魔道戦記リリカルなのはANSUR~Last codE~
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Myth3そして結末への旅が始まった~Per aspera ad astrA~
前書き
Per aspera ad astra/ペル・アスペラ・アド・アストラ/困難を克服して栄光を獲得する
――シュトゥラ王都ヴィレハイム/シュトゥラ城
庭に隣接する外廊を忙しなく駆け回る者たち。それは騎士であり行政者である。そんな彼らを庭から心配そうに見つめている少女が2人。1人は綺麗なブロンドヘアはシニヨン、紅と翠の虹彩異色。顔立ちは幼い。
ビスチェのドレスを着ていて、その物腰は気品が溢れている事から高貴な身分だろう。しかしその少女の体躯とドレスには全くそぐわないガントレットが両上腕部にまで装着している。彼女はオリヴィエ・ゼーゲブレヒト。聖王家の正統な王女だ。
「何かあったのでしょうか・・・?」
「イリュリアがどうのと聞こえましたが、詳細は不明です姫様」
オリヴィエが誰に訊くわけでもなくそう疑問を呟く。しかしその呟きはオリヴィエの近くに控えている、もう1人の少女に届いていた。
肩に掛かるくらいの空色の髪、キリッとした桃色の双眸。顔立ちはオリヴィエほど幼い。身に纏うのはハイネックの白のミニワンピース。前立てや縁には幾何学模様の金の刺繍。ワンピースの上に水色のショートジャケットを重ね着して、両腕に銀の籠手を装着している。腰に纏うのは前開きの水色のオーバースカート。白く美しい足を覆うニーハイソックスにロングブーツと、その上から爪先から膝まで隠す銀の脚甲、という格好。
「イリュリア・・・、それは確かですかリサ」
「はい、間違いなく」
オリヴィエにリサと呼ばれた、オリヴィエ付きの従者である騎士甲冑姿の彼女が頷く。オリヴィエは「イリュリアの名が出たのはあまり良い気がしません」と悲しげに目を伏せた。古き国家イリュリアの好戦的な国の在り方に、オリヴィエは胸を痛めていた。
そんなイリュリアの名が出た事で、彼女にはある予感が生まれていた。シュトゥラにイリュリアが攻め入って来たのではないか、と。リサもイリュリアの在り方を嫌というほど知っているため、オリヴィエと同じ考えに達していた。
「・・・・あ、クラウス」
オリヴィエが1人の青年を姿を見つけて、彼の名を告げる。碧銀の髪、青紫と瑠璃のオッドアイ。シュトゥラを治めるイングヴァルトの王子、クラウス・G・S・イングヴァルトだ。彼も庭に居るオリヴィエとリサに気付き、視線のみで2人に挨拶をした。それを済ませると、騎士数人を引き連れて足早に去って行った。ラキシュ領へ向かうために。
シュトゥラの王子クラウスの率いる一個騎士団はラキシュ領へ向かうために馬を駆る。その道中、彼は王城にて聴き及んだ情報を反芻する。隣国イリュリアの一個騎士団がシュトゥラ・ラキシュ領に侵攻し、ラキシュ領の一画、アムルの街で戦闘を開始。
ここで不審点。イリュリアからシュトゥラへと侵攻する場合、必ず国境のラキシュに入らないといけない。そうなれば間違いなくラキシュの防衛力たる第一騎士団・第二騎士団・第三騎士団と衝突するはずだ。しかしそうはならなかった。その三騎士団がたまたまラキシュ本都の政で戻っていたのだ。もちろんそんな情報がイリュリアに漏れないようになっていた。
(だというのに狙ったかのように侵攻してきた。情報が漏れていた・・・?)
偶然漏れたという失敗はまずあり得ない。優秀なイリュリアの間諜がラキシュに潜り込んでいたか。もしくは・・・
(何かの目的の為に意図的に情報を流した、か)
最悪の推測を出したクラウスはかぶりを振った。それで一体どのような利があるというのか。情報を漏らした者に。彼はもやもやとした嫌な気分のまま、馬の速度をさらに上げてラキシュ領に急いだ。
◦―◦―◦―◦―◦―◦―◦
――シュトゥラ・ラキシュ領/ズュート平原
つい数時間前までは美しかった大平原。しかし今は見るも無残にボロボロで。焼けた草花。抉れた地面。それらは全て戦闘によって付けられたものだ。無残なのはそれらだけではない。そこらじゅうに転がっている甲冑に包まれた死体の山。
それらの死体には共通点がある。全員が全く同じデザインと灰色をした甲冑姿で、右肩の装甲には髑髏に大鎌がひとつ。そう、彼らは血染めの死神騎士団マサーカー・オルデンの後方支援部隊だった。野営地にてアムルへと援軍を送りだして待機していたところを・・・
「第三および第二の第5班から13班は残存兵を捜索し発見次第、討伐せよ」
そう指示を出す、白馬に乗るアオザイのような純白の衣服を着ている青年と、彼の周囲に数百人と居る騎士によって殲滅された。青年はさらに「第一と第二の1班から4班は僕と一緒にアムルへ入り、我がラキシュ領を侵略しに来た者どもを根絶やしにするッ!」と、峰は真っ直ぐで刃は緩やかな流線型を描く剣・ファルシオンをアムルに向ける。すると騎士たちは「了解!」とそれぞれ武器を空に突き上げ応じた
「急げ、すでに敵はアムルへ侵攻してるッ!」
青年が馬を駆り先頭を往く。続いて彼と共にアムルへ向かう騎士たちも徒歩や馬を駆り往く。
(待っていてくれ僕の可愛い小鳥・・・。君を手に入れるためだけに僕は・・・)
青年の端正な顔が醜く歪む。彼の名はヨーゼフ・シュミット。シュトゥラの現王デトレフより伯爵の地位を授かった、若き領主だ。
(ああ今行くよ。独りっきりになってるはずだから心細いだろう?)
