ソードアート・オンライン もう一人の主人公の物語
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SAO編 主人公:マルバ
壊れゆく世界◆最終決戦
第四十三話 茅場晶彦
前書き
ヒースクリフの正体が露見します。
今回はまだ戦闘にはなりません。
マルバたちは何もできず、ただ呆然と座っていた。なんとか気力を奮い起こしたエギルは他のギルドの様子を見に生き、ミズキものろのろと動き出し、マルバたちにポーションを渡した。アイリアは受け取ろうとしなかったが、ミズキは無理矢理それを飲み干させた。アイリアは一番消耗が激しく、HPがレッドゾーンまで食い込んでいたためだ。
呆けたままのマルバたちをその場に残し、ミズキは盾戦士として共に強大な鎌に立ち向かったヒースクリフに感謝するべく彼の方へと歩いて行った。脚を半ば引きずるように歩くその姿勢に、マルバはぼんやりした頭のなかで違和感を感じたが、それをはっきりした形にできるほどの気力はどこにも残っていなかった。
マルバはシリカに寄り添いながら、今だけはただ、この戦いで失ったものへの悲しみに打ちひしがれることにした。この悲しみはいつまでも引きずることはできない。まだ残りの四分の一がマルバたちを待ち受けているのだから……。マルバはシリカと頬を寄せ、大きすぎる犠牲に対し悲しみ、決意を奮い起こそうとした。
ほとんど全てのプレイヤーが地に足をつき、なにをする気力も残っていないかのように見えた。ただ一人の例外――ヒースクリフを除いて。彼だけは、今も背筋を伸ばし、毅然と立ち続けている。マルバはそんなヒースクリフに、敬意というよりは哀れみに近い感情を向けた。この場でまだあのように立ち続けられるのは、彼が自分の強さを信じ、自分だけは生き残ると確信しているからなのだろうか、あるいは……。
そのヒースクリフは、今は血盟騎士団の団員の一人の要求に応じ、彼にポーションを分けてやろうとしていた。左手を持ち上げ、人差し指と中指を揃えて……それからその左手を体の前でひらひらと動かした。団員がヒースクリフの強さに敬意を示したため、謙遜を表すゼスチャーをしたようだ。今度は右手の人差し指と中指を揃えて振り、メニューの中からポーションを選び、団員に渡した。
……微かな、違和感。どこかで見たことのある動作だが、それは明らかに何かが違った。マルバの頭に、いつかの光景がよぎった。アスナがユイにメインメニューを開くよう促す。ユイは右手で開こうとするも開けず、代わりに左手で開いてみせた。左手で……プレイヤー用のメニューではなく、システム管理者用のメニューを。
思考を包んでいた霧が一瞬にして晴れた。マルバは目を凝らした。ヒースクリフは今、ミズキに話しかけられてこちらに背を向けたところだ。彼に対する違和感が一気に像を結ぶ。人間としてあり得ない速さ、決して一定量を下回らないHP。それだけではない、ヒースクリフはシステムを知りすぎていた。システムに関しては、誰もが知らないような説明書の隅の隅にしか書かれていないことまで熟知していた。使ったことのないはずのソードスキルの軌跡を完全に体得していた。これらから考えられる最も尤もらしい仮説は、今までだったら考えもしなかったものだった。――彼こそが、このシステムの設計者ではないかという仮説が、急に現実味を帯びた。
マルバは床に投げ出されたままのシリカの短剣を静かに拾った。ゆっくりと腰を浮かし、攻撃体勢を取ろうとする。彼がちらとシリカの方を見ると、彼女は何かに気づき、マルバに声をかけた。
「マルバさん、一体何を――」
次の瞬間、様々なことが立て続けに起こった。
マルバが短剣を投げるのと同時に、マルバの斜め後ろから黒い影が飛び出し、投剣が風を切る鋭い音を追いかけるようにヒースクリフに迫った。ヒースクリフは鋭い風切音を耳にするやいなや素早くこちらに向き直り、僅かに目を見張るも盾を引き寄せ防御態勢を取りながら、短剣を回避するように動き始める。短剣がヒースクリフの盾の隅をかすり、半秒あとに黒い影――キリトが突進技を放った。ヒースクリフが持ち上げた盾がそのソードスキルをぎりぎりで跳ね上げる――。
そして、キリトの剣が上空に跳ね上がったその時、ヒースクリフの背後のプレイヤーが彼を袈裟斬りにした。
【Immotal Object】――ミズキの剣は、ヒースクリフの胴を切り裂けなかった。代わりに出現した表示がその剣を防いだからだ。
「そういうことかよ――茅場晶彦」
ミズキの声は、氷のように冷たかった。あたりがしんと静まり返る。ただ痛いほどの沈黙だけがそこにあった。誰も喋らない。ただヒースクリフのすぐそばに光るシステム警告だけが、場違いに存在を主張していた。
