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蜀碧

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第一章

                  蜀碧
 蜀と聞いて三国志演義の蜀を思い出す人は多いだろう、しかし碧と聞いて何を思い浮かべるであろうか。
 色の青であろう、しかしこの場合の碧とは血のことだ。
 蜀の血、随分と血生臭い言葉だ。この話は明代末期に蜀即ち四川省において大西という国を興しその皇帝となった張献忠の話だ。
 最初は普通に暮らしていたし働いていた、平和な世であれば歴史に名を残すこともなかったであろう、しかし明代末期は非常に乱れた時代だった。
 万暦帝の有り得ないまでの愚政、無気力そのものの政により国はどうしようもないまでに腐り果てそこに加えて。
 魏忠賢という宦官が宮廷を壟断し暴虐の限りを尽くした。その結果明の屋台骨は瓦解し叛乱が頻発した。
 流賊という彼等は各地を荒らし回りその数を増やしていった。人を取り込みものを全て持ち去る彼等により明の中はさらに荒廃した。
 ここで兵を送られればよかったが外には清がいた、兵はそちらに向けるしかなく明はどうにもならない状況だった。
 その中で張献忠は出て来てだ、四川省に入りそこで皇帝となった。そして。
 彼はその暴虐さを発揮していった、青白く痩せた顔で血走った爛々と光りながらもそれでいて虚ろな目でだ。
 彼は周囲にだ、常にこう言った。
「殺せ」
「誰を殺すのですか」
「誰でもいい」
 これが彼の返事だった。
「そこにいる者を誰でもだ」
「誰でもですか」
「御前でもいい」
 その目の前にいる男にそのまま言った言葉だ。
 そしてだ、腰の剣を抜いてその場でだ。
 男の首を刎ねてだ、その生首を掴んでどす黒い笑みを浮かべて言うのだった。
「これでいい」
 殺すことに理由はいらなかった、とにかくだ。
 張献忠は常に人を殺したがった、相手は誰でもよかった。
 ある時だ、彼は周りに言った。
「科挙を行う」
「科挙をですか」
「そうだ、書生達を集めよ」
 その血走ったそれでいて虚ろな目での言葉だ。
「すぐにな」
「では官吏をですか」
「登用されるのですね」
「そう思うか」
 張のその目が不気味に光った、その目を見てだ。
 周りの者達は瞬時に察した、そして彼の前から去った後で自分達で話した。
「どう思う、今回のこと」
「科挙のことをだな」
「そうだ、どう思うか」
「まただろうな」
 これが彼等の読みだった。
「あの方はな」
「そうか、やはりな」
「そうでない筈がない」
 間違いなくというのだ。
「あの方の場合はな」
「明の官吏達はあらかた殺した」
 この四川に入った時にだ、張は彼等を殺戮したのだ。僅かに生き残った者は何処かに逃げ去ってしまった。
「官吏は必要だがな」
「我等は百姓あがりだからな」
「わしは馬丁だぞ」
 つまり官吏はいない、そこが彼等の弱みだった。
 その弱みを補う為に官吏を登用しなければならない、だが。
「あの方はそんなことは意に止められぬ」
「だからな」
「今回の科挙もな」
「絶対にな」
「ああ、恐ろしいことになるぞ」
「間違いなくな」
 彼等はもうわかっていた、そしてだった。
 科挙に応じた書生達は門のところに引かれて置かれている縄を見ていぶかしんだ、それで口々に話し合った。
「あの縄は何だ?」
「横に置かれているが」
「まるで潜れと言っている様だが」
「しかしあの縄を潜るとなると」
 その縄の高さが問題だった。
「随分低く引かれているぞ」
「潜るには相当に背が低くなくてはな」
「とても潜れぬ」
「子供位しかな」
「潜れないぞ」
 そしてだ、張も言うのだった。 
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