何度玉砕しても
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第三章
第三章
「俺の名前はね」
「はい、貴方の御名前は」
「いや、貴方なんて」
幸恵の今の言葉に苦笑いになった。
「別にそんな畏まらなくても」
「いいんですね?」
「全然いいよ。で、それでね」
話を続けてきた。彼的には非常にいい話の流れであった。少なくともそう思えるものであった。
「俺の名前はね。田中っていうんだ」
「田中さんですね」
「そう、田中利光」
決めたと思った。いい感じで名乗れたと。
「それが俺の名前なんだ。宜しくね」
「はい、こちらこそ」
「こちらこそ。これからもずっとね」
ミスであった。焦りが言葉に出たが利光は気付かない。
「ずっと!?」
「そうさ」
気付かないまま言う。これが失敗であった。
「これからもずっと。宜しくね」
「え、ええ」
幸恵は静かに、おっとりとその言葉に頷く。彼女も気付いてはいない。しかし利光は確実に焦っていた。その焦りがさらにミスを呼ぶのだった。
「それでさ」
彼は焦ったまま続ける。
「今、フリー?」
「フリーて!?」
「うん、だからね」
穏やかに笑って尋ねる。やはりそのまま続く。
「彼氏とか。いるかな」
「彼氏、ですか?」
「うん。いる?」
そう幸恵に尋ねる。ここでも気付かない。
「どうかな。その辺りは」
「いえ、それは」
幸恵はその問いにはっきりと戸惑いを見せてきた。その戸惑いは顔にも出ていて利光にもはっきりと見えていた。ここで彼は成功を確信したのだった。
「いないんだね」
「そんなのは今までは」
顔を俯けさせて戸惑ったままの返事であった。
「今までも。そんなことは」
「そう。それじゃあさ」
彼は波に乗っていると思った。このままいけばいけると。実際にそれに乗っていた。
「俺じゃ駄目かな」
「えっ!?」
幸恵はその言葉を聞いて目を点にさせる。しかし利光はそれを成功の証だと認識した。これもまた彼の焦りとミスなのだった。
「今誰とも付き合っていないんだよね」
「ええ、そうですけれど」
「それじゃあさ。いいかな」
そう彼女に問うてきた。
「俺で。月上さんと付き合いたいんだけれど」
「私と」
「駄目かな」
「えっと、その」
幸恵は顔を俯けさせたまま述べる。利光はそれを見ていけると思った。だが。
「御免なさい」
下を見ての言葉だった。
「私は、その」
「えっ、それって」
今の言葉は信じられなかった。利光は成功していたと思っていた。ところがだ。幸恵は彼の予想に反してこう言ってきたのであった。
「申し訳ないですけれど」
「あの、何で!?」
利光は完全に戸惑う顔になってしまっていた。その顔で幸恵に問う。
「どうして。駄目なの!?」
「御免なさい」
また俯いて答える。俯いているが声が泣きそうなのがわかる。それは利光にもわかる。だがそれがどうしてなのかは彼にもわからないままであった。
「私・・・・・・それは」
「あの、ちょっと」
踵を返して走り去ろうとする。その彼女を呼び止めようとする。
しかしそれは間に合わない。というよりは足が動かなかった。彼は呆然としたまま彼女が部屋から走り去っていくのを見届けるしかできなかったのだった。
これで最初の告白は無残に敗れた。しかし利光はまだ落ち込んではいなかった。
「聞いたぞ」
次の日省吾が彼のところに来て声をかけてきた。
「御前のことは」
「何だ、速いな」
「噂というものが流れるのは速いんだよ」
それが彼の返答であった。
「特にこうした話はな」
「そうだったのかよ」
利光は省吾のその言葉を聞いて苦笑いをせずにはいられなかった。だがその苦笑いは決して暗いものではなかった。それは省吾も気付いた。
「しかし落ち込んではいないんだな」
「何で落ち込むんだよ」
利光はその苦笑いのまま言葉を返してきた。
「一回ふられただけで」
「一回、か」
省吾はその言葉にあるものを感じた。そしてそれを利光に問わずにはいられなかった。
「じゃあまだ諦めてはいないんだな」
「勿論」
これは省吾の予想通りだった。利光は曇りのない笑顔と共に言葉を返してきた。
「一回で駄目でもな、次があるさ」
「みんなそうか。もう決めたんだな」
「最初からそのつもりさ」
利光はやはり曇りのない笑顔、言葉で返してきた。そこには何の迷いも見られない。
「何度でもな。振り向くまでな」
「わかった。じゃあ行けばいい」
その心は省吾にも伝わった。もう言うつもりはなかった。
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