SAO-銀ノ月-
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第六十八話
――結果的に俺たちは、サラマンダーの軍勢がシルフとケットシーの会談を襲うのに、間に合うことはなかった。ただでさえ、会談場の《蝶の谷》から最も離れたレプラコーン領からの出発だった上に、先程の奴らの足止めを喰らった俺たちが間に合うはずはなかった。
ただ、レコンが行った会談場にいたシルフのプレイヤーへの連絡によって、サラマンダー部隊との接敵は遅れた。その隙にキリトとリーファが間に合った――とのことだ。どうやったかは聞いていないが、何とかその戦いを収めたので、近くの町でログアウトをするとのことだ。
レコンの元に届いた、リーファのメッセージとしてキリトからのメッセージでそう聞いた俺たちは、同じくどこかの町でログアウトをすることに決めた。随分長い間ログインしていたことで、三人とも疲れたというのが本音だった。もう何時間連続でログインしているのか、正直数えたくもない。
……まあ、少なくとも二年間に比べれば微々たる時間に過ぎないが。
そこで《蝶の谷》に行くことを断念し、近くの町を探すことにした俺たちは、意外と手間取ることもなく町……というよりは小さい村を発見した。これは運が良い、とその村に入っていき――そして落ちた。
「寒いな……」
今、俺たちがいるのは地底世界……とでも言えば良いのだろうか。先程まで飛翔していた大空はそこにはなく、あるのは一面に広がる氷柱と岩盤のみ。さらには一面に雪が降り積もっている銀世界と、寒いのも納得だった。
「誰よあんな罠仕掛けたの……」
「ハハ……」
愚痴るリズにも普段の力強さはなく、レコンの苦笑にも力はない。レコンが持っていたアイテムで枯れた枝に火をつけ、偶然あったトンネルのような洞穴で、三人で焚き火をして暖を取っていた。バチバチと音をたてて燃え上がる枝を見ながら、これからどうするかを考えることにする。
……結論から言うと、俺たちがログアウトする為に入っていった村は罠だった。その村に入った者を容赦なく大地に引きずり込み、そのまま土の中に閉じ込めて窒息死させる――というえげつない罠かと思えば、大地の底が抜けて俺たちの身体は自由落下していった。クッションのように雪が衝撃を吸収してくれたおかげで、何とかHP全損とまでは行かなかったものの、代わりにこの太陽の光すら届かない世界に招待されることとなった。
その名は《ヨツンヘイム》。妖精などではなく、邪神が闊歩する世界だった。
「……それで、これからどうする?」
まず俺は、この中で唯一この《ヨツンヘイム》というフィールドについて、情報を持っているレコンへと尋ねた。プレイヤー三人程度ではまるで勝てない邪神たちの世界、程度のことは聞いたものの、俺とリズにはまるで何も分からない。
「うん……とりあえず、ここから《世界樹》に行くには、四つあるうちのダンジョンを一つ、攻略する必要があるんだ」
「だったら、そこをクリアすれば良いんじゃないの?」
リズがそう発言するものの、レコンは苦々しげな顔をして首を振った。やはり、そんな簡単な話ではないらしい。
「そのダンジョンのボスや、このフィールドのボスは邪神って呼ばれてて……とても僕たちじゃ……アレ、見てみてよ」
レコンの指を指した方向に向かって、俺とリズが洞窟から顔だけを出して確認をしてみた。……そこにいるのは、この《ヨツンヘイム》に落ちてきた時にも見た、我が物顔で闊歩する邪神たち。確かにレプラコーン領近くにいたモンスター等とは、格が違うように感じられた。しかもそれがここでは、ただの雑魚モンスターの一種だというのだから驚きだ。
「……確かに相手が悪いっていうか、この人数じゃキツいわね……」
俺もリズもレコンも、邪神の攻撃を持ちこたえることの出来るタンクタイプではない。俺は斬り払いに特化すればその真似事ぐらいは出来るが、いつまでも続くものでもないし、それでもやはりリズのメイスだけでは火力が足りない。毒の短剣使いのレコンはなおさらだ。
