FAIRY TAIL 星と影と……(凍結)
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幽鬼の支配者編
EP.21 動乱
「……とは言ったものの……」
ワタルは自分の家の前で立ち往生していた。
辺りはもうすっかり暗く、空腹も感じている。入らない理由は無いように思えるが……今回に限っては、彼は入るのを躊躇していた。
と、いうのも……
「どう言えばいいものか……」
勝手に自爆して、エルザを傷つけてしまった。これでどの面下げて彼女に会えばいいのか……そんな事を考えていたのだ。
だが、そう長く悩む事も無かった。
「……よし、こうなりゃ『考える前に飛び込め』だ!」
素直に、まっすぐ……それを心掛けて、ワタルは覚悟を決めるとドアの前に立つ。
深呼吸をして、ドアノブに手を掛けようとしたまさにその時だ……急にドアが開いた。
「うわっと、って……」
「……」
ワタルが飛び退くと……エルザが目を丸く開いた驚いた顔で固まっていた。
まさかの鉢合わせに、ワタルは一瞬思考を真っ白にしてしまう。
「ッ!」
「あっ、おい!」
夕飯の準備ができたからと、とりあえずワタルを探しに行こうとしたエルザだったが、先ほどまでの彼と同じく、何を話せばいいのかは分からなかった。気まずさから、彼女はドアを閉めて家の中に慌てて逃げ込もうとしたが……とっさに腕を掴まれる。
反射的に、と言っていいほど素早く伸ばして掴んだ彼の手を、彼女は振り払おうとしたが……
「ちょ、エル……ああ、もう!」
「!?」
ワタルはいきなり暴れようとしたエルザを引き寄せると、そのまま抱きしめた。
家を飛び出す直前に同じことをやったが、心の中は2人ともその時とは違った。
「(暖かい……)」
エルザはいきなりの事に思考が追い付かなくなってしまったのだが、先程は感じる事が出来なかった暖かさに抵抗をやめてしまう。と言っても、元からそうしようと思って抵抗していた訳ではないのだが。
先程とは違って精神的に余裕があったワタルは、大人しくなったエルザにホッとすると身体を離して彼女の両肩に手を置き、正面から彼女を見る。
「ッ……!」
「エルザ……(まあ、当然だよな)」
目を逸らしてしまうエルザ。彼女を傷つけてしまったと思っているワタルはそれに自嘲しながらも感傷を振り払うと、意を決して口を開いた。
「(素直に、まっすぐ……)エルザ、すまなかった」
「え?」
「それと……心配してくれたんだよな? 嬉しかった。ありがとう」
もう大丈夫だから……そう言って笑うワタルの顔を、エルザは直視できなかった。
自分が恥ずかしかったのだ。先ほどまでワタルに感じられていた陰りはもう感じられない。
支えようと思った矢先にこれでは、滑稽にしか思えなかったのだ。
「エルザ、お前は俺と対等になりたいって言ったよな?」
「……ああ」
「それを聞いてさ、俺はがっかりしたよ……『対等のつもりだったのは俺だけなのか』ってね」
「……え?」
目を瞬かせ、エルザはワタルと向き合う。自分の目標としている当の本人に、その目的が叶っていると言われたのだ。
達成感など微塵も無かった彼女は、それを否定しにかかる。
「対等な訳ないだろう! だって、お前は私よりずっと強いし……」
「俺は別に強くはない。自分の弱さを認めたくなかっただけのガキだよ、俺は」
だからお前に当たってしまった。そう謝るワタルに、エルザは身を焼く激情に身を任せて口を開く。
「ああ、そうだ! お前は自分の弱さを人に見せたがらない。だから私は強くあろうとしたんだ! お前が安心して背中を任せて、一緒に重荷を背負えるようにな! ……でも幾らそうしようと思っても、逆に私はお前を傷つけてしまう。ならば、いっそのこと……」
「エルザ!」
生真面目ゆえに恋慕と自責との間で板挟みになり、底なし沼にはまってしまったかのように深みにはまって抜け出せなくなってしまっていたエルザを見ていられず、ワタルは一喝した。
自責という感情に身を焼く彼女の姿に先程までの自分を重ねていたワタルは怒りと悲しみに顔を歪めていたが……ふと、表情を和らげる。