美しい翡翠色の双眸が妖しい光を湛え、整った唇が釣り上がる、今の彼の顔を見れば、いかなる人間でもその邪悪さに気付いて側を離れるだろう。彼の思いはただ一つ。エリーゼ・フォン・シュテルンベルクを手中に収める。そのために彼は、人道を踏み外した外道を歩む事となった。
「遅れるなッ! アムルを護れッ!」
そう言うシュミットの本音は、アムルではなくエリーゼを救え、だった。
†††Sideエリーゼ†††
屋敷から出ると判るアムルの街の被害状況。レンガで舗装されていた綺麗な街路は見るも無残にボロボロ。街路樹に無傷な物なんてない。穴が開いている家も少なくない。
そして視界に入るのは、アムルを今まで守ってくれていた防衛騎士団のみんなの亡骸と、死神騎士団の奴らの死体で、アンナが「エリーは見ちゃダメ、死体なんか」ってわたしの目を隠そうとする。わたしは首を横に振って降り払い、「わたしはちゃんと見届けないとダメだから」と防衛騎士の亡骸の前で膝を付く。
「今までアムルを守ってくださってありがとうございました」
安らかに眠ってくれるよう祈りを捧げる。アンナもわたしに倣って片膝を付いて「安らかにお眠りください」って祈る。1人の祈りが終わってまた別の1人というふうに繰り返し祈り続ける。その最中にわたしはアンナに決意を示す。
「・・・・父様が亡くなった今、娘であるわたしがアムルを治めないといけない。だから起こること全てから目を逸らすわけにはいかなくなる」
父様の遺体は確認していないけど、
――アムルを統べるシュテルンベルク最後の人間よ――
死神騎士団の団長がそう言っていた。つまりはシュテルンベルク男爵家で生き残っているのはわたし独りだけということだ。わたしがアムルを治めるためには、父様の男爵位を受け継がないといけない。シュトゥラ王がそれを認めてくださるかどうかが最大の問題なんだけど。それでも何とかして受け継がないと。わたしはシュテルンベルクの人間なんだから。
「エリー・・・・」
祈りを終えて、わたしはまた街を足早に歩き出す。視界に入る回数が徐々に増えてきた死神騎士たちの死体。その死体には共通点がある。心臓付近に突き刺さっている槍・・・。蒼い雷や炎や氷や光、真っ黒な影のような槍に竜巻のような槍、オーディンさんの魔導だ。
それを見ていたアンナが「心臓に一撃。すごい命中率だわ・・・」って驚嘆してる。それからブツブツ呟いて考え事していて、「エリー」ってわたしを呼びかけてきた。立ち止まって振り返る。アンナは槍を見て、屋敷の方を見て、最後にわたしを見た。
「あなた、彼をどうするの?」
「どうするって? オーディンさんのこと・・・?」
「・・・ええ。今は恩を返すっていう事で味方でいてくれてる。でも死神たちを討った後、彼は街を出る。あんな恐ろしい力を持ってる彼が・・・」
随分と遠回しな言い回しに、「何が言いたいの・・・?」って訊き返す。すごく嫌な予感がする。大切なアンナからは聞きたくないようなことを言われるかもしれない、って。アンナは真っ直ぐわたしの目を見詰めて、言った。
「またどこかで恩を受けてそれを返すってことになって、もしそれがアムルやラキシュ、果てにはシュトゥラにとって禍いになるとしたら。それは凄く恐ろしい事だわ。だから彼がこの街に残ってもらうように仕向けたいの。あれ程の力、見逃してしまうより目の届くところ、アムル防衛のために残ってもらった方が――」
「・・・こっちの勝手な都合でオーディンさんをアムルに縛れっていうの?」
アンナの言い分はおかし過ぎる。だから「却下」する。オーディンさんは確かに強い。それも尋常じゃない程に。なにせ騎士団丸ごと1つを単独で、しかも短時間で潰したんだから。その戦力をアムルに常駐させておけば、確かにアムルは安泰だと思う。
「エリー。イリュリアが攻めてくるのが今回だけとは限らないのよ? ううん、間違いなくこれが始まりに――またこんな酷いことになってしまう。そうなったら私は耐えられない。私の育ったこのアムルの街がもう一度メチャクチャにされるなんて・・・」
ボロボロになった街並みを見回したアンナは泣きそうな顔になる。わたしももう一度見回す。本当に酷い有様だった。自然と両拳を握りしめてしまい、「わたしだってそうだよ。二度とこんな事されたくないよ・・・」って同意する。アンナは「だったら!」って詰め寄ってきた。
「でもそれで人ひとりの自由を縛っていいわけないよ・・・。それに、オーディンさんが居なくても第一~第三騎士団が国境を護っているから・・・」
ラキシュ領の領主であるヨーゼフ・シュミット伯爵が国境防衛のために置いた三騎士団。そんな彼らが護ってくれるって言ったら、アンナがキッと目を鋭くして「ソイツらがちゃんと護ってくれていたらアムルは壊されなかった!」って叫んだ。
言い返せなかった。死神騎士団が損害もなくアムルにまで侵入してきたっていうことは、イリュリアとの国境に居るはずの三騎士団と遭遇しなかったってことだ。よく考えればおかしい話だ。どうして三騎士団を素通り出来たのか判らない。わたしが言い淀んでいると、アンナが「まさか・・・!」って恐い顔をした。
「アイツ、わざと素通りさせたんじゃ・・・!」
最初は何を言っているのか理解できなったけど、アンナが何を言いたかったのかを理解した途端、わたしは愕然とした。アンナの言うアイツというのはきっとシュミット伯のことだ。そのシュミット伯が三騎士団に指示を出して、死神騎士団を素通りさせたって言っているんだアンナは。
シュミット伯。若くして(確か今21歳だったはず)ラキシュ領の領主となった伯爵で、2年前からわたしに求婚してきてる人だ。そんな人がこんな事をする(推測の域だけど)理由は・・・・
「信じられないけど、求婚を断り続けたわたしへの嫌がらせ・・・?」
普通に考えればあまりにも突拍子もない、有り得ない推測。すぐに切り捨てようって思ったけど、アンナは「絶対そうだ」って決めつけていた。
(違う、きっと・・・。嫌がらせなんかで街ひとつを・・・)
死神騎士団は運良く三騎士団に見つからないように接近してきたのかもしれないし。水掛け論になるのも嫌だから、今はとにかく住民たちを捜そうと街を歩き回る。団長の言っていた通りなら労働力として生かすつもりらしいから、どこかに監禁とかされているかも。
それともすでにアムル外に連れ出されているか。どっちにしても急いで助けないと。とりあえず緊急時の際に集合するように言われてる避難場所――アムル郊外の城塞跡に向かうことにする。難を逃れた住民たちが居るかもしれない。それにオーディンさんが無事だと報せてくれたモニカとルファとも逢えるはずだ。行き先を決めてすぐに行動に移る。
「目標を発見!」
というところに、最悪な展開が目の前に訪れた。灰色の甲冑を着た騎士。右肩の装甲に描かれている紋章からして死神騎士だった。数は3人で、全員大柄な大男。オーディンさんが討ち漏らした敵かと思ったけど、手にする武器も纏ってる甲冑を汚れていないところを見ると、
「援軍・・・! エリーは下がって!」
