蒼き夢の果てに
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第6章 流されて異界
第99話 オマエの物は俺の物?
前書き
第99話を更新します。
次回更新は、
10月1日 『蒼き夢の果てに』第100話。
タイトルは、『魂の在処』です。
「みんな、もう集まっていたのね」
扉が開くと同時に室内に投げ込まれる無神経な……配慮や遠慮と言うものが地平線の彼方に放り出されたかのような声音が響く。
もっとも、もういい加減面倒臭いので態々立ち上がって振り返る必要性も感じないし、これ以上、のんびりとして居たら昼飯を食う時間も無くなります。
「あ、涼宮さん」
俺が背後から投げつけられた声に対して、完全な無視を決め込む中に響く朝比奈さんの声。冬の日に相応しい冷たすぎる大気や、どんよりと曇った氷空を払拭するような明るい声によって、最後に登場した人物の正体が判明する。
もっとも、午前中だけであれだけ聞かされた声をあっさりと忘れる訳はないのですが。
それに、今はそんな些末な事――この場にこのメンバーを集めた張本人が現われた事などにイチイチ対応している余裕は既になく成っていますから。
そう考えながら、自らは買って来ただけで未だ袋を開ける事さえしていない菓子パンのひとつに手を伸ばす俺。
何故ならば、ほんの少し後ろを向いて居る間……いや、朝比奈さんをほんの少し余計に見つめて居た間に、山のように積み上げて有ったはずの菓子パンが半分以下の量に減って居て、このままでは俺の食べる分の確保すら難しい状況と成って居ましたから。
まぁ、確かに大量に買い込んだとは言っても四人で食べているのですから、一度減り始めると無くなるのは早いですか。
想定以上の速度で減って居た菓子パンの残量を気にしながら、それでも何とか最低限の量は確保出来そうなので慌てず、騒がず食事を再開する俺。
それに、そもそも俺は食べるのが早い方ではないので。
そうして、
既に買って来た数の半分以下に減った段階で最初の一個を手に取る俺。ほぼ無作為に選んだその菓子パンはごく普通のクリームパンと言う何とも無難な代物。
しかし――
その菓子パンの袋を後ろから出て来た白い繊手が奪い去って仕舞う。
そして、
「みくるちゃん。アタシにも何か温かい飲み物をお願いね」
空いたままに成っていた俺の左側のパイプ椅子に腰を下ろしながら、そう言うハルヒ。
……と言うか、
「こら、ハルヒ。それは俺の昼飯やぞ」
そう、あまり凄みのない口調で一応、文句を口にして置く俺。
但し、取り上げられたクリームパンに拘泥する事もなく、既に次の菓子パンに手を伸ばしながら、の言葉なので、まったく必死さも感じなければ、怒っているようにも聞こえなかったとは思いますが。
ただ、ひとつ頂戴ね、の一言ぐらいは欲しかったかな、と思う程度なのですけど。
「何言っているのよ。あんたの物はあたしの物。そう言う関係だったじゃないの」
それにクリームパンのひとつぐらいケチケチして居るようじゃ、イイ男にはなれないわよ。
何か良く分からない理屈を口にした後に、さっさと袋を破いてクリームパンを口に運ぶハルヒ。
しかし、成るほど。俺の異世界同位体は一週間ほどの短い間しかこの世界には居なかったようですが、彼女とはそれなりの友人関係は結んでいたと言う事なのですか。それに、以前に同じようなシチュエーションが有ったとして、その際に俺がそんな細かい事でブツブツと文句を言い募ったとも思えないので、妙な違和感のような物を与えるのも得策ではないでしょう。
実際、被害は菓子パンの一個や二個。そんな細かい事を言っても意味は有りませんから。
「それで?」
どうぞ、の一言。そして、彼女らしい微笑みと共に置いて行った俺用の紅茶を口に運び、まったりモードの昼食を開始しているハルヒに対して問い掛ける俺。
……と言うか、紅茶まで横から奪われた、と言う事なのですが。
もっとも――
もっとも、もう、オマエの物は俺の物。俺の物は俺の物。……と言う超我が儘な理屈でもなんでも構いませんから、さっさとこんな場所に集められた理由だけでも教えて下さい、そう言う気分なんですから。
少なくとも、俺とハルヒの間にこんなトコロ……。文芸部の部室兼、ハルヒの作り出した意味不明の同好会の部室に呼び出される関係はないはず、なのですから。
「何、そんな事も聞かなくちゃ判らないって言うの?」
しかし、何故か非常に不本意だ、と言わんばかりの表情をこちらに見せ、そう言うハルヒ。少し尖らせたくちびるが、今の彼女の心情を現している。
ただ……。