「お前は優しいな」
「優しい?」
優しい事だって強さの内だというのは、エルザにも分かっている。だが、それを今言う意味が分からなかった彼女が聞き返すと、頷いたワタルは続けた。
「ああ。お前は俺の事を気遣ってくれたじゃないか。俺はさっき、そんなお前に嫉妬や劣等感しか持てなかったんだぜ?」
お前は俺より心が強くて、ずっと優しい奴だ。そう言い切ったワタルに、エルザは俯いた。
「(ワタルが……あのワタルが私に嫉妬していた?)」
ワタルへの嫉妬はエルザも抱いていたのだ。何度挑んでも勝てないワタルが自分に対して嫉妬していたなど、にわかには信じられなかった。
でも、それが本当なら……ワタルはずっと自分の事を見ていてくれた、という事になる。
それはこの上なく嬉しい事なのだが……あまりに自分に都合がよすぎて、エルザにはいまいち信じられなかった。本当に神とやらがいるとして、それが自分に微笑むなど、かつての奴隷仲間たちを救えなかった自分には有り得ないと思っているのだ。
「……もし……」
「……」
だから、エルザはある決意をして一言だけ言うと、顔を上げた。
情熱的な緋色の髪に負けないほど、燃えるような表情のエルザに、ワタルは目を逸らさず、黙って待っている事しかできない。
見た事の無い表情をする彼女から目が逸らせなかったのだ。
「もし、ワタルが本当に私の事を対等だと思っているなら……証拠をくれ」
「証拠? それにくれって……今ここで、か?」
「ああ」
ワタルも、ここで彼女の意図を図り違えるほど鈍いつもりではなかった。
流石に面食らい、目を泳がせるワタルに、エルザは内心で溜息を吐く。
「……お前が優しい奴だって、分かってるさ。でも……」
「分かった」
「私の事を…………え?」
私の事を気遣ってそういう事を言うのは止めろ……そう言おうとしたエルザだったが、しっかりしたワタルの返答に、それは跡形も無く吹き飛んでしまう。ついでに心臓の鼓動も一拍どころか五拍くらいすっ飛ばしたかもしれない。
聞き返した彼女に、ワタルは顔を赤くしながらも、もう一度答えた。
「分かったって言ったんだよ。いいから目を閉じろ、恥ずかしい」
「……マジか」
「マジだ」
何も考えられずに、本当かどうか問えば即答で返され、エルザは心を掻き乱され、頭が沸騰しそうになってしまう。
ガルナ島での誓いは何だったのか。
そもそもナイーブなくせに、なんでもう立ち直ってるのか。
そして……本当に、自分はワタルとそうなってもいいのか……。
さまざまな激しい感情が頭を駆け巡り、思考がショートしそうになって何の反応も返さないエルザに焦れたワタルは、彼女の両頬を両手で優しく挟むと、目と目を合わせた。
「ッ!!」
「エルザ。流れとか、仕方なくとかそう言うのじゃない……俺の本心だ」
瞳を揺らして動揺していたエルザだったが……ワタルの言葉に心が波一つ無い水面の様に静かになると、彼の姿以外は見えなくなり、周りの音が彼女の世界から消える。
覚悟を決めたワタルの真剣な視線に、もうどうにでもなれと開き直ったとも言う。
漸く目を閉じたエルザに、ワタルは今更ながらに緊張してしまう。
深呼吸して、爆発しかねないほどに早鐘を打つ心臓を鎮めようとしても効果はあまりなかった。それでも、後には引けないと覚悟を決め、ゆっくりと顔を近づけていく。
ふと見れば、エルザも緊張で体を固くしているのが分かる。肩を震わせているのも寒さゆえではないだろう。
そんな彼女を一層愛おしく思ったワタルは、一気に唇を重ねようとしたのだが……
「ねえ、何やってる……の……?」
女性特有の高い声がエルザの後方から掛けられ、不思議なほど静かだった世界は壊れてマグノリアの街の音が復活する。
「……」
「……」
「……」
だというのに、三人の周りは嫌な静寂で包まれていた。
声の主・ルーシィは声を尻すぼみに小さくしていくと、顔をどんどん赤くしていく。
「ご、ごごごごめんなさーい!!」
真っ赤な顔で謝って家の中に消える彼女を見て、呆然自失していたワタルは漸く正常な意識を取り戻した。
