蒼き夢の果てに
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第6章 流されて異界
第97話 ここは何処、私は誰?
前書き
第97話を更新します。
次回更新は、
9月3日、 『蒼き夢の果てに』第98話
タイトルは、『ここは文芸部?』です。
不自然なほど明るい人工の光。そして、やけに湿気の多い空気の中でコツコツと言う板書の音が響き続ける空間。
名前と生き方が変わる前の定位置。窓側の一番後ろの席から眺める世界。
静かな。本当に静かな教室。
教壇の上では教科書を片手に壮年の男性教師がひたすら黒板に教科書の中に書かれた物を板書し続けると言う、およそ授業とは名ばかりの独り劇を演じ続け、
授業中は無個性に授業に没頭し続けるべき生徒たちも、ある者は退屈そうにぼんやりと外を眺め、またある者は律儀に板書された教科書の内容をそのまま自らのノートへと書き写し、ある者は夢の世界で勉学に勤しんでいる。
何処にでもある授業中の一風景。
俺も、元々暮らして居た世界では、当たり前のように毎日体験し続けていた世界。
もっとも、どうやらこのクラス。1年6組に関しては、その当たり前と言うのが当てはまらない個所が幾つか存在して居るのですが。
おそらくこのクラスは、ある種の問題児たちを一か所に集めたクラスなのでしょう。
そう考えて、ぼんやりと見つめるだけで有った教室内の情景から、自らの手元に開いた資料の方に改めて目をやる俺。
其処には五人の女生徒たちの説明が為されていた。
一人目は一時限目の授業の前に俺に掴みかかって来た涼宮ハルヒと言う名前の少女。
二人目はその俺に掴みかかって来たハルヒを羽交い絞めにして引きずって行った人工生命体の少女朝倉涼子。
この二人に関しては、既に修正済みの過去。三年前……一九九九年七月七日の夜に起きた、と言われているハルヒと外なる神の接触が起こらなかったこの世界では、涼宮ハルヒは躁鬱が激しいだけのごく普通の少女で有り、朝倉涼子は仙族系の人工生命体『那托』の少女と言う設定に成って一般人に紛れて生活を続けて居る状態。
但し、ハルヒに関しては異世界の事とは言え、シュブ・ニグラスの因子を植え付けられた、と言う事実は世界改変に関係した人間たちの記憶や記録には残って居り、このまま、彼女が天寿を全うするまで監視対象とされる事は決まって居り――
朝倉涼子に関しても、自らの存在……人工生命体だと言う事がその内に伝えられる事と成るらしいのですが、それまでは監視対象とされる事が決まっているらしいです。
もっとも、彼女らふたりの立場から言うのなら、こんな非人道的な事が許されるのか、と言う言葉が出て来ても不思議ではないのですが……。
但し、それでもこれは仕方がない部分も存在している。……と言うか、地球に生を受けた生命体に取っては、至極当たり前の処置と言うべきですか。
少なくとも、両者とも存在自体を消去されて居たとしても不思議ではない立ち位置でしたから。
今年の七月七日の夜までは。
何故ならば、一九九九年七月と言うのは、この世界で一番重要な歴史のターニングポイント。
この俺が暮らして居る世界……いや、元々俺が暮らして居た世界もその始まりは同じ世界。元々はあるひとつの世界から枝分かれした平行世界。
世界は一人の少女の手に因って滅び、二人の女性の手に因って産み出される。
この御伽話……。いや、伝説が共に残されている世界。
その元と成った世界は、一九九九年七月に何処かから。宇宙からとも、異世界からとも言われる場所から押し寄せた異形のモノに因って滅ぼされる事と成った世界。
確かに、その世界にもかつては異種と呼ばれた存在。例えば天使、精霊、悪魔、龍、吸血鬼などや、魔法使い、仙人、超能力者なども存在する世界であった。
しかし、多くの者たちは圧倒的多数の人類との同化を進め、結果として異種としての能力を失って行き……。更に、科学が発展する事に因り、魔法や超能力と呼ばれる能力を失って行った世界であった。
