照った身体には、冷えた雪上が非常に心地よい。……時間を計り間違えれば凍死しそうではあるが。
「……死ぬかと思った……」
「泣き言言ってる場合じゃないぜ、ショウキ。今度は邪神狩りのパーティーを何とかしないとな」
確かにキリトの言っている通り、こんなところでゆっくりしている余裕は俺たちには――というか、トンキーにはない。俺も早く行動したいのはやまやまではあるが……
「……お前も倒れてると説得力がないぞ、キリト」
……かく言うキリトが雪上でぐったりしているのに、俺だけ速く行けと言われても納得しがたい部分はある。こうしてパパとその友人がぐったりしていれば、大体良くできた娘ことユイが何か言ってくれるのだろうが、あいにくユイはリーファたちがいるトンキーの背中に置いてきていた。
「いや、俺も疲れたからショウキが先行ってくれないかなー……って――ッ!?」
「邪神狩りパーティー相手にどうしろって……!?」
――そんな会話をしていようとも、伊達に二人ともデスゲームで二年間と生き残っているわけではない。激戦の後に疲れ果てていようとも、気配には敏感に反応して立ち上がるとともに、自然と背中合わせで戦闘の態勢に入る。
「……上だ!」
気配の察知に敏いショウキが先に気づく。先程からの気配の主は攻撃の届かない遥か上空を飛翔し、虫けら同然のように俺とキリトを睥睨していた。四対八枚の翼をはためかせ、青色の身体をしている邪神が現れたのだ。
勝ち目がない。とにかく逃げなくては――そう即座に判断したものの、俺とキリトが動き出すよりも速く、その飛翔している邪神から雷撃が放たれた。こちらの行動を予測しているかのような攻撃もさることながら、周辺の雪を溶かして水蒸気にするほどの雷撃に舌を巻く。
そして雷撃によって発生させた水蒸気に紛れ、気づかぬ間に翼の邪神は地上スレスレを飛行し、俺たちへと接近してきていた。まるで誰かに指示されているとしか思えない、邪神のモンスターにあるまじき動きに、あっさりと俺はその邪神の触手に捕らえられてしまう。
「なっ……?」
「ショウキ! ……うおっ!?」
キリトは何とか反応して大剣で触手を防いでいたが、俺がやられたのを反応している隙をつかれて大剣を触手に絡め捕られてしまい、身を守る術を失ったキリト自らも抵抗虚しく捕縛されてしまう。
俺たちはそのまま触手に勢い良く空中に投げ飛ばされ、そのまま邪神の胃袋に真っ逆様……を覚悟していると、ゆったりとした温かい毛皮へと着地した。そして、それと同時に――
『ドッキリ大成功ー!』
「です!」
――という声が聞こえて来るとともに、頭を抱えてため息をついた。やたら楽しそうな我らが女性陣に、毛皮を両手でブルブル震えているレコンがそこにはいたのだから。
「やっぱりかぁ……」
「何よショウキ、さっさと捕まったくせにさ」
明らかにこちらの行動パターンを読んでいるかのような雷撃や、どう考えてもただのモンスターではない邪神の行動など、どうやらユイが手を引いていたらしい。ユイとリズがいれば、それはこちらの行動が読まれてしまうのも頷ける……と考えていると、翼を持つ邪神は再び大空へと舞い上がった。
「で、何がどうなってるんだ?」
「それは私が説明しますね。パパ、ショウキさん」
……はてさて。ユイの説明を聞くに曰わく、俺たちが四本腕の邪神をおびき寄せてからしばらくして、リーファとレコンも重ねて隠蔽を加えたらしいが、トンキーがいることを邪神狩りパーティー相手にバレてしまったらしい。流石は、このようなダンジョンで邪神を相手にしている手練れということか。
リーファとリズがその邪神狩りパーティーのリーダー相手に、トンキーを守るべく交渉と交渉(物理)に赴いたものの、数の違いからあえなく敗北しそうになった瞬間……トンキーが『羽化』したそうだ。
「羽化?」
「はい、パパ。恐らく湖を移動したり、動かなくなってしまったのは羽化の準備でしたが、四本腕の邪神の攻撃でその準備が遅れてしまったと思われます」