ただ、そんな事を言われても、俺は読心術を使える訳でもなければ、未来予知の能力を持って居る訳でもない普通の……とは言い難いけど、そう言う部分に関しては一般人と大差のない術者。ハルヒの意図など判る訳がない。
「涼宮さん。武神さんは初めてなのですから、説明して上げた方が良いですよ」
女の子らしい小さなお弁当を開けながら、そう助け舟を出してくれる朝倉涼子。多分、面倒見が良いのでしょうけど、それならば、彼女自身から説明してくれても良いと思うのですが。
何と言うか、何処となくハルヒの反応を見て楽しんでいると言う雰囲気が漂って来るような気もするのですが……。
表情、それに視線にもそんな物を感じさせる事はない。しかし、蒼髪の委員長から感じる雰囲気が、何か非常に微笑ましい物を見つめる時の人間が発する雰囲気と言う物……のように感じている、と言う事です。
確かに自らに火の粉が降りかからなければ、これは面白い見世物かも知れませんが……。
本当に使えないわね。そう独り言のようにつぶやきながら俺を見つめるハルヒ。
しかし、
「今度の期末試験。赤点なんか取ったら許さないんだからね」
……と言葉を続けた。
成るほど。一応、高校生なのですから、遊んでばかりも居られない……と言う事ですか。少しばかり感心をした表情で不満げな顔をこちらに見せて居る少女を見つめ返す俺。
もっとも、赤点を取ったら冬休みに補習が余分に組み込まれて、その分、遊ぶ時間が少なく成る、などと言う理由が本当の理由なのだと思いますけどね。
まぁ、どちらにしても――
「ちょっと、判って居るの。これはあんたに言っているのよ!」
――これは自分には関係ない。ぼんやりと、本当に他人事のように考えて居た俺の鼻先に人差し指を突き付けて、そう騒ぐハルヒ。
鼻先に突き付けられたその指をやや寄り目にしながら見つめる俺。
……と言うか、
「ちょい待ち。そもそも、俺はオマエさんの作った同好会や、文芸部にも関係のない今日転校して来たばかりの転校生やないか。それが、何でオマエさんに試験の結果をどうのこうのと言われなアカンのや?」
まして、俺は先月まではハルケギニア世界のガリアで王太子の影武者を演じて居たから、真面な高校の授業など受けて居ませんよ。
最後の部分は流石に実際の言葉にする事が出来ずに、自らの内でのみ泣き言を口にする俺。
それで……。
確か、この高校の偏差値は中の上。俺が通って居た高校と同程度と考えて良い……と思う。もしかすると若干、俺が通って居た高校の方が上の可能性が有るけど、進学熱が都会の方が高いはずだから、そう変わりはないはず。
……と言う事は、去年。高校一年生の二学期の学期末試験で貰った赤点は存在しなかったので、元々俺が暮らして居た世界と同じような軌跡を辿ると仮定すると、この部分に問題はない。
……はずなのですが。
ただ、俺の成績は一教科のみ超低空飛行を続けて居たので……。
更に、今年の四月以降、地球世界の高校生程度の勉学には一切、関わって居なかったと言うハンデも有りますから……。
「その点は心配ないわ。顧問の甲斐先生には許可を貰って有るから」
そう言いながら、二枚の折り畳まれた用紙をカーディガンの右ポケットから取り出し、俺に差し出す。
それは……。
「文芸部への入部届と、同好会への入会届」
寄り目にしたり、急に突き出された用紙に焦点を合わせたりと、妙に目を酷使しながらも、その差し出された用紙にざっと目を通す俺。
尚、その両方の入部届には何故かきっちりと俺の名前が書かれていたのですが。
成るほど。綾乃さんの意図は理解出来ました。綾乃さんの意図とは、つまり水晶宮の意向と言う事。もっとも、彼女の意図が俺の意志の向こう側にあるのは事実。
それならば、
「ハルヒ。これは私文書偽造と言う罪に当たると思うけどな」
簡単に受け入れても問題がないように思うのですが、それでも少しぐらいは足掻いてみても良いかな。そう考えて、少し不機嫌な口調で問い掛けてみる俺。
但し、おそらく俺の言葉に対して聞く耳など持っていないハルヒには言うだけ無駄でしょうが。
「どうせすぐにサインする事に成るのだから、余計な手間を省いて上げただけよ」
二つ目の菓子パンの袋を開けながら、予想通りの答えを返して来るハルヒ。
そして、更に続けて、
「それに、そもそもあんたに許された言葉は、任務了解と、命なんて安い物さ。特に俺のはな、だけよ」
正に自信過剰、傲岸不遜。我が道を行く。この涼宮ハルヒと言う名前の少女に相応しい台詞を口にした。
ただ……。
ただ、この台詞は以前に何処かで……。微妙に記憶を刺激する内容の台詞のような……。
いや、割と近い記憶の中に存在する台詞であるのは間違いない。
しかし、
「イエス、マム。……って、そんな訳有るか!
