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ゾンビの世界は意外に余裕だった

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1話、研究所

「駄目だ、電話は繋がらない」

 俺の上司で国立先端技術研究所の所長山田亮が、外線用固定電話の受話器を耳に当てながら、落胆の籠もった声で告げた。ここは軍事機密を扱う研究所であるため、個人の携帯電話が外部に繋がらない。おまけにこの施設は、携帯電話の電波が届かかない人里離れた僻地に建っているときた。

「所長、インターネットも回線がパンクしているようで繋がりません。家族が心配です。今日は早退させて下さい」

 俺の同僚の飯沼が、真っ青な顔で懇願した。 周囲に集まってきた研究所の所員達が、同感とばかりに一斉に頷いている。外界に居る家族と連絡を取るための頼みの綱……外線電話とインターネット回線が機能しない以上、家族の安否を確認するには、帰宅が一番確実な手段となる。

 一方、家族のいない俺は、阿鼻叫喚の様相を見せているテレビ中継に集中していた。そこでは人が人を襲っている。テレビのアナウンサーは人に噛みつく攻撃的な患者の発生を伝え、噛まれたらうつる伝染病の可能性が高いと報じている。

 だが、映画やドラマでゾンビ物を見たことのある俺には、ゾンビが普通の人間を襲っている映像にしか見えない。

「分かった。今日は休業にしよう」

「所長、私は心配する家族がおりませんし、ここに留まりたいのですが」

 俺は所員の総意に反する行動と自覚しつつ、おずおずと申し出た。そもそも俺には、わざわざリアル・ゾンビが暴れている街に繰り出す必要はない。しがらみはないしチャレンジ精神もない俺は、ここで事態が落ち着くのを待った方が合理的だ。

「ああ、斉藤君が残りたいなら構わないよ。そうだ、我々の家族から連絡がきたら、迎えに出たことを伝えて欲しい」

 山田所長はあっさりとオーケーを出した。反対どころか、俺の決断に感謝しているようだ。

「分かりました。ただ私の身分証で頻繁に外部と連絡を取れば、セキュリティーに引っかかってロックされてしまいます」

「そうだったな、斉藤君を臨時の所長扱いにしておくよ。警備員にもそう伝えておく」

 所長は受け付け嬢に臨時休業を構内放送するよう伝え、パソコンを操作し始めた。

「斉藤さん。妻から電話があったら私が家に向かっていることと、愛していると言っていたと伝えて下さい」

 普段よそよそしい飯沼までが、白衣姿の俺の手を取り土下座しそうな勢いで頼んできた。俺は必ず伝えると約束して飯沼を引き離したが、この場にいる数十人の職員からお願いされそうなので、メモをパソコンに入力するように言った。

「斉藤君、君は今から臨時の所長だ。残念だが給料は変わらないが留守番を頼む」
「はい」
「それから、私の家族宛ての伝言もよろしく頼む」
「お預かりします」

 その後、館内に臨時休業を知らせる放送が流れ、百人近い所員は鬱蒼とする森の中に立つ研究所から出ていった。

 その後、俺は所長室でテレビの悲惨な映像を見ていたが、ゾンビ映画のことを思い出し、何か対策を取る必要性を漠然と感じた。

「キャリー、山田所長が俺に与えた権限について教えてくれ」

 パソコンをたちあげると、モニターに浮かび上がる青い星形のマークを見ながら尋ねた。研究所の中央管制を担うキャリーは、研究所のライフラインを管理したり、所員の仕事をサポートする頼れる存在だ。

『山田所長は斉藤様に所長としての全ての権限を与えています』

 俺はパソコンの画面に映るキャリーの報告に驚いた。山田所長は普段からセキュリティーに煩い人だ。てっきり外線電話の使用権限だけを高めたと思ったが、よっぽど慌てていたのか全権限を俺に移譲していったらしい。はっきり言えば先端軍事技術をスパイし放題である。……いや、もちろん今はそれどころではない。

「研究所内部には何人残っている。ああ音声モードで応えてくれ」

「分かりました。敷地内には九人います。警備員八名と斉藤様です」

 人口知能キャリーが合成音声を使って答えた。現在、研究所に残っている人員は所員である俺と民間軍事会社の八人の武装警備員だけのようだ。そうなると必然的に労働力は警備員になる。

「よくやったキャリー。今後は俺を監視カメラでモニターして、可能な限り質問に答えられるようにしてくれ」
「承知しました」

 キャリーから得た情報をもとに、俺は本館正面入り口フロアの吹き抜けの二階にある警備指令室に向かった。

「大原さん、大変なことになりましたね」

 警備指令室に入った俺は、警備主任に声をかけた。四十代の大原警備主任はがっしりした体をした生真面目な元警官のおっさんである。キャリーの報告では今日の警備員のうち、半数人が元警官らしい。

「斉藤さんは家に帰らないそうですね」

「私には家族がいませんから……、ところで皆さんはどうなんですか」

「その、私達も家族が心配です」

「そうでしょうね。うちの所長は気が動転していて、皆さんのことまで考えられなかったようです。そうだ。これからいくつか作業をお願いしますが、それが終われば皆さんも早退して頂いて構いませんよ」

