ストライク・ザ・ブラッド 〜神なる名を持つ吸血鬼〜
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観測者たちの宴篇
27.反撃の狼煙
島が軋む。鉄同士がこすれ合う不快な音が、絶え間なく響いて、不規則な震動で大地が震える。
太平洋上に浮かぶ人工島である絃神島を支えているのは、魔術だ。ビルに使われている鋼鉄も、セメントも、プラスチックのすべて魔術建造物だ。
それらの魔術が一斉に無効化されたらどうなるかなど誰でもわかることだ。
「痛ェな……」
暁古城は、紗矢華に頬を叩き続けられて目を覚ました。しかし腹部から伝わってくる激痛に古城は苦痛の声を洩らす。
「──暁古城! 目が覚めたの!?」
苦悶する古城に気づいて紗矢華が叫ぶ。
仰向けに倒れる古城に跨って、平手で頬を叩き続けたのは紗矢華だった。彼女の目には大粒のしずくが零れ落ちていく。
「煌……坂……ここは……?」
古城の声は嗄れた声だった。
まだ落ち着いていない紗矢華に変わって彩斗は答える。
「フェリーターミナルの医療室だ。……一応生きてたみたいだな古城」
「ああ……なんとかな」
古城は弱々しく苦笑した。フェリー乗り場は、ヴァトラーの船が停泊していた大桟橋の目と鼻の先だ。
あれほどの戦いがあって壊れていなかったのが不思議なくらいだ。
「とりあえず、これからどうするかだな」
薄暗い医務室のドアを背にしながら彩斗はうつむく。この医務室にいるのは彩斗と古城、紗矢華だけだ。雪菜やサナ、友妃の姿はない。
この状況は相当まずい。
仙都木阿夜が起動した闇誓書によって、“魔族特区”内の異能はすべて消滅させられた。
その結果、古城と彩斗の吸血鬼の力は失われた。世界最強の吸血鬼である古城ならば阿夜の“守護者”に刺された負傷など、とっくに完治しているはずだ。
さらにこのままでは、絃神島の魔力が失われて最終的に崩壊することになる。しかしこの状況で彩斗にはなにもすることはできない。
「──血!」
紗矢華が唐突に古城に向けて怒鳴る。
「え?」
「吸いなさいよ、ほら! あなた、前に死にかけたときに、雪菜と王女にそうやって助けてもらったんでしょう!?」
制服のリボンとシャツの第一ボタンを外して、紗矢華が言った。その光景を見て、彩斗は慌てて医務室のドアを開けて飛び出した。
医務室の中から涙声で怒鳴る紗矢華の声が聞こえる。
確かにこの状況で吸血衝動が起きれば、魔力は回復することになる。しかし吸血鬼の力が失われているこの状況では吸血衝動が発動するかどうかも危うい。
それでも、今できることをやることが彩斗たちに与えられた一つの選択肢だ。
暗闇の覆われる空を彩斗は仰いだ。大地が軋む音がする。崩壊していく音だ。この音を聞いても彩斗はなにもできない。自分の無力さに悔しさがこみ上げてくる。
「どうやら間に合ったみたいだね」
その声に彩斗は驚きを隠せなかった。振り返り声の主を確認する。
暗闇から現れたのは、ほっそりとした白衣の人影だった。
端整な顔立ちに、無駄のない引き締まった体つき。髪型は毛先の跳ねたショートボブ。全身のあちこちに包帯を巻いている少女。
「優麻!?」
彩斗は、驚きとともに彼女へと駆け寄った。重傷を負ってMARで治療を受けているはずの仙都木優麻が、ここに現れたのだ。
今にも倒れそうな彼女の身体を支える。
「なんで、優麻がここにいんだよ?」
「仙都木阿夜を止めるためだよ」
顔色の悪いで優麻は微笑む。
今気づいたが彼女の腹部辺りには赤い染みができている。
「おまえ……」
「大丈夫だよ。彩斗たちの居場所を調べるくらいの魔術は、この身体でも使えるよ。さすがに空間転移で一瞬ってわけにはいかなかったけどね」
優麻の身体を支えたまま、医務室のドアを開けた。
医務室の中では死にかけの古城を跨いでスカートをたくし上げている紗矢華の姿があった。