いや、どうやらここに在る程度の介入があったらしい事は、後の世……。その世界から枝分かれした俺の暮らして居た世界では定説と成って居ました。
そう、介入。元々、そう個体数の多くなかったそれらの存在の間に、何時の頃からかはっきりしないのですが、子供が産まれ辛い状態が訪れたのです。
確かに、元来繁殖力と言う点に於いては、龍や吸血鬼などは人間に比べるとかなり劣った生命体だったのですが、それでも、少なくとも種を維持出来る程度の繁殖力は有していたはずです。双方共に魔法に因って肉体を強化出来たり、回復させたりする事が出来る以上、出産に関しても医療技術が低かった時代に於いても人類よりは産褥死などのリスクは非常に低かったはずです。
しかし、現実には……。
そして、人間の科学が発展する事によりその生息領域の縮小と、そして普通の人間との間の混血化により、更なる個体数の減少と能力を持たない子供の増加。
いくら、元々生命体としてのポテンシャルが高かったそれらの種族で有ったとしても、何時かは滅びる……死亡する時がやって来る。
更に、世界の覇権を握ろうとするヘブライの神に因る神話や伝承の破壊や書き換えに因って、本来、力を持って居た神族……異世界からの来訪者が貶められ、衰えて行く。
そうやって、徐々に世界の防衛機構が弱らされて来て……。
突如現れた神話上の生命。異形の神たち。
その元と成った世界では核兵器すら効果的ではないクトゥルフの邪神に対して抗する術もなく……。
しかし、その少なく成った能力者の中にたった一人だけ。最後の最期に誕生した時間跳躍能力者に因り世界の過去が書き換えられ、
一度目の歴史では滅ぼされ、その時まで残って居なかった家系や種族が命脈を繋ぐ事に因り、一九九九年七月に突如クトゥルフの邪神が顕われると言う歴史が再現される事はなくなり、結果、世界は大過なく二〇〇二年を迎えたのです。
しかし……。
涼宮ハルヒと言う名前の少女が、その一九九九年七月七日の夜に何を行ったのか、……について詳しい内容を俺は知りません。
しかし、彼女が望んだのは世界が変わる事、だと言う事はこの資料に記載されて居ます。
彼女が望んだのは、世界の変革。退屈な普通の世界ではなく、不思議に満ちた世界。
ミシェル・ド・ノストラダームの諸世紀と言う本に書かれた五行詩に従い、一九九九年七の月に現われると言うアンゴルモアの大王と言う存在を呼び寄せようとしたのは想像に難くない。
そして、その結果現われたのが……。
自らの名前を名乗る事なく通称だけで、平然と現代社会の中で暮らして行ける名付けざられし者。
常に薄ら笑いを浮かべ、自らの事を末端の構成員だと嘯きながら、実はとある超能力者集団の長。
その他にも色々と厄介な連中をその瞬間に誕生させたらしいのですが。
例えば、俺の隣で授業を受けて居る人工生命体の少女長門有希や、朝倉涼子もその際に誕生した高次元意識体の産み出した人工生命体だったようです。
流石は神々の母と呼ばれる存在の因子を持つだけの事は有る、と言うべきですか。
但し、問題は彼女、涼宮ハルヒが改竄した歴史の流れ。
元々、一九九九年七月と言うのは地球に住む生命体に取っては、一度改竄……修正されて、世界を存続させる事に成功した歴史のターニングポイント。
その不安定な場所を、ただ、自らが退屈な世界で暮らすのに飽きたからと言う理由だけで改竄を繰り返され続けると……。
元々の世界。一度、滅びた世界の歴史が繰り返される可能性が高くなる。
まして、彼女が産み出したのか、それとも呼び出したのか判らない連中なのですが、そいつ等に対応するクトゥルフの邪神が実際に存在するのも事実ですから。
いや、彼女に植え付けられた因子が『神々の母』である以上……。