そもそも、俺の基本的人権って何処にあるんや、ハルヒ?」
かなり茶目っ気のある台詞で場を流す俺。
そう、先ほどのハルヒの台詞は間違いなく今年の六月。ハルケギニア世界。それも、モンモランシーの屋敷に招かれた夜に夢の中に現れた少女が口にした台詞。
更に、あの夢に現われた時の彼女は、以前にも同じ台詞を言った、とそう言いました。
もしかすると、彼女の言う以前と言うのが、今、この瞬間の事なのでは……。
まして……。
この場にはあの夢の世界の事件に関わったもう一人の人物。湖の乙女と名乗った少女に非常に良く似た少女も存在して居ます。
彼女……湖の乙女が言うには、夢に声のみで登場した少女は俺の前世に何らかの関係が有って――
其処まで考えた後、その夢に関する重要な部分をふたつ、思い出す俺。
それは、あの高いフェンスに囲まれた学校と思しき場所が、この北高校と呼ばれる高校に何処となく似ているような気がする事。
確かに、学校が醸し出す雰囲気と言うのは何処も似たような物ですから、その一点だけを取ってあの夢に現われた場所がこの高校で、あの夢に現われた少女らが、ここに居る涼宮ハルヒと、そして長門有希だと断言出来るほどの証拠では有りません。
……が、しかし……。
あの夢の世界に現われた存在で、俺や湖の乙女を案内するかのように周囲を取り囲んだ存在。湖の乙女によって、そいつ等は敵ではないと言われた妖樹。
クトゥルフ神話に登場する黒い仔山羊とそっくりの魔物。
そう、黒い仔山羊。こいつ等は千の仔を孕みし森の黒山羊シュブ・ニグラスの子供と言われている魔物。
そして、この涼宮ハルヒと言う名前の少女は異世界……こことは違う、既に平行世界と成って仕舞った世界に於いて、そのシュブ・ニグラスの因子を植え付けられた存在。
まして、その因子を植え付けた存在と言うのがどうやら這い寄る混沌ニャルラトテップだろうと思われているようなのですが、あの夢の世界に敵として登場したのはそのニャルラトテップの化身、奇形の君主アトゥ。
可能性としては、今、俺が経験しつつあるこの世界が湖の乙女の言う前世である可能性が非常に高い。
但し、過去……湖の乙女に取っての過去の改変が既に改変された結果として異世界同位体の俺の代わりに、ハルケギニア世界にタバサに因って召喚され、黄衣の王に因って異世界に放り出された俺がこの場所に存在して居るのか、それとも、未だ改変は完全に為されては居らず……。
彼女。長門有希の元から去った俺が、二度と彼女の元に戻って来る事のない未来が待ち受けて居るのかが分からないのですが。
「基本的人権がどうのこうのと言いたいのなら、今度の学期末試験をちゃんと赤点なしで乗り切って見せなさい」
そもそも、四十点以下の得点なんてどうやったら取れるのか、教えて欲しいぐらいよ。
少しの間、心ここに在らず、の状態で思考を別世界に飛ばして居た俺。そんな俺を現実世界に引き戻すハルヒの一言。
しかし、赤点か。俺的には去年の……。二〇〇二年度の二学期の学期末テストは、赤点回避の為に死ぬほど英語だけをやった辛い記憶しか有りません。実際、ケツに火が付かない限りやらない自分が悪いのですが、赤点を取った生徒には冬休み中、楽しい補習授業が他の生徒の五割増で待って居る、などと言われたら、本気に成るしかないでしょう。
只でさえ嫌いな勉強。その中でもトップの英語をずっとヤラされるぐらいなら、その前の段階。試験勉強を死ぬほどヤル方が俺的にはマシなように感じましたから。
しかし……。
俺は、妙に明るい蛍光灯の明かりに照らされた文芸部の部室を一度ゆっくりと見渡してから、少し……ややわざとらしくため息をひとつ吐く。
そう。現状の自分の置かれた状況は、ため息を吐くしか方法が有りませんから。まさか次元の壁を越えた世界。それも、つい二週間ほど前までは西洋風剣と魔法のファンタジー世界でクトゥルフの邪神と戦っていた人間が、次は現代社会の高校で学期末試験を受けなければならなくなる。
