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ワンピース~ただ側で~

作者:をもち
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番外12話『約束の時』

 レインディナーズを出て、町中を探すために橋を走り抜けたビビがその光景に唖然と立ち止まった。

「……こ、これ」

 死屍累々。
 そう表現することしかできないほどに、B.Wの社員が倒れていた。

 ――ハントさんが?

 先にクロコダイルと出て行ったハントの仕業かと一瞬だけ考えて、そんなわけがないとすぐに首を横に振って考え直す。ハントはクロコダイルと戦っているはずで、その彼がこんな、ビビから見ても雑魚でしかないような人間たちを相手にしたとは到底考えにく。

 ――じゃあ、誰が?

「……そうだ、サンジさんたちを探さないと」

 考え込みそうになっていた彼女だが今はそんな状況ではないことをすぐに思い出す。サンジたちが近くにまで来ていないかと首をめぐらせ「あ」
 声が重なり、目があった。

「ビビちゃん!」

 サンジだ。
 一人の男を連れて電伝虫で電話をしようとしていた彼だったが、突如目の前に現れたビビにその電話を中断した。

「急いで来て! 状況は走りながら説明するから……時間がないの!」 

 一刻の猶予もない。
 頭の切れるサンジだからこそ、それを察した。
 走り出したビビの後を追う。
 檻にとらわれたルフィたちが水の底に沈むまで、時間はあまり残されていなかった。




 砂漠。
 レインディナーズの町からまた随分と離れたその場所。
 周囲にはレインディナーズの影すら見当たらず、町と町の間にあるような場所でもないため人通りもない。目印となるようなものすら存在せず商隊すらも通らないような、まさに砂漠のとある場所としか表現のしようのない地点。

 そこで、二人の男が対峙していた。
 本来はその二人に加えてもう一人の女性の姿があるはずなのだが、その女性は既にこの地を離れているようで見当たらない。

 たった二人の男の周辺にはいくつもの砂漠のクレーターがあったり、どころどころの砂の地面が割れていたりと、明らかな戦闘痕がいくつも存在していてその戦いの激しさが伺える。
 片方は王下七武海クロコダイル。そしてもう片方は王下七武海ジンベエの弟子ハント。肩書きだけ見ればどこぞの新聞紙のトップを飾ってもおかしくはないほどの光景だが、もちろん周囲には誰もいないのだからそれが新聞に載ることもない。

 ハントとクロコダイルの戦況は五分……というわけでは決してない。
 口元から血がこぼれ息も切れているクロコダイルと、服がボロボロにはなっているものの無傷でなおかつまだ余裕がありそうなハント。という状況を見ればわかるように明らかにハントが優勢に進めていた。それに関してはハントもクロコダイルも同じような感想を抱いてはいるが、ハントの表情には決して余裕のある色は窺えない。

 ――強い、さすがに。

 クロコダイルへの視線を外さずに、ハントがふと心の中で呟いた。
 やはり王下七武海だけあってハントがふれてきた中で、ジンベエや白ヒゲ一家を除けば明らかにクロコダイルが最強といえた。懸賞金8100万ベリーという、ハントからみて決して高いとはいえない懸賞金の時に王下七武海に選ばれたというだけあってそれだけの力を、クロコダイルは持っている。

 戦闘の駆け引きのうまさ。
 ハントよりも圧倒的に豊富であろう経験値のせいか、見聞色の覇気を使えない人間とは思えないほどに危機察知能力が高い。
 身体能力自体はハントにすれば大したことはないのだが、駆け引きと経験値で劣っているハントでは例え見聞色による先読みを発動していてもなかなかに決定打を加えることが出来ない。
 しかも、砂漠という環境。ハントにとって足場が悪く、動きの速度が少々落ちてしまっていることもそれらの原因だろう。