「だけど、ここにずっといるわけにもいかないわよね……」
リズの言っている通りだ。正直、ログアウトしていいなら即座にするぐらいの時間帯だ。かと言って、ここでログアウトしたのでは、このアバターはこのままでやられ放題……らしい。三人で焚き火を囲みながら顔を突き合わせながら、うーん……と悩んでいると、邪神が歩く振動の他に、ある音が俺たちの耳に届いた。
……『ぶぇっくしょーい!』とでも言葉に直すのが最も相応しい、とても男らしいくしゃみの音が。
「……リズ、今お前くしゃみした?」
「……あ、あたし、あんなくしゃみしないわよ!」
……《アインクラッド》の時にたまにしてた、というのは言ってあげない方が良いのだろうか。それとも、心を鬼にして真実を告げてあげた方が面白い……もとい、良いのだろうか。そんな俺の一瞬の葛藤をよそに、レコンがいきなり勢い良く立ち上がった。
「今の……リーファちゃんのくしゃみだ!」
「は?」
レコンがいきなり発したまさかの一言に、俺とリズは揃って疑問の声をあげた。……くしゃみで人が判断出来るものだろうか……怪訝な表情をしている俺とリズの手を取ると、どこからその筋力値が出て来たのか、二人を無理やり立たせて自身はメニューを操作していた。
「お、おいレコン……」
「うん、やっぱりだ!」
フレンド登録をした相手ならば、位置が分かるのを利用し――それとも彼が得意とする闇魔法によってか――レコンは自身の直感に確信を得ていた。確かにレコンの元に届いたキリトからのメッセージでは、『近くにある町でログアウトする』と言っていたので、俺たちと同じくここに落ちてきている可能性も低くはない。
「ほら、見てみてよ。ショウキさん、リズちゃん」
「リズ『ちゃん』じゃない!」
性懲りもなくリズに怒られるレコンだったが、その間に可視モードになったレコンのメニューを見ると、確かにリーファの現在位置はこの《ヨツンヘイム》にあった。……闇魔法で調べたのでは無いようで、少し安心した。リーファがここにいるということは、恐らくはキリトも同じ場所にいることだろう。
「なら合流出来れば……」
「痛た……そうしようそうしよう!」
リズに直接攻撃でも受けたのか、頭を抑えているレコンだったが、俺のその提案を聞いた途端にこの調子で復活する。いきなり元気になったレコンに若干引きながらも、リズと二人で洞穴から少し顔を出して、邪神形モンスターが近くにいないことを確認する。
「邪神がいないうちに、さっさとキリトと合流しましょ」
「よし……レコン、先導役を頼めるか?」
「任せてよ!」
レコンのスキル構成は元々偵察兵のような構成であり、そのスニーキング技術はこれまでの道中で良く知っている。レコンを先頭として俺たちは洞穴から飛び出すと、雪を踏みしめてレコンの闇魔法によるプレイヤーのセンサーをもとに、リーファたちがいるであろう場所に向かっていく。
雪上を駆け抜けていくと、いつしか凍った湖へと突き当たった。その凍りついた湖にも、例外なく雪が降り積もっていて湖面は見えないものの、俺たちが立っている大地からは少し陥没していたり、柵らしき物があったりと、そこが在りし日は文明のあった湖だということが分かる。巨大なスケート場のような凍りついた湖に感嘆していると、レコンが慣れたような手つきで湖に降り積もった雪を少し退かし、その凍りついた湖の強度をチェックしていた。
「この湖を突っ切れば速いんだけど……リズちゃん、ちょっと叩いてくれる?」
「だーかーらー……まあ良いわ。思いっきり?」
「うーん……まあまあぐらい?」
レコンの注文に微妙な顔をしながらも、リズが「せいっ!」と気合いを込めながら、まあまあの調子……かどうかは分からないが、メイスを凍りついた湖に叩き込んだ。メイスは気持ちよい音を響かせながら、その衝撃を湖全体に伝播するものの、直撃したところにヒビすら通らない。
「これなら乗っても大丈夫かな……よし!」
