「冥王来訪」の感想


 
コメント
なぜソビエトが主導した東西ドイツ統一はSED政権になりますが?スターリンとベリヤは現実主義的外交家でしょう、もし東西ドイツ統一すれば、SEDはキリスト教民主同盟と共に連立政権になる、ソビエトもSEDが一党独裁のことを許しない、たから、この統一ドイツは中立国になる、およびソビエトは西側から技術的輸液チューブすることができる、そして、ソビエトの軍事コストを削減するはいいでしょう。 
作者からの返信
作者からの返信
 
>スターリンとべリア
 スターリンは、反対派をあぶりだすのに複数政党制はいったん認めるでしょう。
しかし、その後に約束を反故にして、他党派の関係者を粛清するでしょう。
 同じことは1917年の憲法制定議会選挙での共産党の大敗後の経緯を見れば明らかです。
全国的に基盤を持つ社会革命党(エスエル)に選挙で負けて、議会を取られたので暴力で潰しました。
 



 1945年6月、ソ連指導部は、一国一党(一つの国に共産党が一つの意味)の今までの政策を転換し、SPDと共産党、キリスト教民主同盟、自由民主党などの政党の復活を認めました。
これは英米占領地より早い措置です。
 ですがオーストリアの選挙で、オーストリア共産党が大敗、社民党が議席を伸ばす結果に終わりました。
 その選挙結果を受けたスターリンの指示で、SPDと共産党を合併させ、SED(ドイツ社会統一党)をつくりました。
ソ連の後ろ盾のあるドイツ共産党は、SPD(ドイツ社会民主党)の党組織のネットワークを利用するために、合併案を実施しました。
 しかし、1年もたたないうちに共産党系の人士がSEDの人士を駆逐し、SPDの関係者を秘密裏に逮捕します。
 東ベルリンにいたSPDの幹部は、その際に身の危険を察知して、西側に逃亡しています。


>ソビエトは西側から技術
デモンタージュをご存じないのでしょうね。
これはドイツの戦後賠償の事を指し示す言葉で、米ソ両国とも実施しましたが、ソ連に関して簡単に話しましょう。

 ソ連はドイツからの現物賠償ということで1953年まで、あらゆる資源を略奪しました。
工作機械や設備にかかわらず、人的資源にまで及びました。
この結果は、東ドイツの経済発展を妨げる原因の一つであり、1953年のベルリン暴動の一因でもあります。
(西ドイツ側のデモンタージュは1949年まで)

 1947年以降の『逆コース』に入るまでは日本もそうですが、ドイツは工業力を徹底的にそぎ落とし、農業国にする計画でした。
日本の場合は、マ元帥はじめ、ウィロビー少将ほか、日本への過剰な賠償請求はやがてくる対共産圏との対決で、日本側を共産陣営に転ばせかねないということで中止になり、一転して工業化の促進にかじを切るのですが、ドイツは英仏の思惑もあって、これが遅れました。

 たとえば再軍備、連邦軍の設立も、自衛隊の設置より後でした。

 以上の事から、スターリンが生きている限り、ドイツの中立化は出来ても西側との中継国として、先進技術を受け入れるストローの役割を果たさせるのは、無理でしょう。

 猜疑心の深いスターリンや、秘密警察長官を長年務めたべリヤは、日独に多大な恐怖心を持っています。
 なにより約束を守らないロシア人です。
見せかけだけの方策をした後に、裏切るのは時間の問題でしょう。