ノヴァの箱舟―The Ark of Nova―
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#8『膝下の街』
《箱舟》システムによって空に上がった人類。《教会》による強制統治により、かつてよりは遥かに協調性がました。だがしかし、その世界から犯罪が消えたわけではなかった。いまだに窃盗や殺人などの犯罪は起こるし、それに対する刑罰も用意されている。
そして、文字通り『世界の都』である、世界にたった一つしかない最高クラス、Sランクの《箱舟》、《王都》であるとしても、それは例外ではない。他の《箱舟》に比べれば随分犯罪の数は少ないだろう。だがしかし、ゼロではないのである。
その《王都》でおこる犯罪を駆逐するのが――――《十字騎士団》の第二師団、通称《王都新撰組》である。
***
「はぁ……何とか言ったらどうなんだい?」
できる限りやさしげに言ったように自分では思ったのだが、効果は無かったのだろうか。目の前に座る男は、涙目になるだけである。弁明の一つや二つ聞いてやる、と言っているのに、これが全く、さっぱり口を開かない。
《教会》守護組織《十字騎士団》第三師団団長、《三月兎》アービル・ソークレットは、進まない取り調べに、再びため息をついた。青い髪の毛は丸くカールしており、その特徴的な髪型から『トマト』のあだ名をもつ彼は、現在第二師団が捕らえた犯罪者の審問に付き合っているところであった。
今目の前にいる男は、窃盗罪で逮捕された男だ。それも盗んだのがそこそこ高級な美術品だという事だった。現場にこれと言った証拠は無く、この男がいたことで現行犯として逮捕されたのだが、容疑を否認しようとすらしない。そもそも何もしゃべらないのだ。
年齢は三十歳ほどか。恐らく口を割らない理由は一つ、ここ、《十字騎士団》第二師団の駐屯地に設けられた審問所に連れてこられたことに対する恐怖だろう。まぁ、なんとなくわからなくもない。世間から見れば、第二師団こと《王都新撰組》と言えば鬼の警察部隊の様なものとして見られている。
が……。
「(こいつが団長なんじゃなぁ……)」
トマトが先ほどからため息を絶やせない理由は、隣に座る一人の男の存在であった。
流れるような金髪を、肩のあたりでまとめて前にたらしている。頭にはネコ耳の様な形のカチューシャ。性格にはあれは蝙蝠耳であり、魔力を増幅させるデバイスなのだが。呑気に目を細めて、紅茶なんか飲んでいるこの男の名前はハルトレッド・ド・フィー。《教会》から支給される《称号》は《蝙蝠》。彼はゆるゆると紅茶の入ったティーカップを置くと、机の上に置かれた袋の中に手を入れる。
取り出したのは楕円形のお菓子だ。表面に砂糖パウダーのついたこのお菓子は、名を『ハッピーターン』という。《ラグ・ナレク》以前から出回っていたお菓子だといい、ハルトレッド……通称ポットは、この食べ物が異様に好きだった。いつでも三袋は持ち歩いている。奇妙なのは、「いつでも三袋」という事だ。一つを取り出しても、いつの間にか三袋になっているのだ。『《王都》七不思議』とか呼ばれているへんな噂話の一つである。
このぼんやりとした男、一応は《十字騎士団》第二師団の団長である。戦場に出ればそこそこ戦うし、ちゃんと仕事もするのだが、この平常運転時のぼんやり具合があまりにも残念すぎる。全く、なぜこんな奴が団長になったのか……。
ふと、気が付いたように、ポットがこちらを向き、呟いた。
「なぁ、トマト……」
「なんだい?」
「……ティーポットに入って……空を飛んでみたいと思わないか」
「思わないよ!仕事しろ!!お前の仕事は何だ!?」
「ハッピーターンを食べる事。あとティーポットに入って空を飛ぶこと」
「違うよね!?窃盗犯の尋問だよね!?」
これだ。これが、この男を残念人間足らしめている部分だ。この男、好物にやられたのか、頭の中が一年中ハッピーなのだ。メルヘンファンタジーに彩られた奴の脳内は、いったいどうしたことかそっち方向のことばっかり考えている。ふとした拍子に「ティーポットに入って……空を飛んでみたいと思わないか」という質問をしてきて、トマトが否定するのがお約束となっている。
「なぁ、窃盗犯、お前はどう思う」
「ひっ!え、えーっと……」
窃盗犯がしどろもどろする。ここで回答を間違えれば、彼の運命は大きく変わってしまうだろう。すでに何人か犠牲者が出ているのを、トマトは知っている。