アンナが武装・“アインホルン”を起動して、使用人服から騎士甲冑姿になる。黒の使用人服に白銀の籠手と具足と胸甲が付いただけなんだけど、そもそも使用人服自体がすでに騎士甲冑。日常から魔力消費をどれだけ効率よく抑えられるかの鍛錬だって言っていた。
「3人位なら私独りでも十分なはず・・・!」
レイピア型の“アインホルン”を構えたアンナの足元に赤紫色のベルカ魔法陣が展開される。“アインホルン”にバチバチと雷撃が纏われ始める。アンナの魔力変換資質は電気だ。アンナの浅葱色の髪が電気の影響でフワリと浮く。それを見て3人の死神騎士が、大斧、大槌、大剣をそれぞれ構えた。
わたしはアンナの邪魔にならないように少しずつ後退していく。よく考えれば、援軍が3人だけなはずがなかった。トンと背中が何かに当たる。直後に両肩をガシッと掴まれた。恐る恐る振り返ると、灰色の甲冑を着た騎士が2人居た。
「酷い有様だったぜ先遣隊。一体誰がやったんだ、おい」
「心臓に魔力槍が一発。全員即死だったぞ。どんな腕だよ畜生が」
「痛い・・・っ!」
肩を掴まれる手の力が強まった。アンナが「エリー!」ってこっちに駆け寄ろうとするけど、それを止める他の死神騎士たち。アンナは首筋やお腹に刃を当てられて、わたしにはただ肩を掴まれているだけ。脱出するために何か良い手が無いか必死に思考を巡らせる。
オーディンさんはダメ。たぶんまだ団長と戦ってるはず。じゃあ・・・・打つ手が無い・・・? せっかく助けてもらったのに。ううん、諦めてはダメ。多少のケガは仕方ない。体当たりをして全力逃走。でもわたしはそれでいいとしても、アンナは一瞬で殺されてしまう。
「目標はソイツだな。早く終わらせるぞ。団長と副団長の戦死が確認された。団長たち、そして先遣部隊を討った奴が来るかもしれない。そうなる前に引き上げる。本作戦は失敗だ」
「隊長・・・」
「あの団長と副団長が死んだ? どんな化け物が居るんだよこの街には・・・!」
騎士団を率いる団長と副団長と言えば高位騎士だ。ただの騎士とは一線を画す実力者。でもそうだよね。オーディンさんの同時に複数人を打ち倒すあの魔導なら、1人相手に集中砲火すれば高位騎士だろうと無事じゃ済まないはず。
「ならさっさと殺して撤退しようぜ隊長」
わたしに突きつけられる大鎌の刃。今度こそここで終わり・・・? せっかくオーディンさんが助けてくれたのに。こんなことになるなんて。わたし、「助けて・・・オーディンさん・・・助けて」また頼ろうとしてる。
騎士の1人が「神様にお祈りか? 良い覚悟だ」って笑う。オーディンさんは神様じゃないけど。でも祈りたいのは確か。でも祈ったところでオーディンさんは現れない。だけどその代わりに・・・
――豪狼――
狼の頭の形をした複数の衝撃波がわたしとアンナを包囲してる騎士たちを討った。ホントに一瞬の出来事だった。地面に倒れ伏す騎士たちを見た後、今の魔導を放った人を確認する。端正な顔立ちの男の人が居た。紫色のサラサラの髪、翡翠色の瞳。ゆったりとした白の長衣を着ていて、手には反りのある剣。知っている人だった。何せついさっきまでアンナとの話に出てきていた・・・
「危ないところでしたねエリーゼ」
「・・・・シュミット伯・・・」
†††Sideエリーゼ⇒ルシリオン†††
「すぅすぅ・・・あたしは・・・アギトむにゃむにゃ」
「疲れて眠ってしまったか」
私の手の平の上で眠ってしまったアギト。随分と安心した表情をしている。にしても不思議な感覚だ。私とアギトがこうして一緒に居るなんて。アギトを起こさないように魔力の膜で覆い、手の平から浮遊させる。
「今はゆっくり休んでいてく――ん?」
中庭に向かおうとしていたところ、屋敷の角の陰に倒れ伏していた1人の男性を見つけた。おそらく中庭からここまで這ってきたんだろう。血の轍が中庭から続いている。もうピクリとも動かないため、残念だがもう逝去されたのかと思ったが・・・・
「生きている・・・!」
――傷つきし者に、汝の癒しを――
わずかに指先が動いた。虫の息だがまだ生きている。すぐさま中級治癒術式を発動。仰向けにして呼吸がしやすいようにする。顔を見れば歳はまだ50にも満たないだろう。顔は気難しそうだが、とても優しげな目を持っている。
「・・・気をしっかり保て! 目を瞑るなッ。開いて私を見ろッ」
しかしその目を塞ごうとまぶたが何度も閉じようとするのを、声をかけて意識を保たせる。ここで眠りについてしまったら間違いなくそのまま逝ってしまう。それほどの傷だ。正直人間がここまでのダメージを負って生きているのが信じられない。あまりの体の酷い有様に、このまま死なせた方が良いのかもしれないと考えてしまうが、それでも助けられるのなら助けたい。
――ねえルシル。その魔術は何のためにあるの?――
――ゼフィ姉様。それは・・・――
(守りたいモノを守るため。救いたいモノを救うため)
――今は戦時だから敵を殺すことが多くなる。だからその一線を忘れないでねルシル――
ゼフィ姉様――実姉ゼフィランサス・セインテスト・アースガルド――との約束を思い出す。殺すこと以外、人命を救うために魔術を使いたい。
「ごほっ・・・おま・・・エリー・・・ぅぐ・・拾って・・・男・・・」
「喋るなッ、死にたいのかッ!」
ラファエルでは限界があるか。私のように死に難い体なら時間をかければ大丈夫だろうが、あいにくと彼には時間が無い。だったら・・・
(記憶の消滅覚悟で・・・アレを使うか・・・)
記憶を取るか人命を取るか。2つの選択肢。考えるまでもない。すぐさま上級術式の発動準備。術式を組み立てて、
――女神の祝福――
私が有する治癒系術式の最高峰――エイルを発動した。エイルは対象が死人でなければ如何なる傷でも治すことが出来る術式だ。その分、魔力消費が酷いが、なんとかギリギリSSS範囲内に収めることが出来た。
以前の契約で次元世界に召喚された時、上級術式は空戦形態ヘルモーズ以外は制限されていたのに、この次元世界この時代では許される。だから本当に助かる。これで彼を助けることが出来るのだから。そう思ったのに・・・。
「駄目だ、目を閉じるなッ。もう少しだけ耐えるんだ! 思え、残している家族の事を! 生きようとする活力を捻り出せッ!」
すると彼の目に一度だけ光が戻った。僅かに口を開いて何かを言おうとしている。喋るなと言っているのに聴かない男だ。仕方ないから口元に耳を近付ける。彼は「わた・・の・・可愛・・・娘・・・エリーゼ・・・たのむ・・・」と血反吐を吐きながらも言う。私の可愛い娘エリーゼを頼む、か。エリーゼの父親だったのか。確かに目元が似ているか。
「判った! エリーゼの事は任せろっ!」
私は答えの選択を間違ったのかもしれない。彼は安堵したのか小さく息を漏らし、「ずっと・・・愛して・・と伝え・・・」と静かに目を閉じた。さっと血の気が引く。「諦めるな馬鹿者ッ!」と声をかけ、エイルの効力を上げる。と同時に「ぐっ・・・」頭痛と胸痛が。来た。私という存在を削る悪夢の予兆だ。彼の命の灯火が弱まっていく。さらに効力を上げようとしたその瞬間。
――あっ、ルシルだ。ジョニーは今居ないよ。もお、どこ行ったんだろ?――
(メイ・・・)