故に、一九九九年に起きたクトゥルフの邪神と涼宮ハルヒとの接触に因って発生したすべての存在……当然、その事件の当事者の涼宮ハルヒも含む……は、その事件が起こらない事が確定した今年の七月八日を持ってすべて消去。つまり、最初から存在しなかった事と為した方が楽だったはずなのですが……。
ここで、その事件を解決に尽力した人間。ぶっちゃけ俺の異世界同位体が、その結末に異議を唱え……。
具体的には、機関と呼ばれて居た涼宮ハルヒの能力に因り産み出された超能力者集団は、それぞれの国籍に応じた異能者の集団預かりと成り、
長門有希や朝倉涼子などの人工生命体も、人類及び地球に暮らす生命体に対して恭順を示した個体のみ同じ扱いに成ったのです。
何とも中途半端で、更に、未だ時限爆弾を抱えた状態で走り続けて居るような危険な状態を維持して居ると思うのですが……。
何故なら、一度改変された歴史が産み出した存在を残して置けば、其処に矛盾が生じて、もう一度揺り戻しのような真似を為される可能性はゼロでは有りません。
本当に世界や未来を案ずるのなら、決断しなければならない時はあるはずですから。
所謂、大の虫を生かす為に小の虫を……と言うヤツ。
当然、あまり好きな表現では有りませんが。
もっとも、その歴史を護る……。ハルヒがクトゥルフの邪神と接触しなかった、と言う歴史を確定させる為に行った俺の異世界同位体召喚用の術式に、異界を漂って居た俺が助けられたので、この部分に関しては強く言う事は出来ないのですが。
それに、俺がここに居る、と言う事は、俺の異世界同位体を召喚する事は、今のトコロ不可能と成って仕舞ったと言う事でも有りますから。
ひとつの世界に同じ魂を持った者が同時に存在する事は出来ません。この世界に武神忍と名乗っている龍種の少年は俺一人。それが例え平行世界の人間で有ろうが、時間軸の異なる未来や過去の人間で有ろうが、同時に存在する事は出来ないのです。
もし時間旅行を行って、未来の自分……。例えば、三年先の自分自身に出会ったとしても、それは完全な自分自身の未来の姿ではない、と言う事。魂の段階では完全な別人。所謂、平行世界の未来に行って戻って来た、と言うのに過ぎないのですから。
この辺りに関しては、俺が召喚された後に、このハルヒ関係の事件に関わった俺の異世界同位体を何度も召喚しようとしても成功せず、更に俺が召喚された時に、俺の左目から血涙が流れ出すと言う事態が起きた事も、俺の魂と、その召喚されようとした異世界同位体が同じ物だと言う現われの可能性が高いと思いますから。
手元に落として居た視線を、至極自然な形で上げ、そして右側の席に腰を下ろす少女へと移す。
少し毛先の整っていない短い目のボブ。銀のフレームに映り込むのは板書された文字。ハルケギニア世界でも見慣れた蒼く大きな襟を持つセーラー服と、同じ色の膝上十センチのプリーツスカート。
身体の小さな彼女には少し大きい目の深紫のカーデガンを柔らかく羽織る。
そう、俺は彼女を知って居る。いや、彼女たちを知って居る、と言うべきですか。
そう考えた瞬間。
机の上に広げた教科書をゆっくりと閉じる長門さん。その直後に――
授業の終了を告げるチャイムが鳴り響いたのだった。
☆★☆★☆
「それで?」
何故か、かなり不機嫌な雰囲気。……口をへの字に結び、俺を睨み付けるハルヒ。胸の前に組んだ腕。苛立たしげにリズムを刻む右手の人差し指が二の腕を叩く度に、彼女の長い髪を纏めたリボンと、首に掛けられた銀の首飾りが僅かに揺れる。
実際、黙って立って居たらかなりの美少女。いや、睨み付けるような瞳でも十分に魅力的と言えますか。
しかし……。
「何が、それで、……なのか判らないな。少なくとも、主語は必要やと思うけどな」
自分の席に座ったままで正面に立つハルヒをやや上目使いに見つめながら、そう答えを返す俺。……と言うか、異世界同位体の俺はこんな短いやり取りだけで、彼女が何を言いたいのか理解出来て居たと言う事なのですか?