「よろしいのですか」

「えー構いません」

 武装した元警官が居た方が心強いが、さすがに家族を放置させたら俺と研究所を守らせて逆恨みするかもしれない。それならいっそ恩を売った方が良いというのが俺の判断だった。

「では、何をすれば良いのでしょうか」

「まずは敷地の入り口の警備員に門を閉めるように伝えて下さい。あと、他の出入り口がちゃんと閉鎖されているか確認するように伝えて下さい」

 警備主任は指示通り動くように正門の警備員に伝えた。高さニメートルの壁に囲まれた研究所の敷地には、車の通れる正門と裏門の他に、人用の小さな出入り口が四ヶ所あった。門に関してはまず封鎖。次に補強だ。

「それから、研究所の全シャッターを下ろし、各棟の部屋のドアがきちんと閉まっているか確認してから入り口を施錠して下さい」

 シャッターの開閉は警備指令室から制御できる。おそらく人口知能のキャリーに言えばシャッターくらい閉めてくれるだろうが、今は警備主任を通すことにした。

 すぐに強化ガラスで覆われていた本館が、さらに鋼鉄のシャッターで覆われる。中は少しばかり暗くなったが安心感は上がった。

 本館の他に研究棟は五棟。警備指令室のある本館(A棟)の他にBCDE棟がある。警備主任を警備指令室に残して、警備員達は駆け足で他棟に向かった。

「キャリー。駐車場に車は何台ある?」

『地上駐車場三十台、地下駐車場二十台です』

「内訳は分かるかい?」

『地下駐車場に斉藤様と警備員の自家用車が七台。その他自家用車三台。研究所の社用車が十五台、地上駐車場に研究所の社用十台。F棟建設工事関連の車両が十五台です』

「ありがとう。キャリー」

「斉藤さん。敷地の出入り口の戸締まりは確認したよ」

「大原さん。では正門に一人残してこっちの作業を手伝わせて下さい。私は工事車両に鍵があるか見てきます」 

「工事車両の鍵ならここにありますよ。ゼネコンの方が万が一と言って置いていきましたから……」

「そうですか、では手が開いたら社用車と工事車両全部に鍵をさして下さい。それからワンボックスタイプ社用車を横付けして、遊歩道の門を塞いで欲しい」

「遊歩道に車ですか?」

「緊急事態ですから指示に従って下さい。私が責任を取ります」
「……分かりました」
「そうだ念のため二台にしましょう。二台目は乗用車タイプを横付けして下さい」

 警備主任は頷いて鍵を用意した。その間、俺は工事車両の車種を確認した。

 ダンプ、生コン、ユニック、ショベルカーなどがあるが、さすがにテレビで門の役目を果たすトレーラーは存在しない。

 その後、十台近い車を正門及び裏門にも移動するなどして、可能な限り研究所の守りを警備員に強化させた俺は、ようやく全警備員の早退指示書にサインした。


 実際、警備員達は一刻も早く帰りたいようでよく動いた。わずか二時間ほどで俺の頼みを全てこなし、いよいよ帰宅することになった。

「鍵は私が預かりましょう」

 規則に従って拳銃をしまうために武器ロッカーを開けた大原警備主任を見て、俺は手を差し出した。

 警備主任は一瞬躊躇した。臨時所長にどこまで権限があるか考えているのだろう。まあ、普通に考えれば臨時所長も所長も、緊急時には警備員に命令できるはすだ。キャリーに確認して駄目なら諦めよう。

「キャリー、緊急時の臨時所長に武器ロッカーの鍵を確保する権限はあるか」

「あります。施設内の全ての物を確保する権限が与えられています」

「臨時とはいえ今の斉藤君は所長でしたね」

 大原警備主任は納得して鍵を譲ってくれた。まあ武器庫と言っても拳銃二十丁に催涙弾、警棒ぐらいしかない。

「ありがとうございます。それから、銃は持っていった方が良さそうですよ」

 拳銃を武器庫にしまおうとする警備員達に、俺は警告した。

「しかし、規則違反どころか法律違反になります」

「法律はさすがに人に噛みつくゾンビまで想定していなかったと思いますよ。まあ、皆さんの命です。お任せしますよ」

 警備員達は顔を見合わせた後、俺に感謝するように頭を下げてから拳銃を自分達のホルスターに戻した。彼らは正面玄関に止めてあった七台の車に次々と乗り込んだ。俺も自分の車に乗って後ろについていく。

「では、皆さん。気をつけて」

 俺は研究所の敷地の門から、去っていく7台の車列を見送った。道路は両脇を鬱蒼とした杉林に覆われていて、どころからゾンビが出てもおかしく雰囲気だ。

 寒気で体を震わせた俺は急に一人でいることが怖くなった。すぐに正門がまだ空いていることに気づき、慌てて門を閉める。それから、警備員に運ばせておいたワンボックスカーやトラックなどを正門に横付けした。

 一仕事を終えて俺は初秋の空を見上げた。それから各門と敷地の周囲を壁に問題ないか徒歩で見回り、研究所の本館に引き上げた。
 
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