――こんにちはルシルさん。はい。みなさん、良くしてくれてます――
(ディズィー・・・)
――チッ。厄介な奴と出遭っちまったな――
(ソル・・・)
――おお、久しぶりっ、ルシリオンの旦那――
(アクセル・・・)
まるで走馬灯のように流れるかつての契約先世界で知り合った友人たちの顔と声。あぁ今度は君たちが私の思い出から去っていくのか・・・。ノイズが走り、目の裏に浮かぶ友人たちの姿が次々と消えていった。一瞬の暗転。
「・・・・あ・・・?」
視界が晴れる。
(また何かの記憶を失った・・・・のか? )
たとえ失ったのだとしても思い出す事も出来ない。思い出せもしないというのにしっかりと残っている喪失感。いや、失ったモノはもう取り戻せない。今は後回しだ。すぐにエリーゼの父親の容体を確認した。
「っ・・・・あは・・・ははは・・・。記憶を失って、目の前の命も救えない、か」
エリーゼの父親は絶命していた。「くそっ!」と地面を殴りつける。あまりの自分の無力さにどうしようもなく苛立つ。と「マイスター?」と側を浮遊している魔力球から声。アギトが起きてしまっていた。さすがにあそこまで声を荒げれば起きてしまうよな。
私を見るアギトに「起こしてしまってすまない」と謝る。アギトは小さく首を横に振った後、自分を包んでいる魔力球を心配げな目で見る。閉じ込められている、と思ってしまったんだろう。すぐに解除して、アギトの足元に手に平を持っていく。アギトはゆっくりと手の平の上に座り込んだ。
「眠っているのを邪魔したくなかったんだ。嫌な思いをさせてしまったんだったら・・・」
「ち、違いますっ。あ、いや、違わないわけでもなくてっ。えっと・・・!」
気を遣うか素直になるかどうかで混乱しているのか、アギトは首や腕を振りまくる。私は「気を遣わなくていい。素直に、君の本心を聞かせてくれればいいよ」と微笑みかける。するとアギトは「・・・閉じ込められたと思ってちょっと怖かったです」と俯いた。安心させるようにその小さな頭を撫でる。「うにゅ?」と声を漏らしたアギト。
「これ、頭撫でてもらうの、気持ち良いです・・・」
「そうか。それは良かった」
改めて自分の今なすべきことを考える。他にも生存者がいるかもしれない。だからいつまでも沈んでいるわけにもいかない。エリーゼの父親の手を胸の上で重ねた後、他の生存者を捜すために屋敷を後にする。屋敷の外は亡骸ばかりだ。私が討ったマサーカー・オルデンの騎士に、アムルを守っていた騎士たちのもの。
「コレ全部マイスターが・・・?」
「そうだ。私が恐いか?」
「う、ううん! 恐いんじゃなくてすごいなって!」
過剰な反応。やはりまだ抜けきっていないんだな、イリュリアでの酷い扱いを。当然か。私との付き合いの時間は1時間もない。そう簡単に忘れられないよな。私を非難するようなことを言ったら、また酷い扱いを受けるかもしれないと心の隅で思っているんだろう。こればかりは時間を掛けていくしかないか。だけど少しでも早く過去として忘れてくれるように。
アギトと向かい合って額をコツンと付け合わせて、「私に嘘は言わなくていい。さっきも言った通り素直な君でいてくれ」と言って離れる。少し考えた後に「はい」と返事をしたアギト。それから二手に分かれて生存者を捜索。アギトも最初は私と別行動するのが不安だったようだが、念話で話をしながらだったため頑張ってくれた。
『マイスターっ! 生きてる人を見つけました!』
『判った! よくやった、偉いぞアギト!』
『えへへ、はいっ!』
すぐさまアギトの魔力反応を探査・・・発見。剣翼アンピエルを発動させ、アギトの居る場所まで急行する。そこは壊れた家屋。外でアギトが待っていた。
『中に何人か居るよマイスター』
『よし。アギト、出来ればまた捜して来てくれないか?』
『え・・・。・・・はいっ、任せてくださいっ』
アギトは逡巡した後、強く頷いて飛んで行った。地面に降り立って家屋に入っていく。確かに気配がある。数は4人か。私は「エリーゼ嬢の使いですっ。怪我人が居れば出てきてください。治療します」と嘘交じりに告げる。
彼女の名前を勝手に出したのは悪いが、もし怪我人が居て、そして危険な状態で、しかし私を恐れて出て来ずそのまま・・・ということになっては笑い話にもならない。武器を持ってないとアピールする為に両手を上げ、出て来てくれるのをじっと待つ。複数の視線が向けられたのが判った。「あんた、エリーゼ様が連れてきた怪我人だったはずだ」と青年の声が聞こえた。
「・・・そうです。私は彼女に命を救われました。だからこそ恩を返したい。私に出来る事と言えば、この街を襲った騎士団を討ち、そして怪我人を治療するだけなんです。前者の方は果たしました。ですからお願いします。怪我人が居れば、助けたいんです」
偽善かもしれないな。純粋な思いではなくて結局は自分の為だ。恩を返したいという建前。そんなつもりはないんだが、そう捉えてしまう人もいるだろう。断られるかもしれないとも思う。でも、それでも出来ることをやりたい。
「前者は果たした、だって?」
「街を襲っていた騎士団は一人残らず討ちました。ですが援軍が来るかもしれない。ですからその前に可能な限り生存者を捜し出して・・・怪我をしていたら助けたい」
「奴らを殺したあの魔力の槍・・・あんたの仕業だったんだ・・・」
少しの沈黙のあと、奥からトテトテと一人の少年が駆け寄ってきた。するとさっきから私と話していた男が「アヒム!?」と、この少年の名らしきものを叫んだ。アヒムという少年がしがみ付いて来て、「お母さんを助けて!」と服を引っ張ってきた。
遅れて10代半ばくらいの少年と少女が出てきた。事情を聞けば彼らは家族だそうだ。マサーカー・オルデンに襲われて、だが連中が死んだ(私のカマエルによって)ところで逃げきることが出来た、と。しかしそれまでの間に彼らの母親が子供たちを庇って斬られて重傷を負ったそうだ。
「カール先生が居てくれれば良かったんだけど、行方が判らないんだ」
私と最初から話していた男は長男だそうだ。名はダニロ。歳は20にも満たない17。父親はアムルの防衛騎士。ダニロは言う。「父さんはもう死んでいる」と。それについては深くは聞かなかった。今はとにかく怪我人の治療だ。
案内された部屋に女性が一人ベッドの上にうつ伏せで寝かされていた。背中を斬られたんだな。すぐに怪我のレベルを診る。バッサリやられているが、背骨までは達していない。
「これならすぐに治せるぞ」
「ほ、本当ですか!?」
「お母さん死なない?」
「ああ、任せろ。もうこれ以上死なせるか・・・!」
――傷つきし者に、汝の癒しを――
両の手の平を傷口に翳す。生み出されるサファイアブルーの淡光。子供たちが口々に「綺麗」とうわ言のように言う。筋肉、神経、血管もろもろを修復しつつ、ゆっくりと傷口を塞いでいく。
「心拍数安定・・・よしっ。もう大丈じょ――っ!?」
最後まで口にすることが出来なかった。頭痛と胸痛に襲われてしまう。馬鹿な。Xランクの魔力は使っていない。 だがすぐに治まった。「あの、大丈夫ですか?」と少女――名はベッティ――が心配そうに私の顔を覗きこんできた。「ああ、大丈夫だ」と頷く。駄目だ、原因が判らない。