 これらに加えて、なによりも厄介なのが研ぎ澄まされた自然系の悪魔の実の能力だった。
 エースとよく決闘していたハントだからこそわかっていたことだが、自然系の悪魔の実の能力者はいちいち技の威力がけた違いに大きい。事実、砂漠を割ったり、穴をうがったりという戦闘痕はすべてクロコダイルの技で出来たものだ。

 もしもそれらに直撃したらハントの体も一撃で戦闘できる状態でなくなる可能性が高い。
 一瞬の油断も許さないクロコダイルの攻撃力。致命的な一撃だけは決して受けないクロコダイルの危機管理力。自然系であるという利点を最大限に生かした戦闘の駆け引き。
 戦闘自体は圧倒的な身体能力差と覇気の差でハントが優勢に進めているが一撃でその形勢もひっくり返る。それを感じているハントだからこそ、慎重にクロコダイルとの戦闘を進めていた。

砂漠の宝刀(デザート・スパーダ)!」

 クロコダイルからの一撃がハントへと飛ぶ。砂漠を割るほどの威力を秘めたそれを、ハントは見聞色で察知していたため既に行動を開始していた。甚平の端が斬り飛ばされるほどにぎりぎりでそれの側を駆け抜けてクロコダイルへと接近を。
 すさまじい速度で距離をつぶすハントだったが、それもクロコダイルの計算の内。

「魚人空手陸式5千枚瓦せいけ――」 
「――三日月形砂丘(バルハン)

 クロコダイルのカウンター。
 顔面めがけて放たれた拳に対して腹部めがけて放たれたクロコダイルの技。いや、これは正確にはカウンターと呼べる代物ではない。

 ほぼ同時に放たれた両者の技だが、身体能力自体はハントが勝っており、当然の腕の振りの速さもハントの方が早い。つまりどう考えても先に攻撃に当たってしまうのはクロコダイルで、それは要するにカウンターは成立しないということだ。
 ならばクロコダイルのミスか? それももちろんNO。クロコダイルがそんな迂闊なミスをするはずがない。

 クロコダイルの狙いは相打ち。例え先に攻撃を喰らっても自分の一撃を相手に与えることが出来ればそれでよいという捨て身の一撃が狙い。
 もしもこれが相打ちになればダメージ自体は顔面に攻撃を受けることになるクロコダイルのほうこそ大きそうなものだが、それこそが罠。三日月形砂丘という触れた部分の水分を根こそぎ奪い、その部分をミイラ化させるという非常に危険な技でハントの体の水分を根こそぎ奪ってしまおうというクロコダイルの算段だ。

 5千枚瓦正拳の一撃を受けてもまだ動けなくなるわけではないと判断したクロコダイルの捨て身の一撃に、見聞色を発動していたハントがその危険性に気づいた。

 ――ミイラ化かよ!

 内心で毒づき、慌てて拳を止めた。腹部へと殺到していた砂の腕を、覇気で固めた手でしっかりと受け止めて水分を奪われることを防ぐ。結果的に懐に潜り込むことに成功したハントがさらなる技を仕掛けようとして、既にクロコダイルが体を砂にして空中へと逃げ込み始めていることに気づいた。

 ――技を使うと逃げられるか。

 魚人空手陸式はほんの一瞬だが溜めがある。今までハントの身体能力と覇気、それに相手がついてこれていないという条件がそろっていなかったのでそれらが浮き彫りになったことはなかったが、クロコダイルはやはり違う。

 ほぼ一瞬の溜めがあるというのは既に理解した上で動き、致命的な一撃を受けることだけは徹底的に避けている。
 とはいえ、普通の一撃ならばその溜めすらないわけで。
 拳を、上空へと逃れようとしていたクロコダイルの顎めがけて解き放った。

「……っ!」

 ハントの黒い拳を避けきれずに顎から上空へと打ち上げられたクロコダイル。それを好機と見たハントがそのまま空中で追撃を加えようと跳ねたが、既にクロコダイルはハントの気配を察知して空中でその体をまた砂へと分解させ――

