トップ
暁について
ランキング
イラスト検索
よくある質問
各種マニュアル
45,978人
トップ
>>
小説検索
>>
冥王来訪
>>
冥王来訪の感想一覧
「冥王来訪」の感想
2023年 09月 23日 22時 09分
コメント
>皇道派
皇道派が条約を固守して元老とはどんな関係ですが?
作者からの返信
2023年 09月 23日 22時 44分
一般に流布されているように、眞崎甚三郎大将は好戦派ではありませんでした。
日露戦争での従軍経験を通じて、戦争の実態を知り、戦争を回避する方針を取る人物でした。
今はマスメディアや統制派の関係者によって、226事件の青年将校たちは完全な悪者にされていますが、彼らは諜報の世界で言うところの、利用価値のある『バカ』で、うまくだまされたにすぎません。
先帝陛下(昭和天皇)は、後年2・26事件において、聖断を下したことを悔いており、眞崎甚三郎を更迭したことを非常に惜しんでいました。
眞崎の令息、真崎秀樹をお隠れになるまで通訳として側に置いていたこともその一例です。
晩年の眞崎甚三郎氏に師事した山口富永の『二・二六事件の偽史を撃つ』に書かれた眞崎の考えを書きましょう。
(だいぶ前に書いたものからの転載です)
『なんで真崎が万里の長城を越さなかったかというと万里の長城は支那と匈奴との境であるからだ。ツングース系である満州族の支配する満州は当時の支那人にとって化外の地(中華の影響を受けない野蛮地域、支配の及ばない地域)であった。そして北京天津などに多数いた欧米人にとってもどうでもいい片田舎であった。
欧米列強はかの地に権益がなく、興味のない場所でもあった。
蒋介石の率いる国民革命軍が1927年に南京の公使館を襲撃した際、第一次上海事変の際の欧米列強のを思い起こしてみると、満州事変の欧米列強の対応は非常に穏やかで静かなものだった』
>皇道派が条約を固守して元老とはどんな関係ですが?
先帝陛下の傍に仕える木戸内府と、眞崎、皇道派は疎遠でしたね。
むしろ、眞崎を嫌っていました。
木戸内府という人物はなかなか曲者で、昭和天皇に軍部の虚偽の話を吹き込んでいた人物であることが、様々な資料からうかがえます。
大本営から昭和天皇へ上がる情報を、木戸は恣意的に捜査し、業を煮やした先帝陛下が自ら終戦工作に動き出した節があると、小生は考えています。
2023年 09月 23日 22時 09分