「冥王来訪」の感想


 
コメント
>ロシア人は概して野蛮ですが、決して馬鹿な民族ではないですから、侮らない方が良いでしょう。

劉仲敬氏は、ロシア人がビルマ軍閥の中国籍傭兵とネパール人傭兵をグループ化したことについて論じ、これはロシア人の帝国外交と帝国軍事の伝統がまだ残っていることを示しています、対照的に中国人たちはロシアを背後から刺し、シベリアとウラジオストクを狙うことを考えるとその結果のは北宋と女真族が遼を包囲しますが、宋軍が耶律大石に大敗されることに同じと述べりました。 
作者からの返信
作者からの返信
 
>ロシア人の帝国外交と帝国軍事の伝統がまだ残っている
 ロシアの外交方針は、帝政時代からずっと一貫して東西連動外交です。
 ロシアは西で失敗したとき、東に後ずさりし、東で失敗したときは西に出るという外交を、東西連動外交と言います。
 今回の中国への秋波や、北鮮との軍事同盟、越南への電撃訪問などは、対英米関係が、欧州・ウクライナ情勢で悪化している為、極東でのもつれを避けるための方策とみる方が良いでしょう。
 西に重点を置きながら、対欧州と対アジアの政策を連動させている独特の感覚による外交政策です。
日本ではこのことを指摘されているのは、防衛大学校元教授の瀧澤一郎氏だけですね。

>中国人たちはロシアを背後から刺し、シベリアとウラジオストクを狙うことを考えるとその結果のは北宋と女真族が遼を包囲しますが、宋軍が耶律大石に大敗されることに同じと述べりました。

 ロシア人は約束を破って、外交条約を結んだ相手を背後から差すのが十八番(おはこ)なので、このことは十分警戒しているはずです。
 むろん、一国の外交方針は色々な事実が積み重なって、影響し合った結果の物ですから、東西連動外交を意識しすぎるのは危険ですが、ロシアが伝統的に西に重点を置いた外交をしているのは事実です。

 ここで、1956年(昭和31年)の故事を例示して説明しましょう。
日ソ共同宣言を締結すべく、病身を押して鳩山一郎がモスクワに乗り込みました。
当時の農相であった河野一郎は、漁業権を得るために不法占領されている北方領土を売り渡す方針の人物でした。
 当時のソ連は日ソ共同宣言に進んだのは別な大きな理由がありました。
それはハンガリー動乱です。
 フルシチョフは、連日連夜続くブダペストの暴動を抑えるべく、大戦車部隊を組織していたところですから、日ソ共同宣言は、内政干渉素子と極東の懸念解決のためには必要な事でした。
 当時の日本国内ではシベリア抑留者の即時帰還と北方領土の無条件での一括返還で、連日国会に陳情や請願に出かける人々でごった返しており、今にも北方領土へ攻め入るような勢いでデモが起きていました。
 鳩山一郎と河野一郎は自分の利益のために、日ソ交渉に無条件で乗り込みましたが、これが2002年(平成14年)の日朝平壌宣言(本来は日鮮平壌宣言ですが、あえて慣例に基づいた書き方をします)のように、日本側が変えるそぶりをみせれば、日本からの譲歩案を無条件で受け入れるという事をフルシチョフは回想していました。

 偽計に敏く、知略に富む支那人ですから、日本人以上にロシア人から条件を引き出せるでしょう。
ロシアが今、中共に唯々諾々しているのは、そういう背景があるからです。
 やがて英米の関係が緩和すれば、かっての中ソ対立のようなことが起きるでしょうし、また北朝鮮への締め付けが厳しくなるでしょう。
無論、日本やほかの極東の自由主義国への威嚇は強まるでしょう。

 今回の劉仲敬先生の見解を聞いて、その様な事を思い出しました。