「ふっ!」

 ――分解されたはずの砂へと、サッカーでいうオーバヘッドキックの要領で黒い足を叩き付けた。

 普通に考えれば意味のないはずのその一撃はクロコダイルの顔を砂漠のそれから本来のそれへと強制的に戻し、そのままクロコダイルを砂漠の大地へとたたきつけた。地面が砂のクッションとはいえ普通の人間ならばその衝撃でもダメージになるだろうが、自然系のクロコダイルがそれでダメージを受けるはずもない。
 
 体が砂になり、はじけて、またすぐに戻ろうとする。
 元の体に戻るまでにかかる時間はほんのわずか。まばたき一回よりも短い時間だろうか。
 空中にいるハントがそんな時間で地面に足が下りるわけがない。

「かかったな」

 戻った体で、クロコダイルがほくそ笑んだ。
 砂の地面に両足で立つクロコダイル。
 空中にいるハント。そしてハントは非能力者で、当然空中では身動きをとれない。 

 ――計算!? どっからだ!

 内心で毒づく一方、さすがにこれはまずいと判断したハントは反射的に身構えて、放った。

「魚人空手陸式、数珠掛若葉瓦正拳!」
「砂漠の金剛――」

 結果、クロコダイルの技よりも一瞬早くにハントの技が放たれた。

「――宝刀」

 クロコダイルが砂漠を割るほどの刃を4枚一斉に放ったと同時、全力の若葉瓦正拳がクロコダイルの体内を爆発させた。

「ぐ……がっ!?」

 いきなりの衝撃に、さすがにこれを予期していなかったクロコダイルが吐血。一方、ハントを真っ二つにするはずだった4枚の刃は、おそらくは技を放つときに若葉瓦正拳が爆発したことで狙いがそれたのだろう。ハントを外れてそのまま上空に昇り霧散した。

 ――……今のは本気で危なかったな。

 何事もなく着地できたハントが、ホッと息をついて、砂漠へと倒れこんだクロコダイルを見据えたまま、何が起こっても対応できる距離で、また身構える。
 常人なら、いや大抵の屈強な男ですらも死んでしまうほどの威力が込められたハントの技だったが、クロコダイルを仕留めるにはやはり足りない。それをわかっているハントが未だに倒れこんでいるクロコダイルへと追撃を仕掛けないのは、そうやって倒れている姿すらも罠だと看破しているから。
 ダメージ自体は軽くはないが、動けなくなるほどのダメージを与えることができていないのは誰よりも当の本人が感じているからだ。

「小芝居は無駄だからな、言っとくけど」
「……」

 ハントの言葉で、クロコダイルが立ち上がった。クロコダイルもこんな小芝居でハントをどうこうできるとは思っていなかったのだろう。だますことに失敗したというのに、むしろそれが当然だろうといわんばかりの表情をしている。

「……てめぇに一つ聞きたいことがある」
「聞きたいこと?」

 お互いに戦闘態勢を解かないまま、クロコダイルが言葉を発した。

「さっきから魚人空手を使ってるようだが……魚人にはみえねぇな」

 ――どういうことだ?

 言外の質問。
 別に隠すことでもないし、ハントからすれば誇りにすら思っていることだ。だからハントは微笑を浮かべて、そして何よりも自慢げに答えた。

「俺の師匠はお前も聞いたことがある男だ……と思うけど」
「師匠? ……俺が知っている?」

 ハントは覇気使いで、魚人空手家で、師匠はクロコダイル自身がその名を聞いたことのあるほどの男。
 それだけのヒントを与えられてクロコダイルが何の人物も思い当らないはずがなく、そしてそれは決して複数人も思い当るような人物ではない。

「……『海侠』か」

 ハントの師匠はジンベエ。
 その二つ名はまさしく『海侠』で、つまりは正解だ。

「……」

 ゆっくりと頷いたハントに、クロコダイルは愉快そうに口角を釣り上げた。ずっと見せていた嘲笑の顔ではなく、ただただ純粋に面白いものを見たときのようなどこか子供のような顔。そんな、おそらくはクロコダイルにしては珍しいであろう表情に。