この中で最も筋力値の高いリズの一撃が全く通じない湖に、経験則で大丈夫だと判断したのか、レコンがおっかなびっくりその凍りついた湖に足をつけた。ギシリという軋む音すらたてずに、凍りついた湖はレコンを受け入れる。
「え、でも……」
リズが何か言いたげに呟いたとともに、雪上ではなく氷上に足をかけたレコンが派手に転けていった。恐らくは氷上に直接乗っても大丈夫かチェックしたのだろうが……立ち上がろうとしてはもう一度転けると、雪上に頭を突っ込んでいた。
「冷たっ!?」
「おい、レコン……」
たとえ凍りついた湖がいくらプレイヤーが乗っていても大丈夫だろうと、氷上装備など持ってきてはいないのだから、転けるのは当然だった。何とも言えない気持ちで雪に頭を突っ込んだレコンを手早く救出すると、雪が降り積もっている凍りついた湖を注意して直進することにする。
「ごめん。ちょっと慌ててた……」
うん、分かってた――とレコンの謝罪に対して俺とリズは同じことを思ったものの、「ま、気にするなよ」というだけでその場は終わらせることにした。数回豪快に転けたレコンのHPは少し減っており、先頭を歩きながらもポーションを口に含んでいる。レコンのHPが回復するまで、しばしこの凍りついた湖を見ていたかったものの、残念ながら邪神がいつ来るか分からないので先は急がねばならない。
凍りついた湖のことを断念して先に急ぐと、そこで見た光景は――
「邪神……!」
――青みがかった灰色をした邪神の姿だった。ボスモンスタークラスとの実戦経験が乏しい、リズの驚愕する声に心中で同意しながら、俺たちは近くにあった枯れ木の影に隠れた。アインクラッドのボスクラス以上の威圧感を誇る『ソレ』は、まるで小さな山のような様相を呈していた……それが二体。
人型に見えなくもない姿をした大剣を持った四本腕の三面巨人と、宙に浮かんでいて大量の爪を持った触手を蠢いている象のような邪神。モンスター同士の戦闘でもしているのか、邪神同士で殴り合っていてこちらには気づいていない。周囲に被害を撒き散らしながら、スケールの大きい戦いを続けていた。
「一体ならまだともかく、二体いっぺんにいるなんて聞いてないわよ……」
「ああ、でも二体で戦ってる間に通り抜ければ……どうした、レコン」
邪神同士の戦いを眺めている俺とリズとは違い、何やら思索に耽っているレコンにどうしたかを問う。先程転んだHPは回復したらしく、空のポーションが雪上に不法投棄されていた。
「いや、邪神同士の戦いなんて聞いたことなかったからさ……モンスター同士が戦うなら、幻惑魔法か呪歌をかけてるプレイヤーがいる筈なんだけど……」
レコンはそう言ったものの、付近にそう言ったプレイヤーは見つからない。キリトは確か幻惑魔法が得意なスプリガンだったと思うが、奴がこんな真似が出来るほど魔法を得意としている訳がない。それに、いるかもしれないプレイヤーのことより、キリトたちとの合流の方が重要な話だ。
「それよりレコン。キリトとリーファの位置は?」
「あっ、ええと……」
自身の闇魔法で作り出したレーダーの役割を果たす鏡を見て、レコンは二の句を継がずに顔面を蒼白にした。レコンが落ち着くより俺たちが見た方が早い、ということをこの道中で学んだ俺たちは、レコンの腕の中で震える闇魔法のレーダーを覗き見た。最も近くにいるプレイヤーの反応は俺とリズだとして、もう少し向こうにも二種類のプレイヤーの反応がある。スプリガンとシルフの反応――こんなところに二人でいるプレイヤーでその種族となると、その向こうにある反応はキリトとリーファで間違いないだろう。
……問題は、そのキリトとリーファの反応が、今現在暴れている邪神たちのすぐ側にあることか。確かに邪神たちの足元を良く見てみると、俺たちが焚き火をしていたような洞穴がある。
「どうするか……」
「――すぐ助けなくちゃ!」
「ちょっと! レコン!?」