『マイスターっ! アイツらが、血染めの死神騎士団の援軍が街に入ってきましたっ!』
アギトから切羽詰まった念話。『判った。見つからないように気を付けてくれ』と返す。家を出る前に「君たちは怪我としていないか?」と子供たちに問う。子供たちは首を横に振った。よし。「君たちはこのまま隠れているんだ。いいね?」と告げ、踵を返す。背後からの感謝の声に手を小さく上げる事で応じ、外へ出て剣翼アンピエルを発動。した瞬間にまた起こる頭痛と胸の痛み。
「魔術発動で起こるのか・・・!?」
もしそうなら、これからどうやって“堕天使エグリゴリ”と戦っていけばいいんだ? 足りない。原因と対策を確立するための情報が無さ過ぎる。また失うのか? アンピエルを解除したくなったが、アギトが待っている。それにエリーゼ達の身の安全も確認しなければ。
そう、今は生命を選択するべき。奪っていきたいなら好きなだけ奪っていけ。覚悟を決めて空へと上がり、アギトの居る地点を目指す。アギトと合流する前に街の現状を確認出来た。灰色の甲冑を着た騎士団と、鋼色の甲冑を騎士団が衝突している。
『マイスター、こっちですっ!』
アギトと合流して、灰色の甲冑の騎士団がマサーカー・オルデンの後方支援部隊と教えてもらう。なら鋼色の騎士はアムルの援軍と見ていいか。それを念頭において空から戦闘区域を確認する。戦闘が行われている区域は全部で4つ。その内の1つに「エリーゼ!」を見つけた。
エリーゼと使用人の少女の2人に、民族衣装のような騎士甲冑?を着た青年が1人。3人の様子からして知り合いのようだ。使用人の少女からはビシビシ殺気が放たれているが、エリーゼが宥めている感じだ。で、その周囲にマサーカー・オルデンの騎士たちが26人。エリーゼ達はおそらく気付いていないな。
「それなら遭遇する前にここから潰すか」
左手の平を地上に向け翳す。ターゲットをロック。術式の構成開始。ランクは中級。効果は攻性。属性は破壊特化の炎熱系。
――舞い振るは、汝の獄火――
周囲に展開する火炎の槍。数は26本。1人につき1基だ。また起きる頭痛と胸痛。確定だ、魔術を使うと起きる・・・。
「マイスター? マイスターっ?」
「あ?」
「顔色が悪いですよマイスター・・・」
アギトが心配げな顔をして目の前に居た。「大丈夫だよ」とかぶりを振って、サラヒエルの射出するため号令を下そうとした。しかしここで気付いた。サラヒエルが解除されていて霧散していたのだ。意識しての解除じゃない。最悪な事はそれだけじゃなく、剣翼「アンピエルが!?」解除された。
そうなると、飛行能力を失うことになる。当然、私は真っ逆さまに落ちる。アギトが「ちょっ、ええっ?」といきなり私が落下し始めたことに驚愕の声を上げた。すぐにアンピエルを再発動しようとするが上手くいかない。
「マイスターッ!!」
アギトが真っ直ぐ急降下して来て、私の右腕を取って落下を止めようとした。だが体格差はもちろんのこと落下速度もあり過ぎた。止まらない。アギトが「うぐ」と苦悶を漏らす。アンピエルがダメなら、これでどうだ。大気を魔力で無理やり操作して、真下から突風を起こす。単純な気流操作。だというのに起きる2つの痛み。
(魔術が原因じゃない・・・!? じゃあ一体どうし――まさか!)
自分の体の現状を確認することで1つの推測が立った。そしてその推測通りなら全てに得心がいく。しかし、笑いたくなるほど弱体することになるな。
(まさか一定の魔力値以下になってもアウトだとは・・・)
Xランク以上の魔力を用いた魔術を使ったらアウト。魔力残量がAAランク以下にまで減ってもアウト。いや、今さらだ。これまでに訪れた契約先世界でも滅茶苦茶な制限は受けてきたんだ。原因が判った。対策も立てることが出来た。普段はそれに注意し、“エグリゴリ”戦の時に全てを捨ててでも全力を出す。
「マイスターっ!」
「大丈夫だ!」
アギトを胸に抱いて着地態勢に入る。
†††Sideルシリオン⇒エリーゼ†††
シュミット伯から語られる、死神騎士団がアムルにまで侵攻して来た原因。ラキシュ領防衛三騎士団がラキシュ本都の祭時の為に国境から離れていたから。この時点でアンナは完全に怒って、わたしも正直怒り・・を通り越して呆れたような悲しいような複雑な気持ちを得た。
「一度に三騎士団を国境から離すなんて馬鹿じゃないのっ!」
「アンナ、シュミット伯に失礼過ぎだよ」
「いいえ、いいのですよエリーゼ。彼女のお怒りはごもっともです。第四騎士団、第五騎士団、第六騎士団を配置する予定だったのですが間に合わずこのような・・・」
シュミット伯は続ける。絶対に漏れるはずのないその情報がイリュリアに漏れてしまって、こんな惨事が起きてしまった、と。頭を下げて謝るシュミット伯にアンナが「結局は全部あんた達が下手をうったからじゃない!」って斬りかかる勢いで詰め寄った。わたしはアンナにしがみ付いて止める。伯爵を斬ったってなったらアンナは処刑まっしぐらだ。
「何が政よっこんな時期に! どうせわざと騎士を引かせたんでしょっ!? 情報をイリュリアに流して、アムルへ侵攻するよう仕向けたっ! エリーに求婚を断られ続けた腹いせの為にッ! 違うっ?」
(そんな推測の域を出ない話を包み隠さず言っちゃうの!?)
ほら、シュミット伯も呆然としてるよっ。でもすぐにシュミット伯が笑いだす。そんなところに、「エリーゼ!」ってわたしを呼ぶ声。真上からだ。
「オーディンさんっ!」
ズンッと砂埃を上げてオーディンさんがわたしの目の前に着地した。オーディンさんは「敵が迫っている。戦える者は手伝ってくれ」と倒れている死神騎士から槍を取った。あれ? さっき魔導を使うのに媒体とか使っていなかったのに。
というかその小さい女の子は誰ですか? 布切れ一枚を纏っただけ(しかもオーディンさんの騎士甲冑の一部だし)の赤い髪の女の子。その子は誰ですか?と問う前にシュミット伯が「エリーゼ。彼は一体・・・?」と訊いてきた。
「えっと、オーディンさんと言いまして、シュミット伯たちが来るまで死神騎士団と戦ってくれた御方です」
そう、オーディンさんが居てくれたから、わたし達は助かった。アンナが「あんた達なんかよりよっぽど頼りになるわ」って挑発的に続く。それを気にせずシュミット伯は「我々が来るまで? では先遣部隊を殲滅したのは彼が?」と戦慄してる。でもすぐにニコッと笑顔を浮かべてオーディンさんに向き直った。
「はじめましてオーディン殿。僕はラキシュ領領主ヨーゼフ・シュミット伯爵です。このたびは――」
「シュミット伯。残念だが今は挨拶している暇はない・・・!」
その言葉と同時に四方八方から灰色の甲冑の騎士が現れた。敵を視認した途端にオーディンさんとシュミット伯は駆けだして戦闘に移った。そして小さい女の子もオーディンさんに続いて戦闘開始。火炎の球や短剣を撃ち放っていく。
すると死神騎士たちが「なぜプロトタイプが敵に回っているんだ!?」「命中率が上がっているぞ、どういうことだ!?」「裏切ったな!」だとか口々に怒りを示す。あの女の子、まさかイリュリアの仲間だったの?