それも、既に一年前に受けたはずの高校一年生の二学期の学期末テストを。
本当に、世界は何が起きるか判らない闇鍋状態だと言う事を身に染みて感じる俺。
「そう言えば、さぁ」
二つ目の菓子パンを食べ終え、紅茶の御代わりを朝比奈さんに要求した後、ハルヒが俺の顔を見つめて来る。
――その時、微かな違和感。
俺の口はあまり宜しくないし、少しぶっきらぼう。元々暮らして居た世界ではそう目立つ存在でもなければ、実はあまり暇でもなかった。
生活に追われて居た、と言うか、退魔師としての仕事や修行に追われて居たから……。
故に、余り同年代の美少女と言う存在に見つめられると言う事がなかったし、更に言うと親しく付き合った事などない。
しかし、ハルケギニア世界に召喚されてからは……。
そう、何時の間にか美少女に見つめられる事にも妙に慣れて仕舞った自分がここに居る事に気付いたのだ。
いや、それだけなら未だしも、こんなに近くに彼女らが居る事に違和感……緊張のような物を一切感じていない自分自身に、妙な違和感を覚えたのだ。
元の世界。この世界でもなければ、ハルケギニア世界でもない、元々、俺が暮らして居た世界に帰った時、世界を構成する色が急に褪せたように感じるんじゃないのか、などと言う、訳の判らない考え……不安が浮かぶ俺。
しかし、ハルヒは俺の思考が明後日に向かっている事など気にする訳もなく、
「あんたの誕生日って、確か十二月よね?」
三つ目の菓子パンの袋に手を伸ばしながら、そう問い掛けて来るハルヒ。その瞬間の彼女から、少し彼方の記憶を呼び覚まそうとする気が発せられた。
成るほど。そんな個人的な事も教えて居たのか、異世界同位体の俺は。
本当に割と親しい関係を築いていたと言う事なのでしょう。この涼宮ハルヒと、俺の異世界同位体は。
「あぁ、俺の誕生日は――――」
元々暮らして居た世界では仲間……退魔を生業とする仲間と言う連中は居たけど、彼、彼女らを友達と言うのは少し違う。まして、ハルケギニア世界でも縁を結んだ相手も友人と言うのは少し難しい。
そう考えると、この涼宮ハルヒと言う少女は貴重な相手なのかも知れない。
異世界同位体の俺に取っては――
そんな事を考えながら、答えを返そうとする俺。
しかし、その時、
「彼の誕生日は十二月六日」
三度、彼女の口から為されるネタバレ。
既に食事も終えたのか、コーヒーカップからゆっくりと立ち昇る湯気の向こう側から俺とハルヒのやり取りを見つめ……。いや、おそらく瞳には映していたけど、何の感情も籠らない瞳で見つめ続けるだけで有った万結が俺の言葉を続けたのだ。
しかし、俺の異世界同位体はそんな事までも万結や長門さんに言っていたのですか。
確かに、ハルヒにも誕生日を教えて居たようなので、もっと近い関係に有った。二月の事件の際に共に事件を解決する仲間として行動したらしい二人には、その程度の事を教えて居たとしても不思議ではないのですが……。
ただ、この二人は、自分から俺の誕生日を知りたがるとはどう考えても思えないので、俺が彼女らとの会話を繋げる為に、適当に繋いだ内容の中に俺の誕生日の話題が有って、その日付を正に機械の如き正確さで万結が覚えていただけの事だとは思いますが。
「十二月六日? だったら、試験の終わった後よね」
何かを思い付いたような雰囲気のハルヒ。……と言うか、俺の経験によるとこの手の雰囲気を発するヤツは禄な事を考え付いていないと相場が決まっている。
……それならば。
「成るほど、判ったハルヒ。皆まで言うな」
これ以上、彼女に会話の主導権を握らせなければ何とかなるかも知れない。もっとも、俺の話や提案など聞く耳を持っていない可能性が高いとは思いますが、万にひとつの可能性程度ならばある。そう考えて、彼女が何か言い出す前に待ったを掛ける俺。
「何よ。何が判ったって言うのよ?」
少し怒ったような口調及び語気。しかし、彼女が発して居る気の中には微かな疑問が含まれる。何と言うか、本当に判り難い。気を読む人間でなければ、彼女が疑問を口にしている事さえ気付き難いでしょう。