そんな人間関係……。どう考えたって、単なる友人関係じゃないでしょうが。長年連れ添って来た夫婦でも、先ほどのハルヒの発した台詞だけで彼女が何を言おうとしたのか理解出来る人間がどれぐらい居るかと言うと……。
百組の夫婦が居て、その内の五組以下だと思いますね。そんな以心伝心のような真似が出来るのは。
「そんな事も判らないの!」
何故か益々不機嫌度が上がるハルヒ。う~む。しかし、資料に書いて有った内容は信用出来ると思うし、長門さんも友人関係だと言い切りましたから……。
異世界同位体の俺はリーディングの能力でも持って居て、ハルヒの考えが言葉や行動で示される前に行動して居たと言うのでしょうか。
「あんたのそのふざけた髪の毛の色よ。先ずはそれから説明して貰いましょうか」
かなり苛立たしげに、そう言うハルヒ。
もっとも、先ずは、……と言う事は、それからがあると言う事なのでしょうが……。
ただ、髪の毛。ついでに瞳の色、なのでしょうねぇ。
ため息をひとつ吐いた後、自らの人類に有るまじき髪の毛の色と、一応、居ない事はない、と言う二色の瞳の色について考える俺。
但し、朝倉涼子や長門有希を受け入れている段階で俺程度の髪の毛の色など受け入れられると思うのですが。
そうして、
「これは俺の地毛。元々、そのふざけた色、と言うのが俺の髪の毛の色や」
取り敢えず、平然とそう答える俺。もっとも、これはウソ八百。俺の元々の髪の毛の色は濃い茶。遠目には黒に見えるかも知れませんが、しっかりと確認したら判る濃い茶系。
そもそも日本人なのですから、瞳と髪の毛は日本人に多い色に成るのは当然でしょう。アニメや漫画の登場人物じゃないのですから。
「何を言っているのよ。今年の二月に出会った時は黒だったじゃないの」
俺の髪の毛を睨み付けながら、そう言うハルヒ。
まぁ、そらそうでしょう。少なくともこの蒼の髪の毛はハルケギニア世界の十月以降の俺の特徴。いくら異世界同位体の俺とは言え、同じように日本に暮らして居た人間。そんな表向きは普通の人間に、このような奇妙奇天烈な特徴はなかったと思います。
ただ……。
当然、この蒼い瞳と髪の毛については、この世界の、更に日本の高校に通う事が決まった時に染める事を勧められたのですが……。
ただ、俺がハルケギニア世界に帰るのに一番簡単な方法はタバサに召喚される事。
彼女との絆は強い物が有り、更に彼女の元には、俺との絆を示す召喚用の触媒がある。
それに、彼女が俺の再召喚を躊躇う理由はない……はずですから。
その召喚する際に彼女がイメージする俺の姿形は、おそらく蒼の髪の毛。蒼と紅の瞳を持つ少年。その姿形から離れるような容姿に成る訳には行きません。もしかすると、今の姿形を変える事により、俺とは別の存在をハルケギニアに召喚して仕舞い、更に厄介な事態を巻き起こす可能性もゼロでは有りませんから。
ただ……。ただ、一抹の不安、と言うか疑問がひとつ。
この世界に召喚されてから既に一週間は経って居るのですが、未だに俺が召喚される気配はないのですが……。
「それにふざけた髪の毛や瞳の色と言われてもなぁ――」
若干の不安を無理矢理呑み込み、俺はハルヒに固定していた視線を別の方向に向ける。それは普段通り、俺の右横の席に着いたまま、俺とハルヒのやり取りを気にする事なく自らの手元に開いた和漢により綴られた書籍に瞳を上下させていた紫の髪の毛の少女を越え、その向こう側……。