「そこまでだ」
その時だ。ばん、と音を立てて、審問室の、旧時代的なドアが開いたのは。
入ってきたのは、ダークグレーがかった銀髪の男だ。切れ長のアイスブルーの瞳は、睨んだだけでなく子もさらに号泣するだろうすごみがある。士官めいた服装に、腰には黒鞘の刀。口には何かくわえており、棒がつきでている。
《帽子屋》ハードリア・キュルック。《十字騎士団》第一師団団長、すなわちは《十字騎士団》自体の団長も務める男だ。純粋な物理戦闘能力は確実に《十字騎士団》最強である。それだけでなく、武器を持っているメンバーで彼にかなう存在はいないだろう。
その圧倒的な実力と肩書によって、メンバーたちからは《団長》と呼ばれている。そのまんまである。
トマトとポットのいる机を迂回すると、ハードリアはどん、と壁に手を突き、犯罪者を押し付けた。上から鋭い目で見降ろされた犯罪者は、ひぃっ、と首をすくめ、さらに涙目になってしまう。
「おい」
「は、はひっ!何でしょう!?」
ハードリアの気迫に押されて、窃盗犯は初めてはっきりと言葉を口にする。ハードリアが腰に手を伸ばす。ベルトに取り付けられたポーチの中に手を入れ、何かを探る。一体どんな恐ろしいものが出てくるのか……これから訪れる悲劇的な未来に、窃盗犯が絶望しかけたその時。
「……とりあえず、ケーキ喰うか?」
「は?え……えぇぇぇええええ!?」
ハードリアが取り出したのは、ケーキだった。きれいな二等辺三角形に切られた、ふんわりと柔らかそうな黄色いスポンジ。重ねられたスポンジの間と上には、たっぷりと純白の生クリームがのせられている。その中と上には、赤々としたイチゴ。俗に『ショートケーキ』と呼ばれる種類のケーキである。
ハードリアの奇行にめまいを覚えたトマトは、何とか踏ん張って彼に問う。
「……団長?何やってんの?」
「紅日では、尋問の際に犯罪者にかつ丼を食わせると聞いた。ならば別にショートケーキでもよいのではないかと思ってな」
「いやそう言うことじゃなくてね!?というかその知識お前に植え付けたの誰!?」
「ヤマトだ」
「チクショウやっぱりアイツか!」
トマトの頭の中に、第八師団団長の刀使いの顔が思い浮かぶ。故郷の自慢をするのはいいが、頼むから変な解釈をする奴にそれを語らないでくれ。そう念じて、トマトがハードリアに目を戻すと、
「あ、あのっ!そのケーキ、もしかして『ラ・ルシエル』のケーキっすか!?」
「ほぅ、知っているのか」
「もちろんじゃないですか!!雑誌で特集を組まれること十二回、『行ってみたいケーキ屋』ランキング二十回連続第一位(殿堂入り済み)、しかもあそこのショートケーキ、三日前から徹夜で並んでもかえるかどうかわからないっていう代物ですよね!!よく買えましたね……」
「うちの嫁の知り合いがあそこの店員でな。譲ってもらった」
「マジですか!すっげー!」
なんか窃盗犯と熱いケーキトーキングを繰り広げていた。ちなみにポットはその隣でハッピーターンを食べている。いつの間にか二袋目に入っていた。なお、彼の持ち歩いているハッピーターンは特殊生産盤の「ハッピーパウダー200%」とかいう奴らしく、通常版よりもかかっている砂糖パウダーの量が多い。
「トマト」
「……何?」
「こいつは無罪だ」
「何でさ」
「甘いもの好きに悪い奴などいない」
「馬鹿か!?馬鹿なのかお前!?そんな適当な持論で片付けるなよ!!」
「何を言うか。甘いものは正義だ」
駄目だ。覆せない。
この男、ちょっと度を越した甘党なのである。よく見れば咥えているのはタバコなどではなく棒付きキャンディー(ピーチ味)だ。それだけではない。この男、一応は既婚者で、彼の妻と言うのがもともとケーキ屋で働いていた看板娘だというから大変だ。ますますハードリアの甘党を後押ししているようなものである。確かに礼儀正しく、綺麗な人なのだが……毎週水曜の弁当がホットケーキ八十枚(それぞれ別の味付け)というのはどうなのだろうか。そしてそれを毎回当然のようにあっさりと完食するハードリアはどうなっているのだろうか。
「……ってちょっと待った!団長!?何やってんの!?」
「ん?手錠を外しているのだが……」
「見りゃわかる!一応聞いただけ!……と言うかその手をHA☆NA☆SE!!」
この男の奇行には毎度毎度頭を悩まされるが、まさか拘留中の罪人を解放しようと思うとは考えつかなかった。何とかハードリアを手錠から振りほどこうとするが、一応は後方支援でしかないトマトと、前衛である団長の筋力には圧倒的な差がある。引きはがすことができない。
