戦国†恋姫~黒衣の人間宿神~
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七章 幕間劇
二条館の朝×恋する想い
「んぅ・・・・すぅ・・・・」
「お姉様・・・・」
微かな足音と共に寝所に足を踏み入れた双葉が吐くのは、呆れたような溜息だった。
「・・・・何という格好をしていらっしゃるのです」
布団を肌蹴ているだけなら、まだ分かる。昨晩はこの時期にしては暖かったし、その所為だろう。
「んぅ・・・・すぅ・・・・」
けれど、夜着まで肌蹴たあられもないその姿は・・・・とても家族以外には見せられない有様だった。もし、一真がいたら襲っているのではないかと思うくらいに。
「起きてくださいませ・・・・。朝ですよ、お姉様」
肌蹴た夜着をそっと直し、双葉は姉の細い体を優しく揺さぶってみる。剣聖将軍とも異名を取るその身体はしっかりと引き締まっていたが、決して硬い訳でもなく、むしろ柔らかいとすら思える程だ。
「うにゃ・・・・」
「起きてください。ほら、お姉様」
「・・・・んむぅ・・・・」
そんな攻防をしばらく続けていると閉じられていたまぶたが、ようやく僅かにその内を覗かせる。
「んぅぅ・・・・双葉か・・・・」
「はい、双葉です。もう朝ですから、起きて下さいませ。お姉様」
「ふわぁ・・・・頼む。もう少し寝かせてくれ・・・・」
大きな欠伸を一つして、一葉は夜の時に蹴り捨てた布団を抱き寄せ始めた。もう少しとはどのくらいかと双葉が聞くとあと三刻だそうだ。一刻は現代の2時間にあたるから三刻は6時間か。寝すぎだろう。
「服もちゃんとお召下さいませ。いつまでもそのような格好ですと、お風邪をひいてしまいます」
布団を引き寄せていたら、整えたばかりの夜着が再びだらしない格好になる。動物は飼い主に似るというが、服もだらしない所は主に似てしまったのだろうか。
「布団の中におれば裸でも平気じゃて・・・・。ほれ、双葉も入っておいで・・・・」
「あ・・・・ひゃ、ちょっと、お姉様・・・・っ!?」
武術の鍛錬なんて、護身術程度にしか心得のない双葉など剣聖将軍とさえ異名を取る姉の敵ではない。一瞬の虚を突かれれば、あっさりと布団の内へと引き込まれてしまう。
「んぅ・・・・。我が妹ながら、愛らしいのぅ。柔らかくて暖かいわ」
「や、やめ・・・・っ。おやめください、お姉様ぁ・・・・」
「おや、何やら良い匂いもするの。匂い袋でも変えたのか?」
抱きしめる一葉。幼い頃、いつもこうして二人一緒だと言う一葉に双葉は寺に預けられてたから、そんな記憶はない。と言ったらでは改めてといい、更に抱き着くのであった。数分が経ってから。
「・・・・全くもぅ。いつもの冗談ではないか」
「お姉様の場合は、冗談と本気の区別がつかないです」
ようやく服を着付け終えた一葉に、双葉はため息を一つ。
「何とも堅苦しい妹じゃて」
「お姉様がだらしなさすぎるんです。ほら、お座り下さいませ。御髪を整えさせて頂ます」
障子から差し込む穏やかな陽の光の中。室内にゆっくりと流れていくのは、長い髪を通る櫛の音だ。
「しっかり下さいませ、お姉様」
「日がな一日しっかりしておっては、息が詰まってしまうわ。たまには息抜きも必要であろう?」
「お姉様の場合は、たまには所か一日の大半が息抜きではありませんか」
「ふむ。言い返すのが上手くなったの」
「毎日の事であれば、慣れもします」
そんなボヤキを投げかけながらも、双葉が一葉の髪を梳く手は滑らかで、一度も乱れる事はない。加減を聞く双葉は、丁度良いと一葉が言う。これは毎日の繰り返しだけど。寝てしまうわと言う冗談をいったら、櫛が髪に引っかかる事で冗談だと言ったけど。どうやら、毎日ちゃんと手入れをしているのに珍しく引っかかる箇所があったようだと。
「毛が絡んでおるか?・・・・ふむ。いっその事切ってしまうかの」
「そんな、勿体ない」
「じゃが、面倒であろう?これからは戦も控えておるから、戦の時に掴まれても敵わんし」
これから戦が起こる時に、一々礼儀作法で挑む相手などいないだろう。相手の髪を掴んで首を掻き切る事に至っては、白兵戦の定石の一つでさえあるのだ。双葉には、毎日こうやっている事を気にしていた一葉であったが、気にしないと言った。それに大切なお姉様であり、こうやって毎日髪を梳くのも嬉しい事何だと。
「正直に言えば、もう少し寝起きをしっかりして頂ければ嬉しいのですが」
「・・・・・・それはまあ、善処しよう」
と要望を織り込むのも上手くなったな、と心の中で苦笑しつつ姉は妹に微笑みをかけてみせる。
「ですから、お姉様・・・・御髪に関しては」
「・・・・うむ。姉として、妹の楽しみを取る訳にはいかんな。髪を切る話はなかった事にしよう。忘れてくれ」