まるで双子の如き雰囲気。何と言うか、定規で引いたような精確さで椅子に腰を下ろし、正面……黒板を見つめるその姿は同じ。見た目は……確かに少し違う。それに、普段からずっと本を読み続けている訳でもない。髪の毛も紫と蒼の違いはある。
ただ……。
髪型も、双方共にまるで少年の如き短い目のボブカット。長門さんの方がややクセが有り、彼女の方はタバサと同じようにクセの少ない柔らかな髪質のように感じる。白い……東洋人の少女としてもかなり白い肌。紅と濃いブラウンの違いはあるけど、無と言う感情のみを浮かべた双眸。繊細な印象の整った指先。
彼女らの姿を構成する要素すべてがとても繊細で精緻。まるで人形のような雰囲気。
そう、その姿そのものが丁寧に造り込まれた芸術品のようで、恐ろしく微妙な均衡の元に出来上がっている美少女同士。
……彼女らはとても良く似ている。そう感じさせるもう一人の少女に視線を移す俺。
そうして、
「一応、親戚に当たる神代万結やって蒼い髪の毛に紅い瞳なんやから、俺の髪や瞳が少々日本人離れして居ても不思議でも何でもないと思うけどな」
そう言葉を続ける俺。
そう、神代万結。この世界の水晶宮の関係者。但し彼女に関しては龍種と言う訳ではなく、正真正銘の那托。誰が造り出したのか教えてはくれませんでしたが、何れは名のある仙人の造り出した宝貝人間なのでしょう。
そしてこの少女型人工生命体こそが、水晶宮が送り込んで来た涼宮ハルヒに直接接触をする監視役と言う事。
もっとも、流石にそれだけでは心許なかったのでしょう。甲斐綾乃と言う偽教師も同時に派遣して来て居るのですから。
もしかすると涼宮ハルヒ関係の事件は、もうひと波乱、ふた波乱ある、と水晶宮の上層部は考えて居るのかも知れませんが。
このクラスの担任。甲斐……旧姓木村綾乃。元警視庁の特殊資料室所属の職員。特殊資料室と言うのは、古くは陰陽寮に繋がると言う、日本の霊的守護を担う為の警視庁関係の部署。其処で活動して居たのですが、名前からも判るように彼女は在野の術師一門の出身。当然のように家柄を最重要視する日本のお役所組織とは馴染めず、一九九九年に起きた地脈の龍事件の際に其処を退職。その後、水晶宮の表の顔。四光商事の渉外担当と言う部署で、同じような仕事……つまり、対妖魔担当の任務を熟して来た女性。
尚、彼女は大陸由来の血族に繋がる一族で有ったが故に、日本の上層部……天の中津宮の意向で冷や飯を食わされて、閑職に追いやれていたのは間違いないようです。
……何故ならば、彼女は俺と同じ年頃の時に起きた事件。術者養成用の特殊な学校自体が大騒動に成るような多頭龍が復活した事件……当時は八岐大蛇復活の事件だと思われて居た事件を見事解決。その仲間たちと共に封印して仕舞った人材です。
その学院の教師たちは、その多頭龍の首が未だ三本だった時に無理矢理突っ込んで行って敢え無く玉砕して居たらしいですから。
家名だけで優秀な人材=術者を輩出出来るのなら、誰も苦労はしないと言う見本のような出来事なのですが。
尚、後一人。俺の良く知って居る水の精霊王とウリ二つの少女型人工生命体の長門有希に関しても、立場上は神代万結と同じ立場なのですが、彼女の場合は事件の当事者と言う側面も持って居るので、現在は保護観察処分の最中と言うべき立場ですかね。
もっとも、彼女単体ではこの世界で実体を維持出来ない構造と成って居るようなので、水晶宮から離れて仕舞う訳には行かないらしいのですが。
「あんた、万結の親戚だったの?」
かなりの驚きを含んだハルヒの言葉。
「まぁな。そうやろう、万結?」
うむ、上手く食い付いて来たな。そう考えながら、我関せず、の姿勢を貫く蒼い髪の毛、紅玉の瞳の少女に話し掛ける俺。