ただ、少なくとも一切の聞く耳を持っていない訳ではない、と言う事は判りました。
「十二月六日の夜に靴下を用意して置いてくれたなら、俺がちゃんと金貨を三枚届けてやる」
体重を背もたれに預け、胸の前でエラそうに腕を組み、妙に真面目くさった顔でそう話し始める俺。
そうして、
「後は、煙突から落ちて来る三枚の金貨をその靴下で見事に受け止める事が出来たのなら、オマエさんは間違いなく結婚出来るように成る、と言う仕組みやな。
良かったな、ハルヒ。これで将来は安心やで」
……と、最後に軽く二度首肯いた後に、したり顔でハルヒを見つめた。
もっとも、これはひとつの困難な任務をやり遂げた漢の顔でもあるのですが。
しかし……。
「あんたは、その日が命日にならないように、ちゃんと試験勉強をしていなさい」
そもそも、それはそう言う内容のゲームじゃないし。
俺の話した内容の元ネタを明らかに知って居る口振りでそう答えたハルヒが、俺を冷たい瞳で一瞥した後、最後に残った菓子パンに手を伸ばした。
尚、この話の元ネタ。十二月六日とはサンタクロースの元ネタのひとつ。聖ニコラウスの命日。いや、聖人暦に記された聖名祝日と言う事。
もっとも、サンタクロース自体は、その聖ニコラウスだけではなく色々な神話や伝承の集合体であるのは間違いなさそうなのですが。例えば、北欧神話の主神オーディンなども取り込まれていたと思いますし。
どうも、黒いサンタと白いサンタが居るのが基本のようですし。
ぼんやりとそう考え、ハルヒが菓子パンを口に運ぶ様を見つめる俺。
……ん? 最後に残った菓子パン?
「――! 俺の昼飯がもう残っていない!」
反射的にそう叫んだ後に、もう一度確認の為にふたつ並べた長テーブルの真ん中を見つめる俺。しかし、何度見つめようと、其処にはひとつのパンさえ残って居る訳はなく……。そこからハルヒの手の中に有るアンパンを恨めし気に見る俺。
正に気分的に言うのなら、エリ、エリ、レマ、サバクタニ。こう言う気分。
しかし、
そんな俺の肩の辺りを躊躇いがちに少し叩く誰か。
何時までも恨めし気に見て居ても仕方がない。まして、俺なら飛霊に授業を受けさせて、本体の方は飯を食いに外に出る方法だってある。そんな、ひとつやふたつの菓子パンに拘らなければならない理由はないか。そうあっさり断じて、その肩を引っ張った少女の方に向き直る俺。
その向き直った俺の前に差し出されるチョコパンひとつ。当然、チョコパンが目の前に歩いて来た訳ではないので、パンの袋を持つ手。そして其処から上げた視線が、俺の顔を見つめる彼女の視線と交わる。
……これは、
「俺が食べても良いと言う事なのかな、長門さん」
ハルケギニア世界の彼女と同じ表情。しかし、何故か彼女からは少し哀しげな気が流れて来る事が有るのですが……。
ただ、それもほんの一瞬。俺の問い掛けに、静かに首肯く彼女。
もっともだからと言って、ごっつあんです、と受け取って食べる訳にも行きませんか。一度、彼女が手に取ったと言う事は、彼女が食べようと思って手に取ったはず。
まさか、俺の食べる分を確保して置いてくれた、などとは考えられません。
そう考える俺。ただ、この長門有希と言う少女に関しては良く分からない部分が多くて、もしかするとその可能性。俺の為に菓子パンを確保して置いてくれた可能性もゼロではないのですが……。
こちらの世界に流されて来てから、彼女が俺に示してくれたのは表面上で他者が彼女から感じる雰囲気とは一線を画す物。
失った右腕、両足の再生。俺が眠り続けた三日間の看病もほとんど彼女一人で為した事。更に、今も俺は彼女のマンションの一室に間借りしている状態。
彼女が言うには、これでも俺の異世界同位体が彼女に対して為してくれた事に比べると足りないぐらい、だと言う事になるようなのですが。
それに、俺が彼女の部屋に間借りして居るのは、俺の異世界同位体との約束。この世界に来た……召喚された時は彼女の部屋。長門さんが言うにはふたりの部屋に住む事が約束と成っていたらしいので。