そして『羽化』をしたトンキーはこの四対八枚の翼がある、青色の身体に白色の毛皮がある身体に生まれ変わり、リーファとリズに加勢して邪神狩りパーティーを撃退したという。……真面目にゲームをしている彼らには気の毒な話だが。
「雷とか魔法封じとか、トンキー凄かったわねー」
「ほー……」
リズの言う通りのトンキーの大立ち回りは是非とも見たかった――そして邪神狩りパーティーを深追いすることはなく、トンキーはリズとリーファとレコンの三人を乗せて、ヨツンヘイムの大空を舞ってたとのことだ。……スピード狂のリーファを除いての二名からは、結構な悲鳴が上がったようだが。
「レーコーンー? ほら、いつまでトンキーにしがみついてんの!」
「無理! これ無理だってリーファちゃぁん!」
まあリーファはともかくとして、リズは乗っているに連れて慣れていき、俺とキリトも安全運転である限りは悲鳴をあげるほどではなかったが、レコンはどうやらそういう訳にはいかず。その姿からは残念ながら、トンキーを《風の膜》で助ける時に見せたかっこよさは感じられない。
「それでリズさんがドッキリを提案して、今に至ります」
「……やっぱりお前かリズ」
ユイの説明を聞き終えた俺とキリトはジト目でリズを睨むものの、リズはそっぽを向いて俺たちの視線を逃れていた。……しかしリズがそう提案したとしても、トンキーがやってくれなければ意味がないのだが……案外空気が読める奴なのかも知れない。
「……ありがとなトンキー、三人を守ってくれて」
そう言いながらトンキーを優しく撫でてやると、トンキーは機嫌良く空中を旋回し、この《ヨツンヘイム》の最も高いところまで辿り着いた。……そこから見えるヨツンヘイムの雪と氷の美しい世界は、地上が邪神たちとそれを狩る妖精が闊歩しているなどと、想像することも出来やしない。
「……ん? なんだありゃ」
皆がその景色に多かれ少なかれ言葉を失って見入っていたものの、キリトのその一言に空気が壊れてしまったような感触が一同に与えられ、特にリズとリーファは今にも掴みかからんとしていた。
「キーリィートー……」
「わ、悪い悪い悪かったって。でも、アレは何かなーってさ、な?」
「全く……なに?」
キリトの必死の弁解にリーファとリズは毒気が抜かれたのか、キリトが指し示した方向にリーファが双眼鏡のようなもの――氷柱結晶の魔法とのことだ――を作り出し、言い出しっぺのキリトと一緒に除き見始めた。確かに遠目から見ても、黄金色に輝く光が揺れているように見えるが……
「うばっ!?」
……そんなどこかのチンピラの断末魔のような声がリーファから聞こえたが、気のせいであって欲しかったがどうやら気のせいではなかったらしい。そんな妙な声をあげてどうした、と聞こうとすると、リーファが震える声で言い放った。
「せ、聖剣エクスキャリバー……」
「は!?」
ゆっくりと遊覧船のように飛翔するトンキーの上で、『ちょあたしにも見せて!』とか『リーファちゃん僕にも!』といった、氷柱結晶の醜い奪い合いが開始され、反射的にリーファがレコンを投げ飛ばそうとして落ちそうになった後に、結局リーファが人数分氷柱結晶を作り出すことで決着した。肉眼では黄金の光にしか見えないが、リーファの魔法の腕は確かなようで、しっかりとその目に一本の剣のことを捉えることが出来た。
聖剣エクスキャリバー。ALOの公式サイトにデカデカとその存在は『幻の武器』として掲載されており、少し下調べをしたに過ぎない俺とリズが知っているのはそのためだ。キリトはリーファから説明を受けて、ようやくその存在を知ったようだが……。目の前に伝説の武器が現れる、という信じがたい出来事に遭遇し、その瞬間は誰もが聖剣の存在感に引き込まれていた。
そして、《聖剣エクスキャリバー》が安置されている場所の手前に、プレイヤーが入ることが出来るほどのテラスを発見する。その奥にも道が続いているのを見る限り、どうやらあのテラスは《聖剣エクスキャリバー》を手に入れるためのダンジョンへの入口であり、トンキーに乗っている今ならば飛べば充分に着地出来る……