もっとも、これは口から出まかせ。そもそも、俺が元々暮らして居た世界では、神代万結と言う名前の人工生命体の少女と出会った記憶は有りませんから。
但し、生まれてから一度も彼女……神代万結と出会った事などない、とは断言出来ない相手でも有るのですが……。
更に、親戚筋と言えば親戚筋で有るのも今のトコロは事実なのですが……。
俺の言葉に、それまで何を考えて居るのか判らない……まるで、そうする事自体に意味があるかのようにただ黒板のみを見つめて居るだけで有った少女がこちらを向く。そして、俺の顔をじっと。気の短い人間ならば怒り出すぐらいの長い時間、穴が開くかのように見つめ続けた後、
微かに首肯いて答えてくれた。
その瞬間、
妙にざわついた感覚が教室内を流れて行く。そしてその中に、少し哀しげな気がひとつだけ、微かに混ざり込んで居た。
「驚いた。あの万結が返事をしたって言う事は、あんたと彼女が親戚だと言うのも、何となく理解出来るわね」
本当に驚いたようにそう言うハルヒ。……って言うか、あの程度の返事だけで驚くほどの事なのですか?
確かに、元々が人工生命体ですから、多少は無機質な部分があるのは仕方がないとは思いますが。
それでも、普段の万結がこの学校でどのような生活をしているのか……。
そんな事を考えながら、視線を万結から、正面に立つハルヒへと戻そうとして――
何時の間にか、自らの手の中に開いて居た書籍から、俺へと視線を移して居た少女の深い憂いに沈んだ瞳と視線が……交わった。
何故かその時の彼女の瞳に哀が浮かんで居るような気がしたのですが――
その感覚を確認する為に、もう一度、彼女の瞳を覗き込もうとする俺。
その瞬間、何故か首を絞められる感覚。……と言っても、死ぬような勢いで絞められて居る訳ではなく、ほんの少し左斜め上の方に引っ張られるぐらいの感触と言った方が良いレベルの物だったのですが。
俺に取ってはね。
そして、
「他人と話をする時は相手の目を見ながら話す、って言う最低限の礼儀さえ知らないの、あんたは?」
……と自分の事は棚に上げた言葉を続けるハルヒ。
当然のように、彼女の右手には俺のネクタイ……この高校に通う女子生徒のセーラー服の胸を飾るリボンと同じマゼンタのネクタイがしっかりと握り締められていた。
成るほど。一時間目の始まる前に俺が彼女の掴みかかって来るその拳を躱さなければ、こう言う状況に陥って居たと言う事か。
頭では冷静にそう判断。但し、
「オイ、ハルヒ。首が絞まるからヤメロ!」
右手の人差し指と中指をネクタイと首の間にねじ込んで気道を確保するようにして、そう強い語気で告げる俺。
もっとも、これはフリ。所詮は演技に過ぎない行為。
そもそもどんなに力を込めたとしても、ハルヒ……一般的な人間の少女の力では、俺の纏う精霊の護りは突破出来ませんから。
流石にこれ以上絞めるとマズイと感じたのか、それとも別の理由なのかは判りませんが、俺のネクタイから手を離すハルヒ。
その瞬間、短い休み時間の終了を告げるチャイムがスピーカーより流れ始めた。
そうして、
「取り敢えず、今回はこれぐらいで勘弁して上げるわ」
何故か妙にエラそうなハルヒの台詞。やれやれ。ようやくこの我が儘娘から解放される時間がやって来たか。所詮は次の休み時間までの短い自由なのですが、それでも、その自由な時間に妙な清々しさのような物を感じる俺。
しかし、その言葉の後、
「いい、有希。昼休みに用事があるから部室に集合ね」
……とハルヒは続けたのだった。
