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「冥王来訪」の感想
2024年 11月 17日 10時 40分
良い点
当時の経済の形が良く分かる。
コメント
現実世界の日本帝国もマブラヴ世界のようにアメリカに大損害を与えて条件付き降伏ができれば日米合同委員会を作られて好き放題にされなかったのにと思う日々です。石原莞爾が首相で天皇陛下から統帥権と国務大権を委任されたら可能性はあったと思いますか?
作者からの返信
2024年 11月 17日 18時 39分
ご感想ありがとうございます
>当時の経済の形が良く分かる。
今回の話は、1980年代の時点でエネルギーの3割以上をソ連の天然資源に頼っていた西ドイツが、ソ連からの資源が入らなくなったらどうなるかというIFを元に作った話です。
ドイツは元々褐炭という石炭の一種が豊富にとれる場所で、この事が急速な近代化を進める原動力になった面があります。
2018年現在でも35パーセント強を石炭に頼っていますから、こちらが無くなったら立ち行かなくなります。
参考資料:NPO法人 国際環境経済研究所
https://ieei.or.jp/2019/04/yamamoto-blog190417/
ドイツ「褐炭・石炭火力全廃」答申の矛盾
低効率発電所が当面使用され、温暖化対策として疑問符も
1960年代後半から70年代にかけては、エネルギー革命の時代といわれ、石炭から石油への産業構造の変化が起きた時代でした。
日本でも三池炭鉱や夕張炭鉱などの規模が縮小され、相次いで閉山した時期でもあります。
実は西ドイツは石油資源の確保に乗り出すのですが、石油コンビナート施設を持っていませんでした。
今でも中東産の石油などは、オランダ経由で、内陸部を通ってきて輸入する形になっています。
オランダから陸揚げして、パイプラインを通す案で進めていたのですが、1973年の第4次中東戦争の結果、石油危機に陥ります。
石油価格の高騰を受けて、石油の比率を下げる努力をするのですが、そこで目を付けたのは東欧まで伸びていたソ連の天然ガスパイプラインです。
1960年代後半から西ドイツは、ソ連に高性能の配管を輸出する代わりに天然ガスを格安で手に入れる方針に踏み切ります。
(これは後に、「ガスとパイプの取引」と呼ばれる物です)
ソ連と東欧諸国を結ぶ友好(ドルジバ)・石油パイプライン用パイプの供給を始めました。
その後、1970年にヴィリー・ブラント首相は、ソ連の天然ガスパイプラインを東欧から西ドイツ南部に延長することに合意しました。
代金は、ドルやマルクではなく、高性能パイプで、今でいうODAに近い感じですかね。
供給は、1973年から始まり、ちょうど第4次中東戦争で石油危機が始まった時なのです。
マブラヴ世界だとBETAの地球侵攻が始まった時期ですね。
一応米国は西ドイツのソ連産エネルギーへの依存に関して、懸念を表明しました。
ですが、西ドイツの意図は、ソ連との相互依存を深めることにより当時の東西冷戦の緊張関係を和らげることと、超大国米国の西欧における圧倒的な影響力を弱めることが理由とされます。
キッシンジャーは、ヴィリーブラントにたいしてこの事で恨みを覚えていました。
ブラントが首相の座を追われたのは、この資源がらみの話も大きいでしょう。
(もちろん、東ドイツのシュタージスパイを側近に迎え入れた、ギヨーム事件も大きいですが)
>現実世界の日本帝国もマブラヴ世界のようにアメリカに大損害を与えて条件付き降伏ができれば日米合同委員会を作られて好き放題にされなかったのにと思う日々です。
>石原莞爾が首相で天皇陛下から統帥権と国務大権を委任されたら可能性はあったと思いますか?
実は最近の研究で、陸軍の方針としては対米戦を行わないか、極めて限定的にする案がありました。
真珠湾攻撃やミッドウェー海戦を避け、インド方面に主力を向けるという案です。
これに反対したのが山本五十六や米内光正、永野修身なのです。
米内光正に関しては、近年の資料発掘の結果、極めて親ソ的な人間であることが判明しており、ロシア人の妾との間に子供がいたとか、ポーランド美人と若いころ付き合っていったという資料が出ています。
ロシアで駐在武官もしていますから、オフラーナやKGBなどの浸透工作を受けたのかもしれません。
>石原莞爾
統制派の軍人ですからね……
彼が出てきた時点では戦争は回避できないでしょう。
眞崎甚三郎大将の影響力が残っており、親米派の皇道派が陸軍の主流でしたら、支那事変以降の歴史は変わったかもしれません。
もし大東亜戦争を始めたならば、真珠湾攻撃を回避するか、ミッドウェー海戦を回避するかで、米国の出方は変わって来たでしょう。
『紺碧の艦隊』で大高などの転生者たちが言っていたように、勝ちはしないけど4分6分での敗北だったら違ったでしょうね。
イタリアのように、条件付きの降服もありえたでしょう。
あるいは1942年中に講和条約を結んで、引き分けという線も良いでしょう。
この様なIFは横山信義などが盛んに書いていますね。
2024年 11月 17日 10時 40分