「風の噂で『海侠』が人間の弟子をとったとは聞いていたが、まさか事実だったとはな……クク」

 何がおかしいのか、肩を揺らしながら笑うクロコダイルに、ハントは心のどこかで『これってチャンスなのか?』と思いながらも、それ以上にやはりクロコダイルが笑う理由が気になったらしく、それを口に出した。

「そんなに面白いことじゃなくないか?」

 首を傾げながらのハントの問いだったが、クロコダイルはそれを完全にスルー。
 ぴたりと笑みを止めて、また戦闘時の鋭い目をして吐き捨てた。

「納得だ……認めてやる。てめぇをな」

 ――っ!?

 クロコダイルの本気の目。
 先ほどまでの戦いでもクロコダイルは決して手を抜いていたわけではない。ハントのことを強敵だと既に認めていたし、本気でハントを砂の海の藻屑にしてしまおうと技を振るっていた。
 だから、変わるのはクロコダイルの戦闘力そのものではない。
 変わるものは、心構え。
 海賊でも最強の一角を担う王下七武海にまさに拮抗しうる実力をもった男が、海賊として目障りな敵として今クロコダイルの前に立ちはだかっている。その事実を、クロコダイル自身が認めた。
 だから、もうクロコダイルはハントに対して出し惜しみをしない。

 ――サソリの毒は……まだ無駄だな。

 クロコダイルのフックにはサソリの毒が仕込まれており、それを使う可能性を遂に視野に入れた。すぐに使おうとしないのはただ単純に使っても近接戦では確実にハントの方が上であることをクロコダイルも把握しているから。使う時は絶対のタイミング、ハントが絶対に避けることのできない状況を作ったその瞬間だ。

 ハントの実力の高さは当然として、見聞色の覇気によってある程度己の動きを読まれることすらも計算に入れて、クロコダイルは一瞬でプランを立てた。
 とはいえ、今考えたプランはサソリの毒を使う云々ではない。今の段階では不可能だとクロコダイルは考えている。だから、クロコダイルが考えたプランはただハントの体力を削るためのもので、それ以上のものは望まない。

 ハントの魚人空手陸式はまだ若葉瓦正拳ぐらいしか受けていないクロコダイルだが、そもそもハントの拳はそれが魚人空手陸式でないただの拳でも十分に重く、クロコダイルは既にそれを何度も受けているため余裕がある状態では決してない。
 だから、最小限の動きで避けられ反撃の隙を与えるようなチャチな技はもう使わない。
 自然系の能力の練度を高めてきたクロコダイルだからこそできる、自然系ならではの大規模な攻撃。
 すなわち大技の連発。

砂漠の向日葵(デザート・ジラソーレ)

 クロコダイルが砂の地面に広大な流砂を作り出す。
 既にハントも知っている技だ。流砂に足をすべり込ませれば圧倒的不利な立場になるため、決して喰らってはいけない一撃だが、後退してしまえばクロコダイルから一気に距離が空いてしまい、遠距離からも攻撃が自在なクロコダイルのペースになるのは目に見えている。

「ふっ!」

 息を吐き、全力で砂の地面を蹴った。
 脚力の爆発に耐えきれなかった砂が舞い上がったかと思えばハントは巨大な流砂を飛び越えて弾丸のような速度でクロコダイルへと殺到する。ハントの動きは速く、決してクロコダイルでも簡単に狙いをつけられるものではないが、それもクロコダイルにとっては計算の内。

 別に正確な狙いなど必要ない。
 ただ、がむしゃらに自分の技を放てばいいのだ。
 クロコダイルの目がギラリと光った。 
 クロコダイルの狙いに気づいたハントだが、やはり空中では身動きが取れない。

砂嵐『重』(サーブルス ペサード)