「(まあ……家の前で騒いでたら、そりゃ心配して出てくるよなぁ……)」
騒いでいたのは感情を暴走させたエルザだけなのだが、彼女を責める気にもなれず……かといって続きをするにはムードをこれでもかというほどに壊されており、そんな空気でする度胸は、ワタルには無かった。
「……あの、えっと……その……」
彼女もショックが大きかったようで、口を開いても支離滅裂な言葉しか出てこない。
ついさっきまでの甘い空気に包まれていたとは思えない、あんまりとしか言えない空気に、なんかもう考えるのも面倒くさくなってしまったワタルは溜息を吐くと歩き出し……
「ん……」
「……!?」
エルザの横を通る際に、彼女の頬に軽く唇を当てた。考えるのを止めたというより、ネジが飛んだという方が正確か。
目を白黒させながら再起動した彼女は振り返り、家に入ろうとしている彼を見た。
その視線を感じたワタルは振り返ると、吹っ切れたように爽やかな笑みで唇に人差し指を当てながら言う。
「続きはナツ達がいなくなった後でな」
「? ……!? お、おおおまっ、おま……」
「じゃあ、お前も早めに入れよー」
何を言われたのか理解したエルザが顔を真っ赤にして、壊れたラジオの様に口をもつれさせてしまう。
「あ……あう、うぅ……」
ワタルが先に家の中に消えてしまっても、彼女は赤い顔でその場に立ち尽くし、唇の感触が残っている頬を撫でていた。五年前……ワタルのS級昇格祝いの帰りに同じ場所でキスした事を思い出してしまったのだ。
だが、ワタルの言葉が実行される事は無かった。
翌日の朝、マグノリアの南口公園の大樹に、妖精の尻尾の中堅チーム、“シャドウ・ギア”のメンバーであるレビィ、ジェット、ドロイが満身創痍で意識を失い、磔にされていたのが発見されたのだ。
レビィの腹には、幽霊を模した模様……幽鬼の支配者のギルドマークが刻まれていた。
「ボロ酒場までなら我慢できたんじゃがな……」
普段のフランクな格好ではなく、白と金の聖十の正装に身を包み、杖を突く音を響かせて公園にやってきたマカロフは、ギルドメンバーの無残な姿に顔を手で覆い、悲しみに身体を震わせる。
当然、彼の心を満たすのは悲しみだけではない。
隠しきれない怒りを漏らすマカロフの握力に耐えられず、杖が粉々になる。
「ガキの血を見て、黙ってる親はいねぇんだよ……戦争じゃ……!!」
レビィ達の報せを受けてこの場に集まった妖精の尻尾の魔導士やマグノリアの住人が聞いた事も無い、まるで地獄の底から響いてくるような凄まじい怒りの声とともに、マカロフは幽鬼の支配者との開戦を告げるのだった。
= = =
「ルーシィ、医者の話では、三人とも命に別状はないそうだ」
「……そう。良かった」
その日の昼、マグノリア病院の病室。安静にしているが、重症の三人の傍で悲しみに俯いていたルーシィは、ワタルの言葉に安堵するも、すぐに顔を曇らせてしまう。
式神を使って三人を病院まで運んだワタル、レビィと仲が良いルーシィ、魔力が枯れて戦えないミラジェーン以外の妖精の尻尾の魔導士たちは、幽鬼の支配者のマスター・ジョゼが滞在しているとの情報のオークの街の幽鬼の支配者支部に、カチコミを掛けに行っている。
「酷いことするんだね、ファントムって」
「……そうだな」
ワタルの返事は平坦で、ルーシィには彼が仲間を傷つけられた悲しみや怒りを感じているようには思えなかった。
彼の事をよく知っている訳では無いが、彼の事を仲間と疑った事は無かった彼女は不審に思い、顔を上げると尋ねる。
「……ワタルはよかったの?」
「なにが?」
「みんなファントムを攻めに行っちゃったんでしょ? エルザだって……一緒に行きたいんじゃないの?」
行きたいさ、まさか今日の内にカチコミに行くなんて思ってもいなかった……そう肯定してくれればよかった。それなら、ワタルが感情を押し殺して我慢している事に気付けなかった事を謝ればいいだけなのだ。
だが、そうではなかった。
『ワタル、隣いいか?』
『ん? あ、ああ……っておい、そんなにくっつくな』
『嫌か?』
『――――ねえけど……』