頭を回転させて手段を考えあぐねている俺に対して、レコンが即座に木陰から洞穴に向かって走り出していった。リズの制止の声も聞かずに、リーファの名前を叫びながら彼は邪神へと向かって行く。とは言ってもただ無謀に突っ込んでいった訳ではなく、走っていくうちにレコンの姿が、カメレオンのようにその場に溶け込んで――パーティーメンバーである俺たちには、半透明の姿となって――いく。
レコンの得意技である隠蔽魔法だ。元々のサイズの差や戦闘中ということもあり、隠蔽魔法も併せて邪神たちはレコンのことなど歯牙にもかけていない。そのまま邪神たちの足元を抜けていき、吸い込まれるようにリーファが待つ洞穴へと入って――――行こうとしたその時。洞穴から飛び出してきた、緑色のプレイヤーとレコンが正面衝突した。
「キャッ!? ……って、レコン!?」
ぶつかって尻餅をついた衝撃でレコンの隠蔽魔法の効果が消えると、同じくぶつかって尻餅をついていたシルフのプレイヤーが、レコンの顔を指差しながら驚愕していた。俺は彼女と一度共闘しただけに過ぎないが、その実力とともに顔は良く覚えている。
シルフのリーファ。キリトとともに世界樹を目指している、レコンが好きな女性プレイヤーである。
「むぐっ……リーファちゃ――」
「馬鹿、あんまり大声だしたら気づかれるでしょ!」
ようやくリーファと会えることとなったレコンが、つい喜びの声を出そうとするのを、リーファが力ずくで口を塞いで止める。……結果としては、どちらにせよ大声は放たれることとなったのだが、幸いにも邪神の叫び声の方が声量は大きかった。
「アンタがどうしてここに――」
「それよりこっちだよ、こっち!」
何とも噛み合わない会話を繰り広げながらも、レコンはリーファの手を引いて俺とリズがいる木陰へと向かって来る。……そしてその後ろにはもう1人、真っ黒な服に身を包んだオールバックのスプリガンがいた。当然ながら俺が記憶している姿とは違うが、あの大剣を背負った戦士が……キリトなのだろう。
「……久しぶりだな、キリト」
リーファたち三人が俺とリズのいる木陰にたどり着くと、とりあえずそうやって挨拶をした。リアルで連絡を取ったことはあったものの、さて、『こうして』顔を会わせたのはいつぶりだっただろうか?
「お前、ショウキか……!? ……ハッ。似合ってないぜ、そのお坊ちゃん面」
やかましい。ようやく最近、この金髪のお坊ちゃん面アバターにも慣れてきたというのに。そこの小さくなってる奴よりマシだ、と言い返したくなったものの、まだ近くで邪神たちが暴れている。そんな話は、まずはこの状況を脱してからにしなくては。
「えっと確か……ショウキくんとリズさん、よね? キリトくんとレコンから話は聞いてるわ。レコンがお世話になったみたいで……ありがとう」
「挨拶は後にしよう。それよりまずは、ここから脱出する手段を確保しないと」
そう聞いたリーファだったが、何故か気まずそうに目を伏せた。とりあえずこんな場所ではなく、ひとまずは落ち着ける場所に行きたいのだが、リーファたちがここから動こうとしない。どうした、と疑問の声を発する前に、俺の目の前を妖精が通り過ぎていった。
「お久しぶりです、ショウキさん」
「ユイ、か……」
アインクラッドで会ったキリトとアスナの娘こと、ユイが小さな手乗り妖精の姿で俺の目の前を飛翔する。アインクラッドでは生来の――幸いなことにあまり発揮されることはないが――子供が苦手な気質と、彼女の心を見透かすような目と話が苦手だったが、今の彼女からはそのどちらも感じられない。ナビゲーション・ピクシーというシステムとなり、キリトをサポートしていると聞いたが……
「その、リーファさんは……」
「ううん、待ってユイちゃん。その、私が直接言うから。……ありがとね」
俺とリズ、レコンには話が見えない展開だったのだが、リーファに言いにくいことを代わりにユイが言おうとした、ということだろうか。……人間より人間らしい気遣いが出来るのは、父と母の教育が良かったからか。そんなことを考えている間に、リーファは神妙な――しかし申し訳なさそうな面もちのまま、俺たちに頭を下げた。
「私たち、あの子を助けたいの。だから逃げられない」
「あの子?」