 自らの体で発生させた砂嵐で全方位を押しつぶす技だ。

 ――まずいっ。

 あわてて武装色を発動。
 顔面から流砂に呑みこまれそうだったところを体を反転させて、呑みこまれる箇所を下半身だけに、という最小限の被害に食い留めた。
 空中にいるハントは武装色で身を固めたこととたたきつけられた地面が砂だったためダメージ自体はあまりないのだが、叩き付けられた場所は流砂の真ん中。ハントの下半身は見事に流砂の中に。
 流砂にとらわれてしまってはそのまま砂漠の海に溺れるしかないのが普通だが、ハントがそれで終わるわけがない。
 もちろんクロコダイルもそれは承知しており、ハントが動き出す前に追撃を加えようとして――

「――砂漠の金剛宝刀!(デザート・ラスパーダ)

 だが、ハントも既に動いていた。自由だった右手を、上半身の力だけで砂の地面へと振り下ろして、途端に砂が爆発した。その勢いで金剛宝刀を回避し、それどころか無事に流砂からの脱出に成功。
 その勢いのままクロコダイルへと迫る。
 まだまだ元気に跳ね回るハントの様子に、最後の切り札であるサソリの毒はまだ使うべきではないとクロコダイルは判断。左手でまた新たな技を放つ。

砂嵐(サーブルス)!」

 クロコダイルとハントの間に砂嵐をまるで壁のように発生させた。既に足を止めて、砂嵐に飲み込まれないように距離をとろうとしていたハントだったが、寸前に自分から近づきすぎたせいで竜巻のようにその身を荒ぶらせる砂嵐の遠心力に取り込まれ、巻き込まれた。

「うお!?」

 足から体ごと持っていかれて、砂嵐に振り回される。ただしこの砂嵐は小さめで、砂嵐に完全に飲み込まれるわけでもなく、その外円部を半周ほど回った段階でそのまま弾き飛ばされた。

「……いってて」

 反射的に武装色で全身をガードはしたもののその右頬が軽く砂に削り取られて流血。とはいえあくまでも表面的な傷なので痛みだけで、大した怪我でもない。ただ、クロコダイルからはまた距離をとられてしまっていた。
 これもクロコダイルの狙い通りなのだろう……かと思えばそうでもないらしい。

「ちっ」

 距離を離すことに成功したことはともかく、今ので有効打を与えられなかったこと自体はクロコダイルにとっても喜ばしいことではないらしく、小さな舌打ちがでた。もちろん砂嵐の音に消える程度の音量だったが。

 クロコダイルの感情の発露に、ただハントはハントで気付かずに「……全っ然近づけないし」と、思い通りの戦闘運びが出来ないことに、ここにきてハントが初めて苛立たしげに呟いた。
 お互いがお互いに対して不快そうに、『砂漠の向日葵』で出来た流砂を挟んで向かい合う。
 いつ相手が仕掛けるかもわからないうえに、この距離ならば彼らならほとんどノータイムで攻撃できるため両者ともにその表情は不快なそれ以上に真剣そのもの、鋭い気配が発せられている。

 ――武装色で固めて突っ込んでみるか?

 戦闘自体では押しているはずなのに、決められない。
 そのことに埒が明かないと考えたハントが武装色で身を固めて相打ち覚悟で大技をぶち込むことを視野に入れる。

 ――このまま慎重にいくか……なんちゃって奥義で賭けに出るか?

 数秒前に比べて随分と規模が増した砂嵐がゆっくりと通り過ぎていく様をみながらどう戦うべきかを悩んでいたハントだったが、そこで彼はそれに気付いた。ハントが幼少時代に狩りにいそしんでいたという経験も、きっと彼にそれを気づかせた原因だろう。

 北から南へ吹いている風の向き。
 それに乗って南下し始めている砂嵐。
 ここから南に下ったところに位置している町。
 その町に砂嵐を仕掛けてきたというクロコダイルの言葉。
 それら一切が結びつき――