『んー? 聞こえないぞ?』
『この距離で聞き逃す訳ねえだろ、ったく……あーもう、嫌じゃないって言ったんだよ!』
ワタルの顔は……昨日エルザと口づけを交わそうとして、それが未遂に終わった後、彼女と恥ずかしげに笑い合っていた男のものとは思えないほどに……
「別に……全員がこの街を出て行くわけにはいかねえだろ」
言葉とは裏腹に、ワタルの顔はルーシィが悲しく思うくらい、一片の揺るぎも無い無表情だった。
「……そうね」
「俺の事はいい……それよりルーシィ、酷い顔だぞ。一度帰ったらどうだ」
「うん。そうさせてもらうわね」
だが……ワタルの提案に頷いて立ち上がる時に、ルーシィは見た。
力んで白くなるほどに、組んでいた腕を握りしめていた彼の手を。
「(何やってるんだか、あたし……ワタルだって、怒ってない訳無いのに……)」
仲の良かったレビィが傷つけられて思考が暗くなっていたと、ルーシィは反省しながら、病室を出る際に振り返った。
「どうした、ルーシィ」
「……エルザが好きになるのも、分かる気がするな」
「な!?」
「ほら、感情を隠すのが下手なんだもの。意外と可愛いとこあるじゃない」
赤くなったワタルが怒りだす前に、ルーシィは病室を後にした。
振り上げた拳の矛先を無くした彼は溜息を吐くと、眠っている三人に語りかける。
「……そんなに俺は分かりやすいかね……」
もちろん帰ってくる訳でもなく、答えを期待した訳でもないワタルは頭を振ると、気分転換に屋上に向かうのだった。
「(戦争、か……)」
病院の屋上に着いたワタルは考える。
「(ギルドやレビィ達を傷つけられて、みんな怒ってる。それは俺だって同じだ)」
幽鬼の支配者を潰そうとは思わないのか……。
気持ちいい位に晴れていて、暖かい陽光が降り注ぎ、穏やかな風が吹いている……爽快な空間だが、ワタルの脳内は外とは対照的に暗いものだった。
なんで仲間を傷つけられても、犯人を、ファントムを潰そうとは思えないのか……。
考えてしまうのはファントム、そして自分の事。これでは気分転換になどならないのだが……静かな場所で一人、ゆっくり思考するには条件が良すぎたのだ。
『殺意、憎悪、憤怒、悲哀、恐怖…………戦場で蠢く多種多様の負の感情と怨敵の血は我への供物。……その感情を燃やすがいい、ヤツボシの子よ』
この場にはワタル以外には誰もいないにもかかわらず、ワタルに『声』が掛けられた。この怪奇現象に狼狽えるのではなく、彼は間髪入れずに、うんざりとした様子で切り捨てる。
「うるさい、黙れ」
『……久しぶりだというのに、随分な言い草だな』
「その久しぶりの第一声がそれか。変わらねえな、お前も……つーか、あんまり久しぶり過ぎて、死んだかと思ってたよ。いちいち付き纏いやがって……死ねばいいのに」
『それが永劫叶わぬことは、分かっているのだろう? 修羅の子よ』
その『声』……無数の男が異口同音に喋っているかのような『声』は、普段ならば絶対つかないような悪態を鬱陶しげにつくワタルを嘲笑うかのように語りかける。
気が付けば、そこに広がっていたのは日が差すマグノリアの風景ではなく、果て無く広がる灰色の雲に覆われた薄暗い世界。足元も座っていたコンクリートから、底の見えない濁った血のような赤黒い液体へと変貌を遂げていた。所々に刀や槍、鎌や薙刀が突き刺さっているその風景は、まるで戦場跡のようだ。
「……相変わらず胸糞悪い景色だ」
『それでも我に、我らにとってはこれが全てだ。血で血を洗ってきた我らには似合いだろう?』
「そうだな……」
世界がガラリと変わると、『声』はワタルの頭に響くのではなく、後ろから掛けられた。うんざりと、嫌そうな表情を隠そうともしないまま、ワタルは振り返り……巨大な鹿のような動物と相対した。
ような、と言ったのは、その鹿は自然界ではありえない外見をしていたからだ。全長は20mをゆうに超えており、高さはワタルの数倍はある。