リズの疑問の言葉に対し、キリトが無言でその『あの子』がいる方向に指を指した。その指の向こうに見えるものは――今もくんずほぐれずの激闘を繰り広げている邪神たちだ。その戦いを良く観察してみれば、大剣を持った三面巨人が優勢に戦いを進めており、つまりリーファが助けたい『あの子』というのは……
「あのやられてる邪神のことか……?」
絶句する俺の言葉に対して、リーファが俯きながらもコクリと頷いて肯定の意を示した。四本の腕と大剣を巧みに操る三面巨人に対して、クラゲのような形をした巨人は確かに一方的にやられている。ALOのベテランであるリーファとレコンからすれば、このモンスター同士の戦いというのが、この局面では有り得ないことらしいが、まさかそのモンスターを助けることになるとは。
「じゃあ、あのクラゲみたいな奴を助ける方法はあるの?」
「えっと……それは……」
方法さえあれば助けるのはやぶさかではないのか、リズがリーファにその方法を聞こうとするが、本来ならば有り得ない状況に初めて遭遇した彼女にも、その問いに答えることは出来なかった。俺は視線をもう1人のベテランこと、レコンへと視線を向けたものの、彼もまた小さく首を横に振った。助けるために突撃するのが一番の悪手だが、いつまでもここにはいられない――と皆で考えあぐねていると、キリトが突如として大声をあげた。
「リズ! 今、なんて言った!?」
突然キリトが起こしたアクションは、リズにその質問をぶつけること。リズはいきなりされたその質問に戸惑っていたが、キリトの「早く!」という催促で慌ててその質問に答えた。リズが先程言ったことといえば、リーファにあの邪神を助ける方法を聞いたことだ。
「え? そりゃ、あのクラゲみたいな奴を助ける方法は、って……」
「それだ! ユイ、近くに湖か池はあるか?」
……どうやらキリトが何やら思いついたようだ。ユイはキリトから問われたことを忠実に実行し、一瞬の後にその情報収集の結果を伝える。閉じられていた瞼が開くとともに、ユイは俺たちが来た方向に指を差した。
「北に200Mほど行ったところに、氷結した湖が存在します、パパ!」
「その湖なら俺たちが通り過ぎたところだ。なぁ、レコン」
「えっ、あ……う、うん」
ユイの情報に補足して、実際に訪れた俺とスカウト職の――かつ、先程その湖で転んだばかりの――レコンのお墨付きを得たキリトは、その脳内で完全に作戦がたてられたようだ。アインクラッドの時から変わらない……いや、アバターが変わっているから顔は変わっているのだが。とにかく、その本質は変わらないキリトの閃いた顔を信じて、俺は一歩前に出た。
「どうすれば良い、キリト?」
「よし。ショウキ、お前クナイは……持ってるな。それで三面巨人の注意をこっちに向けてくれ」
クラゲ、凍りついた湖、邪神、引き寄せる――これらのキーワードからキリトの作戦を、何となくだが理解する。ポケットの中からクルクルと回しながらクナイを取り出すと、三面巨人の柔らかそうな場所を見つけようとする。こういうことは、目が柔らかいというのが相場が決まっているが、クラゲ邪神と戦っている今、細かく動く目を狙うのは難しいか。
「みんな。悪いけど詳しく説明してる暇はない。俺とショウキが三面巨人を引き寄せたら、その向こうにある湖に思いっきり走ってくれ」
俺を含む四者が思い思いの返答を返した後、キリトの《シングルシュート》を伴ったピックと、俺の風魔法を付加したクナイが三本、三面巨人へと飛来した。飛翔していった投擲武器は吸い込まれるように、三面巨人の三つあるそれぞれの顔面へと刺さっていく。その中で一本のクナイのみが狙い通り目に炸裂し、その介あってか、邪神のHPがほんの少しばかり削れていた。
もちろんその程度のダメージは邪神にとってすれば、ダメージにすらなってはいなかったが……どうやら、邪神を怒らせることには成功したらしい。三つの顔がゆっくりとこちらを向くと、ギュルルルと唸り声をあげて俺とキリトにその巨体でもって襲いかかる……!