「──ひゃっ!?」
冷静さを取り戻したのか紗矢華が短く悲鳴を上げた。
「ユウマ!?」
古城は驚いて彼女の名前を呼んだ。
「あ、あなた……どうやってここに?」
乱れた着衣を治すことも忘れて、紗矢華が長剣に手を伸ばす。
「待て、煌坂。優麻は敵じゃねぇよ」
優麻を庇うように彩斗は少し前に出る。
「それよりも、煌坂。……服」
「え?」
カッと頬が紅潮させた紗矢華が、剣を落とす。
彩斗は優麻の身体を支えながら古城たちのもとへと一歩一歩歩み寄る。
「とりあえず、すぐにでも始めようか、煌坂さん」
優麻が真顔で静かに告げた。唐突な優麻の発言に紗矢華は困惑した。
「始める……って、なにを?」
「あなたが古城とやろうとしていたことの続き。今度は四人で」
「え!? さ、四人って……」
「お、俺も!?」
彩斗と紗矢華は同時に困惑する。
そんな彩斗の耳元に、優麻は顔を寄せてくる。
「彩斗は少しだけ待ってて」
「お、おう」
囁かれたか細い声に意味がわからない彩斗はとりあえずうなずいた。
彩斗の支えから優麻は離れて紗矢華のもとへと行き、倒れている古城の前で、ファスナーを下ろされた紗矢華のスカートが重力に引かれて落下。あとに残されたのは、脱ぎかけの彼女のひもパンだけだった。
「ぎゃああああああ──っ!」
紗矢華の悲鳴が、月光の中に響き渡る。
夕陽に照らされた建物の中を、友妃と雪菜は歩いていた。
見慣れた彩海学園の校舎。
そこからは自分たち以外の気配が感じられない。
例外はあった。黄昏の色に染まった教室の床に、二人分の影。
誰もいない教室で睨み合っていたのは、人形のように小柄な制服の女子生徒と、モノクロームの十二単を着た若い女だった。
「──我と来い。盟友よ」
十二単の女が、女子生徒に告げる。
彼女の眼球は、まさ燃えるように真紅にはそまっていない。そのせいか今の彼女からは、仙都木阿夜と同一人物には見えなかった。
「汝と我は同じだ……だ。生まれながらにして、悪魔に魂を奪われた純血の魔女だ。我は我らの呪われた運命を変える。我らが蔑むこの世界を破壊してでもな」
「そのための闇誓書か」
制服姿の小柄な少女が訊き返す。十二単の女の言葉を拒絶する。
「なぜ、ためらう? この島の者たちに情でも湧いたか?」
阿夜が悲嘆するように声を荒げる。
「忘れるな、公社が汝を自由にさせているのは、汝が監獄結界の管理者として設計された道具だから……だ。いずれ汝は永劫の眠りにつき、たった一人で異界に取り残されることになる。歳をとることもなく、誰にも触れることなく、この世界の夢を見ながらな」
「……心配してくれるのか。優しいな、仙都木阿夜」
「これは、サナちゃんの……南宮先生の夢、ですか?」
「そうみたいだね」
二人の戦いに割り込んで、教室に足を踏み入れた雪菜と友妃が訊く。
その瞬間、二人の魔女は幻のように姿を消す。あとに残ったのは夕暮れの教室だけだ。
「いいや。汝たちの夢かもしれんぞ、剣巫、剣帝」
嘲るように告げる仙都木阿夜の声が聞こえた。
その瞬間だった。友妃の視界に映る光景が夕暮れの教室から雪菜が姿を消した。
この世界は仙都木阿夜が作り出した空間なのだ。だからこそ雪菜の姿が消滅したのだ。
普通なら慌てるところだったが冷静だった。
「──逢崎!」
立ち尽くす友妃の耳に、懐かしの声が聞こえてくる。振り返ると、なんとも気怠そうな表情を浮かべる男子生徒が、教室に入ってくる。
「彩斗君!」
友妃は慌てて彩斗のもとへと駆け寄った。
「彩斗君がなんでここに?」
「なんでここにって……俺はここの生徒だしな」
そう言って彩斗は面倒くさそうに頭を掻く。いつもの彩斗の姿だ。
「どうしたんですか、彩斗さん?」
彩斗の後ろから入って来たのは、清楚な印象の少女。銀色の綺麗な髪に碧い綺麗な瞳。