「……砂嵐……この方角……『ユバ』?」 

 ――気付いてしまった。

『ユバ』にはトトがいる。

 理由はそれだけしかないが、『ユバ』の町で言葉を交わしたハントからすればそれだけで十分だった。

『頼む、ビビちゃん。あのバカどもを止めてくれ!』
『国王様はこの国が好きで、民衆を大事にして、そういう人で、国王様がそんなことをするわけがないから。するわけがないとわかっているから』
『あの子が無茶をしないか心配だよ』

 トトとの会話がハントの中に浮かぶ。
 必死に涙をこらえようとして、それでも零していた涙を浮かぶ。
 国を、息子を、国王を、それら全てを愛し、それでもまだ諦めずに必死になって砂を掘っていたら彼の顔が、浮かぶ。
 気づいたときにはもう、反射的だった。

「……っ!」

 ハントの体は、もはや意志とは無関係。ただ、本能に従って動き出す。
 体の向きを反転させて、徐々に速度を増している砂嵐へと駆け出した。
 ついさっきはハントの体を取り込み、巻き込んだものの規模が小さかった砂嵐だっが、既に近くづことさえ難しいほどに成長していた。取り込まれることすらなく、ただ風の猛威に弾かれそうになる。

 ――行かせるかよっ!

 砂に足を突き刺して、そこから拳を腰だめに構えて、砂嵐を目標に放った。

「魚人空手陸式、数珠掛若葉瓦正拳!」

 以前、雪崩を魚人空手陸式奥義で霧散させた時のように、今回もそれを狙っての魚人空手陸式。
 数瞬の後。
 大気を振動させ、対象が含んだ水分に連動し、それらが同時に爆散。
 砂嵐に巻き上げられていた砂が中心部で爆発を起こして、大量の砂が中から風に巻かれた……が、それだけ。若葉瓦正拳で規模を落としたはずの砂嵐だったが、瞬く間にその規模を回復させてさらなる成長を遂げていく。

 ――くそっ!

 若葉瓦正拳の威力が足りていない。
 砂嵐を瓦解させられないのは、砂嵐が予想以上の速度で規模を増していることもあるがそれ以上にここの環境が魚人空手陸式にとっては良くない。

 魚人空手陸式は対象が含んでいる水分とその対象の周囲にある空気を連動で振動させて爆発させるものだ。対象が人物ならば周囲の環境に左右されることは少ないが、今回の対象は自然の現象そのもので、現在の砂漠の土地という自然環境がもろに影響してしまう。
 要するに空気に含まれている水分が少ないせいで 普段の威力に比べればおそらくは半分程度の威力しか発揮できていない。
 若葉瓦正拳を撃ったすぐからその規模を回復させて、それどころか順調に成長していることからも若葉瓦正拳を何発撃っても意味がない。

 ――もっと大規模にいくか?

 これを打ち消そうなものと言えばやはり奥義の楓頼棒だが、さすがにこの段階で体力を0にしてしまうとクロコダイルに勝てない。

 そこまで考えて、ハッとした。

 ――クロコダイル!

 自分が誰と戦っていたのかを。
 本来、一瞬のよそ見も許されない相手。
 それと相対しおきながら、その彼を完全に頭の中から忘れ去っていた。

「砂漠の宝刀」

 思い出した途端に不思議とクロコダイルの声がハントの耳に届いた。
 慌てて振り返り、それと同時に武装色を発動しようとして――
 それは致命的な隙だった。
 あってはならない隙だった。
 だから、気づいたときにはもう遅い。
 振り返った瞬間、それは腹部に到達していた。

「――げ」

 鮮血が弾けた。
 あらゆるものを一撃で切断するであろう宝刀。それを腹部に、しかもモロに直撃して無事でいられる人間がいるはずがない。

「……っ゛」

 咳き込み、腹からだけでなく口からも大量の血がこぼれる。
 ぱっくりと開いてしまったであろう腹を両腕で抑えたまま、ハントの膝が地についた。

「穴掘りジジイが気になったか?」

 流砂の向こう側からのクロコダイルの言葉には、ハントは反応しない。

 ――まだ、だ。

 ゆっくりと立ち上がり、そして「ふーっ」と大きく息を吐き出して、またクロコダイルへと背を向けた。まるで自殺願望すら窺えるような無謀な行為に「なに?」と、さすがのクロコダイルも意味がわからずに首を傾げた。