「――逃げるぞ!」
キリトの号令に言われなくとも、俺たちは全員素早くその逃げる行動に入っていた。むしろ、キリトが最も逃げる動作に入るのが遅かったぐらいである。三面邪神はクラゲ邪神の相手もそこそこに、か弱い五人の妖精の抹殺を優先したようだった。
「うわぁぁぁぁぁああぁああぁああぁ!」
『レコンうっさい!』
ベテランと言えども初体験に脅えるレコンに対して、俺たちのパーティーの女性陣の声が重なった。その声色と余裕の無さぶりは、女性陣とはとても言えなかったが……そしてしばしして、敏捷度のステータスに優れた俺とキリトが、先に走っていた三人へと追いつく。凍りついた湖は見えてきた、この逃走劇はもう少しだ。
「リズ、掴まれ!」
「わ、悪いわね……」
その種族とビルドによって、二重に他の者たちより足が遅いリズの手を掴んで引っ張りながら走ると、その足下の感触が先程までと少し変わる。雪上であることには変わらないのだが、どうやら凍りついた湖にたどり着いたらしい。それでも構わずほうほうの体で逃げ回る俺たちを追って、三面邪神もこの凍りついた湖の雪上に侵入し――その姿が消えた。
代わりに現れたのはその三面邪神と同等の大きさを誇る水柱であり、凍りついた湖は小さな妖精たちはともかく、巨大な邪神の侵入を許さなかったのだ。俺たちは三面邪神が湖の中に消えていくのを見ると、その足を止めて一息つくことにした。
「そ、そのまま沈んでてぇ……」
――そんなリーファの祈りも通じず、三面邪神は湖の底から再び水柱を伴って蘇って来た。その四本の腕の半分を使って器用に泳ぎつつ、湖の氷をガリガリと削りながら俺たちに接近して来る。
「泳げるなんて聞いてないわよーっ! キ、キリト! どうするの!?」
「大丈夫だ、リズ。……そろそろキリトの狙いが来る」
「……そういうことだ!」
俺の手を掴んだまま邪神に逆ギレするリズに対してそう言った瞬間、湖に浮かんでいた三面邪神の頭上から、先程戦っていたクラゲ邪神が来襲した。再び三面邪神を湖の中に押し込むと、そのまま複数の職種でタコ殴りを開始した。もちろん三面邪神も抵抗しようとはするものの、不意打ちということに加えて水中では思うように行動出来ず、クラゲ邪神に一方的にやられていく。
「あ、クラゲってそういう……」
レコンが息をゼーハーと肩で調えながら、得心が言ったように声を絞り出した。リズが言った『クラゲみたいな奴』ということで考えたのが、あの邪神は本来ならば水中での行動を得意とする邪神ではないか、ということ。そのキリトの思惑は成功し、クラゲ邪神はそれこそ故郷のように暴れまわり、三面邪神と辺りの氷を破壊していた。クラゲ邪神の『トドメだ』と言わんばかりのスパークが湖に鳴り響き、三面邪神は巨大なポリゴン片となって湖底に沈んでいく。
三面邪神のプレイヤーとは比べものにならないほど、巨大かつ赤いポリゴン片をバックに、クラゲ邪神は勝利の雄叫びをあげると、湖の水上に浮かび上がって来た。
「……で、これからどうするんだ」
キリトのごもっともな呟きがその空間を支配する。暴れまわっていた三面邪神は倒したものの、水を得たクラゲとなったあの邪神にも俺たちは適わない。……いや、適わないどころか、攻撃を受けたら一撃でHPが0になるほど、戦力に開きがあるのだろう。浮上してきたクラゲ邪神を油断なく見据えるものの、クラゲ邪神が特にこれと言って襲いかかってくる様子などはなかった。
それどころか俺たちに背中を見せて、抵抗の意思すらないように思えるが……?
