聖女
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第五章
第五章
「とりあえず明日もゆっくりとするか」
「明日もですか」
「ああ。ぶらぶらとあちこちを歩くことにするよ」
「それがいいでしょうね」
弟子というよりは友人としての言葉に近かった。
「何かいいものが見つかるまでは」
「早く見つかることを祈るよ」
「僕もです」
こう話をしながらデザートを食べ終えワインを飲み干す。その日はそのままアパートに帰って休む。次の日ジョバンニはその言葉通りあちこちをぶらぶらとして過ごしミショネは学校に行った。彼が学校の授業を終えてアパートに行くと師匠は一人で音楽を聴いていた。
「今度は音楽ですか」
「何でもヒントに成り得る」
そう言いながら音楽を聴いていた。聴いているのはヴェルディの椿姫のアリアだった。
「ソプラノですか?」
「歌っているのはレナータ=テバルディだよ」
五十年代のイタリアオペラ黄金時代にマリア=カラスと人気を二分した大歌手である。その声はワインにも例えられる豊かなものであった。
「ヴィオレッタの歌でね」
「ヴィオレッタっていうと」
「このオペラの主人公さ」
こうミショネに説明する。
「だからこのオペラの中心だけれど」
「確かあれですよね」
安楽椅子に座って聴いている師匠の側に来た。そして自分は絵を描く時に使う椅子に座ってそのうえで彼も音楽を聴くのであった。
「この役は」
「娼婦さ」
ヴィオレッタは娼婦である。所謂高級娼婦という存在である。椿姫という作品は小デュマの小説をオペラ化したものだ。主人公ヴィオレッタ=ヴァレリーのモデルは言うまでもなく実在の高級娼婦であったマリー=デュプレである。結核で死ぬところも全く同じである。
「パリの裏社交界のね」
「ですよね。それにしては」
ミショネはそのヴィオレッタの歌を聴きながら言う。
「随分と清純な曲ですね」
「ああ、そはかの人か」
ジョバンニは不意にという感じで呟いた。
「花から花へ」
「何ですか、それ」
「この歌の題名さ」
歌を聴きながらミショネに答える。
「今歌われているこの歌のね」
「ロマンチックな題名ですね」
「この曲に相応しいだろう」
「言われてみれば確かに」
ミショネハ師匠に言われた通りのことを思っていた。
「そんな感じですね。けれどこれが娼婦の歌ですか」
「娼婦でも清純なものなんだよ」
ジョバンニは少し哲学が入った言葉を述べてきた。
「子頃は職業に縛られないものさ」
「そういうものですか」
「そうだよ。さて、今日は」
ここで歌が終わった。また新しい歌がはじまるがジョバンニはそれを聴くことなく安楽椅子から立ち上がった。そうしてミショネに対して言うのだった。
「今何時だい?」
「まだ四時ですよ」
「そうか、まだ四時か」
時間を聞いて少し考えた顔になるジョバンニだった。
「何処かに飲みに行くにはまだ少し早いな」
「どうします?」
「一応外に出ようか」
考えながらこう弟子に答えた。
「やっぱり。何処かに」
「またあの酒場ですか?」
「それもいいね。けれど」
やはり考えながらミショネに答える。
「あそこが開くのにもまだ時間があるし」
「何処かで時間を潰しますか」
「うん。また歩くか」
腰を伸ばしつつ言うジョバンニだった。
「何処か適当な場所を」
「今日は随分歩かれたんですね」
「三時間は歩いたかな」
「多分だけれど」
「多分ですか」
「どうしようかな。教会の方でも行くか」
この言葉は半分以上思いつきだった。
「そうしようか」
「教会ですか」
「そうさ、街のね」
こうミショネにも答える。
「そこに行こうか。何処がいいと思う?」
「別に教会でもいいんじゃないんですか?」
ここは師匠の思うままに任せることにしたミショネだった。それが今の師匠の絵にはベストの処置だと思ったからである。
「それで」
「そうか。ではそちらに行くか」
「けれどこの時間に教会に行かれるのは珍しいですね」
ジョバンニも信仰心がないわけではない。むしろ結構篤い方である。よく無神論者や共産主義者をそれで批判する。彼はキリストについてそれなりの意識があるのだ。
「いつもは朝なのに」
「少しな」
今の返答はぼんやりとしたものが入っていた。
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