「……」

 それでも一応は警戒してハントの様子を見つめるクロコダイルに背を向けたまま、ハントが足を漕ぎだした。
 もちろん標的は――

「……ってめぇ!」

 ――砂嵐。

 クロコダイルが怒りをにじませて「砂漠の宝刀」を放ったと同時、砂嵐へと向けて渾身の血塗れの拳を放た。

「魚人空手陸式……数珠掛紅葉瓦正拳」

 若葉瓦正拳と似て非なる技。
 拳を濡らしていた血が霧散し、大気中を走り抜けて砂嵐に吸い込まれていく。目に見える若葉瓦正拳との違いはただそれだけだろうか。

 あとは見た目に何の変化もない。乾いていた大気がごく少量の血という水分を含んだ。例えそれが人間からすれば少量とはいえない量であっても、大気からすれば少量どころか影響すらないであろう程度の水分量。普通に考えると威力に影響を及ぼすとは考えにく程度の水分量だ。
 表情に苦悶を滲ませ、それでもぶれない視線でまっすぐに放たれたそれは、だが確かに先ほどの放たれた若葉瓦正拳とは明らかに違っていた。
 既にクロコダイルにも手をつけ難い規模へと成長していた砂嵐がフと歪んだ。かと思えば突如、砂嵐が巻き上げていた全ての砂が風の殻を破って周囲と降り注ぎ、さらには竜巻のように吹き荒れていた風も勢いを失い、ただの乾いた空気へと還っていく。
 すなわち――

「……なっ!」

 ――砂嵐が瓦解した。

 クロコダイルが驚き声を漏らしたが、それはただ単に砂嵐が瓦解したから、というわけではない。クロコダイルが砂嵐の瓦解に気をとられたその隙に、ハントはクロコダイルによって寸前に放たれていた『砂漠の宝刀』を避けて、それどころかいつの間にか流砂を飛び越えてクロコダイルへと接近し、赤と黒で彩られた拳を振り下ろそうとしていたからだ。

「魚人空手陸式5千枚瓦正……けんっ!」

 気付くのが遅すぎた。回避行動が絶対に間に合わないタイミングだ。
 ここまで不意を突かれてしまってはクロコダイルとて成すすべがない。来るべきハントの一撃に身構えようとして、だがすぐに気づいた。
 ハントの動きが鈍い。しかも圧倒的に。だから、反射的にクロコダイルは腕を振るった。

「砂漠の金剛宝刀!」

 至近距離で、カウンターのように放たれた4枚の砂の刃。
 それが、クロコダイルの顔面へと迫っていたハントの右拳へと1枚。
 既に開いてしまっている腹部へとさらに2枚。
 ハントが踏み込もうとしていた右足にも1枚。
 それら全てがハントへと直撃した。つい先ほどに砂漠の宝刀で飛び散った血の量とは比べ物にならないほどの量が飛び散った。
 砂漠の金剛宝刀によって切り裂かれて、その勢いのままに流砂の穴に落ちるのでは、という寸前まで弾き飛ばされる。

「砂漠の宝刀に直撃しておいて砂嵐を消したのはなかなかだったが……それで限界だったようだな」

 クロコダイルの技はそのすべてが研ぎ澄まされている。
 1枚の宝刀だけでも常人ならば死んでしまうだろう。
 ハントはそれに加えて金剛宝刀まで喰らってしまった。生きているはずがないし、よしんば生きていられても既に虫の息といったところ。これでももし立ち上がれたらそれはもう人間ではないだろう。

「……」

 さすがに反応がないことを確認したクロコダイルが、ハントをそのまま流砂に蹴落とそうと近づいたところで「……だ」ハントの声が漏れた。

 ――気のせいか? 