「何故――気づいたのか、聞かせてもらえるだろうか?」
ヒースクリフはしばらく沈黙を保ったが、ミズキに向かっておもむろに質問をぶつけた。しかし、ミズキは肩をすくめるだけで、その問に正面から答えることはなかった。
「俺はただ、あんたが妙な奴だと前々から気にして書き留めていただけだ。マルバが攻撃したから、俺も加勢した。あんたが茅場だと気づいたのは、その奇妙な警告窓が出てからだ」
ミズキが既に消えた警告窓を一瞥して答えると、ヒースクリフはその視線をこんどはマルバに向けた。正体を見ぬいた訳を言え、ということだろうか。マルバが無言でシリカを見ると、ヒースクリフもその視線をシリカへと移した。
「ええっ、わたしですか? ええと……前に一度デュエルしたじゃないですか。そのときのヒースクリフさんの攻撃の避け方、あれは短剣技をほんとうに何度も撃ったことがあって、動きをかんぺきに憶えている人じゃないと絶対にできないような避け方だったので、不自然だと思ったのがきっかけでした。わたしはそれ以上は……」
マルバはその言葉を引き取って続けた。
「決め手はついさっきの動きだね。あんた、左手でメニューを開こうとしていたでしょ。左手でメニューを開けるのはシステム管理者だけだから」
ヒースクリフは顎に手をやって少し考えると、今度はキリトを見た。キリトはミズキと同じように肩をすくめて答えた。
「デュエルの時だ。――最後の一瞬、あんたあまりにも速すぎたぜ」
やはりそうか、と彼は呟くと、ついにそれを認めた。
「うむ――確かに、私は茅場晶彦だ。加えて、第百層で君たちを待ち受けるはずのラスボスでもある。……最後に私の前に現れるのは、キリト君、君だけだと思っていたのだがな。まさか四分の三時点でこれほどのプレイヤーに正体を見破られるとは思っても見なかった。この世界で絶対の力を持つのは反応速度であるからして、全プレイヤーの中で最大のそれを持つキリト君がこの世界で唯一私の前に立つだろうと予想をしていたのだが……私の予想を超えるプレイヤーは他にもいたということだろうか。いやはや、これも大規模ネットワークRPGの醍醐味の一つと言えるかもしれないな」
ガン、と何かを床に打ち付ける鈍い音がした。先ほどヒースクリフからポーションを受け取ったばかりの血盟騎士団の団員が、石畳に甲冑をめり込ませるほどの力を込めた。
「貴様……貴様が……。俺たちの忠誠――希望を……よくも……よくも……」
槍を杖代わりに、彼は全身を起こした。体重と怒りを載せた一撃がヒースクリフを狙う。
「よくも――――ッ!!」
絶叫しながらの一撃がヒースクリフに届く直前、彼は空中でぴたりと静止し、その場に音を立てて墜落した。HPバー横に緑色の状態異常アイコンが点滅する。茅場が左手を動かす度に、その場のプレイヤーが皆崩れ落ちていった。
――キリト、マルバ、ミズキの三人を残して。
「……どうするつもりだ。この場で全員殺して隠蔽する気か……?」
キリトがぼそりと言った。彼は跪き、倒れたアスナの手を握った。
「まさか。そんな理不尽な真似はしないさ」
ヒースクリフは微笑みを浮かべながら、首を振って否定した。
「こうなってしまっては仕方がない。予定を早めて、私は最上層の〈紅玉宮〉にて君たちの訪れを待つことにしよう。90層以上の強力なモンスター群に唯一対抗できる力として育ててきた血盟騎士団を途中で放り出すのは不本意だが、なに、君たちの力ならきっと辿り着けるさ。だが……その前に……」
茅場は言葉を切ると、その場に立つ三人を見据えた。右手の剣を軽く床に突き立てると、高く澄んだ金属音が石の壁に反響した。
「君たちには私の正体を看破した褒美を与えなくてはなるまい。チャンスをあげよう。君たちの中で誰か一人だけが、今この場で私と一対一で戦うチャンスを。無論不死属性は解除する。私に勝てばゲームはクリアされ、全プレイヤーがこの世界からログアウトできる。……どうかな?」
その言葉に、即座に反応した声が二つあった。
「やめて、マルバさん。戦うならあたしも一緒です」
「だめよキリト君……! あなたを排除する気だわ……。今は……今は引きましょう……」
マルバとキリトが言葉に詰まり、一瞬硬直した。代わりに一歩踏み出したのは――
「そうだ、お前らはやめておけ。リスクがでかすぎる。やるのは、俺だ」
ミズキが盾から剣を抜き、床に突き立てた。
後書き
ミズキだけが、ヒースクリフに立ち向かいます。
次回、ヒースクリフ戦。ミズキが戦う理由も明らかになります。
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