「いや、逢崎が変なこというからさ。悪いな、夏音。帰るの遅くなっちまって」
「いえ大丈夫でした」
これが仙都木阿夜が生み出した空間なのか疑いたくなってきた。最初は彩斗がこの空間に囚われていると思った。しかし夏音がここにいるのは意味がわからなかった。
「とりあえず行こうぜ、逢崎?」
「行くってどこに?」
「帰るに決まってんだろ」
彩斗はいつものように大きなあくびをしながら答える。
これはいつもの日常なのだ。
──いや、違う。
この世界は、友妃たちが今まで過ごしてきた世界ではない。
「友妃はどうしたの?」
三人目の声に友妃は夏音の後ろを見た。
長い黒髪を横でまとめているサイドテールの少女。
「いや、わかんねぇんだよ」
現れた少女に友妃は見覚えはなかった。でも、どこかで会ったような気がした。遠い過去の記憶の中にいたような気がする。以前に彩斗にこの感覚を覚えたことがあった。あのときは聞く前に電話で話が流されてしまって結局わからず終いだった。
それでも彼との記憶はある気がした。
だが、今は過去を思い出すときではない。
この偽りの世界を消滅させるのだ。
友妃は右手を強く握りしめた。
存在しないはずの金属の感触が指に伝わってくる。獅子王機関の秘密兵器、“無式断裂降魔剣”──魔力を無力化し、幻想を見せる魔刀。
「──“夢幻龍”!」
友妃の叫びに刀が眩い輝きを放った。
刀からは神々しい黄金の翼が展開される。その翼は、“神意の暁”の三番目の眷獣の翼に酷似していた。
黄金の輝きが夕暮れを引き裂いてすべての幻想を打ち破った。
すべてがもとに戻された世界。
鳥籠の中に囚われる友妃と雪菜、サナだった。
「おまえらが望むなら、今の夢を現実に変えることもできたぞ」
背後から聞こえたのは、仙都木阿夜の声だった。
「それが闇誓書の能力なんですね──自分が望むように自由に世界を創り変える。あなたは、その力で、絃神市から自分以外すべての異能を消した」
「そう……だ」
阿夜が迷いなく肯定した。
「なんのために、そんなことを?」
「呪われているのは我ら魔女ではなく、この世界の方だと証明する──そのために」
「「証明?」」
雪菜と友妃は困惑しながら訊き返す。
「これは実験……なのだ。おまえはその実験の立会人──観測者なのだよ、姫柊雪菜、逢崎友妃」
「もういや……許して。お願い……」
薄暗い医務室のソファの上で、紗矢華が背中を丸くしてうずくまっている。
彼女の白いシャツは完全にはだけている。スカートを脱がされてしまっているせいで、シャツの裾からのぞく太腿が眩しい。
嫌がる紗矢華を無理やり押し倒して、ブラを外そうとしてるのは優麻だ。
「ふふ。綺麗だよ、煌坂さん」
ひっ、と全身を引き攣らせながら、紗矢華が弱々しく首を振る。
「どうしてこんなひどいことをするの?」
「だって、ボク一人でこんな服装なの恥ずかしいしね」
「……いや、そもそも服装ってレベルじゃないけどな」
「……だな」
蚊帳の外に取り残された古城と彩斗は突っ込みを入れる。
優麻が白衣の下に着ていたのは、手術用の患者着だった。布を左右で結んだだけの、裸エプロンに近い代物だ。もちろん下着は一切身につけていない。彼女の肌を隠しているのは、全身に巻かれた包帯だけだ。
「病室から抜け出してきたんだ。仕方ないだろ」
悪びれない口調で優麻が言う。そして彼女は古城を挑発するように、患者着の胸元をチラチラと引っ張って見せた。しかし古城は無反応。代わりに彩斗は耳まで真っ赤にしている。
もともと吸血衝動抜きで彩斗は普段からこういう耐性が全くというほどない。
彩斗は必死で目を逸らしている。
「悪いな、煌坂、彩斗。こいつは昔からこういうヤツなんだ」
紗矢華は恨めしげに古城を睨む。彩斗は今だに目を逸らしている。
「時間もないし、そろそろいいかな。剣を借りるよ、煌坂さん」