「……大丈夫です。パパ、皆さん。この子、背中に乗って、って言っています」
「えっ……?」
俺たちが三面邪神から逃げていた時から姿を見せなかったユイが、ひょっこりとキリトの服の中から姿を見せると、クラゲ邪神に近づいてそんなことを言い放った。確かに背後を見せていて、なおかつ動こうとしないから背中には乗りやすいが、そうは言われてもその外見から皆二の足を踏んでしまう。
「……よし」
作戦を考えついた時のキリトの声に、どこか良く似た響きを持った決意の声が小さく聞こえる。それとともに、リーファが自身の武器であるレイピアの柄からその手を離し、まるで白旗をあげて降参するかのようにクラゲ邪神に近づいていく。
「リーファちゃん! 危ないよ!」
「大丈夫大丈夫……よっと」
レコンの警告に意外と軽々しい声で応えるとともに、思った通り簡単にリーファはクラゲ邪神の背中へとたどり着いた。その広い背中にダイナミックに横たわると、ユイもキリトから離れてリーファの下へ向かっていく。……まあユイが言う通り、今クラゲ邪神に危険はないようである。
「……ま、まあ危なくないなら……」
……などとは言いつつも、表情が興味津々なリズもクラゲ邪神の背中に登っていき、かくして凍りついた湖には三人の男のみが残されることになった。実に逞しいこのパーティーの女性陣を見習って、情けない男性陣も各々の顔を見合っておっかなびっくりクラゲ邪神の背中へとたどり着いた。パーティー全員がクラゲ邪神の背中に乗ったとともに、クラゲ邪神は湖を覆う氷を破壊しながら、何処かへ移動し始めた。
「クエストでも始まったの……?」
「うーん……依頼型のクエストだったら、ここら辺に開始のログが始まると思うんだけど……」
寝転んでいたリーファが起き上がりながら、彼女の左上の何もない空間を指差した。もちろん、そこには何のログも表示されてはいない。
「と、するとイベント的なものなんだけど……そうすると、なるようにしかならないわね」
事前に種族や世界樹のついでに少し調べただけだったが、ALOでは依頼型とイベント型の二つのクエストがある。依頼型は読んで字の如く、NPCから依頼を受けて達成したら報酬が貰える、といったものだが、イベント型はそれとは違う。開始のログが表示されず、そのイベントがどのようなイベントかはプレイヤーには判断がつかない……言わば、プレイヤー参加型の物語と言ったところか。リーファとレコンにはそのイベント型の経験があるようで、あまり快い表情はしていなかったものの、何か行動を起こすことも今は出来ない、というのが分かっているようだ。
「それより、ショウキさんにリズさん。色々コイツが面倒見てもらってありがとね。……一人でシグルドの部下を追跡しようとするなんて、無茶するんだから」
その後半のセリフは、いつの間にかリーファの隣に座っていたレコンに向けられたもので、言葉の最後にリーファのデコピンの気持ち良い音が響き渡った。
「い、痛いよリーファちゃん……」
「二人がいたから良かったけど、あんた一人じゃどうなってたか分かんないのよ? ちょっと反省しなさい」
いきなり微笑ましい説教が始まったかと思ったが、リーファは少しレコンから顔を背けて、ま、まあ――とさらに言葉を続けていく。どうやら説教の続きではないらしい。
「……あんたの情報のおかげで、私とキリトくんがあそこに間に合った訳だから……ありがとう」
少し苦い表情をしていたレコンがその言葉を聞いた途端、みるみるうちにその顔を明るくしていく。いかに感情表現が少し過剰となるこのVRMMORPGと言えども、その少しばかり異常な喜びようはアインクラッドの二年間の生活でも見たことがない程だった。
「リーファちゃん、ぼ――」
「調子に乗るなっ!」
喜びが身体中に伝播しよからぬ事を始めようとしたレコンに、その行動に先んじてリーファの鉄拳が頭に炸裂し、そのままレコンはクラゲ邪神の背中に倒れ伏した。このクラゲ邪神は背中で暴れられても何も言わず、ただレコンが倒れた衝撃を受け止め、無言でその湖を泳いでいく。
「……はいご馳走さまー。でも、この子はどこに連れてってくれる気なのかしら……」
「それは不安だけど、今はこのゾウムシだかダイオウグソクムシだかに任せるしかないさ。明日の朝飯かも知れないけど、助けたお礼に竜宮城かも知れないぜ?」
若干投げやりなリズの呟きに対し、キリトは流石にこのような状況にも慣れているのか、欠伸をしてクラゲ邪神に寝ころびながら縁起でもないことを言ってのける。そのまま数秒後にスピー……という心地よい寝息が聞こえて来たので、ユイが『寝ちゃダメですパパ!』と耳元で叫んでいた。
「キリト、ダイオウグソクムシって何だ?」
「ん……ああ、みんな知らないか? 深海にいる巨大なダンゴムシみたいな……」
起き上がったキリトが目一杯腕を伸ばして『これくらい』を示すと、パーティーの女性陣から小さい悲鳴と文句が上がる。そもそもキリトは、そんな虫のことをどこから知ったのだろうか……と、少し興味があったものの、女性陣からの文句が怖いので止めておく。
「じゃ、名前つけよ名前! 可愛い奴!」
ダイオウグソクムシのイメージを頭から追い出したいのか、リーファがそんなことを提案する。確かに、ずっとクラゲ邪神では呼びにくいのも確かだが、さていきなり言われようにも思いつかない。……一瞬ダイオウグソクムシという案が頭を通り過ぎたが、それを提案したら、俺は恐らく女性陣に追い出されてしまう。
「キリト、お前が元凶なんだから何かないか?」
男性陣より逞しい女性陣というこの現実に一息つきつつ、元凶ことキリトへの八つ当たりを込めた質問を放つ。うーん……と首を傾げること数秒後、予想に反してキリトは即座に案を出した。
「……トンキー」
「あら、良い名前じゃない」
数多くの武器の名前を見てきたリズがそう関心する程に、キリトの口から漏れたように出て来たその名前は、どこかで聞いたことのある気がする、思いの外良い名前だった。少しダイオウグソクムシを期待していた、俺の期待は裏切られたが。
……はて。どうして俺はこんなに、ダイオウグソクムシのことを考えているのだろう……?