「アギト、気にするな。君の居場所はここだッ」
「っ・・・はいっ、マイスター!」
オーディンさんに、アギト、って名を呼ばれた小さい女の子の表情が輝く。あぁそうか。アギトという子はオーディンさんに惹かれたんだ。
「あたしはもうプロトタイプじゃないっ。あたしは・・・アギトだッ!」
炎球が騎士たちの動きを制して、その間にオーディンさんが槍で一突き。それで終わりだ。強い。魔導なんて使わなくても十分強い。それなのに・・・
「あの人、動きが変。それに顔色も悪いし呼吸も荒い。どうして魔導を使わないの?」
「・・・・うん。空に居たんだったらわざわざ降りないで攻撃すればよかったのに」
オーディンさんの身に何かが起きている。一体何が。おそらく「魔導が使えなくなってる?」だ。シュミット伯の戦う姿が視界から消えて、わたしの視界にはもうオーディンさんしか入らない。オーディンさんを包囲して一斉に襲いかかろうとする死神騎士たち。
アギトの援護は間に合わない。オーディンさんから魔力が発せられる。魔導を使うみたい。でもすぐに何事もなかったように消える。どこか痛いのか顔を顰めるオーディンさん。結局、地面を転がるようにして包囲から突破、切り抜けた。でも転がる最中にも攻撃することは忘れない。拾った剣で敵の脚を斬りつけていた。
(まさかオーディンさん・・・魔力が・・・?)
魔導を発動させようとしても出来ない理由。いくつか理由があるけど、一番しっくりくるのが魔力切れ。あれほどの高威力な魔導を連発していたんだから、魔力が空っぽになっててもおかしくない。だから、わたしはアンナに向いて「オーディンさんにクス・デア・ヒルフェを使う」とハッキリ告げる。
「・・・・はあ!? ちょっ、エリー、そこまでしなくてももう戦いは終わる!」
「でも万が一があるからっ。オーディンさんっ!」
「離れているんだエリーゼっ、巻き込まれたいのかっ!」
オーディンさんが遠ざかる。それだとクス・デア・ヒルフェが使えない。乙女の祝福。それはわたしの――正確にはフォン・シュテルンベルクの女性にのみ発現する能力で、口づけすることで自分の魔力を相手に供給できるというものだ。
クスとは言っても絶対に唇と唇じゃないとダメというわけじゃない。相手の地肌に唇が触れさえすれば。だからオーディンさんの手の甲にでもいいからクス・デア・ヒルフェを使えば、オーディンさんは魔導を使えるはず。そう思ったのに、声をかけたら余計に離れていってしまった。
それから、オーディンさんはたびたび危ないところもあったけど、シュミット伯とアギトのおかげで何とか乗り切った。死神騎士団の脅威もようやく去って、わたし達が一息吐いていたところに、
「報告します。アムルに居たマサーカー・オルデンの全滅を確認しました」
「報告します。マサーカー・オルデンに拉致されていたアムルの民を発見、救出することに成功しました」
「報告します。拉致を逃れ隠れていた者たちを保護しました」
次々とシュミット伯の元に報告してくる騎士たち。その内容はあまりにも嬉しいモノで。だから知らずわたしは涙を流していた。そこにオーディンさんが来た。視界で滲んでいるけど判る。オーディンさんの表情が悲しみに歪んでいるのが。
「・・・エリーゼ。君のお父上から最期の言葉を承っている」
「え・・・?」
訊き返してしまった。だって父様はオーディンさんが来る前にもう殺されていて・・・。アンナが「嘘を言わないで!」って怒鳴る。それを「アンナ待って!」と制する。袖で涙を拭って、しっかりとオーディンさんの顔を見て「聞かせてください」と促す。
「・・・ずっと愛している、と」
「・・・っく・・・うぅ・・・とう、さ・・ひぅ・・父・・・さまぁ・・・父様ぁ・・・!」
「エリー・・・エリー・・・!」
声が出るのを抑えられない。しっかりしないとダメなのに。アンナがわたしを抱きしめて一緒に泣いてくれる。それで限界だった。もう人の目とか気にすることもなく、自然に泣き止むまでわんわん泣いた。
そこからどれくらい泣いたんだろう。街がもう夕陽に染まってしまってる。
シュミット伯の指揮の下、三騎士団が街の状況――正確な被害や修復までの時間などを調査して報告し合っているのを聞く。最終報告は、アムル防衛騎士は全滅、住民からも48人の死者、壊された家屋やお店は多数。たった数時間で変わり果ててしまった。途方に暮れていると、シュミット伯が歩み寄ってきた。
「エリーゼ。今回の事は誠に申し訳ない。僕が浅はかだった・・・」
「っ!・・・全部・・・全部あんたが・・・あんたの所為でアムルはッ!」
わたしが止める間もなく、アンナの放った拳は真っ直ぐシュミット伯の頬を打った。それを見た騎士たちが武器を構えて「無礼な!」「分を弁えよ小娘!」「覚悟は出来ているだろうな!」と怒声を上げる。
血の気が一気に引く。すぐに謝ろうとした時、シュミット伯が「よせっ。悪いのは僕だ」って騎士たちを制した。命令に従って騎士たちが引き下がる。わたしは「寿命が縮まるかと思ったでしょっ!」とアンナを叱る。
「・・・エリーゼ。君も僕を殴るくらいの権利がある」
わたしを見詰めるシュミット伯は両手を後ろで組んでジッと待つ。仕方がない。その一言で済むような事件じゃないのは確か。父を失い、民も少なからず失った。悲しみもある。怒りも・・・ある・・・。わたしは右手を振りかぶり、シュミット伯の頬を叩いた。
「・・・・もし叩かれずに許されていたら僕は、僕自身を許せずにどうにかなっていた」
シュミット伯は安心したように苦笑いを浮かべた。そして、
「こんな時になんだけど、エリーゼ、僕と結婚してくれ。そして共にラキシュで暮らそう」
「・・・・え?」
「何を言い出すのかと思えば、結婚してくれ? 共に暮らそう? 冗談も大概にしてよ・・・!」
「冗談なんかじゃないよ。アムルはイリュリアとの国境近くの街で、これからは常に危険と隣り合わせになる。でも領内奥にあるラキシュ本都なら、もうこんな惨劇は起きない。だから・・・アムルの民と共に移ろう」
わたしに手を差し伸べるシュミット伯。アンナは「駄目よエリー」って止めてくる。答えは考えるまでもなくずっと前から決まってる。ジッとシュミット伯の目を見る。
「ありがとうございます、シュミット伯。ですが以前から申し上げている通り、わたしには夢があります。まぁその夢も恐らく今日で終わりを迎えますけど。ですが新たな夢が出来るんです。このアムルの街を必ず復興させ、イリュリアからの侵攻にも負けない街に成長させる。ですからあなたの求婚には応えられません。ごめんなさい、こんなわたしを好きになって頂いて、光栄に思います」
