ボロボロの使い魔
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『橘』
「異世界…か」
橘は、ため息混じりに呟きながら窓を開け、夜空を眺めた
そこに浮かぶ二つの月は幻想的な輝きを放ちつつも、現実としての存在感を橘に突きつける
それは、自分が出した結論を小学生みたいだと笑うことを許してくれなかった
そうでなくとも、この世界は自身の常識と噛み合わず彼を混乱させているのだ
「この子供が、俺を呼んだだと…?」
ベッドに寝かせているルイズを見下ろす
その顔は苦い
アンデットでも無い只の(というには髪の色が派手すぎるが)少女がそれを行っ たと言うのはにわかには信じがたい
だが、覚醒してから今に至る、決して長いとは言え無い時間の中で目にしたものの数々は、戦士 として闘い抜いた彼であっても容易に受け入れられるものでは無かった
その為、この少女とまともな話も出来なかっのだ
それは、仕方の無い事だとも思う一方で、やはり、あまりにイタくみっともない事だったと反省する
自分は強い男では無い
少なくとも、橘自身は自分をそうだと考えている
だが、もし自分が年相応に落ち着いて、状況を把握する事を出来ていれば
自分が大人として、少女の話を聞いてやることが出来ていれば
少なくとも、この子が倒れる事は無かったはずだ
ルイズの顔色を目にし、倒れるまでに気づいてやることが出来なかった罪悪感を感じながらも、彼は改めてこれからの事を思案る
先程までは感情的に言い合うだけだったが、彼の知性は本来、非常に高い
『サウスハービー大学』
卒業は伊達ではなく、召還直後から今に至るまで交わされた会話を、記憶から苦もなく探ると、ゆっくりと時間をかけて状況整理と理解に努める。
…しばらくして、彼は頭を抑えるともう一度ため息をついた。
それは先程ついたものより大きい。
「…どうやら、簡単に帰れそうには無いようだな…」
『元の世界に帰る』
そう、それが最優先事項
だが
サモンサーヴァント
少女が怒鳴りながらも説明していた内容によれば、儀式は基本的に一方通行
この世界に住まう動物(自分の知る常識では有り得ないものまでを含むが)などの生き物を召還 するのが通常であるらしい
また、召還した使い魔と主は一生を共にするパートナーであり、気に入らないからといって新た に呼び出す事は出来ない
そのため呼び出す魔法は存在するが、逆に使い魔を返す魔法など存在しない
…例外はあるとの事だったが、自分に杖を向け、慌てて師らしき存在に静止されたルイズの顔を思い出す限り、きっとろくな事ではないに違いない
そしてもう一つ
今の自分がそうであるように、異世界から人間が召還されたなど前代未聞のことらしい
それはつまり、詳しい情報を求める事が難しいという事になる
よしんば、送り返す魔法が見つかったとしても例外中の例外であるらしい自分が、それで帰る事ができるかどうかも怪しい
また、もしかしたら別の、とんでもない世界に飛ばされるかもしれないのだ
安全かつ確実な世界転移の方法を、この右も左も、一般常識さえ検討のつかない世界で探す
その、あまりに難題すぎる例題は、元は優秀な研究員として働いていた橘であっても途方にくれ てしまった。
だが、 なんとしてでも、自分は元の世界に戻らなければならない
そして、やらねばならない仕事が残っているのだ。
世界を救った男がいた
彼は自分の後輩だった
自分と違い、システムに適合するという理由だけで選ばれた男
『人を守りたいんです』
初対面の日、そんな馬鹿げた言葉を臆面もなく言い切った男
最初は、邪魔なだけだった
彼は事あるごとに自分に付きまとい、教えを乞い、
いざ、戦うとなれば闇雲に動くばかりで自分の足を引っ張った
だが、彼はボロボロになりながらも少しづつ、成長し
足手まといの後輩は、いつしか頼れる相棒に姿を変えていた
