ゾンビの世界は意外に余裕だった
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3話、ファーストコンタクト
なんだかんだで三日目の朝がやってきた。体中が痛くて寝た気がしない。昨晩も警備指令室の椅子に座ったまま寝りについたのだが、結局、研究所関係者の家族の問い合わせ電話は一回しかこなかった。
戦闘アンドロイドのレグロンがいることだし、今晩は電話が来たら起こすように命令して仮眠室で寝るつもりだ。
まあ、朝っぱらから夜にどこで寝るかを考えてるなんて、豊富な物資と快適な施設に囲まれ、問題なく生きて行ける状況では、ただの贅沢な悩みだ。
俺は寝床のことを頭の隅に追いやると、歯を磨いたり身だしなみを調えに警備員用の給湯室に行き、その後は警備指令室でネットファンフィクション小説の続きを読み始めた。幸いにして家族からの電話もなく、ゾンビを忘れて怠惰に午前中を過ごす。そして、午後になってようやく世間のことを知ろうと思い、テレビをつけることにした。
未だに政府は伝染病への対応としているが、テレビ局ではゾンビとはっきり報道する番組が増えていた。ゾンビは首都東京で爆発的に増えているようだ。
解決は時間の問題と言っていた某有名軍事評論家は、ゾンビの大群を相手にする東京二十三区の市街戦を憂慮していた。彼はそこで共和国自衛軍が急速に消耗していることを心配していたのである。
もっとも政府の官房長官は、記者会見で伝染病封じ込め作戦が順調であることを強調している。どちらが正しいかいずれ分かるだろう。
また、在日ネオ・ワイマール軍は、いくつかの小基地を放棄して主要拠点の守りを強化しているようだ。テレビ報道では小規模な部隊が自衛軍に協力していることを伝えていた。
「ボス、正門に人影が見えます」
パソコンのスピーカーを使って、中央制御人口知能キャリーが報告した。急いで監視モニターを見ると、ナップサックを背負った人間が正門を超えようとしている。パッと見では、武器を持っていないように見える……と思ったら、門の内側にバットが転がっていた。
「レグロンついて来い」
俺とレグロンは本館入り口前に止めてあった車に乗り込み、正門に向かった。訪問者がただの避難民ならよいが、悪意ある泥棒などの可能性もある。正直、かなり緊張する状況だ。
一瞬、レグロンをけしかけて追っ払うことも考えたが、治安が回復したら罪に問われたり、ネットで糾弾される可能性を考慮してあっさり断念する。
幸いにしてレグロンには人間の体温や脈拍を計るセンサーが搭載されている。過信できないが嘘発見器の役目を担わせることは可能だ。
「正面に人影です」
二十歳くらいのカジュアルな服装の青年が車に驚いて立ち止まっていた。見た感じでは金属バット以外に武器はないようだ。俺も車を止めて、レグロンを前に立たせて訪問者に挨拶した。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
「私はここの臨時所長で斉藤と申します」
「あ、僕は北武蔵大学三年の北原です」
「学生さんか。一応ここは国有地なんですが御用件はなんでしょうか」
「その、すみません。立派な建物を見かけたんで、ひょっとしたら食べ物がないかと思って……」
「えっ、食べ物? もうご飯がないのか」
思わずタメ語になってしまう。まあいいか一回り年下だし。
「ええ、五人でこの先の友達の別荘に逃げたまでは良いんですが、食糧がつきてしまい。男二人で食糧探しに出たんです」
「男二人? まさか二手に別れたのか」
「いえ、この施設を見て入りたくないと言ったので、彼を車に残して僕だけが様子を見に来たんです」
さすがにリアル・ゾンビの世界で二手に分かれるほど馬鹿ではないようだ。いや、ここに一人だけで突撃せるような奴を頭の良し悪しで判断するわけにはいかない。もちろん、この学生の話も盛っている可能性もある。
「いや君は勇敢なようだね、ちょっと失礼するよ」
俺とレグロンは照れている北原君から離れて、相談を始めた。
「レグロン?」
「嘘の可能性は低いです」
「友達の話もか」
「そこが一番嘘の可能性が低いです」
俺は急に北原君に同情したくなってしまった。
「北原君。レトルト食品や真空パックご飯、水などを一週間分くらい分けて上げるよ」
俺はレグロンを連れて再び北原君に近づいた。
「本当ですか。ありがとうございます」
「君がここで食べていくなら用意するよ」
「いえ、みんなで食べたいので」
「じゃあ、そのリュックサックを借りようかな」「はい」
あっさり借りられたナップサックには小さな缶詰めが三個ほど入っていた。この人の良過ぎる学生の将来が心配になる。俺は騙して缶詰めを取り上げるつもりはないが、悪意ある人に遭遇したら痛い目にあうだろう。
「レグロン、私が食糧を取ってくるから、お前はこちらの情報をなるべく与えず、向こうの情報を聞きだしてくれ」
一緒に車に乗り込もうとするレグロンを留め、俺は使命を与えた。
「ボス。一人は危険です」
「わかっている。だが、キャリーは監視カメラを制御している。通信端末をオンにしておけば、脅威に十分対処できる」
「仕方がありません。ですが、やはり他のアンドロイドを稼働させるべきです」
「わかった。そうだな明日の朝、テレビで朗報を伝えていなかったら稼働させる」
人口知能の性能が向上した結果、ご主人様に物を言うアンドロイドは標準仕様だ。
一人で食堂に戻った俺は、大嫌いな麻婆ナスやナスサラダなどのレトルト食品やミネラルウォーターをナップサックに次々と詰め込む。そこで相手が若い学生と思いだして牛丼やコーラを入れる。ついで非常食やラジオなどが入っている非常袋を一つ取り出した。これだけあれば五人で食べても十日間くらいは持つだろう。
「こんなに……」
「ここの所員は二日前にほとんど出ていったからね。まあ、一週間も経てば事態は落ち着くかもしれながらが、何かあったら相談してくれ。ただし、緊急じゃなければなるべく正門の内側で待っていてほしい」
「ありがとうございます。いざとなったらお願いします」
「それと一つ頼みがある」
「なんでしょうか」
「ここのことはできる限り内緒にしておいてほしい」
「分かりました」
北原君は何度も頭を下げてから、正門を乗り越えて去った。記念すべきファースト来訪者とのコンタクトはこうして終わった。
その後、本館に戻った俺はレグロンと約束した戦闘アンドロイド稼働について本気で考え始めた。まず勝手に国の資産に手をつけまくり、国の担当者や裁判所が情状酌量してくれるのは、せいぜい命がかかっている時ぐらいだけだろう。
そうなると俺がゾンビを一度も見たことないが問題になるかもしれない。例え命の危機を感じたと主張しても聞いてくれないかもしれない。
だが本当に裁判になったら陪審員の出番だ。九割方はテレビでたくさん見たと言うだけで充分と思える。
とにかく明日の外界の様子で決めよう。そう思った俺は、臨時所長権限を使ってキャリーの機密情報にアクセスした。そこで他の研究室製作のアンドロイドの情報を抜き取り、必要そうなアンドロイドについて眠くなるまで調べたのである。
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