そう言えば、資料には涼宮ハルヒが中心となったクダラナイ部活動についての記載も有りましたか。
もっとも、この学生時代と言うのはそんなクダラナイ時間の積み重ね。完全に社会に出て仕舞う前のモラトリアムな期間。
俺だって、この四月までは普通に……。表の時間は普通に学生を続けて居ましたから、部活動に関してはどうこう言う心算は有りません。
それに、ようやく新しいオモチャに興味を失ってくれた事について、素直に安堵する俺。
この世界に関しては、ハルケギニア世界に帰れるまでの短い期間の滞在で終わるはず。そんな世界で多くの人間の印象に残るような行動を取る訳には行きませんから。
所詮俺は仮初の客。元の暮らしていた世界に帰るその日までの短い期間、この世界に留まるだけの旅人に過ぎない。
もっとも、ハルヒの所為で妙に目立って仕舞ったのも事実なのですが。
そんな、少し郷愁にも似た感情に包まれる俺。
しかし、現実は何時も苛酷。少しセンチに成った俺の事など誰も……。特に、この目の前の少女が慮ってくれる訳などなく、
「その時は、そいつを逃がさないように連れて来るのよ。いいわね、有希」
ビシリっと言う擬音が聞こえて来そうな雰囲気で俺の事を指差すハルヒ。妙に繊細で可憐な雰囲気のある指先で顔の中心を射抜かれているようで、かなりドキリとさせられた。
しかし……。
しかし、どうも、妙に気に入られて居たと言う事なのですか。
俺の異世界同位体が――
本当に、何をやって……。
ここまで気に入られたのか。少し寄り目で突き付けられた指先を見つめながらそう考える俺。
しかし、その考えは直ぐに否定。異世界同位体であろうが、この俺自身であろうが、別に男性としての魅力で彼女に気に入られた訳ではない可能性に考えが至ったから。
何故ならば、ハルヒの周囲に居る人間の顔ぶれを見ると、彼女が気に入っているのはその人間たちの見た目や行動、言動などではなく、もっと別の部分の可能性が有りますから。
本人……涼宮ハルヒはそうとは気付いていない。しかし、特殊な事情を持った人間ばかりですからね。今の彼女の周りに居る人間は。
そんな事を考えながらも、長い黒髪を颯爽と翻して大股で歩み去るハルヒの後姿を見送る俺。
その瞬間。
微かな花の香りが俺に近付き、俺の形の崩れて仕舞ったネクタイを整えてくれる。表情は普段通りの彼女のまま。
但し、その仕草はどう考えても愛しい相手に行うそれ。とてもでは有りませんが、偶々、席が隣り合っただけの相手に対して行う行為ではない。
そうして……。
そうして、その行為を衆人環視の中で彼女。長門有希が行った事に因り……。
この季節外れの謎の転校生が、奇人変人集団の涼宮ハルヒの関係者としてクラスの生徒たちに完全に認識された瞬間となったので有った。
後書き
次回タイトルは、『ここは文芸部?』です。
追記。……と言うかネタバレ。
今回の話の中で龍種や吸血鬼、その他異種と呼ばれる一族に子供が産まれ難くなって来た、と言う設定が明かされているのですが……。
この部分をハルケギニア世界の王家に子供が少ない、と言う部分に当てはめて考えて見ると?
一応、御忘れかも知れないので念の為に。
私の世界の各王家は始祖の血脈……つまり、吸血鬼の因子を強く受け継いで来ている一族設定です。
尚、原作で何故子供がいないのに、トリステイン、アルビオン、ガリアの王家に後宮がないのかは不明です。この部分の設定に関しても、私のねつ造設定です。
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