「トンキーって……あんまり縁起の良い名前じゃないけど……」
「まあ、な。何となく頭に浮かんだんだ」
良い加減にダイオウグソクムシのことを頭の中から追い出すと、俺はそのキリトとリーファの会話でトンキーという名前の由来を思いだした。一匹の象に由来する悲劇の話――クラゲと象を併せたようなこの邪神に、確かに縁起の良い名前ではないかもしれないが、リーファはいたく気に入ったらしい。
「へぇ、君もあの絵本知ってるんだ。じゃあそれにしましょ! じゃ、君の名前は今からトンキーだからね!」
「よろしくお願いしますね、トンキーさん!」
「トンキー、しっかりあたしたちを運びなさいよね!」
女性陣の命名と声援を受けたからか、今までずっと無言だったクラゲ邪神――トンキーが声を張り上げた。さらにあたかも犬が飼い主に尻尾を振るかのように、象の耳のような部位がわっさわっさと震えていた。……こいつはオスだと思っておく。
――そして突如として、トンキーの身体がグラリと大きく揺れた。それとともにトンキーの背後から巨大な水柱が炸裂すると、そこからまるでビルのような大剣が姿を見せた。
「――みんな避けろっ!」
俺が反射的にそう叫ぶとともに、ビルのような大剣が俺たちに向かって振り下ろされる。俺たちは何とかその一撃を避けることには成功したものの、トンキーにその攻撃を避けることは出来ず、大剣の一撃をもろに喰らってしまう。
「トンキー!」
リーファの悲痛な叫び声が響き渡り、トンキーのHPはその一撃によって大きく削られながら、その行動を停止してしまう。今の大剣による一撃が、それほどのクリティカルヒットだった、ということか。
そして水柱が収まるとともに、大剣の主がその全貌を見せていく。それは、先程トンキーを襲ったが返り討ちにされ、ポリゴン片となって湖の底に落ちていった、三面邪神だった。だがそのままという訳ではなく、全身に亀裂が走ってHPは大きく削れていて、それに何より……水上に何のトリックもなく直立していたことだった。
「湖底に落ちたからって、水上を歩けるようになってリベンジか……!?」
どのようにして三面邪神が復活したかは定かではないものの、今こうして俺たちの前に立っている以上、そのようなことを考えても仕方がない。誰もがトンキーを守らんと自らの武器を取り、三面邪神を睨みつけたが、そこにユイの鋭い声が火急の事態を告げた。
「皆さん! 東から大人数のプレイヤーが接近中です! ……恐らくは、邪神狩りのパーティーだと思われます!」
邪神狩り。プレイヤーを軽々と一撃で倒す邪神を狩ることが出来れば、その報奨が凄まじいことだというのは想像に難くない。俺たちのように事故でここに来たのではなく、邪神と戦う万全の準備をしたプレイヤーがここに到着したら、俺たちとトンキーの命はない。
前門の虎、後門の狼とでも言うべきか――そんな事態に陥った俺たちのことを、決して届くことはない太陽の代わりに、氷柱とそれに巻き付く根が見下ろしていた。
ページ上へ戻る