樹界の王
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16話
音が戦場を支配していた。
森全体から響き渡る砲声。亡蟲を指揮する太鼓の音。そして、断末魔にも似た咆哮。
その音に耐性を持たないボクは、正常な思考能力と判断能力を徐々に削がれるのをぼんやりと感じていた。
太鼓の音が、次々と変わっていく。
亡蟲の横陣が更に広がり、ラウネシアの火力を分散させるようにその体積を伸ばしていく。
やはり、亡蟲には知能が存在する。
彼らは最低限度の戦闘教義を保持している。彼らは学習を繰り返し、それを改良していく事になるだろう。
圧倒的火力によって、亡蟲が次々と吹き飛ばされていく。弾の役割を果たしているのは植物の実だろうか。現時点では、ラウネシアと亡蟲の戦力には大きな差がある。ラウネシアの持つ圧倒的火力は、亡蟲の些細な戦闘教義を無視して叩き潰す絶対的なものだ。それが亡蟲の学習を阻害しているのだろう。
大気を震わせる轟音の中、亡蟲の軍勢はなおも広がっていく。止まる様子がない。軍勢の形は、崩れていく。
はじめ、ボクはそれを瓦解だと判断した。圧倒的火力によって、亡蟲は最早隊列を無視して逃げまわっているようにも見えた。
しかし、亡蟲の広がりは収まりを見せない。亡蟲との距離が縮まる中、彼らは固まりを作らず、個人的な突撃を始める。
そこに、ボクは得体の知れないものを感じ取って思わずラウネシアの点在樹に目を向けた。
「ラウネシア。亡蟲の広がりはいつものことですか?」
『いえ、ここまで広がるところは見た事がありません』
亡蟲は最早軍勢ではなく、個体としての攻撃を開始していた。軍勢としての突撃能力を失い、森全体に張り付くように大きく広がっていく。ラウネシアの砲撃の効果が弱まり、撃ち漏らした敵が次々と接近してくる。
『カナメ、下がってください』
ボクは頷いて、森の中に向かって駆けた。
亡蟲は、既に統率を失っている。それでも攻撃を止めないのは、敵の指揮官が部隊を生き残らせるつもりがないからだ。あれだけ広がってしまった部隊を無事に戻す事は不可能だ。
敵はもう、勝利を放棄している。
亡蟲の武器が繁殖力で、亡蟲の戦略目標が生存圏の拡大であるならば、既に敵の目的は戦術勝利ではなくなってしまっている。
これは、口減らしだ。死に向かって、ただ亡蟲たちは行進させられている。
悲鳴が聞こえた。亡蟲のものではない。ボクの感応能力が拾った植物のものだった。
森に侵入した亡蟲たちが、外殻を構成する樹木を斬り倒していく。
それを迎撃するように、更に内部の植物たちが戦闘態勢に移り、激しい攻撃意思が森全体に広がっていく。
勝敗は、もう見えている。現時点で亡蟲に勝ち目は存在しない。それでも、亡蟲は退かない。
戦争という言葉とはかけ離れた戦闘行為。原始的な生存競争そのもの。
恐らく、この戦争において妥協点というものは存在しないに違いない。講和は存在せず、種そのものを殲滅するまで続くのだろう。
森の中を駆ける中、背後から亡蟲の咆哮が響いた。振り返ると、樹々の向こうに亡蟲が立っていた。
速い。筋骨構造が人と相当違うらしい。以前に格闘戦に勝てたのは相手が無手であることも大きいが、主要因は墜落による負傷で相当弱っていた為だろう。この亡蟲との格闘戦において、ボクが勝てる確率はとても小さい、と判断する。
亡蟲がボクの存在を捕捉し、手にした斧を構えて咆哮する。
ボクは咄嗟に周囲を見渡した。外殻に辿り着くまでにラウネシアが説明してくれた樹木の中から、迎撃に最適な樹木を見つけ出す。
亡蟲が斧を構え、ボクに向かって地を蹴った。巨体が真っ直ぐと迫る中、ボクはある樹木に回りこんだ。亡蟲はそのまま距離を詰めてくる。
敵意。目の前の樹木から明確な攻撃意思が立ち昇る。しかし、亡蟲は気づかない。感応能力を持つボクだけが、この樹木が攻撃準備を終えた事を理解していた。
亡蟲が樹木ごとボクをなぎ倒そうと、斧を横薙ぎに振るう。その時、樹木が爆発するかのように燃え上がった。