頭を下げる。わたしのような小娘を目にかけてくれて本当は嬉しい。でも応えられない。わたしはエリーゼ・フォン・シュテルンベルクだから。シュミット伯から何の返事もないから頭を上げようとして、耳に届く小さな小さな声。
「どうしてダメなんだ・・どうして判ってくれないんだ・・どうして僕のモノにならないんだ・・どうして、どうして、どうして・・・どうして僕の思い通りにいかないんだ!?」
「シュミット伯・・・!?」
「ちょっ、いきなり何!?」
シュミット伯が髪を掻き毟って唸り声を上げる。アンナがわたしの腕を掴んで、自分の後ろに引っ張り込んだ。アンナの背中越しに見るシュミット伯は恐い。ギロッと睨んで来て、背筋が凍った。周りに居る騎士たちもその様子の変わりように混乱してる。わけが判らずに見守っていると、
「ヨーゼフ・シュミット伯爵とは、あなたのことか・・・?」
凛とした男の人の声が響いた。声のした方を見る。そこに立つ人を見て絶句。最初は信じられなかった。幻かと思った。でも歩いてこっちに来てる。本物だ・・・本物の・・・
「クラウス・G・S・イングヴァルト殿下・・・!」
目を逸らせない。まさかクラウス殿下をお目に掛ける日が来るなんて。激昂していたアンナですらも身動きひとつしないで殿下を見詰めている。シュミット伯も黙り込んで身震いしていて、騎士たちは片膝をついて礼の姿勢を取る。
「聞こえなかったのかい? あなたがヨーゼフ・シュミット伯爵か?」
「そ、そうです・・・。で、殿下、なぜラキシュ領に・・・?」
シュミット伯が殿下の問いに答えた途端、殿下の表情が険しいものになった。
「あなたを拘束するため、と言っておこうか。容疑はイリュリアへの情報漏えい。その結果、どういうことになったのか・・・判るだろう?」
殿下は何を言って・・・?
「やっぱり・・・私の推測が当たってた・・・?」
アンナから放たれる強烈な魔力流。そして殺意。推測。シュミット伯が三騎士団に指示を出して、死神騎士団を素通りさせたっていう。嘘・・・そんなの・・・。今回の死神騎士団の侵攻が・・・シュミット伯に仕組まれた?
「は、はは、はははは。殿下、一体何を――っ!」
殿下の率いていた近衛騎士が一人の男の人を連行してきた。知っている人だった。だって、わたしが憧れて師事していた医者なんだから。
「カール、先生・・・」
カール・アーレンス、その人だった。どうして拘束されているのか判らない。
殿下は話を続ける。カール先生がシュミット伯の命令で、イリュリアに居る軍事医師に情報を流した。今日この日、たった数時間の間だけ国境から三騎士団が居なくなるっていう。その情報の下、死神騎士団はラキシュ領に侵攻してきた。完全支配の足がかりとしてまずはアムル。そのアムルを統治するフォン・シュテルンベルクの人間の殺害。
「すまない、エリーゼ君」
カール先生は跪いて額を地面に何度もぶつけながら謝る。もう判らない。何を信じていいのか、全然判らないよ。今自分が立っている場所が揺らいで崩れていく感覚。
「き、貴様ぁぁーーーーッ!!」
アンナがシュミット伯を全力で殴り飛ばした。上手く思考が働かない。混乱の極みってやつなんだと思う。でも徐々にひとつだけ確かなモノが浮かび上がってくる。怒りだ。
「どうして自分の領内・・・アムルに敵国の騎士団を入れたの?」
近衛騎士の1人に立たされたシュミット伯に問いかける。どんな理由でこんな最悪な事を仕組んだのか聞いておきたい。もう言葉を交わすことが絶対にないから今の内に・・・。
「君を手に入れるためだよ、エリーゼ。君のことが好きだから。手に入れたいから、僕はこの外道の手を選んだ。君の知り合いが多く死ねば、心細くなった君は僕を選んでくれると思ったか――ぅぐっ」
殴った。初めて人を本気で殴った。もう許せなかった。聞いていたくなかった。シュミット伯に言うことはたった一言「さようなら」だけだ。
「君は解っていない! 君のその能力は、この戦乱の時代において貴重なものだ!」
「連行だ。ヨーゼフ・シュミット、あなたの爵位を剥奪する。カール・アーレンス、罪は罪だ」
殿下の指示によってシュミット伯とカール先生、そして騎士団が連行されていく。わたしに好意を持ってくれたことへの嬉しさはもうどこにも無い。好きだって言ってくれたのに、結局はわたしの能力を欲していただけ。その上カール先生にも裏切られちゃった。あはは、参ったなぁ。
「エリーゼ・フォン・シュテルンベルク嬢。お父上のことは誠に残念です」
「・・・・うえっ?」
沈んでいた気持ちがごっそり失せる。だって殿下に声をかけられるどころか名前を呼ばれたんだから。殿下は「今後のアムルについてですが・・・」とわたしにとって一番重要な話を切り出してきた。今しかない。話すなら、わたしの思いをぶつけるのなら今しか。
「わたしがっ、わたしが父の爵位を受け継いでアムルを統治しますっ!」
「・・・・大変ですよ、街を一つ治めるのは。それでも――」
「やります。わたしは、エリーゼ・フォン・シュテルンベルクですっ!」
殿下を真っ直ぐ見詰める。殿下も真っ直ぐ見詰め返して下さる。そして「父に進言しておくよ。アムルはエリーゼ男爵に任せたい、と」そう言って下さった。今まで成り行きを見守ってくれていたアンナが「エリー」と微笑んでくれた。
「騎士団の一部と医師団は置いていきます。好きに指示を出してくれて結構です。そして、明日より行う街の復興に必要な人員と資材も用意します」
「な、何から何までありがとうございます殿下」
「シュトゥラの民の生活と安全を守るのが我々の務めですから。ところでエリーゼ嬢。先程から気になっていたのですが、彼は一体? あの銀の髪に紅と蒼の虹彩異色。シュトゥラ国内には居ない特徴です。どういう経緯でこの街に?」
殿下の視線の先にはオーディンさんとアギトが居た。明らかに殿下はオーディンさんを警戒している。わたしは事の経緯を包み隠さずに殿下に話す。敵対してほしくないから。
瀕死の重体のオーディンさんを山奥で見つけたこと、放っておけなくて街に連れ帰って治療したこと、一週間後の今日目を覚ましたこと、死神騎士団に襲われていたところを救ってくれたこと(コレ重要)、そして記憶の一部を失っていること(コレも重要)を。殿下はわたしを見つつも決してオーディンさんから意識を離していなかった。
「――単独で騎士団を潰す魔導・・・、それはなんとも・・・凄まじいですね。彼から少し話を聞いてみたくなりました」
殿下が踵を返してオーディンさんの下へ歩いていく。
「オ、オーディンさんはきっと良い人ですっ。か、勘なんですけど・・・!」
もし戦うことになったら、今の魔力切れのオーディンさんじゃ殿下に絶対に勝てない。殿下は「戦う気はありません。今のところ、は」と歩みを止めることなくオーディンさんの前に赴いた。