だが、発せられる威圧感は外見の特異さよりも異彩を放っていた。自然界ではありえないほどの奇々怪々さを放つ、白と黒のみで構成された複雑な模様は見る者に生理的嫌悪感を、普通の雄鹿なら雄々しく感じられるだろう巨大な角は折れ曲がり、禍々しい印象を抱かせる。白い眼は何も映しておらず、相対するものをどうしようもなく不安に駆りたてるだろう。
「何の用だ」
『呼ばれたから顔を出したというのに、随分だな』
「呼ばれた? 誰がお前など呼ぶものか」
『いいや、お前は我らを呼んだのだ。逃れられないのだよ、お前は』
「相変わらず訳の分からない事を……何から逃げられないって?」
ワタルが問えば、鹿は首を近づける。自分の身長の倍はあるその不気味な顔に怯むことなく、彼は正面から見据えた。
一片の弱みも、この鹿に対しては見せてはいけない。見せれば自分はコイツに取り込まれてしまう……そう感じたのだ。
鹿は表情など微塵も変えていないが、開かれた口から飛び出た声音は自分と鹿自身を嗤っているかのように、ワタルには思えてならなかった。
『分かっているのだろう? 古より多くの者がそれを求めて世を乱し、持った者を狂わせていった……すなわち“力”だ』
「……俺の答えは変わらない。もう二度と、あんな力を求めたりはしない!」
『いいや、お前は必ず“力”を求める。……近いうちに、必ずな』
断固たる口調で言い放ったワタルだが、鹿の嗤いは止まない。
最後に付け加えた言葉の真意を問おうと、ワタルはこの空間に入って初めて驚いたかのように目を見開くと尋ねるが……鹿がそれに取り合う事は無かった。
「近いうち、だと?」
『さらばだ。また会おう』
「待て! どういう意味だ……中務!!」
ワタルの制止も構わず、それ以降『声』が彼に掛けられる事は無く、瞬きした彼は元の世界……マグノリア病院の屋上に戻っていた。
「くそ……何だってんだ」
あの不気味な世界に足を踏み入れたのは初めてではない。前の時と同じように、身体には不快感がまとわりつき、嫌な汗が背中を流れている。
確か、前は――それを思い出そうとしていた時の事だ。
「ッ、魔力……ルーシィ、じゃない。近いな……」
付近に魔力を感知したワタルは思考を打ち切ると、屋根伝いに走り出した。今マグノリアには、魔導士は自分とミラジェーンとルーシィしかいない。ミラジェーンは戦うために魔法を使えないので、消去法でルーシィしかいないのだが……感じた魔力は彼女の物ではなかった。
では誰のものか……外部の魔導士に決まっている。この時期にマグノリアに入り込む魔導士……仕事で偶然マグノリアを訪れたと考えるほど、ワタルは楽観的ではなかった。
精神世界に引きずり込まれて時間の感覚が曖昧だったためか、ワタルの足も早まっていく。
「くそ、嫌な予感が……雨?」
走っていると急に頬に冷たい物が当たったかと思うと、一気に雨足が強くなっていく。雨が強くなれば強くなる程、感じられる魔力も大きなものになっていったため、魔力の源を特定するのは、ワタルにはそう困難な事ではなかった。
「見つけた。あれは……!」
人気のない道路で、傘をさしている青いドレスの女と片眼鏡を掛けた茶色のスーツの男が立っている。彼らの正面には人一人を包んで余りある水球が浮遊しており、その中には……
「ルーシィ!!」
幽鬼の支配者のエレメント4、大海のジュビアと大地のソルはマスター・ジョゼから任務……『ルーシィ・ハートフィリアの捕獲』を受けて、手薄になったマグノリアに侵入し、目的のルーシィと接触、ジュビアの“水流拘束”によって彼女を拘束していた。
任務は8割がた終了、後はルーシィをマスター・ジョゼの待つ幽鬼の支配者の本部に連れて行くだけ……二人が任務の成功を確信していたその時だ。
「ルーシィ!!」
男の叫び声に二人が振り向くと、目前に巨大な手裏剣が迫っていた。
ソルは地面と同化する事によって、ジュビアは身体を水に変える事によってやり過ごすも、それは逃げる機会を失ったという事に他ならない。
二人のいた場所と、意識を失って水の中を漂うルーシィの間に、怒りの表情のワタルが降り立ったのだから。
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