「・・・・はいっ」
そう答えた双葉だったが、第三者の声が聞こえた。相手は幽だった。どうやら朝食の準備が出来たとの事。
「そうそう。今日の汁を作ったのは、双葉様でございますよ」
「そうか。双葉も朝早くから大義であるな」
「いえ・・・・好きでやっている事ですから」
「だが、このところ多いな?台所番が辞めでもしたか」
「私の作った食事では、お嫌ですか?」
「そうではない。これまでは今ほど料理に熱を入れているとは思わなんだが・・・・何かあったか」
「いえ・・・・そ、そういう訳では・・・・」
「そうですな。ここしばらく、それがしが見る限りでも明らかに力が入っているご様子」
と言っていたが、味噌汁が前より濃くて辛かったようだ。前より薄かったようだが、どうやら尾張の味噌を使ったようだった。どうして幽が知っているかは、帳簿を見ていればすぐ分かる物だそうだ。
「ふむ。尾張の味噌か・・・・。あちらは京とは違う、濃い味付けが多いのだったか」
「逆にあちらの味に慣れておれば、京の繊細な味付けは物足りなく感じる事でしょう」
「だが、尾張か・・・・」
「それは、その・・・・仲良くなった一真隊の方に、お料理の得意な方がいらっしゃいまして・・・・その方から、色々と教わりましたので・・・・」
と言った後、二人から色々と言われたら自滅した双葉。その御方の味付けと同じだったようだ。そして一葉は妹がもうその歳とは、もう子供扱いしておく訳にはいかないとな。
「はてさて。朝起こしてもらい、朝餉の支度をしてもらい、果ては髪まで梳かしてもらう側の言葉とは思いませんな」
「ふむ。ならば幽は余に料理をしろと?」
「まさか。そのような恐れ多い事、それがしからはとても口には出来ませぬ。もし口に出したなら、それがしは末代までそれを悔いいる事になるでしょう・・・・」
「ならばそのような事、口にするでない」
「御意」
という風になった後に、その御方の味付けが好きな味噌汁を飲むとしようと言ったら双葉は顔を赤くした。あの方とは誰だか分かるよな?もし分からない者がいれば鈍感だな。で、今は朝餉が終わって、双葉は今自室にいる。
「ふう、一真様から教わった味噌汁・・・・か」
文机の抽斗から取り出したのは、一枚の紙。丁寧な文字が並ぶそれは、先日俺が教えたレシピだった。俺の字ではないが、ノーパソで印刷された一枚の紙だけど。
「一真様にしか知らない物。一体なぜこんなにも作っているのだろう」
料理に慣れた双葉にとっては、味噌汁などさして難しいものではない。出汁の取り方や味噌の種類に少々違いはあるけどその程度である。でもこの紙に書かれている事は、双葉にとっては大切な物であってとても大事な物。そして口に出しながら、このレシピが書かれた紙を抱えながら口ずさむ。
「一真・・・・さま・・・・」
その時脳裏に浮かんだのは、一時の別れの時だった。色々世話になった事や次は早くここに来る事も。先に行ってしまったので、追いかけて行った俺のところには一枚のハンカチが落ちていたのだった。
「これ・・・・一真様の手拭い、なのかな・・・・」
双葉の手の中にあるのは、あの別れの時に一真が落としていった、一枚の布。絹、木綿、麻。肌触りが良い布地も、周囲を縁取る精緻な布細工も、彼女の知る如何なる布とも違う物のように見えた。南蛮の品か、あるいは・・・・一真の住んでいたという地の品なのか。布の隅に刺繍された花押とも紋とも付かぬものは、双葉には何を意匠したものかすら分からない。
「どうしてあの時・・・・一真様に言えなかったんだろう」
そんな布を見つめながら双葉が巡らせるのは、そんな想い。一真が立ち去った後、落し物の存在に気付いたのはすぐの事だ。如何にに双葉が体力に自信がないとは言え、少し走るか、それこそ使いを出せばすぐ追いつけたはずだった。落し物だと言って手渡せば、全てがそれで収まったはずなのに・・・・。
「どうして・・・・」
双葉が選んだのは、その布を持って一真を追いかける事ではなく・・・・。
「・・・・懐に入れてしまったのだろう」
一真はまた会いに来ると言ってくれた。ならば、その時に返せば良い。拾ったその時、すぐに追いかける事も思いついたはずなのに・・・・。双葉はその手拭いを、その言い訳と共に自身の胸元へと収めてしまった。
「私・・・・悪い子だ・・・・」
何かと理由を付けて、一真の落とし物を自分の物にしてしまった。それが悪い子だというのは、よく分かっていた。けれど・・・・。けれど・・・・。と、考え込んでしまったが幽の言葉で我に返った双葉。布は胸元に押し込めて幽を室内に招きいれた。
「先程市に買い物に出た際、双葉様が以前贔屓にしていらした本の新作を見つけましたので」
「本当ですか?・・・・ですが」