紗矢華を一通りいじり終わったのか、優麻は“煌華麟”に手を伸ばした。そして彼女は、自らの首筋に迷いなく刃を当てる。その行動に、古城たちは息を呑む。
「ユウマ!?」
「──仙都木阿夜は闇誓書を使って、絃神島全域から異能の力を打ち消した。魔族は能力を失って、ただの人間になっているし、生命活動そのものを魔術に頼っている人工生命体や重病患者は、この状況が長く続くと命が危ない」
「だったら……おまえも……」
首筋から鮮血を流す優麻を見上げて、古城が弱々しく呟いた。魔術治療を受けていた優麻も同様のはずだ。MARと彩斗の力で重症からは救われたが今も危ない状況は変わりない。
「例外があるんだよ、古城。仙都木阿夜は自分の魔力だけは消さなかった。闇誓書を発動しているのは彼女だから、消せなかったというべきか」
優麻が、ベットの上の古城に覆いかぶさるように倒れこんでくる。彼女の首筋から流れ落ちた血の滴が、古城の口へと落ちる。
「そのおかげで、彼女の複製として造られたボクの魔力も健在だ。今のボクには、仙都木阿夜に対抗できるほどの力はないけど、古城がボクの血を吸えば──」
「吸血鬼の力を取り戻すかもしれない……ってこと!? でも……」
優麻の目的に気づいて、紗矢華が勢いよく状態を起こす。
闇誓書は優麻の力を無効にできない。
だが、すでに古城が完全に異能の力を失った状況では無意味だ。
しかし優麻は、不安げな紗矢華に微笑する。
「大丈夫。たしかに仙都木阿夜は、自分以外すべての、この世界の異能を消そうとしたのかもしれない。だけど、古城は第四真祖だ。これがどういうことかわかるかい?」
「……この世界に本来存在しないはずの……四番目の真祖……」
第四真祖は、この世界に存在しないはずの存在。紛れ込んだ異分子だ。優麻の魔力はその異分子を呼び覚ますきっかけだ。
古城の瞳は真紅に染まる。
猛獣のように伸びた鋭い牙が、優麻の傷ついた首筋に容赦なく突き刺さる。優麻は満足そうに目を閉じて、そんな古城の背中を優しく抱きとめた。
抱き合うような古城たちの姿を見て紗矢華は、途中でハッと我に返る。
「ちょっと待って。じゃあ、私が脱がされた意味ってなに……?」
「それは……」
苦笑混じりに答えようとした優麻が、激しく吐血した。そのまま力尽きたように倒れこむ。
「ユウマ、おまえ……!」
ここにたどり着くまでに彼女が重ねてきたのを古城がようやく理解した。
「すまない、古城……あとは頼む。ボクはそろそろ限界みたいだ……」
優麻が途切れ途切れのかすれた声で言う。
「……任せろ。おまえがつないでくれたパスを、俺が無駄にしたことがあったかよ」
優麻が伸ばした掌に、古城は自分の掌を力強く打ち合わせた。
古城の全身に漲ったのは、怒りだった。優麻をこんな理不尽な運命に遭わせた怒り。彼女を傷つけた仙都木阿夜への怒り。そして優麻を護れなかった自分自身への怒り。
優麻が与えてくれた魔力は世界最強の吸血鬼の力を再び目覚めさせた。
だが、まだ足りない。
「煌坂──!」
「は、はいっ」
裸ワイシャツ状態の紗矢華が、ビクッと全身を硬直させた。
傷ついたままの身体のまま古城は立ち上がり、紗矢華を強く抱きしめた。
「ちょ、ちょっと待って。ま、まだ心の準備が……シャワーとか浴びてないし、ユウマさんも見てるのに……あっ!?」
紗矢華は必死で言い訳をするが、彼女の抵抗はあまりない。
「い、痛っ……そこ、駄目……まだ……んっ!」
紗矢華の白い肌に、古城がゆっくりと牙を埋めた。
「……せない」
目を閉じている紗矢華の耳元に、古城は囁いた。
「あ、暁古城?」
「死なせないぞ、煌坂。これ以上は誰も……」
「……うん」
古城の胸元の仙都木阿夜の“守護者”に貫かれた傷は完全に癒えたいた。
しかし、左胸の傷はまだだ。
雪菜の“雪霞狼”に刺された傷だ。やはりあの槍で受けた傷は、第四真祖の力でも回復することができないのだろうか