「はじめまして、僕はクラウス・G・S・イングヴァルトという。まずはアムルを守ってくれたことに礼を言わせてくれ。ありがとう」
「・・・オーディン・セインテスト・フォン・シュゼルヴァロードです、クラウス殿下。それと礼など無用。礼が欲しくて戦ったわけではないのだから」
オーディンさんは片膝をついて礼の姿勢を取ろうとしたけど、殿下が手で制した。
「結構だよ、オーディン殿。あなたはシュトゥラの王族に対して礼義を取る必要のない人なのだろうから」
「なるほど。私がシュトゥラの人間ではないと確信しているわけ、か」
言っちゃった。それよりもそう断言できるということは、オーディンさんの記憶が戻ってる・・? あ~殿下が身構えた。オーディンさんもいつでも動けるように意識してるし。お2人を止めるだけの勇気が無いよ、わたし。
「シュトゥラ・・アムルへ来た目的は?」
「偶然でしかない」
「詳細を聞かせてくれないか・・?」
「・・・・捜しモノをしている。その捜しモノが偶然ベルカにて発見された」
「ベルカにて、ということはあなたはベルカの人間では・・・」
「ああ、ベルカ人ではない。他世界から来た」
オーディンさんはシュトゥラどころかベルカの人ですらない・・・ミッドチルダ人? あぁそうか。今思えばオーディンさんの魔導はベルカじゃ考えられないものだった。殿下は質問を続ける。「その捜しものとは? それに瀕死の傷はどこで?」という問いに、オーディンさんは苦い顔をした。
「捜しモノは一種の兵器で、名をエグリゴリという。怪我はエグリゴリとの戦闘によって負わされたものだ」
「オーディンさんを負かす程の強さ・・・!?」
驚いてしまってつい声を出してしまった。するとお2人の視線がわたしに向いて、ハッとして両手で口を塞いだ。だってあのオーディンさんをあそこまでボロボロにするほどの強さって、“エグリゴリ”って一体どれだけ強いの?
「安心してくれていい。エグリゴリを見つけ破壊するまではベルカに留まることになると思うが、この戦争に好き勝手干渉するつもりはない」
「そのエグリゴリという兵器が我々ベルカ人に危害を加え、ベルカをさらに混乱させるようなことが無いとは言い切れないのでは?」
「確かにな。そうならないという確約は出来ないが、まずないだろう。もしあったとしてもこのアムルだけは必ず守るつもりだ」
オーディンさんのその言葉に、わたしとアンナと殿下は揃って「え?」って訊き返した。アムルだけは守る。その理由が判らない。助けた恩なら十分返してもらった。だから話に割り込むのを失礼と思いながらも「どうしてですか?」と尋ねる。
「・・・君の父親との約束だ。君への遺言の他に、私にある願いを託した。エリーゼのことを頼む、と。ひとりの男が死に際に願った思いだ。同じ男として果たさなければならない」
「父様が・・・」
オーディンさんのことを追い出せ、なんて言っていたのに。わたしとアンナがあの場から去った後、一体何があったんだろう? そのことを今すぐにでも詳しい話を聞きたいんだけど、殿下の用件が済まない限りは待つしかない。
「信用してくれとは言わない。が、私はこの誓いは破らないと、エリーゼに約束する。この街を害するモノが現れた時、私は全力を以って迎撃し、排除する」
「それはエグリゴリだけでなくイリュリアからの侵攻にも該当するのかい?」
殿下の確認にオーディンさんは「もちろんだ」って即答した。アンナから『どうするエリー? 彼がそう言ってくれるのなら、留まってもらった方がいいわ』と念話が。むぅ、オーディンさんが居てくれるのは本当に助かるんだけど・・・。わたしは「本当にそれでいいんですか?」とオーディンさんに確認を取る。
「私は構わない。問題は君たちの意思だ。私のような者が街に留まるのが不安だと言うなら出て行こう。別段この街に留まる必要性もないしな。で、それについて心配ないよう先に約束する。たとえ私が街の外に居ようともイリュリアの騎士が来ようが、万が一にエグリゴリが来ようが必ずアムルを守りぬこう」
揺るぎない決意に満ちた顔だった。だからわたしは「お願いします。もちろんこの街で一緒に」と握手を求める。オーディンさんも「こちらこそよろしく頼む」って握手に応じてくれた。
「オーディン殿。その誓い、僕も信じます。ですから裏切るようなことがないように」
「判っている。決して信用は裏切らない。あと、殿、は要らない。オーディンでいい」
頷き返す殿下とオーディンさんも握手を交わした。
「ではエリーゼ嬢、我々はこれで。第一隊から第九隊はアムルの防衛を務めよ。医師団は負傷者の治療に専念。残りは僕と共にこれよりヴィレハイムへ帰還する」
殿下は威風堂々然と騎士団を引き連れて王都に帰っていった。姿が見えなくなるまで見送り、あまりにも長く感じた一日は終わりを告げる。
「エリー!」「エリーちゃ~~ん!」
「モニカっ、ルファっ!」
わたしと同じカール先生を師事していた医師見習いのモニカとルファが駆けてきた。3人で抱き合ってお互いの無事を喜び合う。オーディンさんの言っていた通り、2人は怪我1つなかった。しばらく抱き合って、モニカとルファがオーディンさんの姿を見つけた途端、
「オーディンさんっ、助けてくださってありがとうございましたっ」
「すごい魔導でしたっ。というかあれだけの怪我を治した治癒魔法って何ですかっ?」
きゃあきゃあ騒ぎながら詰め寄った。オーディンさんの肩に座るアギトがビクビクしていて可哀想。オーディンさんもタジタジな様子。わたしは「オーディンさんが困ってるでしょっ」と止めに入る。多くのモノを失って、でも得ることもあった今日という忘れえない日。
(父様、母様。わたしは、アムルと共に生きていきます。だから見守っていてください。2人が愛したアムルは、娘のわたしが絶対強くしてみせますから)
わたし、エリーゼ・フォン・シュテルンベルクは、空に向かって誓いを立てた。
†††Sideエリーゼ⇒????†††
幾百年と続く、終わり見えない永き旅。我らは多くの人間の手を渡り歩き、その都度、我らを手にした者を主として我らは仕え、主の命の下に戦場を駆け、数多の人命を奪ってきた。
我は呪われし魔導書。人間は我らの力を欲し続ける。覇道を歩みたいがため。しかし待ち受けるのは逃れることの出来ない破滅の道。
あとどれだけ命を奪えばいい? あとどれだけ騎士たちに苦しみを背負わせればいい? あとどれだけ旅を続ければいい? 誰か教えてくれ。誰か騎士たちを救ってくれ。
「・・・我は闇の書。無限に旅をする呪われし魔導書・・・」
どうか次代の主が、我が一部の騎士たちに、ささやかでも構わない幸福を与えてくれる者であるように。
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