 そう考えつつも、本能的にハントから距離をとったクロコダイルだったが、すぐに自分の耳は正常だったことを思い知らされることとなった。

「……なん……だと?」

 驚愕、いや、恐怖に近いのかもしれない。
 まるで化け物を見るかのように目で、クロコダイルはそれを見つめる。
 いや、クロコダイルの性格ならば化け物を見ただけではそんな目はしない。
 ならば、化け物以上の存在か。

「……ま……だ……だ」

 ゆっくりと。
 それはうつろな目で立ち上がった。
 拳、腹、足、それに頬。
 あらゆる箇所から血を流し、特に腹からは見ているだけで気が遠くなるほどの血が衣服を染めて流れ落ちている。
 ただただありえない光景が、クロコダイルの目の前にあった。
 真っ青な顔、虚ろな目、血だらけの体、そして片足の自由が効かないせいか、ぎこちのないゆっくりとした1歩でクロコダイルへと歩み寄る姿は出来そこないのゾンビそのもの。

「やくそく……したん、だ」

 ビビに、クロコダイルを倒すとハントは約束をした。
 トトに、黒幕を倒すとも言った。
 檻にいる仲間たちを放置したのもクロコダイルを倒すためで、それを約束して来た。
 ジンベエに、王下七武海であるジンベエを超えると誓った。

「かつ」

 ハントもただこれまでの航路を楽しんできたわけではない。
 ルフィやゾロのような強さを得たいと思ってきた。

「……かつん、だ」 

 ここで諦めるわけにはいかなかった。
 なにせ、ハントは言ったのだ。
 麦わらの一味だからこそ、俺を信じろと、ビビにそう言った。
 自分で言ったのだ。
 この左手の×印と包帯に誓って、ハントは約束した。
 一味であることを引き合いに出してその約束を守れないなんてことがあっていいはずがない。
 ハントにとって、これは絶対に破ってはいけない約束で、絶対に守らなければいけない約束で。

 だから。
 クロコダイルを倒し、きっとサンジやチョッパーの力で無事に檻から抜け出したであろうみんなと笑って会うためにも。
 ハントはまた一歩を踏み出す。

「ぜったいに……まけて……たまる……かよっ」  

 力のない声で、血と共に言葉を吐き捨てる。

 ――何人、いるんだよ。

 はっきりとしない視界で、既にハントの目にはクロコダイルが何人も存在しているかのようにすら見えている。

 ――全員、ぶん殴ってやる。

「魚人空手りく……しき」

 のっそりと構えるハント。血だらけで、それでも動くハントはまさに化け物の様相。
 相手が常人ならばそれの気迫に押されることもあるだろう。だが、相手はクロコダイルで、そのクロコダイルがいつまでも悠長なことをしているはずがなかった。気付けばクロコダイルの目はいつもの冷酷なそれそのもの。

「……」

 砂となってハントの横に立つ。ただ、無言で。クロコダイルの案の定、もうハントの目には彼の姿は映っていない。不思議そうに、慌てているとは思えない速度で首を巡らせようとしている。

「久々に骨があると思ったが……実力もないくせに戦闘中によそ見をするただの負け犬だったとはな。麦わらなんて駆け出しの海賊にいるのも納得だぜ」
「……っ」

 耳は正常らしく、ハントが息を呑んだ。音のした方向へと体を向き直らせ――

「――くたばれ」

 言葉と共に、ただ殴られた。

「ま…………だ――」

 自分が敷いた赤い砂地に倒れこみ、言葉を漏らす。どうにか立ち上がろうとして、だが立ち上がれない。
 ――全然力が入らないぞ、これ。

「ふん、サソリの毒を使うまでもなかったか」

 徐々に遠のく意識の中。

「――ハントーーーーーっ!」

 ――……ルフィ?

 ルフィの声がハントの耳に届いていた。


 
 

 
後書き
クロコダイルは強い(確信)


 
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