──そう。そのとおり。だが、違う。
古城の中の誰かが答えてくれる。
──実体にこだわるから穿たれる。
──姿形にこだわるから崩れ落ちる。
──吸血鬼とは生死の境界を超越した者。存在と非在の狭間に棲まう者。
──聖も邪も、生も死も、すべては原初の混沌の霧の中へと戻せばいい。
「暁古城、あなた、なにを……」
紗矢華が呆然と呟いた。古城を包み込みように出現した、銀色の霧の存在に気づいたからだ。
霧の源は古城の身体自身の肉体。古城の銀色の霧へ変じていく。その霧はこの場のすべてを覆い隠していく。
「わかったぞ……そういうことか、アヴローラ……こいつが、四番目か!」
すべてを理解して古城は呟く。
四番目の眷獣はすでに目覚めていた。雪菜の槍に貫かれたときに、覚醒していたのだ。それは古城の肉体を消滅から救うために発現し、そのまま暴走していたのだ。
「“焔光の夜伯”の血脈を継ぎし者、暁古城が、汝の枷を解き放つ──!」
古城の呼びかけに応えるように、包む霧が濃度を増していく。
「疾く在れ、四番目の眷獣“甲殻の銀霧”──!」
やがて霧は建物を覆い尽くし、世界の輪郭が不明瞭になる。
人の身体も建物も、大気もすべてが銀色の濃霧へと塗りつぶされていく。
「……霧の……」
「眷獣……」
紗矢華と彩斗が頭上を見上げて、目を見張った。銀色の濃霧の中に浮かび上がったのは、巨大な眷獣だった。眷獣の全身を包むのは灰色の甲殻。禍々しくも分厚いその装甲は、動く要塞のようだ。
しかしその甲殻の隙間からのぞくのは、銀色の濃密な霧だ。
銀色の霧に包まれた世界に、眷獣の咆哮が響き渡る。
薄暗い医務室。世界の輪郭が不明瞭な空間だ。
先ほどまでの騒ぎが嘘のように医務室は静まり返っていた。
月の光がベットに座る彩斗を照らし出す。
「あとは古城たちに任せるだけだな」
彩斗はベットで横になっている優麻を見る。彼女は傷だらけの身体で第四真祖の復活のための力となった。
だが、それまでの無理が重ねられたせいか、今だに深い眠りの中だ。
彼女を見ていると自分の無力さを自覚するしかなかった。しかし今の彩斗がどう足掻いたところでなにもできない。
吸血鬼の力を失った普通の高校生では、闇誓書をどうすることもできない。だから今は古城たちに任せるしかないのだ。
「彩……斗……」
「優麻!」
彩斗は優麻の顔を覗き込む。その顔に血色がかなり悪い。
「古城たちは……?」
優麻が途切れ途切れのかすれた声で言う。
「仙都木阿夜を止めに行ったよ」
「……そうか」
彼女は安堵したように笑みを浮かべる。
「それじゃあ、始めようか」
「え?」
優麻が、起き上がったと思うとベットに座る彩斗に覆い被さるように倒れこんでくる。
「ゆ、優麻。な、なにを?」
「彩斗の力も取り戻させるんだよ」
優麻は苦笑混じりで答えた。
彼女の目的に彩斗はようやく気づいた。
どうやら彩斗の吸血鬼の力を取り戻させる気なのだろう。
だが、彩斗はそれが無理なことだと理解していた。第四真祖はこの世界に存在しないはずの因子だ。しかし“神意の暁”は伝説にして、真祖を殺す力を持ち、真祖ならざる神々の化身。
神の呪いを受けた吸血鬼でありながら神々の化身という矛盾した存在したではあるが、それは確実にこの世界の一部だ。
「大丈夫だよ。彩斗は伝説の吸血鬼だ。闇誓書を拒む力あるよ」
「……そんな無茶苦茶な」
彩斗は苦笑いを浮かべる。
優麻はそんな彩斗に顔を近づけてくる。その距離は互いの唇が触れ合うまでわずかに五センチ程度だ。
「ゆ、優麻……」
必死で離れようとするが傷を負っている彼女の身体を激しく動かすことができない。この状況を受け入れるしかないのだ。
頬が熱くなるのを感じる。これが起きるとほぼ同時に吸血衝動が発生する。彩斗の体質によって性的興奮を感じると顔が赤く染まってしまう。吸血衝動も性的興奮によって起こる。