俺は差し出された菓子パンを袋から取り出し、
「それなら、半分こにしようかな」
ふたつに割った片方を長門さんに差し出す。
かなりの戸惑いの視線。いや、視線、そして表情も今までと変わらない。しかし、明らかに戸惑っているのが判る雰囲気。
まぁ、彼女に関してはふたりの間に霊道が開いて居て、彼女のほんの些細な感情の揺れすら伝わって来ていますから、この細かな雰囲気の差が判るのでしょうが……。
普通の人間になら、感情の籠らないメガネ越しの冷たい瞳にただ俺を映しているだけ。そう見えて居るでしょうから。
ゆっくりと過ぎて行く時間。何故か高まって行く緊張。ずっと喧しいだけで有ったハルヒすら、何故か長門さんの次の行動を、固唾を呑んで見つめるだけであった。
しかし、僅かな逡巡の後、彼女は一度俺に渡し、その後ふたつに分けられた菓子パンの片割れを手に取る。その際に微かに発せられたのは喜。
意味の取り様は幾らでもあるけど、何故か哀ばかりが気に成る彼女から発せられる雰囲気の中では喜の感情は良い。
その瞬間、周囲から発せられた雑多な気。良く分からないけど、陰と陽。両方の気が発せられたのは間違いない。
そうして、
「いい事。もしも試験で赤点なんか取ったら死刑だからね」
何故だか判らないが、かなり不機嫌な気を孕んだハルヒの言葉が文芸部の部室内に響いた。ただ、彼女の言葉により、何故か息をする事さえ憚られるように緊張していた部室内の空気が、最初のゆったりとした昼食時に相応しい空気に戻った事は間違いない。
再び振り返りハルヒの方に向く俺。その俺を見つめる……しかし、声の調子ほど不機嫌には感じない表情で、
「もっとも、あんたの場合はこの学校への編入試験に合格したんだから、問題はないか」
こう続けたのだった。
……これは普通に考えたら当たり前の事。
但し、俺に関してこれは当て嵌まらない。
俺が召喚される事――正確に言うと俺の異世界同位体を召喚する事は前々から決まっていたようで、その際に、今回の任務に関しては、状況次第では十一月末から一月頭まで掛かる可能性の有る長丁場の可能性が有ったので、その間この高校に通う事も決まっていました。
二度に及ぶ過去の改変と、それの揺り戻し。更に、多少のつじつま合わせが行われるらしいのですが……。その詳しい内容に付いては俺には教えられていません。
ただ、故に編入試験を俺がわざわざ受けた訳ではない、と言う事。そりゃ、俺の異世界同位体にも当然、その世界での生活と言う物が有るので、これは当然の処置なのですが、それ故に俺がやって来た時には、既に替え玉が俺の代わりに試験を受けて置いてくれていた、と言う事なので、俺にはこの高校の正確なレベルと言う物は判らないまま。
まして、本来転校が実行される予定だったのは二週間前。しかし、その二週間は身体の回復やその他に費やして仕舞った為に……。
……やれやれ。少し深いため息を吐く俺。その瞬間、昼休みの終了五分前を告げるチャイムが古い校内放送用のスピーカーから鳴り響いたのでした。
後書き
うむ、終に百話か。
次回タイトルは『魂の在処』です。
追記。……と言うかネタバレ。
菓子パンは四人で食べるには十分過ぎるぐらい用意して有ったはずです。
更に、主人公は長門が見た目以上に食べる事は知って居ます。
しかし、現実には足りなくなった。
その理由を推測すると?
ついでに彼女は少し焦って居ました。
故に、少し積極的に動いた。
ハルヒが最後に手に取ったパンを差し出す可能性。
朝倉涼子、朝比奈みくるが自らのお弁当を差し出して来る可能性。
この双方の可能性を考慮すると、最初に動かなければいけないと思ったと言う事。
本編内では皆まで書いて居ませんが、これぐらいのバックグラウンドがあると言う事です。
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