「……おい」
ゲーマーたちが揃って――先程までトンキーの背中にへばりついていたレコンすらも――引き寄せられていくのを、俺は少し呆れて見ながら制止する。彼らは声をかけられた瞬間に、とても驚いたようにビクンと身体を震わせて、ぎこちなくトンキーに座ってその動きを止めた。
「も、もちろん伝説の武器があるからって、それを取りに行ったりしないわよ。ね、ねぇキリト」
「あ、ああ、俺たちの目的の《世界樹》は目前……目前なんだからな!」
「トンキーがいれば、またいつでも来れるんだし、大丈夫……よね……」
「うん! また取りに来ようよ!」
……何故か最後のレコンの台詞により、良い話であるかのように感じられてしまう不思議な感覚に襲われるが、出来の悪い子を叱るようにしているユイの様子を見て、その感情は錯覚だと再認識する。立場が逆だろキリト……などと思っていたところ、そのユイが俺に向かって問いかけて来た。
「ショウキさんは何で平気だったんですか?」
「平気ってそんな病気みたいな……まあ、俺はそもそもゲーマーじゃないしなぁ」
と、ユイにはそう言ってごまかしたものの、その答えは正直なところ全て正解とは言えない。ゲーマーだろうとなかろうと、世界に一本しかない伝説の剣、というネームバリューに惹かれないこともないのだから。だが、《聖剣エクスキャリバー》は見るからに片手剣で、俺の戦闘スタイルとは合わないという理由と……世界に一本だけの最強の剣なら、今も俺は持っているから、か。
「なに、ショウキ?」
「……いや、何でもない」
そんなことを制作した本人の前で言うのは気恥ずかしい。ユイには悪いが、その答えで納得しておいてもらうことにする。
そしてトンキーは《聖剣エクスキャリバー》があるダンジョンから離れていき、ある地点まで行くとその場で一時停止した。目の前には上段に続く階段のような場所があり、恐らくここを上っていけば《ヨツンヘイム》から脱出出来るのだろう。眼下に広がる氷と雪の美しい世界を名残惜しげに――邪神たちのことを思うとそんな気持ちも吹き飛び、早々とトンキーの背中からその階段へと飛び降りた。
「トンキー! もう他の邪神にイジメられるんじゃないわよ?」
「トンキーさん、またお話しましょうね」
「……トンキー、また来るからね。ありがとう」
女性陣からの声援にぼるる、という鳴き声で返したトンキーはそれ以上は何もすることはなく、ヨツンヘイムの大空へと飛び去っていく。……その妙にかっこつけた所作に、やはりトンキーは雄なのだろうか、などと考えながら小さく手を振った。
そして、トンキーはともかくこちらの男どもと言えば。
「……レコン、大丈夫か?」
「うう……大丈夫……」
俺とキリトが合流するまでにトンキーが妙な飛び方でもしていたらしく、レコンは階段に足を踏み入れるや否や、苦手な絶叫マシンを連続で体験したような状態になっていた。こんな状態でも《聖剣エクスキャリバー》を発見した時は、イキイキと輝いていたのだから、根性があるのかないのか分からない。……そしてキリトは。
「…………」
暗くて何も見えない階段の奥を見つめていた。本当に階段を眺めているのではなく、さらにその奥にある《世界樹》の頂上を――いや、そこで彼を待つ彼女のことを見据えているのだろう。リーファやレコンのおかげで、遂に《世界樹》まで辿り着くことが出来た。後は……
「キリトくん? どうしたの?」
「……あ、ああいや、どこに繋がってるのかと思ってさ、この階段」
心配そうにリーファが顔をのぞき込むと、キリトは一瞬の後にその顔を愛想笑いの表情へと変える。幸いにも、リーファにはそのキリトの表情の変化は伝わらなかったようで、彼女は踊るように階段へと足を踏み入れた。
「多分、この先がもう《アルン》だよ! 行こ!」
リーファの先導の元、俺たちは光るキノコが照らす階段を歩き出していった。その先に待つ《世界樹》へと辿り着くために。
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