一般的に植物は火に弱いイメージがあるが、火に対する反応システムを保有する植物、というものが多数存在する。代表的な例はユーカリだ。山火事が起きやすい乾燥地帯に生息するユーカリは、山火事による刺激によって発芽し、成長してからも山火事に対抗する為、樹皮が燃えやすく、すぐに幹から剥がれ落ちる仕組みになっている。
ラウネシアの眷属は、同様に火に対する反応システムを保有し、森全体が焼ける事を防いでいるらしい。しかし、例外が存在する。ラウネシアが罠の一つとして設置している火炎植物。これは外部刺激に対して発火し、爆発にも似た炎上を引き起こすのだ。
一瞬にして燃え上がった炎が、亡蟲を巻き込んで轟々と燃え上がる。息をつく間もなく亡蟲の身体が炎に包まれ、悲鳴じみた咆哮をあげる。
ボクはゆっくりと亡蟲から離れ、その最期を見つめた。燃え上がる炎に耐えかねて亡蟲の身体が崩れ落ちる。炎は収まらない。周囲の雑草が燃焼性の物質であるテルペンを放出し続けているのだ。亡蟲の動きが徐々に鈍くなっていく。
肉が焼ける強い臭いが鼻をついた。ボクは燃え盛る亡蟲から目を離すと、ゆっくりとその場から離れた。
森中を支配していた音が徐々に弱まっていくのが分かった。
火炎植物を含めた多数の植物が、侵入を果たした亡蟲を次々と迎撃しているのだろう。いつの間にか、亡蟲を指揮していた太鼓の音も止んでいる。
『戦いは終息しつつあります。単独でこの外殻を抜けられるほど、私の防衛能力は甘くありません』
ラウネシアの声。
森の中を歩くボクの前に、数体の亡蟲の死体が現れる。ボクは死体の持つ斧を手に取り、それから他の斧と見比べた。
作りが粗い。しかし、金属を加工する術を亡蟲は知っている。そして、その技術を伝えていく術も、亡蟲は保持しているのだろう。
知能が存在するならば、支配制度が存在するはずだ。王の役割を果たす個体が必ず存在する。軍事的権限を持った将軍も存在する可能性が高い。官僚機構に似た組織も存在するかもしれない。
『これが私と亡蟲の力量の差です。カナメ、心配は無用です。私にはあなたを守る力がある』
自然と、唇に笑みが浮かんだ。
確かに、今の火力差では亡蟲たちに勝ち目はない。あれだけの投射量を誇るラウネシアの火力に対し、亡蟲には原始的な近接武器しか存在しない。このままでは勝負にならない。
しかし、ボクは既に知っている。ラウネシアに王手をかける手段を、ボクは既に知っている。史上最悪の戦争形態を、ボクは知っている。
ボクはゆっくりと森を見渡した。
亡蟲は恐らく王と将軍をシステムとして切り離している。コミュニケーションが可能であるならば、亡蟲に与する事も可能だろう。ボクはこの戦争の勝ち方を既に知っている。不利な戦闘を強いられている亡蟲を率いて、ラウネシアの圧倒的な火力を無効化する事も不可能ではない、と思った。
寝返り。
頭の中に、そんな馬鹿馬鹿しい空想が渦巻いた。
亡蟲の対話能力によっては、選択肢の一つになるだろう。
しかし、ボクはラウネシアがどれほど不利な状況に陥っても、その選択肢を選ぶ事はない。
目の前に、広がる大自然。
幼い頃から、ずっと夢を見ていた。
人がいない世界。
植物だけが支配する世界。
ボクと会話ができる植物がいる世界。
幼少期に何度も夢見た世界。それが、目の前にある。
『カナメ。不安に思う事はありません。私はこの戦いに勝ちます』
違う。ラウネシアは負けてしまう。
肺腑の中まで森の空気を吸い込んで、それから広大な森を見上げるように息をついた。
いい。生存確率はどうでもいい。ボクは、この植物だけの世界を守りたい。そのために動いてみせよう。
「ラウネシア。知っていますか。戦争には落とし所が必要なんです。戦術的勝利を重ねるだけではだめなんです」
恐らく、ラウネシアにこの声は届かない。だからこそ、ボクは言わなければならなかった。それは、ボク自身に向けた確認の言葉。
「ラウネシアの落とし所は、どこにありますか」
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