赤城と烈風
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冬の戦争
蘭印防衛用戦闘機フォッカーD21
前書き
改定前
1939年9月に東欧の親日国、ポーランド陸海空軍は東西挟撃を受け奮闘。
英仏両国の宣戦布告も、独ソ両軍の進撃を遮る事は出来ませんでした。
10月バルト三国は軍事基地の建設、ソ連軍の駐留を認め翌年に独立を放棄。
北欧の親日国フィンランド防衛軍も翌月、蹂躙の危機に曝。
森と湖の国を護る陸軍は数日後に壊滅、厳寒期の到来前に全土占領の計画でしたが。
マンネルハイム将軍と部下達は戦車2385輌、航空機670機、火砲1880門、総勢45万の軍勢に苦戦。
10倍を超える侵攻軍を相手に苦闘する独立国に向け、世界各地から救援物資が贈られました。
フィンランド空軍は単葉低翼、近代的な戦闘機36機を保有。
元は蘭印防衛用に発注、開発の通称《フォッケル》は国内製造も可能ですが。
フォッカーD21以外は複葉旧式機、上昇力不足・低速の為に爆撃の妨害も困難です。
やや旧式とも言い得る羽布張り、簡素な構造の輸入戦闘機は想定外の戦場で意外な長所を実証。
固定脚ながら簡素で頑丈な構造を有し、空戦性能も充分に同時代の戦闘機と渡り合えました。
史上稀に見る寒気に耐え何事も無く戦闘を継続、腕利きの操縦士達から絶大な信頼を獲得します。
フォッカーD21戦闘機は旋回性能に優れる複葉機I-15、突進力に優れる単葉低翼機I-16相手に奮闘。
飛行性能は大体、両機の中間に相当すると見て良いかと思われます。
645馬力の発動機を搭載し最高速度395km/h、ブローニング7.92ミリ機銃4挺も備えますが。
I-15戦闘機は最高速度360km/h、I-16戦闘機は最高速度450km/h超過。
500km/h以上超過とも噂され、一撃離脱に徹すると追い付けません。
7.62ミリ機銃4挺ですが、I-16戦闘機の一部は新型20ミリ機銃を装備。
1発でも被弾すれば、ひとたまりもありません。
ソ連空軍は青い戦旗、幸運の紋章《スワスチカ》を描いた敵機の殲滅を計画。
1千馬力級の発動機、引込脚、鴎の愛称を備える新鋭機も動員します。
究極の複葉戦闘機、ポリカルポフI-153チャイカ参戦で制空権の奪還は難航。
D21数機の喪失後、フィンランド空軍戦闘機隊は凍った湖に潜伏を余儀無くされました。
1930年末に初飛行、爆弾2200kg搭載可能な世界初の単葉4発重爆撃機TB-3。
1935年開発、爆弾600kg搭載可能な双発高速爆撃機SB-2。
1937年初飛行の新鋭爆撃機、イリューシンDB-3参戦も決定。
制空権の喪失は戦場のみならず後方基地、市街地への爆撃開始を意味します。
フィンランド全土、民間人居住地域も無差別爆撃の脅威に曝されました。
森と湖の国も風前の灯、と誰もが思いましたが。
窮地に立つ隣国を救う為、スカンジナヴィア半島からも援軍が馳せ参じます。
スウェーデン空軍の義勇隊、複葉戦闘機も奮闘しますが戦況は好転せず。
ソ連空軍の質と量に押され、劣勢を否めません。
嘗て独立戦争の際、フィンランド空軍の象徴となる幸運の青い十字紋章を贈った男。
エリック・フォン・ローゼン伯爵の息子、カルル・グスタフ・フォン・ローゼン伯爵も動きました。
彼は単葉引込脚を備え全金属製の双発旅客機DC-2購入後、ハンシン・ユッカ号と命名。
自衛用に後方旋回機銃1挺を取り付け、侵攻軍の頭上に鉄槌を下す準備を整えています。
爆撃機単独で殴り込みをかける程、ローゼン伯爵は無計画ではありません。
史実では英国製グラジエーター後継を狙い、軽快な操縦性能を誇る戦闘機を購入。
オランダ製コールフォーフェンFK-52戦闘機は複葉2座、20ミリ機銃2挺、7.7ミリ旋回機銃1挺を備えますが。
当世界では優秀な諜報関係者が動き、双発単座戦闘機の先駆者《パイオニア》を斡旋。
《鷹》の異名を持つ試作機、フォッケ・ウルフfw187参戦が実現します。
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