マズイ……トマトが冷や汗を流し始めた、その時だった。
さらなる災厄が訪れたのは。
「あれれ~?みなさん、何をしてるんですかぁ?」
開きっぱなしだったドアから、純白の髪をポニーテールにした、一人の青年が姿をあらわした。驚愕に固まる一同。ニコニコ笑いながら、青年は部屋に入って来る。
「あ、アドミナクド陛下……」
青年の名は、アドミナクド・セント・デウシバーリ・ミゼレ。《教会》の長にして、あらゆる《箱舟》を統治する、人類で最も高貴な位にある存在。そう、彼の肩書は――――《教皇》。世界の支配者だ。
だが、そんな名前とは無縁の存在であるかのように、無邪気に青年は笑う。
「やだなぁ、陛下なんて呼ばないでくださいよ。『クド』でいいって言ってるじゃないですか……ところでトマトさん、今日は漬物ないんですか?」
「そんな場合じゃないことぐらいわかるでしょ」
おもわず突込みを入れてしまった。
トマトの祖母は、御年125歳だ。磨き上げられた漬物の腕前はますます冴えわたり、特にナスとかキュウリのあたりはこの世の物とは思えない極上の味を醸し出している。以前皆に振る舞った時から、クドはあれが非常に気に入ったらしく、実家から漬物が届くと必ずと言っていいほど「ください」と言いに来ていた。
「そっかぁ、残念ですねぇ……あ、団長さん、そのケーキって『ラ・ルシエル』のですよね。メグミカさん元気ですか?」
「家内をいたわって下さりありがとうございます、陛下。子宝には恵まれないものの、お陰様で仲良くやっていけております」
「それはよかった。あ、そっちのお兄さんは初めましてですね。お名前は?」
トマト、団長のつぎは窃盗犯の男だった。それもにっこり笑って、堂々と名前を聞く。
男はがちがちに緊張しながら、消え入るような声で名乗った。
「あ、あああああの、その、じ、自分……デイビット・ミュリエルとも、もうしまっす!」
「デイビットさんですか。いい名前です。ところでどーしてそんなに緊張してるんですか?皆さんも、もっと楽にしてくださいよぅ」
「馬鹿かお前は!いやすまん、馬鹿なんだよな!?」
そう叫びながらドアを潜るなり、クドの頭を殴りつけたのは、炎のような色をした髪の毛の男だった。年齢は団長と同じくらいか。
「スワイ閣下!」
「畏まらなくていい。……あのなぁクド、勝手に出回るな、と何度言ったらわかるんだ」
「何回言っても分からないですよーだ。僕は自由に生きるんです」
「この野郎……」
そういってぶるぶる震えはじめるのは、クロウ・D・スワイ。《教皇補佐官》……つまり、クドのお目付け役だった。
アドミナクドは放蕩者ではないが、自由気ままで無邪気な性格をしている。いつもふらりとどこかへ行って、身分をわきまえずにあれこれ騒ぎを起こすことも少なくない。縛られない、といえば聞こえはいいのだろうが、彼の《教皇》という身分を考えれば少し不適切では?と感じてしまうのは仕方がない事だろう。
そんなクドとスワイは幼馴染でもあるといい、子どものときから今のような関係だったというのだから、スワイは気苦労が絶えないだろう。同じく友人の自由度の圧倒的高さに悩まされる身としては、トマトは彼に共感と同情を禁じ得ない。
「そうだ、団長さん、このデイビットさんもつれてケーキ屋めぐり行きましょうよ。お代は僕が……というか《教会》が負担しますよ」
「おい!?そんなところで権力を使うな!というか勝手に出ていくな!」
「勝手じゃないですよ。今この場で宣言しましたから」
「あ!俺いっぺん行ってみたいケーキ屋あったんです!よ、よろしいでしょうか!」
いつも大体こんな感じでゆるゆる過ぎていく時間。本当に此処が犯罪者の尋問をするための部屋だったのか疑いたくなってきてしまう。
「分かった。行くか」
聞き捨てならないことを聞いた。
「というわけだ、トマト。こいつの手錠外すぞ」
「ちょっとまてぇぇぇぇ――――――――――!?」
結局、奮戦むなしくデイビットの手錠は外された。彼らはそろってケーキ屋めぐりに出発した。尋問室には、肩を落とすトマトと、ため息をつくスワイと、ハッピーターンを食すポットだけが残された。
後書き
個性豊かな《教会》上層部の登場です。
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