優麻ほどの美少女に押し倒されてキス寸前の距離まで接近しており、身体が完全に密着している状況は吸血衝動の引き金には十分だ。
だが、やはり発生することはなかった。
この瞬間、彩斗は改めて自分が吸血鬼の力が失われたのだと実感した。
「ボクには監獄結界を破ることと古城しかなかった」
優麻は頬を紅潮させながら話し出す。
「そんなボクを彩斗は救ってくれた」
「それは古城たちだってそうだろ」
彩斗は目線を逸らしながらも冷静を装うとする。
「確かに古城や姫柊さんたちもあんなことをしたボクを護ってくれた。でも、彩斗は自分が何度も傷ついて、ボロボロになってでもボクを助けてくれた」
優麻は耳まで真っ赤に染まっている。
「彩斗は古城よりもずっと短い期間だったはずなのに古城と同じくらい……ううん。古城以上にボクの中で大切な存在になった」
「……優麻」
優麻は笑顔を見せる。それは見るもの全てを虜にするような可憐な笑顔だった。
彼女は身体を支えていた腕の力を抜く。
そして互いの唇が重なり合った。
とても柔らかく温かい感触で頭が真っ白になる。
口内に広がる鉄の味。それを引き金に彩斗の瞳が真紅に染まり、鋭く牙が伸びるのを感じる。
──吸血衝動だ。
「───ッ!!」
覆い被さっていた優麻の身体を彩斗は強く抱きしめた。そしてそのまま上下の位置を反転させ、彩斗が押し倒しているような状況となる。
彩斗は再び、優麻の唇に触れる。今度は口内にあるすべての血を吸い尽くすよう血を喉へと流し込む。
それでも喉の乾きはおさまるどころか増していく一方だ。
鋭く伸びた牙を優麻の首筋へと突き立てようとして抑制力が働いた。
「……後悔しねぇな」
「うん」
その言葉で彩斗は優麻の傷ついた首筋に牙を突き刺した。彼女は彩斗の背中を強く抱きしめた。そして弱々しく可憐な甘い吐息が漏れた。
「ありがとな、優麻」
彼女は苦笑を浮かべ、ぐったりとしている。
優麻の身体を支えながら彩斗は立ち上がった。真紅に染まる瞳が不明瞭な世界に映る自分の右腕を睨みつけた。
「“神意の暁”の血脈を継ぎし者、緒河彩斗が、ここに汝の枷を解く──」
右腕が鮮血を噴き出すと同時に太陽にも匹敵する輝きを放つ。
こいつはラ・フォリアの血をわずかに吸血した時点で覚醒していたのだ。
だが、その量がわずかすぎて完全覚醒とまではいかなかった。だから彩斗に一時的に回復能力を与えたのちに、逆に魔力を喰らってその力を保とうとしたのだ。それでも彩斗の魔力が足りずに不完全な覚醒をしてしまった。
「降臨しろ、七番目の眷獣“神光の狗”──!」
右腕から解き放たれた輝きは医療室の霧化した天井をぶち破って外へと放出された。
夜の空を照らし出す月よりも眩しい第二の光源。太陽のごとき輝きを放つ鮮やかなまで綺麗な毛並み。美しすぎる狗の眷獣だ。
その輝きが優麻へと降り注ぐ。するといままで負った傷が嘘のように回復していく。
その回復は吸血鬼の回復力そのものだ。いや、それ以上の回復力。吸血鬼の回復力でも一瞬のうちに身体全ての傷を癒すことなど不可能。
それこそ七番目の能力。吸血鬼の回復を超越する回復能力。
──超回復。
「彩斗?」
優麻は自分の身体を見て驚きを隠せない。そんな彼女の身体を彩斗は軽く持ち上げて抱き上げる。いわゆるお姫様抱っこだ。
優麻は突然、お姫様抱っこされて頬を赤く染める。
「──降臨しろ、“真実を語る梟”!」
神々しい翼を持つ梟が顕現する。
“真実を語る梟”の背中へと乗り、彩斗と優麻は闇誓書の中心たる彩海学園へと目指した。
後書き
前回の後書きでは、次回で観測者たちの宴篇を完結と書きましたが残りを一話でまとめるとかなり長くなるので二話に分割しました。
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