一瞬喜色を浮かべかけるが、双葉の表情はどこか暗いものに戻ってしまう。その表情の意味を解したのだろう。幽も目を細めて、何か悪戯でも思いついたかの如き笑みを浮かべてみせる。
「ああ、お気になさいますな。それがしも興味がありましたゆえ。ですから・・・・これは公金で買ってきた訳ではなく、それがしの私物を双葉様にお貸しする、という事で一つ」
「幽・・・・」
「それがしも何かと多忙な身故、しばらく読む暇がありませぬ。双葉様が読み終われば返して頂いたので構いませぬゆえ」
「良いのですが?」
「構いませぬ。それがしも読み終わったら、また書物談義でも致しましょうぞ」
それは、幽の気遣い半分、本音半分といった所だろうな。彼女の本来の主は幽や双葉が好んで読むような類いの本は、ほとんど興味を示さない。
「・・・・ありがとう、幽。その時は明るい内か、月明かりの下で致しましょう」
幕府の財政は、書物は愚か、その日の灯火の油を買う事にも困窮する有様なのだ。その事をよく知っているだけに、双葉の言葉には、幽も困ったように笑うしかない。
「そうですな。その時は・・・・頬の畳の跡が目立たぬ程度の明るさの方が、宜しいかと」
「・・・・・・・っ!」
「ははは。それでは、失礼いたします」
「うぅ・・・・幽ったら・・・・」
臣下の娘が立ち去った後。小さくぼやき、鏡に顔を映し出せば・・・・。頬には畳の跡など、付いていない。
「・・・・・うぅぅ。幽・・・・っ」
少し考えれば、少々畳に寝転んだ程度で畳の跡など残らない。どうやら動転していた双葉は、まんまと幽のカマにかけられたのだ。
「・・・・本でも読もう」
どこか釈然としない気持ちのまま、双葉は幽の差し入れてくれた本を開く。如何にに幽が人間的に問題のある人物であろうとも、持ってきてくれた本には何の罪もない。それに、双葉がその物語を楽しみにしていた事もまた事実であった。しばらくして、双葉が読み進んでいるのは、古い時代を舞台にした王朝の絵巻。如何に気持ちが落ち込んでいようが、贔屓の書物であれば、自然と意識はその内容へと集中し、その世界の中へと沈み込んでいく。殊に内容が内容だ。幽の求めてくれた本は、遠く離れた恋人達が互いを思い合う物語。
「(この人達も・・・・会えない相手を想って、一日を過ごしたりしたのかな・・・・)」
いつしか都の姫君と、地方へと流れた貴族の青年は、双葉のよく見知った姿へと置き換えられていく。
「一真様も、お健やかならいいけれど・・・・」
だが、そんな双葉の想いと裏腹に、遠く離れた所に住まう貴族の青年は、いつしか苦難に巻き込まれ・・・・。
「あぁ・・・・」
きり、と痛むのは胸元だ。思わず自身のそこに手を伸ばせば・・・・その指先に触れたのは、柔らかな布の感触だった。
「一真・・・・様・・・・」
半ば無意識にそこから取り出したのは、一真が落としていき・・・そのまま返す事もしなかった、彼の品だ。
「一真・・・・様」
きゅっと握りしめたそれを口元に寄せれば、ほんのりと柔らかな匂いが双葉のその身を包み込む。
「(一真の・・・・匂いがする・・・・みたい)」
物語の中で、主人公達は互いの想いを確かめ合うため、幾度も文を交し合っていたが・・・・。一真はこんな想いを押し付けられても迷惑だろう。それに一真には久遠という恋人もいるしまだ見ぬ本妻がいる。だから、この想いを伝える訳にはいかないはずだ。・・・・けれど。・・・・だからこそ。
「私が想う分には・・・・いい・・・・よね・・・・?」
思い出すのは、優しい言葉。穏やかな声と、人懐っこい微笑み。その一つ一つが、手の中の布の柔らかさとほんのりと漂う香りに結びつき、やがて書物の中で姫君を慕う青年の姿へと繋がっていく。
「駄目・・・・私、本当に悪い子になっちゃう・・・・。一真様の物で・・・・こんな事・・・・。ふぁ、ああ・・・・っ」
けれど、その想いは止まらない。いつしか白い布に押し当てられていた愛らしい唇からは甘い吐息が漏れ。畳の上に転がった小さな身体は、自らの想いに耐えかねたようになっていく。そしてその動きを止めたのは、ずっと見ていた一葉だった。どこか罰の悪そうな顔をしていた。何でもいつものように将軍の代役を頼もうと来たらこの有様だった様子で。しかも聞かれたくない一真の事も、ばっちり聞こえてたようであった。何か言おうとしたが、これ以上言うと墓穴になると姉からの進言で言うのをやめた。それはそうだろう、一真を取り巻く環境を知る一葉にとってその名を聞いた以上、最早何を言っても弁解は出来ない。
「別に久遠や一真に告げ口したりはせぬ。姉を信じよ」
「あぅぅ・・・・」
そう言い残し、一葉は部屋を後にする。残されたのは恥ずかしがっていた双葉だった。
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