助け、助けられ
大地を肩を並べ疾走し
共に空を駆けた
そして、自分をも乗り越えていった彼は、願いを叶え、世界と友の全てを護った。
自身を、永劫の楔に繋ぐのと引き換えに
彼は今も、戦い続けている
どこかで、運命と。
「…剣崎」
彼をその運命から救いたい
その願いから始めた研究は、未だにロクな成果を出せず、時には仲間に迷惑をかけた事もあった
それでも諦める訳にはいかない
それが、仲間といいながらも結局、彼1人に全てを背負わせてしまった自分ができる先輩として
そして友としての責任だと橘は考えていた。
今、ベッドで穏やかな寝息をたてている、幼く、あどけなささえ感じる少女
…本当に、本当に情けない事だが
この世界にきたばかりの彼が信用し、頼る事ができるのは
自分を『使い魔』として召還した、 彼女しかいなかった 三度、ため息をついて右手の甲を見る
彼女の師を名乗る男が、珍しいという理由でスケッチしていったルーンがそこにはあった
こんなものを勝手に刻まれ、一生仕えろなどと言われた事を思い出せば、勿論気分のいい筈も無 く、頭にくる。 だが、召還当初のように爆発しないのは何故なのだろう それは単純に、流れた時間が状況を理解する余裕を作ったからか
無体な罵りを続ける少女が黙ったからか
それとも
『甘いんですよ橘さんは…甘すぎます』
そう自分を評した、もう1人の後輩と、どこか似たものを
自分を主と認めろと、必死に虚勢を張り続ける彼女から感じたからか。
「…馬鹿馬鹿しい」
流石に自分の思考に苦笑した
彼は確かに甘い
だが、あまりにも傲慢なこの少女に、軽々しく頭を下げられる程、彼のプライドは安くは無かっ た
使い魔はパートナー
少女は確かにそう言った(最後の方は、下僕と言っていた気もするが)
ならば、二人の関係は対等という事だ
ルイズは橘が元の世界に帰る事を手伝い、その目処がつくまで、橘がルイズを手伝う
明日の朝、 そう提案してみよう
多分、それが今のベストだ
ルイズは…恐らく拒まないだろうと思う『平民』である自分を召還したことに、あれだけ憤って いたのだから。
『貴族』と『平民』
この世界において、その単語の意味するところを橘はまだ理解できていない
執拗にルイズが繰り返していたことから、彼女にとっては、余程重要な事なのだろうと思うだけ である
召還当初、ルイズに平民かと訪ねられ、そして橘は否定しなかった
それは単純に、混乱していてそれどころでは無かっただけだし、今冷静に考えても自分が貴族な どである筈がない
初めて自宅に招いた時、彼女が見せた引きつった笑顔が忘れられない
自分は平民
だが『只の平民』でも無かった筈なのだ
しかし
今、改めて探る衣服のポケット、そこにはやはり何も入っていなかった
彼と共に常にあり彼の力となり続けたそれは、今、彼の手には無かった
ため息をつく
これで何度目になるだろう
何故、自分は持っていないのか
何故、服がボロボロなのか
探ろうとする召還される直前の記憶は、まるで霞がかかったかのようにボヤけていて思い出す事 ができない
それもこれもサモンサーヴァントとやらの影響なのか。 見知らぬ異世界を探ろうとするにはこの現実はあまりに辛い
正直ルイズが、使い魔として自分に何を求めているのかは解らない。
だが、自分には他に選択肢が無い。
とにかく、やるしかないのだ
こんな所でモタモタしている暇はない
最後にそう自分に言い聞かせると、橘はそのまま床に寝転んだ
同時に襲ってくる睡魔に抗うことなく眠りにつく
彼の精神も相当にまいっていた
長い一日がようやく終わる
二人の、疲弊した心身が求めた睡眠は
翌日、遅刻寸前で目を覚ましたルイズが、ドロップキックで橘を蹴り起こすまで続くのだった。
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